1話目
いつどこでどうして自分がここにいたのかわからないのだが。
それでもこの世界は心地よく、そして今目の前にある高価な西洋風の家具とかにも特に大きな疑問は沸いてこない。
最初からここにあって、そして自分がいるからここにこういう物が置かれているんだったなと思う。
ぼんやりと当たり前な事を考えながら、品良く装飾の施されたドレッサーから目をそらす。
なんでこにこうしているのがわからないとか、そんな誰も答えようがない疑問を振り払い、窓際のバルコニーへ出向く。
扉は開いていて、外からの入ってくる風と、その風に乗り漂ってくる花の香りに目を細める。
この香りは何の花なのかな。ねぇ、女神さま・・・知っていますか?
「アイル様」
「・・・うぇ?」
いつの間にか侍女のキアラがそばにいた。
侍女といっても、自分とそんなに歳の変わらない女性。でもずっと私より大人っぽくてしっかりしてる。アイルが尊敬している友人の一人。
「また、バルコニーの柵に茂るツタから、下へ降りようなどと思わないでくださいね」
「・・・む、なんでわかったの」
「アイル様の顔見ていれば何をしようと考えているかわかりますもの」
「そんなに顔に出てる?」
「えぇ、分かりやすすぎて・・・私は、困りませんわ」
「むぅ、なんかくやしい」
ぶすっと膨れながらも、柵に近づく。手すりに寄りかかり、前のめりながら空気をいっぱい吸い込んだ。
あまやかな香りに満たされる。おだやかでいとおしいく、長年親しんできたそれ。
あぁでも、今日、この私の日常を変えてしまうかもしれない人がここを訪れるんだった。
「ねぇキアラ、そろそろくるんでしょう?」
「えぇそうです」
「くるとき、こっから見えるかなぁ」
「そうですね。おそらくは・・・」
「うはぁ!なーんかどきどきー!」
「アイル様、お茶の準備整いましたから、身を乗り出すのはそこまでにしてください」
「えー・・・わかったわよ・・・」
テーブルへ向かおうとし柵へ背を向ける。そのとき居住区門の開閉音が聞こえてきて、アイルは再び柵を方をむいてまった。
「キアラキアラ!今の音聞こえた!?誰か来たみたい!!」
「あぁもう!また身を乗り出して!」
「だ、だって、気になるじゃない!未来の旦那候補だよ!どんな人なのかって」
アイルは柵に足をかけた。
興奮気味のアイルにキアラがあわてて席を立つ。準備された茶器がカタカタと揺れる。
キアラが近寄るとアイルも足をかけるのまでで柵を越えようとはしなかったが、それでもキアラはアイルのドレスの裾を引っ張った。
「もう少し落ち着いてください。まだ縁談の話があがったというだけで正式ではありません。気になるのはわかりますが王様との謁見ののちにご対面の時間がございますから」
「それが納得いかないのよ!だから私が先に会いに行きたいの!」
「だからといって、ここから落ちたら元も子もないですから」
「大丈夫だよ、ここそんなに高くないし」
「いいえ、落ちたら絶対骨を折ります!」
「ううん、魔法使えば全然大丈夫だったもん」
「大丈夫"だった"って・・・」
キアラは呆れた。アイルには本当に自覚がない。
「ではそんな無茶な事をして、相手の方に品性にかけると思われたら?」
「このくらいのこと気にする人と結婚できないよ。雲の上でも泥沼でもドラゴンの糞の上でもデートできる人じゃないと」
「・・・アイル様、自分の立場をわかっておいでで?」
「えぇ、プラントランド王国の姫、アイル・プラントランドですけど?」
ケロリと当たり前の用に自分の名前を名乗るアイル。口では姫だと主張するが、まったくもってお姫様らしく気品ある女性にならない様子にいらだちを覚えるメイドのキアラ。二人はこのようによく衝突をする。しかし、今回はアイルがこの場から逃げた。
柵を飛び越えて、地面へ飛び降りたのである。
そのときバルコニーの下では、アイルの婚約者のアルベルトが、老婆の案内人に誘導され城内へ向かうところだった。
色とりどりの花が植えられている庭園を抜けて歩いている。初めてこの城を訪れたというわけではないが、王室の居住区に入る機会は無かったため、その広さ大きさに驚いていた。
