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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第一章 賢者の石
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1 疫病神

クルス・クライストの四女神とカナル帝国記

第一章 賢者の石


1 疫病神


 < 人喰い(マンイーター)>と呼ばれる悪魔がいた。人間のように胴体と四肢を持ち、丸い頭部状の物体も付いているのだが、異様な点が二つあった。


 頭部と思しき球体にはぽっかりと穴が空き、内部では赤黒い肉壁が蠢いていた。鋭い牙が細かく密集して生えている他に、尖端の二又に分かれた舌が飛び出して忙しなく空を踊っていた。


 血の色をした体表は凹凸がなくつるつるとしており、粘性を伴った光沢が目立っていた。


「……不気味に過ぎる。まあ、よく食べそうな御仁ではあるがな」


 クルス・クライストはそう軽口を叩いて赤茶色の髪をかき上げたが、脇に控える面々は無視を決め込んだ。クルスも場の緊張や恐怖を和ませようと意図したわけではなく、単に生来の調子で言ったまでで、取り立てて合いの手を欲したりはしなかった。


 男達は半ば村落を取り囲む林の中に紛れ、気配を殺すようにして悪魔の様子を窺っていた。各々が勝手な胴当てやら全身鎧やらを纏い、剣に斧にと獲物を携えていて、装備に統一性は見られなかった。


 出自の異なる傭兵が九人。


(決して多勢じゃない。悪魔一匹に、訓練された正騎士が三人がかりでいい勝負というのが相場だ。寧ろ二匹目が潜んでいたら、少しばかり面倒なことになるぞ)


 クルスが見る限り、裏寂れた村に活動している村民の姿はなかった。


 領主が事態を把握し、税収減を怖れてバレンダウンに救援を要請している間に、村民は皆<人喰い>に喰われたに違いないとクルスは考えた。


 息も止めんばかりに静まっている同僚たちに、クルスはこれは危険だと憂慮を抱いた。


 今回の任務にあたり、傭兵たちの元締めたる傭兵総連盟こと<リーグ>の出した参加条件はスコア400というもの。


(400を少々超えた程度の奴ばかりなんじゃないか?<人喰い>と闘り合うに、気構えがまるでなっていない顔だ)


 それでも今更逃げ出すわけにもいかず、クルスは意を翻すことなく村を徘徊する悪魔の動向を黒瞳で注視した。<人喰い>は長いこと当てもなく歩き回っているように見え、その間別の種が姿を現すこともなかった。


 ややして、林に潜む九人の中で一番軽装の中年男性が、クルスに向かって手で合図を送った。それはいつ攻勢に出るのかという意図でなされ、それもそのはず男は<リーグ>が任務監視の為に寄越した監視官であった。


 頷くと、クルスは剣を抜くや即座に林を飛び出した。


 他の八人だけでなく<人喰い>も虚を突かれた形で、クルスの突進のままの斬撃はその滑らかな体表を深く抉った。激昂した<人喰い>は甲高い叫び声を上げて暴れ出した。


 クルスは振り回される腕や足から軽やかなステップで逃れると、<人喰い>と距離をとって素早く下段に剣を構えた。見目の良い彼がそうすると、傭兵たちの目にもクルスの纏う剣士としての空気が上等なもののように思われた。


(こいつのおつむの程度は知れている。打撃にさえ気を付ければ、補食されることはない!)


 襲い掛かる<人喰い>の手数を全て掻い潜り、クルスは巧みに剣を差し出して刺突と斬り払いを織り混ぜながら悪魔の全身を削っていった。


 背後に遅ればせながら仲間の傭兵たちが近付いて来たと分かったが、クルスはあと数撃でこの悪魔を打倒できると見立てていたので勝負を急いだ。未熟な戦士と肩を並べて闘う危険を回避する為に単身突出したのだから、彼からすればそれは順当な判断であった。


