3 夢幻の如く
3 夢幻の如く
巨人や竜から逃れるべく、クルスは古城に立て籠る道を選択した。かつて<北将>の施した城門の封印はクルスが魔法鍵によって解錠した。
城内へ足を踏み入れてすぐに、マジックマスターたちは城全体を防御する結界の構築に取り掛かった。敵に竜がいることから生半可な結界では城ごと破壊される恐れがあり、しばらく時間を稼げる程度には強固な障壁を築かねばならなかった。
<フォルトリウ>との一時共闘すら合意が得られていないにも関わらず、次なる試練が一同を襲った。城内に突如猛る巨人が現れたのであった。
「こいつは……?」
完全武装の巨人は二本角を生やした兜を被り、規格外な大剣を構えて雄叫びを発した。途端に、周囲に精霊<ウィルオーウィプス>と<ダークソウル>が召喚され、無数の光と闇がそれぞれ明滅してクルスらを威嚇した。
「……ヘイムダル。実体を取り戻しているということは、万魔殿の封印が解かれたことを意味する」
混沌の君が迫る巨人をビフレストの守護者と断定した。交戦経験を有するクルスは、腐りかけで錆び付いた武具を纏っていたかつての姿との相違に唖然とさせられた。
大振りの大剣は一同へと向けて豪快に振り下ろされた。ヘイムダルの瞳は暗く濁っており、クルスでなくとも正気を持たぬと窺い知れた。
「混沌の君よ。余計な時間をかけてはいられません。結界が破られる前に竜を迎撃せねば」
アンフィスバエナがそう忠告すると、混沌の君は「二階のバルコニーから対空戦闘を挑むと良い」とだけ応じて、自身はヘイムダルに向き合った。アンフィスバエナはフードを被ったままの仲間たちに天使予備軍の誘導と保護を指図すると、エストとリーバーマンの二人を伴って階段を目指した。
「クライスト様!我々はどうしますか?」
ヘイムダルの斬撃や光と闇の精霊から放たれる光線を回避しつつ、レイが指示を仰いだ。サルマンを始めとした傭兵も皆クルスの言動に注目した。
目まぐるしい展開にクルスも頭を整理できず、一旦<フォルトリウ>への先入観を捨てることにした。
「サルマン!ゼロ!二人は傭兵を連れてアンフィスバエナを追ってくれ。目的はあくまで魔神の尖兵と思われる竜や巨人兵の迎撃だ」
「応よ!お前ら、行くぞ!」
「了解です。階上より迎撃します」
二つ返事で承諾した二人は、<リーグ>の手勢を引き連れてヘイムダルの横を抜けて行った。
「レイは牽制だ。奴の懐には潜るな。シエラは後方から射撃。精霊どもを黙らせてくれ」
レイとシエラは緊張した面持ちで頷き、各々が獲物を構えた。クルスは自身も剣を抜くと、ヘイムダルと睨み合う混沌の君に並んだ。
「まさか、お前と肩を並べて闘うことになろうとはな。今日もありったけのマジックアイテムを駆使してくれるのだろう?」
「……ダグサの棍棒とイドの魔石。持ち合わせているのはそれだけだ」
混沌の君は手にした細い指揮棒のようなものを傾けて見せた。胸元に下がるペンダントは、以前クルスもその威力を体感した、魔法消滅の効果を持つイドの魔石であった。
ヘイムダルが突進から二人へと斬りかかった。跳躍でかわした二人はそれぞれの技で反撃を試みた。クルスは魔法でヘイムダルの顔面を攻撃し、混沌の君はダグサの棍棒を振って不可視の打撃を叩き込むことで巨人の足止めを図った。
「……クライスト。私はどうしたらいい?指示を」
ぽつねんと立ち尽くしたレベッカが澄ました顔で尋ねた。まだ剣を抜いてもおらず、その場の戦闘を徒に傍観していた。
クルスは彼女の扱いに困っていたものだが、ここは時間が惜しいと話を単純化させて答えた。
「判断を任せる。十天君である貴殿にあれこれ指示はしない。このデカブツと外の追っ手を何とかしてくれると助かる」
ヘイムダルは意外に敏捷で、クルスらを辟易させた。怪力からの剛剣をまともに受けるわけにはいかず、然りとて斬撃が床に叩き付けられる度に破砕された石片が恐るべき速さで飛び交った。
剣に破片に精霊にと、絶えず動き回って回避行動に注力させられた。しかし徐々にではあるが、シエラが<ウィルオーウィプス>と<ダークソウル>の始末を進めたので、クルスら前衛の負担は軽減を見た。