むせ変える花の香りにくらくらしつつ、ふと、上を見上げる。
ふと・・・見上げる・・・ふと・・・・・・
「・・・え?」
「どうされました?」
老婆が振り返る。そしてアルベルトと同じく上を見上げる。
少女が落ちてくる。
「ア、アアアア!」
「うひゃああああああああああああああああああああああああああ」
間抜けな絶叫で老婆の振るえる声がかき消された。
アルベルトはとっさに少女が落下するであろう下へと駆けだした。
「ーーーウオルス!」
すかさず少女に向けて魔法を飛ばす。
少女の落下速度がゆるめられたが、それでも少女の落ちる速度は早かった。
アルベルトは両手を広げて受け止めようとした。
「ーーー風花よ!」
老婆も魔法を発動させる。少女と受け止めるアルベルトの衝撃を和らげるよう、風をおこし花びらをかき集める。
アイルはアルベルトの元に飛び込んだ。衝撃で花びらが周囲を大きく舞った。
「ふわぁ!」
アイルの感嘆の声をあげる。
飛び交う花びらの中、自分を抱き止めた人の顔をとらえる。
・・・そう、この人が私の・・・
※※※
輝くん・・・!?
藍瑠ははっと目を覚ます。
机にもたげていた頭をばっと起こし周囲を見渡す。
目の前には、教壇に立つ男性教師と、世界地図と白いチョークで書かれた文字。
そして、気だるそうに講義を聞く生徒や、せっせと板書をしている生徒。
ふつうの高校のふつうにある風景。
あぁそうだ、世界史の授業中だった。
じゃあ、今のは・・・夢?
「どうした、植木」
世界史の教師がこちらに呼びかけてきた。それと同時に講義に集中していた生徒たちの視線もこちらに向く。
急に向けられた周囲の視線に緊張する。心臓がどきどきしていて、なんて言いわけしようか言葉を探した。
「・・・え、あ・・・バルコニーから落ちて・・・」
呆けた顔を見た藍瑠の周囲が、ぷっとふきだした。
「まったく、夢でも見てたのね」
「藍瑠、よだれよだれ」
「え?あ、あ・・・」
藍瑠は慌てて口元を押さえる。そこにすかさずティッシュ箱を差し出してきた友人の顔を見た。
「あ、キアラ・・・」
「はぁ?」
「いや、あ、明子・・・ありがと・・・」
ティッシュを受け取り口を拭く。汗がつっと垂れてきて、ずいぶん今ので緊張したんだなぁと思う。
・・・いや、でもこれ、きっと落ちる衝撃で・・・
「まったく・・・ちゃんと授業聞けよ?」
教師の言葉にこくこくとうなづく。
ざわつき始める教室内を制して、教師は引き続き授業を進めた。
輝くん・・・あれ絶対、輝くんだった。
夢の内容が衝撃すぎて、その後の授業をまともに聞くことができなかった。
どうしてもあの輝くんだったアルベルトという人の顔が離れない。
悶々と考えながら家へと向かいつつ、覚えている限りの内容を頭の中でたどる。
自分はどこかのお姫様で、婚約者がお城にきて、私はその人に早く会いたくて、で、ベランダから飛び降りた・・・。
・・・なんて王道でありがちなおとぎ話の夢なのだろう。
そしてその婚約者が、輝くん・・・。
なんか・・・意識しちゃうじゃない。
自分のクラスの一番後ろの窓際の席に座る、輝くん。教室を出る前に彼を見たら、大きなあくびをしてうんと背伸びをしていた。
彼とはあまり言葉を交わしたことがなく、これといって接点もなにもないただのクラスメイトだ。
整った顔立ちにすらりと延びた背。落ち着いた物腰。部活は剣道部に所属していて、いくつかの大会に優勝しているという。勉強もできる優等生で、まわりからの人望もある。
女子からの人気も高く、告白を受けることもしばしばらしいが、すべて断っているそうだ。それは学内一の美女でも。堅物くんなのかなんなのか。断り続ける理由を知りたいという人も多く、大事な彼女がいるのではとか、家の事情でそれどころではなく・・・とか、はたまた好きな「男の子」がいるのでは!?とか、周りの友達は楽しそうに妄想を繰り広げていた。藍瑠からしてみれば遠い存在であったし、興味無い話だったためどうでもいいと思っていたが。