「ぎぇっ」


 その悲鳴を耳にし、クルスはイレギュラーが起こったのだと瞬時に悟った。そして、<人喰い>から距離をとって事象の観察に努めた。


「まだ隠れてやがった!うおおっ?」


 新手の悪魔がそこにいて、毛むくじゃらの剛腕で張られた傭兵は民家の壁面に叩き付けられて果てた。


(<山羊面(ゴート)>か!パワー系同士がタッグを組みやがって)


 山羊の頭にゴリラの如き筋骨逞しい体躯を持った悪魔が<山羊面>で、持ち前の怪力はまた一人傭兵の身体を素手で引き裂いた。残りの傭兵たちは乱入早々戦意を喪失気味で、悪戯に武器を振って<山羊面>から逃げ回り始めた。


 クルスは<人喰い>から目を離すわけにはいかず、刻一刻と悪化する戦況に退却の二文字が頭をかすめた。


 その時、不思議な香りがクルスの鼻腔をくすぐった。


「そなたは<人喰い>のとどめを。やれるであろう?」


 いつの間にやら、クルスと肩が触れ合う程の間合いに剣を抜いた女がおり、質問の返事も待たずに<山羊面>の方へと駆け出した。その動きは緩慢とまでは行かなくとも敏捷性に欠け、クルスは次の瞬間にこの女が惨殺されるものと確信した。


 しかし、その予測は見事に外れた。


 自然なくらいふわりと浮いたかと思うと、女は<山羊面>の胸元に零距離で着地していた。そこから叩き込まれた剣閃の威力と速度は、クルスが経験したことの無い高い次元の技であった。


 <山羊面>は何も手を出せずに崩れ落ちた。


 長い黒髪を華麗に流して剣を振るった女は、クルスの網膜に至高ともいえる美しさを焼き付けた。


 見惚れてばかりはいられないと、クルスも再び<人喰い>と対峙し、女程に流麗ではないにせよ確実に攻撃を命中させて撃破して見せた。クルスは地に伏した<人喰い>が動かぬことを確認し、念のために首を落とした。


「単独で<人喰い>を制することの出来る傭兵なぞそうはおるまい。そなた、どこか名のある傭兵だな?」


 <山羊面>を斬り伏せた剣を腰元の鞘に収め、女がクルスへと近付いてきた。<リーグ>の監視官は依然この場の空気を警戒しているようで、林から出て来てはいなかった。


 生き残りの傭兵たちが悪魔退治の展開に付いていけず戸惑う中、クルスは女に向かって陽気な口調で応じた。


「クルスと言う。バレンダウンで<リーグ>に所属している。不肖、支部で一等女性からの人気が高い傭兵だと自負している」


「聞いておらん。まあ、支部に他に男が所属していなければ、容易く成立する話であろう」


「これは噂だが、おれは万の男にも勝るという評判らしい」


「<リーグ>にそれほど男手があったなら、カナル帝国もベルゲルミル連合王国も今ほどに大きな顔はできまいな」


「ふむ。もし傭兵風情が何万と雁首を並べたとして、実際のところ正規の騎士団には敵わないとは思うがね。……で、こちらの美女はどこの御大尽様の所有にあらせられますかな?」


「この絶世の美女なら名をアムネリアと言う。誰の情婦にもなったつもりはない。我が心は俗世に関心がないものでな」」


 女ことアムネリアは言い切り、仄かな桜色をした薄い唇の端を持ち上げた。


「では、アムの心は諦めよう。体はおれがいただいてもいいかね?」


「却下だ。それと、どさくさ紛れに通称で呼ぶでない」


「つれないな。名前を教えあった以上、もう二人は抜き差しならぬ仲じゃないか


「どんな論法だ!」


 クルスとアムネリアの掛け合いは続いたが、やがて<リーグ>の監視官がそこに割って入った。監視官はアムネリアへと協力の礼を述べ、クルスには形ばかりの労りの言葉を投げ掛けた。


