英雄譚その後のその後
剣を振るう。
盾をぶつける。
籠手で殴る。
魔獣の群れの真っ只中で、男は1人死闘を続ける。
既に率いていた部隊は男を残して文字通り全滅。
増援(否、もはや救援と言うべき)の気配も無し。
孤立無援、四面楚歌。
それでも男は戦う事を止めはしない。
会いたい人間がいるのだ。
城で派閥を共にする者達は男を引きとめようとした。
だが、男は彼らにそれだけ言って止まらなかった。
敵対派閥が言い出してきた、勇者暗殺の失敗の咎。
それは20年前、直接致命傷を与えた筈の男に責任が求められた。
だが、男は非常に有能な軍人であり、そんな昔の事を言われた所で無視すればよいだけだった。
だが、男は動いた。
まるで、その言葉を待っていたかの様に
当然、誰もが止めた。
敵対派閥の者すら慌てて止めた。
国の派閥間の均衡を大きく揺るがす事態に、誰もが慌てた。
だが、宮廷魔導師である男の親友と、主君だけが男の背を推した。
部隊を「戦争で死に損ねた者達」に厳選し、男はさっさと城を出た。
誰しもが気まずい顔を、或いは悟りきった顔をしながら、それでも巌の様な男の意思を曲げる事はできなかったのだ。
魔王領に入って5カ月。
部隊は既に壊滅状態だった。
当初は数百名までいた部隊は、既に100人を切っている。
それでも、部隊は魔王領の奥深く。中枢たる魔王城へと最短距離を進んだ。
当然ながら魔王領には魔王率いる魔族と魔獣が生息している。
幸いにも魔族に出会う事は無かったが、最短ルート上には幾つもの魔獣の群れが存在していた。
迂回しようにも物資と体力がもたない。
だから、その全てを強行突破した。
ようやく半年を過ぎたという頃、部隊は男1人を残して消えた。
「ォォオオオオオオオオッ!!」
雄大に装飾された鎧は崩れ、国の紋章が彫られた盾は割れ、柄に宝石が埋まった剣は折れ、金箔の張られた鞘は砕けた。
残ったのは若い頃から愛用していた剣と五体のみ。
しかし、それすらも度重なる戦いに摩耗し切っていた。
男は将軍だった。
軍人の家系に生まれ、英雄と持て囃され、その才能を国のために役立てた。
だが若かりし頃の英雄となった旅路で、男はたった一つの心残りがあった。
親友と思っていた相手を、後ろから貫いた事。
そして、その親友だった相手が今も生きている事。
男は不器用なまでに実直で誠実だった。
だからこそ、国の命令には従わざるを得なかった。
それが唾棄すべき行動だとしても、彼はどうしようもなく軍人だった。
それだけなら、まだ良かった。
親友に裏切り者の罵声を浴びせられ、国では卑怯者と罵声を浴びせられる。
表向きは華やかでも、裏では陰口を叩かれる。
それだけなら、まだ良かった。
だが、男が許せなかった。
親友が背後から胸を一突きされた時、「納得」の表情を浮かべた事を。
許せない許せない。
男は実直で、誠実だった。
だからこそ、男は罵声を浴びせてもらえたかった。
友情を裏切った相手として責めてもらいたかった。
だから親友が納得した時、男は心の底から怒り狂った。
お前は辛く苦しい旅を共にした仲間を、最初から疑っていたのか!
裏切ったのは自分だ。
後ろから刺したのは自分だ。
でもそれまでに築いた友情が、全てまやかしだと思われるのは、絶対に認められない。
だから、男は魔獣の海を突き進む。
残ったのは、魔獣の血肉の海と死人が一つ。
それと半ばから折れた使い古された剣が一つ。
数日後、折れた剣は誰かが拾う事となる。
「いっそ馬鹿馬鹿しいと笑いたいな。」
冷たく言い放つ老人は、しかし、己こそが道化だと知っていた。
2人いた親友。
一人を裏切り、もう一人を止められず。
今や自分一人となってしまった。
大陸を牛耳る宗教勢力である神殿は現在その影響力を大きく減じていた。
神殿は最高神から神託を受け、それを以て勇者を選び出し、魔王を討伐する。
神殿の唯一にして最大の政治への介入がここ四十年できないのだから当然だろう。
今までは十数年、長くて二十年程度で魔王を復活し、その度に新たな勇者を選んできた。
だが、ここ四十年はそれができない。
神殿は以前のような専横を振るう事ができていない。
だからこそ、暴挙に出た。
老人は家族を人質に取られていた。
当代最高の魔法使いにして、勇者の元親友。
神殿が刺客として目を付けるには都合が良かった。
神殿が数多くの犠牲を重ねて得た情報により、勇者の居所は判明している。
後はそこに向かって転移し、勇者を抹殺する。
邪悪に堕ちた勇者が消えれば、神殿はかつての威光を取り戻す。
文字通り狂信者となった神殿の上層部は本気でこんな策を実行に移した。
全ては狂信と自分達の欲のため。
「無理だろうな。」
老人は自分の分というものを弁えていた。
例え相手が老いていたとしても、鍛えたとはいえ運動神経が存在しないような自分では不意をつく事などできまい。
勇者と戦士。親友二人を盾にし、回復と支援を行うのが自分の役目だった。
勇者と戦士。
どちらも当代最高峰の使い手だった。
脱力気味でやる気の無い勇者とそれを叱る堅物すぎる戦士に、止めもせず眺める自分。
懐かしい、若かりし頃の光景。
裏切った自分が言うのもなんだが、あれは仕方が無かった。
当時、歴代最強と言われた勇者を擁した神殿の横暴は類を見ない程に酷かった。
これ以上の神殿の暴挙を止めるため、勇者というプロパガンタを消さねばならない。