ただ彼のことで気になることが一つある。
図書委員である藍瑠は、この前図書室で彼を見かけた。そのとき彼は壁際のイスに寄りかかり真剣に本をめくっていた。
あってもおかしくないことだが、なんというか、その本を読む姿があまりにも真剣だったので、遠くのカウンターから彼の顔をまじまじと見てしまった。
ふと彼が顔をあげたときに目が合い思わず顔を逸らしてしまった。しかし彼は立ち上がり、その本をもってカウンターにやってきた。気まずく思いながらも貸し出し処理をしようとしたが、その本には処理のためのバーコードが無かった。
おかしいと思い司書さんを呼びにいこうとしたら、彼は一言断りを入れて本を持って図書室から出ていってしまった。
後でどうするべきかと司書さんに相談をしたが、バーコードをはがして処分をするはずだった本がたまに棚に残っていて、その本がそうだったのではないのでは。ならば彼が持っていっても処分されるよりはいいのではと言われた。確かに燃やされてしまうより読まれていた方がいいけれど。
あの真剣な表情と、本当に処分忘れの本だったのかが気になる。
一応、もし話す機会があれば本を見せてもらって確認しようと思っていた。
最近あった彼との接点はそれだけだ。
しかし、そういう人ほど自分の夢に出てこられると気になるものではある。しかも妙にリアルな夢だ。
ただきっと記憶の片隅にいた人が出てきてしまっただけなのだろうが・・・あのときの、飛び降りるときの焦がれるようなアイルの気持ちがずっと私の中に残ってる。それが変な意識にさせるのかもしれない。
でも・・・続きが、見たいな・・・
家に帰ってすぐに寝れば、見られるだろうか。
いつもの急な下り坂の道に差し掛かった。坂の下は橋がある。この橋の両サイドの柵は腰より低く、その上横幅が車1台と人が一人通れるくらいしかない。
橋の端にできるだけよりながら渡る。すると背後の坂から車が飛び出してきた。
徐行も一時停止もせずにこちらに向かってきた。
藍瑠の歩く幅がない。弾かれるか、ぶつかるか。とっさに藍瑠は橋の柵に足をかけてよけようとした。
だが持っていた鞄が柵の反対側へと投げ出されてしまう。しまったと思い、勢いよく手を伸ばしつかもうとしたら、柵の低さに上半身ごと反対側へと行ってしまった。
ーーー川へ、落ちる!
きゅっとお腹が緊張し、頭から水面へ一気に近づく。
・・・アイルもこんな感じだったのだろうか。
危機的状況にも関わらず、頭はまだ夢見心地だった。そして焦がれ突き動かされるような思い。
遠くで「植木ー!」と叫ぶ声を聞くが、ある境界で遠のいていった。
※※※
この人が私の・・・
花びらの舞いが収まる。それでもアイルはアルベルトの上から退かず、顔をじっと見つめていた。
騎士団の団服を纏ったしっかりした体。活発そうで頭もよさそう。瞳の色が金色。愛想がよくてなんでも頼りにしたくなる安心感があって、誰もが彼を好きになってしまうような感じで・・・でも、その奥でなにかを内に秘めている。
これは何だろう。
アルベルトもアイルの顔を見返していたが、案内人がこちらにきたとき声をかけた。
「・・・あの、そろそろ・・・」
「え?・・・あ」
いくら結婚するかもしれない相手とはいえ乗っているのはよくない。アイルにもそれくらいは理解していて、慌てて上から退いた。
自分が立ち上がったあと、同じく立ち上がろうとするアルベルトに手を差し出す。
「あの、ごめんなさい」
女性からは立ち上がるために手を差し出すなどということはされないであろう。アルベルトは戸惑った。
手を借りるべきかと悩んだとき、案内人がアイルを引いて体の無事を確認しだした。
「あぁ、アイル様、お怪我はございませんか?痛いところは?」
「だ、大丈夫だよばあや」
アルベルトに差し出しされた手は、丁寧に状態を確認する老婆の案内人の体を押し退けるために動いた。
この隙に自分で立ち上がる。
・・・アイル・・・ということは、この少女がお姫様なのか。
体に張り付いた花びらをはたき落としながら考える。
国をあげての行事など公の場で遠くから見たときは、もっと大人びた印象だったのだが。