レンがヘイムダルを翻弄し、混沌の君が不可視の打撃を見舞った。敢えて接近戦を挑むクルスと息を合わせるようにして、レベッカの魔法剣が巨人の甲冑を斬り砕いた。
練達の士が攻撃を入れる頻度は時間と共に高まった。シエラが魔法の矢で最後の精霊を撃ち落とした頃には、ヘイムダルは負傷により棒立ちに近い有り様であった。
ヘイムダルはクルスの勧告にまるで反応を示さなかった。混沌の君からの、「あたら数百年の束縛がこの者の精神を狂気の淵にまで摩耗させたのだ。楽にしてやる他はあるまい」という進言に従って、クルスとレベッカが止めの剣を振り抜いた。
床に果てたヘイムダルの遺体は、そこではじめて正常な時の流れを取り戻したか、あっという間に風化して永い年月の務めを終えた。感慨に浸る間も無く、クルスは二階へ上がるよう味方に提案した。
「……クルス・クライスト。付いて来るのだ」
レベッカらが走り去ったその機を見計らってか、混沌の君がクルスを呼び止めた。そうして返答も確かめずに歩を進めるものだから、クルスは疑心を抱きつつもそれに従わざるを得なかった。
玉座の間。前回はここからビフレストに飛ばされたものだとクルスは思い返していた。混沌の君は室内の中央付近で仁王立ちになるや、魔方陣を起動してクルスを驚かせた。
「おい!何をしている?」
「……やはりな。ヘイムダルがこちらに現出したのでおかしいとは思ったのだ」
「……分かるように話せ」
「ビフレストへの転移経路が失われた。原因は、恐らくヘイムダルの暴走……奴が強引に突破したことで、ビフレストの入り口とこことを繋ぐ<パス>に綻びが生じたのだ」
「なに……ということは?」
「ここからビフレスト、引いてはクラナド入りすることが叶わなくなった」
混沌の君の説明に一瞬気の遠くなりかけたクルスであったが、よくよく考えて復調を果たした。それと言うのも、クルスは<フォルトリウ>を全面的に信用しておらず、またディアネ神の加護を喪失する危険性にも解を見出だしていなかった。
「御愁傷様だな。そう言えば……あの巨人が現れた時、万魔殿の封印が解かれたとか言っていたな?」
「それは間違いない。古の世、ヘイムダルの心臓は神々の手で万魔殿の内に封じ込められた。そしてディスペンストが万魔殿を時流より切り離したことでヘイムダルは不死性を得た。哀れ、奴はビフレストの門番に仕立て上げられ、強大な王を失った巨人族は衰退の途を辿った」
「胸くそ悪い話だな。……ちょっと待て。ということは、万魔鏡がウェリントンの手に渡ったということか?」
「奴かどうかは分からないが、万魔殿の封印を解く意思を有した者に奪われたということだ。あれがなくばディスペンストの魔法は崩せない」
クルスは、万魔鏡を守るためにソフィアへと向かったアムネリアとイシュタルの身を真っ先に案じた。
「こうしてはいられん!竜なり巨人なりを追い返して、ミスティンに戻らなければ」
「戻って何とする?」
「知れたことだ。ウェリントンと魔神を伐つ」
「魔神と闘わば、獣人と巨人が種族としての滅びを迎えるまで立ちはだかるだろう。前者は首城を霧に囚われ、後者は悠久の時を捧げし怨念に正気を絡めとられている。すなわち、種族補完のシステムによりアケナスもまた滅亡する」
クルスは息を飲んだ。混沌の君の発言には反論の余地がなかったからで、しかしそれを認めてしまえば<フォルトリウ>のやり方を全面肯定することにも繋がった。
「馬鹿正直に、支配された種族を相手にしなければならない理由はない。魔神だけを除けばいい」
「魔神を倒せると思っている点が不思議だ。卑しくも神の名を冠された相手。アケナスで最も古き存在を、ただの傭兵風情がどう制するというのだ?」
「……そうだな。ラーマ・フライマに我に返って貰うのはどうだ?」
「あれはもはや魔神と融合している頃合いだ。もはや人格すらも<福音>と区別できまい」
「なら……ディアネ神の力を借りるというのは?お前たちが新しき神になったとして、ディアネ神を上回る保証はどこにもない。ならば、今もって残りの四柱を抑えている神に助けを請う方が、遥かに現実的な話だ」
