彼女に勝つための数字
運だけが味方なら、誰だって平等だって思っていた時期が僕にもありました。
「このせかいは、かくりつでしはいされているの。わかる?」
「……うん」
「わかっていて、わたしにきいてほしいはなしがあるのなら、この私としょうぶなさい。もし、あなたがかったならきいてあげる。トランプで、おおきいすうじのカードをひいたほうが、かちよ。私はかみさまにあいされているから、まけないのよ。それをみせてあげる」
少女が小さく胸を張って、机の上のトランプを自動シャッフル機に投入した。すぐさま、トランプが机の上に並べられていく。真っ白の柄で統一された裏面のトランプが机いっぱいに並べられたところで、少女はどれを取ろうなどといった考える時間もなく、目の前のカードを手にとった。
少女はそのカードを確認せず、少年に見せつけるように机の上に叩きつけた。
『Q』
そのカードはまさに少女の立場を示すようなもので、必然性すら感じさせた。逆にそのカードが示されてなお、少年の方はカードを選ぶのに手間取っていた。ここで負けたら、少年と少女の距離は開いていくばかり。少女に話し掛けるだけで精一杯だった少年にとっては、今回のチャンスを失うわけにはいかない。
「はやくなさい」
「う……う……」
少年は小さく震える手で、隅っこにあるカードを手に取って、表を向けた。
『2』
少女は溜息を吐いて、手をかざした。トランプが吸い寄せられるように少女の手中へと戻っていく。少年は泣きそうな瞳で、片付けられるトランプを見つめた。
少女と少年がいる学校は国に一つしかない。何千人といる生徒たちのなかで、少年が少女と会話するどころか会うのはこれで最後かもしれなかった。
「さようなら」
少女が冷たい言葉を残して立ち去ろうとすると、少年は強く拳を握り締めて少女の背中に語調を強めた声を投げかけた。
「つぎは……つぎは、ぜったいに、かつ、から!」
「つぎっていつ? あした? あさって? らいげつ? らいねん? いいえ、らいせになっても、あなたは私にかてないのよ。だって私はかみさまにあいされているの。あなたみたいなふつーのこにはまけないの」
「じゃあ、おぼえておいてね。つぎは、かつから。つぎは……ぜったい。だから、わすれないで。ぼくのなまえは、ジーク。ジーク・トリオン。ぼくは、きみに、かつ」
「私はリリア・ウィルン。私はだれにも、まけないのよ。ずっとね」
奇跡の運勢を持つ凡人、ジーク・トリオン。国営放送局は彼のことを奇跡と表現した。武器や肉体による争いごとをなくすために、全てに置いて賭け事で物事を決めるようになったその国は、持ち合わせる運勢が絶大なる力となっていた。強い運を持つ家系は繁栄し、そうでない家系は滅びていった。
そして、その歴史の中で、その国は王女の婿となるものもまた賭け事で決めていた。最も運の強い者が王となる。しかし、当然勝利するのは運の強い家系の者たち。だからこそ、この国は安定し、その歴史を重ねていった。
だが、その歴史の中に、ついに異変が起こる。王女の婿を競う戦いのなか、どこの有名な血を引き継がない男が決勝まで駒を進めたのだ。その男こそ、ジーク・トリオン。アルバイトで生計を立てている、細身の優しそうな男だった。
今までになかったことだけに、国中の者が彼に注目し、彼がどこまで勝ち続けるのか期待していた。
「が、トトカルチョじゃ、最下位・大穴。オッズは五〇倍ときたもんだ。一発当たれば大金持ちだな」
「まぁ、そんなもんだよ。期待しているっていっても、それって空からお金が降ってくればいいなーみたいなもので、皆分かっているんだよ。最後に勝つのは、ハグナット家のアイルだってさ」
「……ふむ」
三人の男が、小さな居酒屋で机を囲んでいた。その一人は、黒メガネをした特徴という特徴がないような男で、噂の奇跡の凡人・ジーク。ジークと向きあうのは、高貴なスーツで身を包んでいるものの、基が抜けたような男・マグナ。そして、横にはジークとは真逆に筋肉質で、いかにも強そうだが静かな男・ヨシュ。
三人は学生時代からの繋がりで、今日はジークの決勝前日ということで集まっていた。