藍色のストレートの髪からのぞく顔が幼く見えた。上から落ちてきたり手を差し出したりと、彼女くらいの年頃の娘にしては大胆なことをする。
「あぁ、もうアイル様はいつも無茶ばかりなされる!ばあやは命がいくつあっても足りませぬ!それなのにおちおち死ねないではありませんか!いつになったら淑やかになられるのか!ばあやは早くアイル様の花嫁姿を見たいのに、いくつになってもかわらぬままで」
つらつらと言葉を連なれアイルの頬をぺちぺちと叩く老婆に、アイルは突っぱねてわかったわかったと繰り返す。
この姫に、この臣下といっていいだろうか。
互いに遠慮の無い様子にアルベルトはある意味関心していた。
老婆をはらいのけたアイルがこちらを向いた。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
アイルはアルベルトの背後に周り、花びらを落とすのを手伝い始めた。
「私にそんなことなさらずとも・・・」
「いいえ!これからお父様に会うんでしょう?花びらつけたままで私が無茶したことばれたら面倒だから」
そういう理由か。
「ふああ、でも驚き!あなたが私の婚約者さまなのね」
そうだ、今日は大事な話があったのだ。
「・・・その話ですが・・・」
悲しげに微笑むアルベルトに、アイルは首を傾げた。
「国王様のところで」
「・・・わかったわ、私もばあやと一緒に案内する」
通常、城の謁見の間で挨拶をするものだが、国王様と内密に話がしたいと申し出たためにこの居住区に案内されている。
一貴族であるアルベルトの申し出を重く見てくれ、気を使ってくれたみたいだ。
お姫様が降ってきて、国王様より先に対面となったのは予想外であったが。
「そういえば、お名前は・・・」
老婆が前を歩きながら、アイルが横に並び、こちらの顔をのぞき込むように問いかけてきた。
「・・・申し送れました。アルベルト・スペクテンスと申します」
「アルベルトさんね。わたしはアイル。アイル・プラントランド。職業はお姫様です!」
でへーというしまりの無い笑顔を向けられる。
なんというか、こんなにゆるくていいものだろうかというのもあって曖昧な笑みを返した。
「アルベルトさんは・・・”アルちゃん”でいい?」
「え」
「こらアイル様!」
すかさず老婆が止める。が、まぁ・・・好きに呼んでもらってもかまわない。
「・・・いいですよ」
「わぁ本当!?じゃあアルちゃーん!アルちゃんって騎士さま?その格好はそうだよね」
「はい、国防騎士団に所属しています」
「ふあああ!世の中の女の子のあこがれの的じゃない!」
「あらあらまぁまぁ、そうですねぇ。騎士団の殿方とは・・・」
意外にも、老婆が話に加わる。
「私の旦那も昔、騎士団に所属していたのですよ。今はもう亡くなっておりますけどね」
目を細めて微笑む。アイルも手を組み、瞳を輝かせて天を仰いだ。
「女神さまもご納得する縁談になるといいわぁ」
・・・女神、か。一国の姫でも女神信仰をしているのか。ある意味、姫だからこそであろうが。
・・・そんな存在あるわけないのに。
アルベルトは急に覚めた気分になった。
「こちらへ・・・国王様、アルベルト様をお連れいたしました」
謁見の場所に着いたらしい。中から返事が聞こえて老婆は扉をあけた。
そこは国王の住まう一室の客間らしかった。
本来の城の謁見の間より、プライベートで使われる空間らしくこじんまりとしているが、立派な調度品と大量の花が活けられている。中央の大きなソファーに国王は腰掛けていた。
「おお、良く来てくれた」
アルベルトを見るなり、国王は立ち上がり握手を交わし出迎えた。
案内人の老婆は一礼して出ていく。
「アルちゃん、またね」
あの勢いではアイルも同席するものかと思っていたが、老婆に続いて部屋を後にした。
かしこまって立っていると、迎えのソファーに座るように促される。アルベルトは腰をかける。
「ははは、アルちゃんか・・・アイルがご無礼を」
「いいえ・・・大変かわいらしいお方で」