クルスは半ば当てずっぽうでそう口にしたが、言い得て妙ではないかと考え始めていた。ディアネ神と強調して魔神を打倒し、獣人や巨人の全滅を回避すること。
不意に拍手が鳴り響き、それは室内入り口付近にたむろしたフードの人物が贈ったものであった。<フォルトリウ>の一員として天使予備軍を誘導していたと思われるその者は、惜しみ無く拍手をした後で玉座の間に踏み込んで来た。
「誰だ?」
「師匠と同じ考えに至る弟子。実に泣かせる話じゃないか」
フードごと外套を脱ぎ捨てて素性が露になると、それを目撃したクルスの表情に驚きが浮かんだ。サラスヴァティ・レインが盟友イーノ・ドルチェとの、久方ぶりの再会であった。
ややもすると懐旧の念に支配されそうになる心中を抑制しながら、クルスは親しげに挨拶を投げた。
「最後に会ってから、もう十年以上になるな。壮健で何よりだ、イーノ」
「ああ」
イーノは身体に密着した動き易そうな空色の装束を着込み、腰には長剣を差していた。整えられていない無造作な金髪はクルスの記憶にあるイーノと代わり映えしなかった。
イーノは鋭い目付きでクルスを一睨みするも、ぶっきらぼうな口調で声を掛けたのは混沌の君に対してであった。
「ここが駄目なら早々に退いて、凍結湖へ向かうべきだ。時間が惜しい」
「竜玉を用いたとてビフレストへの道が開ける保証はない。第一竜王は味方でもなんでもない」
「可能性はゼロじゃない。あいつの見立てじゃあ、大穴の浅層に設えられた儀式魔法の跡はここの魔方陣と組成がよく似ていたそうだ。ラファエル・ラグナロックも生還しているわけだしな」
イーノは捲し立てた。混沌の君は即答せずにいたが、イーノの側仕えたる青年・エデンまでもが駆け付けたことで、風雲急を告げた。
「報告!どうやら敵は本気のようですね。四頭目の竜が出てきて迎撃は大苦戦中。巨人国もかの豪傑・スルトを追っ手で寄越してきました」
それを聞いたクルスは仲間への心配が先に立ち、直ぐにも手助けに戻ろうと踵を返しかけた。それをイーノが手で制した。
「急くな!闇雲に戦っても先はねえぞ」
相手がイーノ故に、クルスは大人しく従って足を止めた。イーノが決断を迫るは混沌の君に対してであり、二人の間の空気が密度を増して張り詰めていくようにクルスには感じられた。
「……この戦力で峡谷を目指すのは自殺に等しい。ましてや我々は足手まといとも言える人員を多数抱えている。仮に竜の巣を突破出来たとして、クラナドを動かすだけの要員が残らなければ何もかもが無意味となる」
「竜の相手くらい、魔境から兵隊を出せばいいだろう?あんたはまだ手駒である上位悪魔を温存しているはずだ。それを用いないのは、ただの感傷に過ぎない」
混沌の君は仮面で表情を隠しており、イーノが詰め寄ったことにどれだけ反応しているものか、周囲の者には想像もつかなかった。
クルスはじっと観察し、混沌の君とイーノの関係性を分析していた。イーノの素性に精通しているからこそ、二人の会話から混沌の君の正体を掴めぬものかと期待した。
「魔境の勢力を統率し続けるのに、この身はそろそろ限界なのだ。上位悪魔など引き連れて、離反でもされた日には目も当てられん。それ故に、今日この時決着をつけるつもりでいた」
「何だと……。くそっ!どうにかならないのか?」
「この身のことか?それともビフレストへの転移か?……残念だが、前者に打つ手はない。もう我に出来ることはないようだ。湖を目指すのであれば、自慢の幻術で竜をかどわかしてみせろ」
イーノは天井を仰ぎ見た。その姿からは悲壮感が透けて見え、細かい事情は知らずともクルスの胸を打つものがあった。
(イーノはこの人外の仮面と深く通じあっていたのか?とすると、セントハイムでおれを動かしたのは混沌の君の指示か?)
「あの、イーノ先生?放っておくと、エストさんや彼のお仲間が全滅しちゃいますけど」
エデンの場違いに乾いた警句はむしろ潤滑油となってその場の歯車を動かした。イーノは剣をとると、「小僧。一先ず邪魔者を殺るぞ」とクルスに発破をかけた。
クルスに異存はなく、一同はビフレストの件を棚上げにして二階のバルコニーへと急いだ。