 適当に相槌を打つクルスとは異なり、アムネリアは相好を崩して監視官へと打診した。


「金品はいただけるのか?」


 監視官とクルスは驚いて顔を見合わせた。


「……残念ながら。この二匹は賞金首ではありませんので、任務に従事した傭兵以外に報酬は支払われません」


「そうか。ではもう失礼するとしよう」


 言うや踵を返したアムネリアの背を、二人の男は黙って凝視した。女性用の軽装甲に袖無しの外套を羽織った彼女のシルエットはこれまた美しく、クルスはアムネリアの美貌に我を忘れていた。


 その為、対処が遅れた。


「助けてくれぇええ!……んごぉ?」


 三匹目はこれも<山羊面>で、傭兵がまた一人犠牲となった。クルスは弛緩した身体に気合いを入れ直し、剣を手に前へと出た。


 アムネリアはそれを見て、新手の登場に怯えている監視官へと囁いてみせた。


「これではまだまだ悪魔が潜んでいるやも知れぬ。どうであろう?身の安全のため、私を護衛に雇ってはみぬか?」


「いや、しかし……」


 監視官が逡巡していると、天からもう二匹の<人喰い>が二人の傍へと落ちてきた。監視官が頼りとするクルスは依然<山羊面>と格闘していて、問答無用で彼の腹は決まった。


 アムネリアは魅惑的な微笑を浮かべると、見る者を釘付けにする清流の如き所作で剣を構えた。


「二太刀で片付けてやろう。監視官殿、金銭で命が拾えたのだから、そなたは誠に運が良い。悪魔の群に飛び込んで五体満足で帰ることなど、それこそカナン神の加護に違いあるまい」


 クルスがどうにか<山羊面>を退けるのを待つまでもなく、アムネリアは約束通りに剣を二閃しただけで<人喰い>二匹を処理してしまった。クルスはアムネリアの表情にやや暗い陰を見た気もしたが、<リーグ>の監視官が早期の引き上げを主張した為に突っ込むことはしなかった。


 半数を失った一行は人気のない村を放置して帰路へとついた。クルスはこの日の戦果が認められ、スコアを10加算された上に通常の五割増しの報酬を手にすることとなった。



***



 悪魔と呼ばれる異形の生物は、有史以来アケナス大陸全土の人間や亜人たちと敵対し、血で血を争ってきた。単独では抗い難い悪魔に対し、人間は国家単位で軍隊を組織して抵抗を続けた。亜人もそれによく協力した。


 やがて悪魔の駆逐は進み、アケナスには人間の営む国家がそれこそ無数に誕生した。一時の平和に人間たちは生産を拡大して、滅びし過去の文明の再建に尽力した。


 それでも時を経るに従い国家間で主義主張の隔たりが顕在化し、諸国は意見を戦わせた。それらは穏便に解決を見ることなく、あちらこちらで戦端が開かれた。


 同種間で血を流す人間に愛想を尽かした亜人たちは人間社会を出奔し、アケナス各所に散って隠遁にした。数十の国家が覇を競って戦に血眼になっていた頃、鎮静化していた筈の悪魔が突如動きを活発化し、アケナス中に猛威を振るわんとした。


 幾つもの国家が悪魔に食われ、ようやく一部の人間たちは団結してこれに当たった。


 魔境大戦。


 諸国と悪魔の大規模な戦乱はそう呼ばれた。戦自体は四年前に終結を見たが、今もって悪魔による脅威は人間社会を苛んでいた。


「<疫病神>などと呼ばれるのは、一体どんな気分だ?」


 木造のバーカウンターで隣り合わせた客がこれ程の美しき女でなければ、自分は間違いなく殴っているところだとクルスは自己を分析した。至近から香るアムネリアの体臭は芳しく、酒の良し悪しと関係なしにクルスを酔わせた。


 <リーグ>の支部が建物の一階部分を酒場とするのは大陸中の慣例で、旅人や商人、新聞記者から役人まで情報を欲する者はいの一番にそこを訪れると言われていた。それほどに、大陸にネットワークを張った<リーグ>の情報収集力や影響力は高いとされていた。