「・・・まだ自覚が足りないがな・・・」
国王はため息をついた。あの姫の様子は国王も納得がいっていないのか。
「あの子は昔から人に好かれる才能があってな。誰もが気を許してしまって人と関わるのに困ったことがない。だが、未だにそれに甘えているから先が思いやられる」
使用人が入り、テーブルに紅茶を置いていく。国王はカップを持ち上げ一口すすった。
「今回の縁談は、ただの縁談ではないのになぁ・・・」
「・・・国王さま」
「あぁそうだ。話があったのだな」
「はい、このように時間と場所を頂き大変恐縮しております」
「そんなにかしこまらなくてもよい。突然の話であったから、飲めない事情があって断りにきたのだろう」
やはり察しておられたか。
今回の縁談、アルベルトは断るつもりだった。
現国王の娘との縁談。大変名誉あることだし、一貴族のアルベルトにとっては国の実権をすべて握れるかもしれない大出世である。端から見れば悪いことは一つもない。たとえ、あの問題のありそうな姫であっても、握れる立場と問題のある姫を天秤にかけるならば大抵は前者に傾くだろう。
しかし、アルベルトにはどうしても飲めない事情があった。
「・・・はい、申し訳ありません」
「訳を聞こうか」
「我が一族、スペクテンス家にまつわることです」
「女神さま、女神さま・・・」
アルベルトを待つ間、アイルはそわそわしながら自室に控え、再びバルコニーから空を見上げていた。
「あの方、とても素敵な方でした・・・おとぎ話に出てきそうな王子様そのものでした・・・」
不満があるわけではない。アイルからしてみれば、想像していた通りの結婚になるのだろうと思っていた。
おとぎ話の中のお姫様が王子様と結婚して国を安泰にする。今、このプラントランド王国もそのおとぎ話の通りに父と母が結びき国を納めて平穏に保っていっている。
「でも、女神さま・・・」
アイルがよく口にする「女神さま」はこの国に住まう人々を”植えて”増やしていったという。
だから女神さまは自分たちの起源。そして女神さまの息子が初代国王だった。
初代国王には2つの力があった。女神と同じ”植える力”と”時間を操る力”
初代国王は”時間を操る力”で国の平穏を維持するための魔法をかけたという。さらにその魔法を維持するには、人々の女神への祈りが必要だと。
そこから女神信仰が広まった。
信仰と言ってもとても厳格なものではなく、常識程度に国の発端と女神の結びつきを学んでおき、困ったときに心の中で助けを求める程度のものである。
アイルにとっては、自分の胸の内を聞いてもらうために語りかける相手みたいなものになっているが。
「あの方、女神さまがお喜びになる縁談に・・・って私が言ったら、とても冷たい目をしていたわ。女神さまが嫌いなのかなぁ・・・」
アイルは、はっと何かに気づいた。
「・・・よく考えたら、私は女神さまのこと好きとか嫌いとか考えたことないわ」
好きや嫌いを考える対象ではないだろうが。アイルは思い立ったように本棚から本を探し始めた。
「そもそも女神さまの姿ってどんなものかわからないわね。昔絵本で見たような気がするけれど・・・」
掃除されているため埃はかぶっていないが、図書館のように本の独特のにおいがするのも構わず、アイルは目的のものを探し出す。しゃがんで下の方を漁るが、ドレスの裾が邪魔で安定せず、結局べったりと床に座りこんだ。
ここでメイドのキアラが来たら、気品が無いと怒るところである。
「あ、あった!」
アイルはすぐさまページをめくり、女神が描いてある箇所を探す。
しかし、その絵本の中には肝心の女神像が無かった。
「・・・おかしい・・・」
よく考えれば絵画などでも女神のかかれているものなどを見たことが無かった。城の中でも宮廷画家が何人かいるが、その画家たちの絵に女神のものを見たことがなかった。良く見る絵は、代々の国王の肖像画などだ。
なぜあれだけ呼びかけながら気づかなかったのだろう。アイルは軽くショックを受ける。しかしそれでも悩まないのがアイルだ。
「姿が無いなら、つくればいいじゃない」
