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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第一章 賢者の石
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4 アムネリア・ファラウェイ

4 アムネリア・ファラウェイ



「まさか、アムネリアが顔を出してくれるなんて。聞けばあなた方が勧めて下さったのだとか。あなた方とクーオウル神に感謝申し上げます」


 年配の女性司祭にそう頭を下げられ、クルスらは恐縮した。神殿の中、礼拝堂の奥に応接室が設けられていて、一行はそこに通されて歓待された。


 司祭が簡単に説明したところによると、アムネリアの神官修行の先がこの神殿であったそうで、彼女はクーオウルの一派では史上最年少で神官位を得た神童とのことであった。司祭と共に応対に出てきた女性神官が、アムネリアは悪魔退治の道中でこの村に立ち寄ったとある騎士に一目惚れをし、神殿を飛び出したきりなのだと口を添えた。


「シスター・エマリーシエ!それは言わない約束でしたのに……」


 アムネリアが取り乱す様を見て、クルスらは唖然とした。歳の割に超然としていることの多い彼女の素顔が垣間見えたのであった。


「だって……ねえ、司祭様。アムネリアったら、あからさまにイイ殿方を連れて帰って来るのですもの」


 アムネリアの先輩神官ことエマリーシエは、クルスに熱い視線を送りながら言い訳を述べた。司祭も優しく微笑み、愛の女神を報ずる信徒だけのことはあって、色恋の話題にも鷹揚な様を見せ付けた。


「アムは昔から美しかったのですか?」


「そりゃあもう。お勤めをしているこの子を見に、村中から年頃の男が礼拝にやってきたものです」


 司祭は誇らしげに言い、隣のエマリーシエも深く頷いた。クルスはアムネリアの横顔を眺めて得心したように腕を組む。


「ふうむ……若い頃からこれか。まさに魔性。完全無欠なる器量」


「何がふうむだ!司祭様も、余計な質問には答えないでよろしい」


 世の全ての光を集めそうに深いアムネリアの黒瞳には淡く碧が差しており、クルスはそこに戸惑いの色を見出だした。


「ごめんなさいね。久し振りに貴女の顔を見ることが出来て、興奮してしまって。クルスさんと仰有ったかしら?これからもこの子を頼みます。いつまでも、アムネリアは私たちの可愛い娘なのですから」


「是非、お任せあれ。誠心誠意、おれがアムの面倒は全て見させていただきます」


「三人もの美女を侍らせておいて、強気ですこと。頼もしい殿方だわ」


「シスター・エマリーシエ。おれは別に女たらしとか女衒の類いではない。古今あらゆる女性の味方なだけだ。朝露のように儚げで、昼顔の如く健気で、夜霧もかくやという神秘性。そんな女性たちに魅せられ、愛でて返すことこそ我ら男に許されし生涯唯一の至福」


「あら?昼顔に健気な様などありましたっけ」


 エマリーシエの突っ込みにクルスは肩をすくめ、何事か反論をしかけた。そこにアムネリアが「夢想家の相手をしても栓無きこと」と割り込み、問答無用で話を流した。


 本題へと軌道修正を試みたのは、やはりネメシスであった。


「カナル帝国はバレンダウンの総督代理、ネメシス・バレンダウンです。今日このよき日の出逢いを偉大なるクーオウル神に感謝致します」


 司祭も同様に謝辞を返し、互いに信仰する神を称えあった。そして、ネメシスはアムネリアの身体に巣食う禍々しき呪いの症状について知見を求めた。


 司祭とエマリーシエが口々に言うには、クーオウル信徒に伝わる麻酔術であれば、痛みを和らげることだけは出来るであろうとのことであった。ただし、それはあくまで痛みを感じる神経を誤魔化すことに他ならず、根本治療どころか身体へのダメージを考慮しない諸刃の剣であると釘を刺した。


 それと聞いたノエルは息を飲んだ。


(痛くはない。痛くはないのに、身体は刻一刻と傷み壊れていく。そんなのって……)