国が神殿の横暴を止めるための、ギリギリの選択があれだったのだ。
だが、事態は予想の斜め上を三回転半しながら飛んでいった。
魔王に保護された挙句、半不死の状態となった勇者。
国からすれば棚から牡丹餅。
戸惑いを脇に置き、国はこれ幸いと神殿の力を削っていった。
そして、神殿からの搾取が消えた国は豊かになりつつある。
行かねばならない。
こんな大それた事、そう間を置かずに陛下が絶対に気付く。
それはただでさえ落ち目の神殿にトドメとなる。
今までお布施だ寄付だと言って散々国と民から絞り取ってきた神殿は蛇蠍の如く嫌悪されている。
今は改革派が保守派を追い越してそのような事も少なくなったが、保守派は嘗ての栄華を取り戻したいと考えているのだろう。
…まぁ、改革派の一部も事を黙認したとは思うが。
今回の事で、保守派が完全に消え去るのなら、それは国のためにもなる。
「行くか。」
転移の準備が完了し、陛下から下賜された杖を持ち、予備の杖をベルトにさす。
目指すは友の元。魔王領の最奥部だ。
病床の中、老王は寝台の中で夢を見ていた。
見るのは、勇者の夢。
お伽噺に出て来る様なそれではなく、飢えた獣の様な少年だった。
だが、その武才は誰よりも優れていた。
一週間で王室付きの剣の師匠を追い越した。
二週間で御前試合にて将軍に勝った。
三週間で魔獣の群れを全滅させた。
歴代最高峰の勇者。
それは魔王討伐において最大戦力が確保できたと同時に……国にとって最悪の厄介者ができたと同義だった。
国の膿とも言える神殿が最大級の政治的介入手段を得る。
それは、何としても避けたい事態だった。
代々の王家は勇者を魔王退治の直後、排除してきた。
勿論、そうならない様に最大の努力を払うが、大概の勇者は自身を選んでくれた神殿に敬意を払うようになる。
国よりも神殿に、だ。
そんな事にならないように、旅の仲間は何とか国の人間で固めた。
旅の間に、どうにか彼が国側に傾くように、と。
幸いにも、今代の勇者はどちらにも傾いていない。
付け入る隙は必ずある。
三年後、勇者は魔王討伐の目前にまで迫った。
その一月前、部下達からの報告で、勇者がどちらにも傾いていない事が解った。
だがそれは、国にとって敗北に近しい結果だった。
国の膿として長年君臨してきた神殿だ。
こと宣伝や布教などの活動に関しては各地の教会を通している分、一日の長がある。
最早、是非も無し。
王は、戦士に暗殺を命じた。
その後の事は多くは語るまい。
国は国なりに勇者が去った後、復活した魔王に対する準備をしながらも豊かになろうと努力し続けた。
神殿もただ民の拠り所としての立場を得て、王も貴族も国と民に尽くすものとなった。
魔王領もまた、徐々にだが平和になろうとしている。
「そなたは、どうなるのだろうな…。」
魔王領の奥深くで未だ生き続けているであろう勇者に、老王は届かないであろう呟きを贈った。
「え?」
言われた事を、理解できなかった。
「良いか、娘よ。今から言う事をよく聞くのだ。」
度重なる防衛戦にて疲弊し、遂に致命傷を受けてしまった魔王は末期を迎える前に娘を呼んだ。
「今から言う事は大事な事だ。決して忘れるな。」
ヒューヒューと掠れた声で言う父に、娘は泣きそうになりながらも頷いた。
「今から語るのは勇者の事だ。」
そして、父はとんでもない事実を語った。
今代の勇者、現在魔王領奥深くで暮らす彼がどうして半不死になったのか。
それは魔族でも一部しか知らない特殊な魔法をかけたからに他ならない。
即ち、「力」を代償とした延命だ。
そして勇者は現在魔族の長たる魔王と同等の寿命を獲得しているという。
「だが、これは嘘だ。」
訥々と、魔王は語った。
そもそも、通常の人間には魔族専用の延命の魔術など使用できない。
使えば『力』、要するに生命力や魔力を全て寿命に変換され尽くして死んでしまう。
勇者だからこそ、あの魔術に耐え切れたのだ。
「勇者の力は、我々の予想を遥かに超えるものだった。」
歴代最強。
その呼び名が示す通り、彼の勇者の力はあまりに強大だった。
結果、彼は想像もつかない様な長すぎる寿命を得てしまった。
1000や2000年では尽きない。
万だろうか、億だろうか?
いや、それすらも置き去りにするような、那由多の彼方だろうか?
「だが、それは我らにとっての好機だ。」
ほぼ不死となった勇者。
それはつまり、人間達にはもう勇者が現れない事を意味する。
「奴を、生き永らえさせるのだ……長く、長く…。」
「ちち様、それは…。」
解っている。
そう言う様に病床で頷く魔王。
彼とて解っているのだ。
己の行動が彼に、今漸く穏やかに暮らしている勇者にとってどれだけ残酷かと言う事が。
「それでも、やらねばならん…。」
あとは、たのんだ。
最早声も出ず、口だけを動かした後。
魔王は、その瞼を閉じた。
(すまぬ、勇者よ。)
自身の最大の障害だった男に、内心で謝罪をしながら。
「姫様。お辛いのは解りますが、泣いている時間は…」
「わがっでるっ!」
涙を流すままに、前線に足を向ける。
(妾は、魔王!)
偉大な父の後を継ぎ、魔族に平和を齎す者!
そのためならば
(どんな悪行も厭わぬ!)
目指すは人間軍本陣。
先ずは仇討から始めよう。
それが少女から魔王となった彼女の最初の仕事となった。