絵本を抱えて立ち上がり、机の方へと向かう。紙とペンを取り出して絵を描き始めた。
「うーん、まず顔?きっと綺麗なんだろうな。美人で、笑顔が素敵で。女性でも惚れちゃいそうな。あ、そういえばこの前遠くで見たメイドさん可愛かったなぁ・・・声かけようとしたら行っちゃったんだけど。童顔まではいかなくとも大人びた感じでもないみたいな。で、髪型。さらさらストレートの金髪かなぁ。腰まであって、でもぜんぜん痛んでないの。体・・背は私と同じ位で、でも胸が大きくて腰が締まってて・・・細すぎず太すぎず絶妙なプロポーション・・・うへへ、あこがれるわぁ。で、胸元が大きく開いたドレスを着ているんだけど、嫌らしさとか全然なくて。なんていうのかなぁ、こういうのが神聖さって言えばいいのかな」
お姫様が言うには際どい独り言を述べながらペンを走らせる。
アイルの絵はうまくはないが、落書き程度の女神像ができあがった。
完成し、しばらく眺め、そして首を傾げた。
「・・・ん?」
なにか違和感を覚える。
ほかの絵を描いてみようと新しい紙を用意したとき、ドアがノックされた。
「アイル様、アルベルト様がいらっしゃいました」
「あ、はーい」
返事をすると、キアラがドアを開けアルベルトが入ってきた。
席から立ちドレスをなおして出迎えにいく。
「お話、終わったのね」
キアラは一礼をして出ていった。
アルベルトをバルコニーのテーブルへと案内しようとすると、手を挙げて制される。
「申し訳ありません。長話はできないのでここで」
「え?」
用件だけ述べて出ていく使用人のような態度に冷たさを感じる。先ほどの親しげに話をしたときとはまるで違う雰囲気だ。
「どうして?」
「・・・申し訳ありません。はっきり申しますと、今回の縁談は無かったことにしていただきたいのです」
「・・・・・・っ」
ざぁぁとバルコニーから部屋の中へと風が通り抜けた。その風に乗り、虫食われた葉が女神の絵の上に舞い降りる。
このまま話がすすんで結婚をし、ということしか考えていなかったアイルは目を見開いてアルベルトを見つめた。
「理由は・・・私が王家に入るにはとても恐れ多いのです」
「・・・結婚が不安ってこと?」
「はい・・・」
「どうして?」
アイルははっきりしないアルベルトの言葉に納得がいかなかった。
彼のような人ならば、不安などという理由で断るような話ではない。身分が低いというわけではないし、世間体もきっと納得する。なにより国王が彼を適任として選ぼうとしたわけだから、不安に思うことなど無いだろうに。
そしてアイル自身も先ほど話して、彼となら夫婦になってもいいと思えた。
なにが引っかかるのだろう。なにが気に入らないのだろう。
「国のことを考えれば私はもっと離れていなければなりません。私の家、スペクテンス家は初代国王様からの血が流れています。アイル様から見れば遠い親戚に当たるので、今回のこのような話があってもおかしくないことです。ですが、そのような条件ではどうにもならないことがあるのです」
「どうにもならないこと?」
アルベルトは頷き、あの悲しげな表情を浮かべる。
あ・・・とアイルは無意識に自分の胸を締め付けた。どうしてだろう、なんかあの顔の理由がわかるようでわからない。
「はい。・・・それは・・・」
アルベルトは言葉を詰まらせた。
国王様にも先ほど許可をいただいたが、なにも知らないであろう彼女にまで聞かせるほどのことではないのでは。
それにもうこれ以降会うこともないのだから、知ってもらう必要もない。
確信からそらした理由をとっさに考える。が、アイルの背後に人が立っているのに気づき顔を上げた。
「それはね、彼、わたしのことが嫌いだからなのよ」
「・・・へ?」
聞きなれない女性の声。アイルは不意にその人に引き寄せられた。
なにかの花の甘い香りと金髪の長い髪、スタイルがよくて豊満な胸に・・・と横で自分の肩を引き寄せる人を見上げる。
「私の描いた・・・女神さま・・・?」
アイルは目を丸くして隣の美女を凝視した。先ほどの絵の、自分が理想としたままの女神さまがいる!