「ジークお前それ狙っていたんだろ?」
「え?」
マグナは豪快な飲みっぷりでビールジョッキを空にすると、見透かしたようにジークの事を見た。ヨシュもまた、少しだけにやつきながらジークに視線を向けた。
「……さぁ、ね?」
含みを持たせた笑顔に、マグナは溢れんばかりの大きなため息をこぼした。
「確かに、国民の注目が集まれば、国営放送の利益追求からして、ジークが決勝まで行くことは予測出来たし、実際決勝までは進んだ。だけどよ、ここからは運だけじゃねぇ。あのクソ生意気くさいアイルに勝って、さらにあの性悪王女のリリアも倒さないといけねぇ。そこにお前が入り込む余地はねぇ」
全ては賭け事で決まる。とはいえ、王女や名家の者がどれだけの運を持っていても、王を決めることとなる戦いにおいて、万が一にも危険な人間が勝たないようにしなければならない。だから、その仕組は確実に存在している。決勝は王宮の公式賭場、公正という名の裏にはシナリオが用意されているのは明白だった。
「なぁ、ヨシュ。そうだろ? ギャンブルアイテムに関しても、国営の賭場のものは工場からまた別のところに運ばれているんだろ?」
「……ああ。公式賭場に置かれる機材は全て、……公正かどうか確かめるため、という理由で王宮の隣にある研究所に運ばれている」
そこで何が行われているのか、分かったことではない。それがギャンブルアイテムを作っている工場で働くヨシュであろうと、王宮で警備を務めるマグナであろうと、その裏側を知ることは出来ない。ただ、見えなくともその中身は明白。
「まぁ僕みたいな平民を王女と結婚できないようにするのは、当たり前のことだよ」
ジークは遠くを見るように居酒屋の天井を見つめて、ぼやいた。今までの歴史のことを、三人は学んできた。そのなかに出てくる歴史上の人物のファミリーネームは十種類もない。突然、ラッキーで歴史に名前を残すようなことは過去に一度もない。
「……無茶だが、やるんだろ。いや、無茶だからこそか」
マグナが鋭い視線でジークの心を覗くように睨む。ジークは茶化すように顔を揺らしてから、ポケットからサイコロを二つ取り出して、机の上に転がした。サラダの乗った皿の横を転がり、二つのサイコロは動きを止めた。
その数字は『1』と『2』。ピンゾロでもなければ、大きい数字でもない。
「まぁ、普通に考えれば無茶だね。僕はあの神様に愛されている王女様に比べれば、神様に嫌われているようなものだからね」
純粋な微笑を見せるジークにマグナは半ば呆れ顔だった。そのまま、マグナもまた、ジークの振ったサイコロを手にとって転がした。『4』と『2』が示される。すぐさま、ヨシュもまた奪い取るようにサイコロを取って、振る。『5』と『1』。
「……三人とも、こんなものだな」
ヨシュがつぶやくと、マグナは二度目の溜息をこぼした。もし、王女や名家のアイルがサイコロを振れば、間違いなく『6』を出してくるだろう。
歴史が示す王女や名家の運の力と、王宮が決めているだろうシナリオ。ジークが勝つ可能性はまともに考えて見出すことは出来ない。絶望的な状況だ、とマグナが肩を落とすが、ジークは違った。
「分からないよ! 結局は運で勝負! やってみないと分からない! とうっ!」
もう一度ジークがサイコロを振った。しかしサイコロは数字を示す前に、机の表面に当たった瞬間にパキっと割れた。
「運悪すぎだろ!」
マグナのツッコミが炸裂して、ジークは悶えながら顔を手で覆った。その妙にふざけた空気の中、ヨシュがついに、ここに集まった目的の話を切り出す。
「さて、前振りはここで終えよう。俺は俺の役目を終えた。あとは、当日のことだ」
その瞬間、マグナが複雑そうな表情をしたが、そのマグナの視線の先のジークは突然別人のような、真面目な表情を見せた。
「うん。ヨシュ、マグナ。僕は勝つ、絶対に。僕のちっぽけな命を賭けてね」
軽口を叩くようでありながら、重々しさを秘めて紡いだ言葉にヨシュとマグナは頷きを返す。ジークは二人に決勝戦のことを話し始めた。奇跡と呼ばれているジークが、本当の奇跡を作りだすために。
