君の退屈な五分間
ガタンゴトンガタンゴトン。
電車の車輪が規則正しい音を立てる。初めてこの時間帯に席を確保できたのだがすごく疲れた気になって溜め息を吐く。おじさんの足が俺と隣の人との間にある。カバンから文庫本を抜くことすら周囲の迷惑になる人口密度だ。通勤ラッシュ、恐るべし。普段はそう気にならないのに尻の下に振動を感じて不快だ。退屈なせいだろう。自由に動かせるのが首くらいしかない。
仕方ないから次の駅に着いて人垣に動きがあるまでを人でも見ながら過ごすことにして顔を上げる。というか人くらいしか見るものがない。
目の前にいるスーツを着たおじさんは髪の毛が後退気味だ。
薄らハゲ。
扉の近くの制服を着た女の子はなんだかキョロキョロと不安気に視線を動かしている。
挙動不審。
斜め前の少し奥で上半身だけが見えている眼鏡はなんだか雰囲気がオタっぽい。
キモオタ。
右側で吊り革を掴んでるオレンジ色のシャツを着た色黒はイヤホンを挿しているが音漏れがひどい。
騒音。
ああ、どいつもこいつもつまらなさそうな顔してやがる。
「そういう君が一番つまらなさそうな顔をしてることに自分で気づいているよね」
言ったのは隣に座っている女だった。前を向いたままだ。短髪で少し化粧の匂いがする。服装からはお堅い雰囲気を受ける。外見から察するとOLだろうか。推定年齢二十七歳と言ったところ。
「君が聞きたいことはわかるよ、私が誰か、だろ。答えはシンプル、君の妄想だ。この口調も君がいま読んでいるライトノベルのヒロインの借り物だよ」
俺は低く笑った。けれど何人かの視線を受けて恥ずかしくなってやめる。
「退屈なんだろ。話し相手になろうじゃないか。君は何の話をしたいかな」
それって話が下手な人の切り出し方だよな。当然OLは顔を顰めない。
「そもそも君が話し下手なのだから仕方ないだろう。……はぁ。まあそんな君だから他人の不幸というやつを聞いていればそこそこ楽しめるかな。君が読んでる小説というのもだいたい欝な話ばかりだし。よし、じゃあそんな感じの話をしようか」
じゃあさっきの四人を即興で不幸な人にしてみてくれよ。
「ああ、わかった。やってみよう。先ず始めに、君が『薄らハゲ』と渾名をつけた人間は現在離婚調停中だ。仕事に人生を捧げてきた、とまでは言わないが酒は飲まず煙草は吸わず接待は断り休日は疲れた体にムチ打って家族と過ごし二十五年間ずっと家族を支えてきた。その結末が子の引きこもりとそのカウンセラーとの妻の浮気だ」
おお、悲惨だねぇ。
「『挙動不審』は現在進行形で痴漢に遭っている。ほら、あの彼女の後ろにいる髪にフケのついた汚らしい男さ。彼女、元々気が弱いんだろうね。声を出したいが喉が引き攣って声にならないんだ。ああやって視線で誰かに助けを求めてる。よく見ると薄っすら涙目だね。周囲の何人かは気づいているが関わり合いになるのが面倒だから誰も助けようとは思わないんだろうな。この電車に乗っている大半はこれから仕事で遅刻するわけにはいかないしね。かわいそうだな、とだけ思ってる。君のようにね」
おいおい、そんなにひどいやつじゃないつもりなんだけどな。
「『キモオタ』は学校でひどいいじめを受けている。あの制服の下は痣だらけだ。手の甲に巻いている包帯の中は箒で殴られたせいで腫れ上がってる。眼鏡のフレームも少し歪んでる。いま彼の財布に入っているお金はクラスメイトのカラオケとボウリングに消えるのさ」
教師とか親は何してんだよ、まったく。
「『騒音』はね、耳が少し不自由なんだ。だからあんな音量じゃないと音が聞き取れない。周囲に迷惑が掛かるほどの音量を出していることを本人は気づいていないよ。外見があんなだと揉めるのが面倒で誰も注意はしないしね。実際は周囲の人間からすればああいう人間が一番迷惑なんだろうな。あ、ちなみに彼が耳が不自由になった理由は親からの暴力だ。いわゆる虐待というやつだね」
へえ、世も末だなぁ。
ガタンゴトンガタン、ガタン、ガタン、キキイ。
車輪の音が変わる。慣性の法則で立っていた人達がぐらつく。もうすぐ次の駅に着くらしい。
「おっと。どうやらここまでのようだ」
電車が止まった。扉が開く。OLが立ち上がる。
「私はここで降りるけど君はどうする、なんて、聞くまでもなかったよね」
ああ。ありがとう。丁度いいひま潰しになったよ。
さて、妄想に浸るのはこの辺にしておこう。
OLが早々に出て行く。ここは俺の降りる駅じゃないけど、俺も立ち上がった。人の流れに乗って扉まで歩き、フケだらけの汚いおっさんの手を掴んで電車の外に引き摺りだした。
「お前、あの子になにやってたんですか」