ふわああと感動を浮かべるアイルに対して、アルベルトは「女神」と聞き突然怒りを露わにする。
「ーーーふざけているのですか!?」
「えっ?」
「いきなり女神だとと名乗る者を私の前に寄越して、なにを考えているのですか!」
人が変わったように声を荒げる。殴られたような語気にアイルは目を瞑った。
ーーー怖い。なんでいきなり怒りだしたのっ?
「俺は女神なんて知らない、信じてたまるか。この能力も、本当のこと見て見ぬ振りをしている国も、俺は嫌いで仕方ない!」
一気に言い放つ。そしてアイルに背を向けた。
「・・・だから、この縁談は無かったことにしてください」
「・・・・・・」
アルベルトは出口の方へ向かって歩き出す。
怒声に気づき、使用人が数人廊下へ出てくる。どうしたらよいかとアイルの方に目配せしたが、アイルは呆然として気づかない。代わりに隣の女神が、首を横に振って合図をした。
女神が誰だか分かっていないだろうが、使用人は納得して持ち場に戻っていった。
「あーあー・・・私は”嫌いだよね?”って言っただけなのになぁ・・・残念ね、アイル」
暢気な女神の声にアイルは我に返る。
「そ、そうだっ!女神さま、何で出てきてるの!?」
「え?アイルが私を呼んだんじゃない」
「し、知りません!私そんなことできませんっ!」
「・・・うん、まあ・・・ちょっと違うかもしれないけど・・・。でも、目覚めたことは確かね」
「目覚めた?」
「えぇ」
女神はくるりとアイルに振り返る。
「”植えかえる”という女神の能力の一つよ」
手をひらひらさせると、ぼんっと音と煙をたてて姿を消す。
虫食われた葉が煙を抜けて床へと落ち、すっと透明になって無くなった。
「・・・女神・・・さま・・・?」
先ほどの紙に描いた絵の女神が微笑みを浮かべていた。
頭がごちゃごちゃしていた。
縁談破棄に、紙に描いた女神の出現、そして彼の怒った姿。
いつものように、何事もないように、話が進むものだと思っていた。
そして自分はそれに疑問を持たず、地面に敷かれたレールをたどっていくのだろうと。
ところが先ほど起こったことのすべてが、今ままで持っていた自分の認識をメタメタに打ち砕くものとなった。
「なんでなんでなんで」
アイルは落ち着き無く自室の中をつかつかと歩きながら沸き上がってきた疑問に答えを導き出そうとしている。
外はもう日が沈んで暗く、冷たい風が吹き抜ける。バルコニーへのドアを閉じると枯れ葉を見つけて、それを掴んで指で遊ばせながら、またつかつかと部屋の中を行ったり来たりした。
なんで絵に描いた女神が出てきたのか。
”植えかえる”という女神の能力の一つだと、女神が言っていた。
確かに、王家には人と違う能力を持つ者が多い。
人とは女神が”植えつけた人”のことを言う。同じく植え付けられた木、水、火などの自然界の力を操る魔法が使える。アイルがいままで使っていた力はこれだ。魔法は万民がつかる能力。勉強のように得意不得意はあるが、基本的には訓練すれば誰にでも使えるようになる。だが、女神が持っていたとされる”植える力”は使えない。
これは女神の子孫である王家が特別に使える能力。しかしその王家もまた、人と混じったために受け継がれる女神の能力は少なくなっている。初代国王から人と混じりその子孫として生まれてきたアイルに、女神の能力はほぼ無いに等しい。
それが今頃になって目覚めたというのか。
「・・・なんで・・・」
そしてこの能力はなんなのだろう。”植えかえる”というのは、どういうことができるのかいまいちイメージがつかない。
枯れ葉を口の前に当てながら、女神出現の経緯を思い起こす。
「むう・・・」