王宮では王宮が崩れてしまうのではないかというほど騒がしい歓声で包まれていた。その完成の中央には、四人の男と、メインパーソナリティの国一番のアイドルがそれぞれの思いを胸に立っていた。その四人が立つステージの上空では、黄金の球体が浮かんでいる。その球体の中では、王女が戦いを見ているらしい。四人の男で最終的に勝ち残ったものが、王女に挑戦する権利を与えられる。そして王女との戦いは空中で行われ、最終的な戦いが国民の目の前で行われるのだ。
そのような解説を、メインパーソナリティが話し終えたところで、すぐさま決勝戦は始まった。名家出身の三人の男と、ジーク。会場、会場を撮影している国営放送による映像によって、国中の者たちの視線が四人に集まっていた。
その潰れてしまいそうな圧迫感の中でも、四人は涼しげな顔で、それぞれの席に着いた。歓声がよりいっそう強くなり、それに合わせるように四人が座ったテーブルがライトアップされる。その巨大なテーブルは宝石が散りばめられており、置いてあるカードも紙製ではなく、何らかの金属でできていた。国がこの時のために用意した特注のギャンブルアイテムだった。
ジークは大きく息を吸って、周りを確認した。テーブルを囲む他三人のことをジークは詳しく知らなかった。ただ、アイル・ハグナットだけはその芸術品とも言われるルックスと、光の御手と称される引きの強さから国営放送局で最有力候補としてジーク以上に注目をあびていた。ただ、どれだけの運を持っていようと、どれだけの人気があろうと、ジークにはアイルについて一切の興味を持つことは出来なかった。
「ねぇジークくん、君はすごいなぁ。俺も君みたいに、奇跡だなんて呼ばれたいよ。なにせ、俺たちはいつだって勝たなければならない世界にいたから、そうやって勝利する事で賞賛を浴びるなんてことはなかったからね。俺もそうやって注目を浴びて人気者になりたいよ」
歌うような声ながら、ジークのことを皮肉ったアイル。それに合わせて、残りの二人の名家の男も明らかにジークのことを見下すような笑みをジークに向けた。
よくできました。そんな上から目線な態度をされてなお、ジークはアイルたちの相手をすることなく、周囲を見渡しきって、宙に浮かぶ金の球体に視線を向けて目をこらす。その中にいるのは、王女リリア。
姿は見えなくとも、その存在感を感じることは出来た。
「ジークくん? 緊張しているのかな? ほら、落ち着かないと引けるカードも引けないもんさ」
「え? ああ……ありがとう、ええとアイルくん」
棒読みのようになってしまった言葉に、アイルは爽やかな微笑みをジークに向けたが、内心穏やかでないのは明らかだった。アイルは表情こそ柔らかくしているも、纏っているオーラは他を寄せつかせない何かを孕んでいる。が、それを無視するようにジークはあからさまに大きな動作をしつつ、深呼吸をした。
ジークを除いた三人がジークのこと眼中から外し、目線を交差させた。アイルら三人にとっては、名家たちの争いなのだ。
火花が散りそうなテーブルの上で、金属のカードが自動でシャッフルされる。その間、メインパーソナリティのアイドルが公平性とルールについて明るくしゃべっていた。
決勝戦は単純なポーカー。チェンジや駆け引きは存在せず、ただ配られたカードのみの役での勝負となる。勝敗を分けるのは、運のみ。しかも、チップなどを賭けるといった行為もなく、一回きりで勝負は決まる。
単純明快で、誰もが納得できるルール。
『では、配り終わったところで、それぞれカードをオープン!』
王女の結婚相手を、さらには次の王を決める勝負。重要事項でありながら、スピーディーな運びなのは、この国の特色だった。争いごとは全て賭け事で、後腐れなく迅速に解決する。この戦いも例外ではない。時間を先延ばしすることに、意味なんて一つもない。
それを示すかのように、一番にアイルが勢いよくカードをオープンさせた。絶対の自信を持ったその手がめくった五枚のカードは、すぐさま巨大スクリーンに表示される。
さらに、ジークと残りの二人もカードをめくっていく。
『うわ! フルハウス!』