「……論外の手法ですね。諦めましょう、クルス」


「はい。姫様」


 アムネリアの身体を気遣うことに反対する意味はなく、クルスはネメシスの言に従った。しかし彼は、アムネリアの放つ不穏な空気を肌でひしひしと感じ取っていた。


「その麻酔術というのはもしや、燻したアヤカシの実を磨り潰して経口摂取する、あれのことですか?」


「そうです、アムネリア。理屈の上から言えば、物理的な苦痛は全て取り払うことが可能です。手術で身体にメスを入れるための、所謂医療技術ですからね」


「アムネリアさん?」


「ネメシス様。私が迂闊でした。自身が修得済みの術を失念していたとは。麻酔術であればコントロール出来ますので、どうかご心配なく」


「それは、しかし……」


 エマリーシエなどは、呪いに込められた呪詛や魔法の式が分かれば別の対抗手段もあると主張するのだが、アムネリアはその辺りの回答を拒み続けた。司祭からくれぐれも無茶をせぬよう諭され、アムネリアも最後にはそれを約した。


 夕暮れを迎えた頃、司祭は一行に泊まっていくよう勧めた。エマリーシエは神官見習いの信徒たちにてきぱきと指示を出し、クルスたちの寝所を整えさせた。


 質素な夕食の後にクルスは一人呼び出され、司祭と二人狭い部屋にて向き合って座った。入室に際してアムネリアと廊下ですれ違ったものだが、彼は特に声を掛けることなく笑顔をのみ返していた。


「考えてみれば神殿に寝泊まりをするというのも久方ぶりのこと。それが愛を司る女神クーオウルの神殿だというのだから、胸が踊る」


「神殿で修行……というのとは違いますよね?旅の寝所とされていた?」


「そうです。悪魔を狩って、アケナス各地を旅した時期がありまして。路銀の尽きた旅人に優しくしてくれたのは、神殿か農家くらいのものだった。温かいスープとかたいパンに、どれ程救われたことか」


「神は人間を弱く御創りになられました。人と人が助け合い、愛し合うのもその為なのです。人間は独りでは生きて行けない」


「そうでしょうね。他人に助けて貰った分は返してやりたいと、常々思ってますよ。貴女方のように無償の愛を探求する気はさらさらないが」


 クルスは当然だとばかりに鼻で笑った。司祭は柔和な表情を崩すことなく、真っ直ぐにクルスの目を見て問答を続けた。


「善意を貸し借りのように考えるのは穿ち過ぎというものです。特に愛は無償であるからこそ美しいのではなくて?」


「方便としてはそうでしょう。それでもおれは、愛された分くらいは愛してやりたいと考える。それが何人たりと言えども。……そして、憎まれた分は憎み返してやりたくなる性分です」


「多情多恨。それもまかり通ると?」


「クーオウルの神官が説く救済こそ万人に対する愛。すなわちその本質は、博愛主義に通じるのでは?」


「博愛主義を勘違いしてはなりません。情熱豊かであることを否定するものではありませんが、こと人間の愛憎には誠実さも必要と考えます」


「誠実であれば報われるというのならそうします。しかし、現実は千の言説よりも遥かに厳しい」


「……飄々としていて、胸の内には激情を秘めているようですね。無論咎めるつもりは毛頭ないのですが……。アムネリアは聡い子です。貴方がそのような態度を貫く限り、あの子が心を開くことはないと告げておきます」


 司祭の言葉尻からは温かみが感じられ、クルスとアムネリアのことを気に掛けているのだと知れた。クルスは寂寥の込められた微笑みで応じ、肯定も否定も表明することはなかった。


 クルスは自身が過ぎ去りし愛憎の残滓に絡めとられていると自覚していた。そして、アムネリアが別の男の幻影を追い続けていることもまた肌で感じ取っていた。


(人間には失ってならないものがある。クーオウルもカナンも、神はそんなことは一言も教えてくれなかった。今更誠実に生まれ変わったとて、何も戻ってはこない。同じものが得られない以上、それは虚しいだけだ)