女神さまってどんな姿をしているのだろう・・・と絵に描いた。アルベルトが来た。話をしているときに女神が現れた。アルベルトが怒った。自分が驚いて放心状態になった。女神さまが、私に向かって能力が目覚めたって言って・・・ぼんっと音と煙をたてて消え・・・あ。
「虫食われた葉っぱ・・・」
”植えかえる”と女神は言った。
「もしかして」
自分の手元にある枯れ葉をじっと見つめたあと、急いで机に向かい再び紙とペンを取り出す。
なにか、イメージをしてみようとしたがいいものが思い浮かばない。ふと、出したままにしてあった絵本に目がいき、表紙の小鳥をまねして描いた。
「命を植えかえるってこと、かな」
小鳥に枯れ葉をかざしてみた。
「・・・・・・」
しかし、なにか起きる様子はない。
「ちがうの・・・?」
枯れ葉がいけないのか。ほかの命を植えかえてみるのはどうか。
とは言っても、生き物をつれてきて植えかえることが出来てしまったら少々恐ろしい気がする。
バラの花を人にしてしまったり、逆に人を花にしたり、ネズミにしたり・・・。
万が一失敗して大事な人を変な生き物にしてしまったりしたなら・・・
アイルは急に怖くなった。
実際にそれをやって、本当にできるのかも分からないが、”植えかえる”意味を考えると、この能力は恐ろしい使い方を出来てしまうのでは、と。
ーーー俺は女神なんて知らない、信じてたまるか。この能力も、本当のことを見て見ぬ振りしている国も、俺は嫌いで仕方ない!
あのときの声が頭に響いた。はっとアイルは目を見開く。
アルベルトの言っていた能力とは、このことだったのだろうか・・・?
能力が嫌いで、見て見ぬ振りをしている国も嫌い。
どういう意味だったのだろう。国が見て見ぬ振りをしていることって何なのだろう。
疑問があふれ出す。スペクテンス家のどうにもならないことがあるといって苦しい顔をしたのも、なぜ・・・
分かるようで分からない、もどかしい感覚。頭のどこかに答えがあったような気がするのに、それがはっきりと形にならない。
まるで朝起きて、夢を見ていたのに、その内容が思い出せないような・・・
「うーあー・・・」
ため息なのかうめきなのか。勉強以外でこんなに頭を悩まされたのは久しぶりだ。
やけになって小鳥の上にぐしゃぐしゃともじゃもじゃしたものを殴り書きした。
わからないわからない、なんでなんで・・・なんでなのよ・・・私はちょっと・・・ちょっと期待したのにな・・・
悲しいのか悔しいのか・・・。気持ちの整理がつかないまま、ペンを置いてもじゃもじゃを描いた紙を枯れ葉とともにくしゃくしゃに丸めた。
それをゴミ箱に投げいれようとするが、紙が手の中でぽわっと光を発した。
「え?」
紙の中から黒いものが、ひゅんと飛び出す。
こいつは何だと目で追うと、アイルの描いた黒いもじゃもじゃがそのまま実体化した生き物?だった。
それは部屋の中をぴょんぴょん跳ね、絵本やペンをひっくり返し、ドレッサーの上にあった化粧道具もなぎ倒し、本棚の本をいくつか引きずり出して部屋をめちゃめちゃにする。
「なっ」
慌てて黒いもじゃもじゃを捕まえようとするが、アイルをからかうように早い動きで飛び回る。
ベッドの上に乗ったときアイルは全身で飛びかかった。手の中に収まり捕まえたかと思ったら、つるりとすり抜けてアイルの頭を一跳ねして、窓を突き破って外へと逃げてしまった。
「・・・行っちゃった・・・」
あの生き物・・・枯れ葉から”植えかえて”できたものか・・・
穴のあいた窓から風がすっと吹き抜ける。
「いったい・・・なんなの・・・」
アイルは風の冷たさに身震いしつつも、そのままベッドの上に突っ伏した。
(2話へ)