メインパーソナリティが驚くような声でアイルの役を叫んだ。チェンジなしでありながら、アイルが引いたカードは『7』が三枚、『J』が二枚。綺麗なまでにフルハウスが揃っていた。会場は一気に熱気であふれ、もともとあった歓声もメーターを振り切ったような大音量で会場どころか国全体を揺らす勢いだった。アイルはその歓声を全身で浴びるように両拳を天に掲げ、勝利のポーズを取る。
神の御手、と呼ばれるアイル。この決勝においても、その運を見事に見せつけたのだった。
確実に、勝った。アイルは会場に視線を送り、ここ一番の笑みを見せた。しかし、その笑みはすぐさま綻びていった。
会場にいる観客、国民たちの瞳はアイルを映してはいなかったのだ。誰もが、大画面の方を見ていた。大画面に映し出される、五枚のカード。アイルもまた吸い寄せられるように大画面を見て、固まってしまう。
アイルはフルハウス。残りの名家の二人はツーペアとスリーカード。最後の一人、画面一番下に表示されているジークのカードは。
『ロイヤルストレートフラッシュ』
会場が、ジークコールで包まれた。大画面に表示されるジークのカードは、ポーカーにおける最高役を示していた。ロイヤルストレートフラッシュが出る確率は65万分の1。そのカードをチェンジなしのこの決勝の場で引いたのだ。それはまさに、奇跡を遥かに超えるような出来事。誰もが想像出来なかった結果が目の前に現れた。自分とは関係ないことだとしても、熱狂してしまうのはおかしいことじゃない。
『ロ――』
現実離れした出来事に言葉を失っていたメインパーソナリティが気を取り戻し、ジークの出した役を叫ぼうとしたが、その音声は会場に響きわたることはなかった。マイク音声がブチッと途切れたのだ。メインパーソナリティのアイドルはあれ? とマイクの故障かとマイクをこんこんと叩く。
しかし、その動作も会場のほとんどの者にとってはどうでも良いことだった。結果は誰が見ても明らかだった。だからこそ、今はその奇跡と呼ばれ、本当に奇跡を起こしたジークに視線が集まっている。だから、今この時、他のことはそのジークの勝利に対する盛り上がりが全てをかき消していた。メインパーソナリティの声も、マイクが使えなくなったことも、全ての音声が切られていることも、警備の一人の男が音声のケーブルをこっそりと剣で切ったことも、国の役人らしき人間が「イカサマだ!」と叫んでいることも、会場の異常とも言える会場の熱意に呑み込まれる。
アイルをはじめとした名家の三人は慣れていない負けという事実にうちひしがれ動けず、メインパーソナリティは会場を落ち着けようとマイクなしで叫ぶも無意味で、役人の不正だという告発も誰にも届かない。
その最高潮に達した会場の中心、ジークは周りに一切の注意を払うことなく、上空だけを睨んでいた。
その視線の先にいるのは、神様に愛された王女、リリア。
リリアは黄金の球体の上に座り、ジークたちのことを見下ろしていた。その表情は楽しそうでありながら、やはり余裕をも含んでいるものだった。
ジークは会場に走り込んでくる国の役人たちに捕まる前に、大画面の下に置いてあった上空へと飛び立てる飛行プレートに乗った。勝者がこのプレートに乗ってリリアの所まで向かい、王女との最後の戦いに臨むということは事前に調べがついていた。だからこそ、ジークは邪魔者に止められる前に王女のもとへと飛び立った。リリアと戦うために。リリアに勝つために。12年前の言葉を、真にするために。
それは、イカサマだった。
決勝で使うカードも機械も、全て民間の工場で作った物を、王宮の隣にある施設で決勝用にカスタマイズする。そうして、イカサマが出来ないように、という名目で、勝者を役人側で決められるようなシステムを組み込む。
よって、イカサマはできない。どうやっても役人たちの公式のイカサマが行われるだけ。が、ジークたちが目を付けたのは、例えそういった恣意的なシステムが組み込まれるにしても、結局は民間の工場で作られた機械を使うということだ。