 カナル帝国の副都バレンダウンに構えられた<リーグ>の酒場は<銀の蹄亭>という名で、この日も日中でありながらそこそこの賑わいを見せていた。


 しかし、クルスの近辺、カウンター席だけは違っていた。アムネリア以外の客がわざと彼を遠巻きにして酒を嗜んでいることは明白で、それは周囲の白い視線が物語っていた。


「おれが悲観するのはおれ自身が害されるか、美女の命が儚く散ってしまう時くらいのものさ」


「非独創的な台詞だな。それでよくしたり顔など出来るものだと呆れる」


 アムネリアは硝子の杯をあおって、充たされていた蒸留酒を一気に干して見せた。カウンター向こうのバーテン兼<リーグ>の職員は既にクルスの顔色を窺うことすら放棄し、次の酒をアムネリアへと注いだ。


 何刻何杯飲もうともアムネリアの表情や呂律に変化が生じることはなく、はじめは下心があって酒を勧めていたクルスももはや諦めの境地に達していた。


(まさか、女と飲み比べて歯が立たないとはな……。おれが一杯やる間に倍は飲ませたはずなんだが)


「そなたのスコアがやっと700というのも解せん。あれは中堅の傭兵の技ではない」


 アムネリアが盛んに絡んでくるのはクルスの素性に関してであり、彼はアムネリアに好感こそ抱いていても、自身に関して語ることはなかった。


 <疫病神>。クルスがそう呼ばれるように至った所以は、彼が参加した作戦における傭兵の死傷率の高さにあった。


 中でも悪魔に侵攻されたとある中堅都市の防衛作戦において、クルスを除いた傭兵が全滅した事件は噂となっていた。噂には尾ひれが付いて、あたかも彼に敗北の責があるとの風評すら広まっていた。


 敗戦自体は紛うことなき事実であったので、クルスは余計な言い訳をせず甘んじて非難を受けた。前後して、彼の従事した任務でチームを組んだ傭兵にたまたま多くの犠牲が重なったことで、<疫病神>の二つ名は定着を見た。


 クルスは酔いで顔を赤らめ、アムネリアの問いに静かに答えた。


「……<リーグ>に登録したのは二十五を過ぎてからでね。何も根っからの傭兵だったわけじゃない」


「そなた、いま幾つなんだ?」


「さあな。三十になっていないことは確かだ」


「それでも私よりは相当上だ。ふざけた調子は自粛して、もう少し落ち着いた方が良いのではないか?」


 お返しにとアムネリアに年齢を訊くほどクルスは無神経ではなかった。肌艶から二十歳を一つ二つ超えたくらいであろうと推測していたが、彼は女性の年齢に興味を覚えるたちでもなかった。


 クルスの前髪がはらりと黒瞳にかかり、酩酊気味の視界を遮った。


「……マスター、会計だ」


 クルスは大雑把に銀貨を積み残し、席を立った。アムネリアが胃に収めた分もあったので不足はないか、マスター兼副支部長とバーテン兼職員の顔を見て確認してから<銀の蹄亭>を後にした。


 アムネリアは当然といった様子でクルスの後に付いてきた。悪魔退治からこのかた彼女は説明もなくクルスに付いており、二人ともに特に騒ぎ立てることはなかった。


「……おれがどこに行くのか、知りたいかい?」


「宿であろう?」


「まだ日が高い。酔い醒ましにひと眠りしてくるのさ」


「だから……」


「おれは一人で寝るのが苦手でね。歓楽街では、昼間からそういうサービスが充実しているんだ」


 クルスが言うは妓館のことであり、バレンダウンの色街は昼夜を問わず看板を出していることで有名であった。アムネリアは思い至るや、さして反応を露にすることもなくクルスの定宿を訊ねた。


(……まさかとは思うが、帰ったら部屋に居候してるとかではないだろうな)


 そんなことが起きたら至上の幸運だと、クルスは目の前の美女を前にあらぬ妄想を抱いた。結局はアムネリアが彼と同宿の隣部屋を借り受け、支払いを彼に付けるだけに終わるのだが、それが判明するまでクルスは久しく経験のない高揚感に包まれていた。



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