 胸元のペンダントを固く握り締め、クルスは司祭の言葉を頭から振り払わんとた。



***



 サンク・キャストルの傭兵たちは突然見舞われた災難に気が動転し、力を発揮することもままならなかった。都市の四方に巡らされた城壁の一角が大規模な攻撃魔法を受けて大きく毀損し、内部にまで攻め手の侵入を許していた。


 カナル帝国の精鋭・白騎士団来襲の報は、サンク・キャストルの市民のみならず<リーグ>本部をも大いに慌てさせた。幹部であるエックスの号令一下、都市に滞在中の傭兵が市の内外で集結を果たしたが、問答無用で力戦を仕掛けてくる白騎士団の前には殆ど無力と言ってよかった。


 中立を謳い、特定の国家に肩入れすることのないサンク・キャストルの支柱は確かに<リーグ>本部にあったのかも知れないが、然りとてここに傭兵戦力の最高峰が揃うわけでもなかった。アケナスで一等勇猛と鳴る白騎士団の破壊力は桁違いで、剣でも魔法でも<リーグ>の傭兵たちは蹂躙されてしまった。


「団長。味気ないものだな。あの傭兵総連盟の本部戦力が、半日と持たずに沈黙だ。これでは腕がなまるというもの!」


 元は純白であったろう、煤けた灰色の重甲冑に身を包んだ巨漢が笑声も高らかに言った。もう一人、白の鎧と装束を纏った小柄な女騎士が馬上のウェリントンへと注進した。


「幹部連中は全員拘束しました。これ以上抵抗する気はないようです。議事堂に集まっているサンク・キャストルの議員たちはどう処置しますか?」


 ウェリントンは陽光を眩く反射する兜を小脇に抱え、馬上より二人を見下ろしたままで面倒臭そうに答えた。


「放っておけ。我等の目的はあくまで賢者の石の捜索だ。たかだか三百の兵力で一都市を占領するわけにもいかん。ジル・ベルトは百騎を連れて都市内部の残敵を掃討。抵抗する意思のある者は討て。私は十騎を伴い<リーグ>の幹部を締め上げる。アルテ・ミーメは残りの全騎を率いて市内を隈無く洗え。以上だ」


「応!百もいらんが、まあいい。物見遊山で行ってくるとしようぞ」


「待ちなさい、ジル・ベルト。ベルゲルミルの手練れが彷徨いているとの情報もあります。用心するがいいでしょう」


 アルテ・ミーメはそう言って、巨漢のジル・ベルトに規律を守って行動するよう促した。ジル・ベルトは煩そうな顔をして「けっ」とだけ抗弁するや、手近な小隊を呼び寄せて都市の内部を目指した。


「陛下も白鬼士隊など遣わされず、はじめから我々に出撃を命じて下さればよかったでしょうに」


 そう吠えるアルテ・ミーメの覇気を、ウェリントンは勇壮で好ましいものと評価していた。しかし彼は、自分の立場が故に知り得る皇帝周辺の情報を、側近である彼女やジル・ベルトにも全て明かしているわけではなかった。


 皇帝は悪魔を使役して賢者の石の奪還を図っていた。そして、自分たちを蚊帳の外に置き、白騎士団で裏の工作活動を担う白鬼士隊だけを動かしていた。


 以上の条件から、ウェリントンの勘が賢者の石に絡んだ皇帝の思惑をカナルにとっての凶事と訴えていた。それであっても彼は一枚噛む道を選んだ。


「……エルフの目撃情報はないのだな?」


「はい。今のところは。私が直接に指揮をとり、情報収集を強めます」


 ウェリントンは鼻を鳴らし、「そうしろ」とだけ命じた。アルテ・ミーメは気丈そうな顔に自信を湛え、締まりのある敬礼を残して持ち場へと戻った。


 サンク・キャストルにはウェリントン旗下の白騎士団三百騎が進駐し、徹底した捜索体制が敷かれることとなった。



***



 ボードレールが身を潜めていたのは、何を隠そう<リーグ>所有のごく普通の一軒屋で、クルスの依頼によりエックスを通じて手配されたものであった。一時的に共闘の構えをとっている為の措置であり、それが結果的にボードレールらを窮地に追い込んだとも言えた。