基となるものは変わらない。だからこそ、役人と同じように仕掛けを施せば勝てる。しかし、当然役人たちも、そのような誰かが勝つような不正な仕組みが無いかどうかチェックはしている。
ただ、それは『必然的に勝てるような仕組み』があるかどうか。誰かが勝つようにできていないか、というチェックにすぎない。要は、役人たちの意思を妨げるもの、もしくは越えるものがあっては困るのだ。
だから、まさか不自然な何らかのシステムが働いたときにのみ発動する、特定の悪い役のカードが最高のカードとして認識される仕組みになんかには気付きはしない。
決勝まで残る者たちが、悪い役のカードなんて、引くはずがないのだから。
神様に嫌われたような、運の悪い男でない限り。
そして、役人がアイルを勝利に導こうとしても、それは無意味でしかない。最低の役という名の最高の役を出す男がいるのだから。
結果が出て、その異常事態を何とかしようとしても遅い。会場の警備をしている一人の男が、こっそりと音声を繋ぐケーブルを切ってしまっているのだから。
工場で働く男も、会場を警備する男も、ただこの日のためだけにその仕事に就き、この時のためだけに働いてきた。二人の男が仕組んだ仕組みが、イカサマを成功させた。
「見事な不正だったわ、ジーク・トリオン。あの頭でっかちの役人たちを出し抜き、ここまで来たことは賞賛に値するわ。すごいわ、本当にすごいことよ」
「……ありがとう。けど、僕は不正なんかしていないよ。運が良かった、それだけだよ」
対峙する二人は会場の上空に浮かぶ特設ステージに立っていた。眼下には多くの国民がステージを見上げている姿が確認できる。
その視線は期待や羨望、様々な感情を含んでいるように見えた。それを全て受け止めるようにジークは小さく深呼吸。
そうして、改めてリリアに強く視線をぶつける。
「もしくは、良いお友達がいた。とでも言うべきなのかしら?」
「決勝のことなんてどうでもいいでしょ? 僕は勝って、ここに来た。ここに来た理由は、君と戦うためだよ」
「そうね。そうだったわね」
長くきらきらときらめく金髪の髪をなびかせて、リリアは余裕の笑みを浮かべた。
王女の微笑みを見るだけで、その一日に幸運が訪れる。そんな噂もある程の王女の笑顔だったが、今のジークからすれば、とてもそんな良いものには思えなかった。
アイルたちと同じ。いや、名家のアイル以上に勝負に対する気持ちが一般人とは違う。リリアにとって勝負は勝ち負けを決めるものではない。
勝つことが当たり前、負けることなどありえない。勝負することは、相手を負かすことと同じ。
なぜなら、リリアの持つ運は他を寄せ付けない程の、驚異的な力を持っているから。過去、一切の負けも経験してこなかったのだから、それは過信でも何でもない事実。運が支配する国の王家の血筋の力は、圧倒的すぎるもの。
だからリリアの絶対的な自信はこの場に置いても崩れることはないのだった。
「約束通り、あなたが勝つのかしら?」
「あ、約束覚えていてくれたんだ」
「もちろん。王女の私にあんなに強く宣言する男なんて、あなたくらいよ」
そこまで激しく言ったかな僕。とジークは首を傾げたが、内心ドキドキが止まらなくなっていた。まさか覚えていてくれるとは思っていなかった。
「では、勝負よ」
そんな妙な緊張で挙動不審になるジークを無視して、リリアは懐からトランプの束を取り出した。そして、そのトランプをシャッフルし始める。
「……え?」
ジークは間抜けな声を出して、リリアに詰め寄った。王女との勝負は、ブラックジャックのはずだ。それも、決勝と同じ特別な機械を使い、会場に大きく表示されるようにするはずなのだ。それなのに、リリアはこれでもかというくらいの勢いでシャッフルを続ける。
「まさか、機械を使った勝負とでも思っていた? そんなのつまらないじゃない? そんな仕掛けが施されたもので戦って、実力なんて分かったものじゃないわ。だから、私とあなたの戦いは、そうね、前と同じルールにしましょう」
お互いカードを一枚引いて、大きい数字の方が勝ち。
ポーカーよりも簡単で、単純明快。一瞬で勝負が決まる。
「それ、は……」
ジークは一瞬だけ躊躇った後、分かったと了承した。この場で機械での勝負に拘るのは、自ら不正を告白しているようなものだった。
「いいのかしら? 私は、勝つわよ」
「いや、僕が勝つんだよ」
視線が衝突し、火花が散った。ジークもリリアも、どちらも強気の言葉と態度で、互いを見据える。
リリアにとっては勝負が勝負ではない。勝つことが前提に存在している。それと同じように、ジークは勝利しか見ていない。互いに、勝負の意味が本来とずれていた。
が、勝負は勝負。簡単とはいえ、ルールが存在し、片方が勝利し、片方が敗北する。
「言い合っても無駄ね、カードを引きましょう」
リリアが本来ブラックジャックをやるはずだった豪華なテーブルの上にトランプの山をそっと置いた。
「どちらが先に引けばいいのかしら? 私がシャッフルしたのだから、その部分はあなたが決めなさい」
「僕は後でいいよ」
そう、とリリアは首肯して、迷うことなくトランプの山からカードを一枚引いた。
そして、そのままノータイムで、カードをテーブルの上に置く。
まるで引くカードが何か分かっていたかのような手つきで、そのカードに記されている記号をジークに見せつける。
リリアにとって、この場でのルールでそのカードを引くのは必然。そのカード以外を引く訳ない。
その、圧倒的な存在感を放つ絵柄はもちろん。
『K』
そのカード共に突きつけられる、リリアのとびきり美しい笑顔。
さぁ、引きなさい。そして、負けなさい。
ジークにとっては、そんな心の声が届いてきそうな、高圧的な笑顔にしか見えなかった。
それでも、どれだけ追い込まれても、どれだけ自分に運がなくても、勝つと決めたのだから。前は負けたけれど、今回は勝つと約束したのだから。
だから、負けない。
臆することなく、ジークがトランプの山からカードを引く。勝負を決めるカードを、手の中に収める。
そして、大きく息を吸って、力を込めてテーブルの上にカードを裏返しのまま置いた。
「どれだけ祈ってもカードの絵柄は……いえ、数字は変わらないわよ? それに、あなたの勝ちはもうないじゃない」
「いやぁ、変わるかもしれないよ。なんてったって、僕は一応ここまで勝ってきた男だし。何か奇跡が起こるかもしれない。奇跡って呼ばれているわけだしね」
「変わらないわよ。ここまで勝ってきたとしても、私は負けないんだから」
リリアはジークが置いたカードに手を掛けた。
12年前は、完敗だった。あれから12年経って、リリアの運はパワーアップしていた。12年前と同じクイーンではなく、キング。それはリリアの負けが無いことを示していた。
リリアの勝負には勝利しかない。ましてや、運の無いジークがそのリリアに勝てるわけがない。
こと、運においては。
リリアはゆっくりと、カードをめくった。
「あ……れ?」
その時初めて、リリアは余裕の表情を崩した。先ほどの笑顔は、見事に消え去った。
リリアは一瞬、そのカードに何が書かれているか理解出来なかった。
「聞いて欲しい話があった。ただ、それだけのために12年。僕も馬鹿だと思うし、みんな馬鹿にしてきたけど、何もできないまま終わるって悲しいからさ。運も悪い上に、何もできない男なんて、本当に救いようがないしさ。だから僕は、聞いてもらうために12年の間ずっと努力してきたんだ。嬉しいことに、僕に協力してくれる友達もいたしね。ずっとずっと、この日のために。その結果が、それだよ」
テーブルの上に置かれたカード。
そこに、書かれているのは。
『あなたのことが大好きです。 14』
手書きで書かれた文字と数字。明らかに正式なカードではない。トランプのカードではない。
それでも。
「ルールの上では、僕の勝ちだよ。カードを引いて、数字が上の方が勝ち。トランプの中で、1から13の間なんて、決まっていない。だから14を引いた僕の勝ち。だから、その聞いて欲しかった話。僕の言葉だけでも、受け取ってください」
12年の間、この日の仕掛けを組み込むために工場で働き続けたヨシュ。王宮の警備の仕事に就いて、続けてきたマグナ。その二人が働いている間、ジークが何もしていないわけがなかった。