「どうだい?イグニソス」


 ソファに半身掛けとなったボードレールは、右腕と信ずるマジックマスターに周辺探査の成果を訊ねた。サンク・キャストルに白騎士団が入り込んできたことは把握していて、五人の手勢は武装した上で正面玄関と裏口に待機させてあった。


「御曹司……数が足りていない為にここまで手が回っていない模様です。<リーグ>本部を中核地点として、白騎士団の騎士たちの集まっている様子が窺えます」


「<白虎>の位置は分かるかい?」


「申し訳ありません。敵の魔法探査との混信を避けて展開しており、そこまでの精度は期待出来ず……。ウェリントンの動向は依然不明です」


 イグニソスは眉間に皺を寄せたままで答えた。彼らは実は<リーグ>の本部庁舎からそう離れていない場所に潜伏していたので、敵の動きを逐一監視する必要に迫られていた。


 そして、ボードレールの危惧する点が三つ。一つに、エックスの口から自分たちの所在が割れる可能性。もう一つに、クルス一行がサンク・キャストルで起きた異変に気付かず、のこのこと帰還して捕らわれる危険性もあった。


 合図を送ろうにもクルスらの行動予定を知らされておらず、打つ手はなかった。ボードレールらとしては、隙を見て都市から脱出したいところであった。


 三点目の懸念はより深刻と言えた。


「奴と直接に事を構えるつもりはなかった。……巡り合わせということなのかも知れないけどね」


「御曹司、くれぐれも御自重なさってください。ウェリントンと闘ってはなりません。政治的にも、純軍事的にもです」


「僕では<白虎>に勝てないと?」


「三年……いえ、あと二年もあれば、御曹司に敵う剣士などアケナスから無くなりましょう。どうかそれまでは御辛抱を」


 イグニソスの弁はボードレールの疑義を現時点において肯定するものであった。ベルゲルミル十天君の一員にして天才剣士との誉れも高い主の暴発を止めんと、イグニソスは必死の形相で訴えた。


 白騎士団筆頭、<白虎>のウェリントン。真なる強者の存在。


 ボードレールですら警戒心を隠さないこの男は、間違いなくカナル帝国の最強騎士であり、強靭な剣腕と戦上手とで諸国に知れ渡っていた。元々ボードレールは隠密行動でカナル入りしていることもあり、<白虎>と相見えるつもりなどなかった。結果的に接近してしまったことで戦士としての本能が彼を一騎打ちに駆り立てんと作用していたが、当の本人からしてそのリスクをしっかり承知していた。


 イグニソスは長いこと探知を続けていたのだが、不意に目を見開いて主へと警鐘を鳴らした。


「<リーグ>から火の手が上がった模様です!いえ、これは……市内の各所で火災が発生しております」


「……合図ではないのか?エックスとやらが、クルス・クライストがここに戻って来ぬよう仕向けた可能性が高いと思う」


「そこまでする程の義理が<リーグ>にはありましょうか?」


「さてね。傭兵にどれだけの矜持があるかは知らないけど。何にせよ、僕らも早いところ逃げ出さないとね」


「はい。しかし、私一人の姿隠しの魔法では長くは持ちますまい」


「最悪の場合、斬り結んで突破するまでさ。馬があるのは南側の門だったよね?」


 ボードレールは配下の騎士たちに荷をまとめるよう指示し、行き先をサンク・キャストルの南門と定めた。


 折しも、そこには市内の傭兵狩りを指揮するジル・ベルトが詰めていた。



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