当然、リリアとの戦いでブラックジャックをするはずだったギャンブルアイテムにも仕掛けが施してある。しかし、リリアは決勝ないしはそれ以前に仕掛けに気付く可能性がある。
だとしたら、リリアはどうするのか。勝負の内容を変えるだろう。そして、変えるとするならば。
リリアはけして容赦しない。圧倒的な勝利を奪い、強烈な敗北を相手に与える。するとジークに一番敗北感を与えるのは――以前と同じ戦い方しか無い。
カードを引いて、数字の大きい方が勝ち。
つまり、自分が絶対に勝てるカードを引いたように見せれば、勝ち。
どんなに卑怯でも。
そう見せることができれば、ジークの勝ち。
だからこそ、12年。ジークは上手くカードをすり替える、手品師のようなことを猛特訓し続けた。
その結果、そのテクニックは、リリアを打ち負かした。
「イカサマの告白で、告白だなんて。あなた、いい度胸しているじゃない」
リリアはその、手書きのカードを手中でくるんくるんと回転させた。ジークの用意した必勝のカードがそのままテーブル落下すると、リリアも力を抜いたように肩を落として用意されていた豪華絢爛なイスに腰掛けた。
「12年、それだけが伝えたくてね。あの学校にいる時にさ、他の子たちから怖がられているけど、それでも毎日楽しそうに振舞う君の姿が、可愛くて可愛くて。一目惚れもいいとこだけど、でもこの気持はうそじゃなくてさ、貫きたかった。それだけだよ」
ジークもまた、燃え尽きたように力なく言うと、リリアに背を向けた。そのまま、上空のステージまでやってきた飛行プレートへと歩んで行く。
「待ちなさい。どこへ行くつもり?」
「いやぁ、流石に勝ちは勝ちでも、認められないだろうしさ。僕は君にそのカードのこと伝えられれば十分だから逃げることにするよ」
よいしょ、とジークは飛行プレートを稼働させる。飛行プレートが浮遊し、移動可能の状態となる。ジークは結果がどうなったのか、と声を荒らげる国民たちを見た後、ううむと唸った。ここから逃げるのは至難の業かもしれない。
「……もう一度言うわ。待ちなさい」
「ん? いやもう、その、何と言うか僕逃げたいんだけど」
「その、私としては何と言っていいのか分からないわ。私はあなたの勝ちは認めない。認めないけど、私のま、ま、負け……なのよ。だから、勝ち逃げは許さない」
それを聞いて、ジークはぽかん、と口を開けた。
余裕の表情は消え、王女の風格も消え、高圧的な微笑もそこにはなくて。
リリア、という一人の女の子がそこにいた。
「今回は、そう、負けだけど……その、引き分けということにしなさい。私は、負けない。だから、今日じゃなくても、また勝負しなさい。何度も何度も。特別に、王宮で雇ってあげてもいいから、その、今回のことは全て何とかするから、ともかく、逃げるなんて許さないわ」
子供のワガママのように言うと、リリアは小走りでジークのもとまでやってきて、その手を抱きしめるようにする。
「う、うううっ」
相手にされることなく馬鹿にされると思っていたジークにとって、それはあまりにも刺激的で、手足が動かなくなってしまった。
「ジーク・トリオン。今度は私があなたに言うわ。だから覚えるのではなく、その心に刻み込みなさい。約束しなさい誓いなさい。私は、次はあなたに勝つ。何度も勝ち続ける。だから、その好きとかどうとかは関係なく、兎にも角にも、私と一緒にいなさい。……分かった?」
ジークはただ、その一方的な約束に、ただ頷くことしか出来なかったが、自分の腕にしがみつくリリアの感触が身体に染み込んでいくようで、とても心地良かった。その心地よさは勝利の興奮を超え、ジークの肯定に微笑む笑顔が止めとなり、ジークはそのままその場で気絶してしまった。
運が良いのか悪いのか。その最後のリリアの言葉だけが、復活した音声のマイクに拾われて、国民に結果を伝えることとなった。
そこから、二人の関係がどう発展していくかは、その国で一つのギャンブルとなった。しかし、その賭けはほとんど成り立たないのであった。なぜなら、ほとんどの国民がうまくいくに賭け、その賭けが当たるばかりであったからだった。