Phase_05:SHIFT
カクヨムにも掲載している作品です。
ハンスは、エヴォリスに帰還するとまずコックピットへ向かい、物資移送ログの確認作業に入った。イージスに積まれた数々の物資をラビがラボのホワイトルームに移す作業をしているので、その確認だ。コックピットには全てのログにアクセス出来るコンソールが存在するため、ハンスは定期的にこの作業を行なっていた。
大体はアランも同席していたのだが、アランはエヴォリスに到着するなり”確認作業をしてくる”と言い残してハンスと別れてどこかへ行ったきりだ。エヴァは点検、ケルビンとヴィクターはメディカルルーム、ラビはラボ…それぞれ作業で各エリアに点々としている。文字の羅列に目を通していたハンスは、いつしかぼんやりとウィンドウの外に視線を移す。その先には暗い宇宙に、地球とまるで変わらない星が発光するように浮かんでいる。
「移送が完了しました」
操縦席の間に装填されたレムのボディから声がかかり、ハンスは弾かれたように視線を向ける。ハンスを捉えていたレムのレンズと目が合い、そのまましばらく時が止まる。ハンスがここ最近気づいたことは、レムは相手の返事が無いとしばらくはそれを待つように静止するということだ。それが彼にとっては少しコミカルで、ハンスはたまにこうしてレムと睨み合いのような事をしていた。
「──了解。じゃあ後は、解析結果待ちか」
ハンスは小さく笑い、溜息まじりに呟く。エヴォリスはひとまず、OSX-9滞在予定期間中は付近で待機することとなった。つまり地球帰還を”一週間”の予定通り四日後とし、それまでは状況を相談しながら引き続き解析や分析を続行する。もともと設けていたラビの解析期間を引き延ばすことにした、ということだ。そしてその間、少しでも何か有益な情報がないか、エヴォリスからでもOSX-9を観測することは可能だ。
「なあ、お前ってさ、あの星についてどう思ってんだ?」
ハンスはシートに寄りかかりながらレムに問いを投げかけた。足を組み、肘掛に頬杖でもついてリラックスしたいところだが、中央コアは無重力エリアのため、それもままならない。ベルトの固定を外して無重力に身を任せた方が幾分楽なように感じるが、ハンスは作業をしたり会話をしたりする時に体が固定されていないと落ち着かず、こうしてシートに身を任せている。
「観測結果としては、数値だけ鑑みれば充分人類が移住可能な惑星と言えます。ですが、解析が困難である要素についての明確な解答が提出不可能な現状では、移住計画を安易に推奨する事は出来ないでしょう」
「…つまり、いい素材だけど意味不明な部分も多いから、ゴーサイン出しにくいってことか?」
「そういうことです」
レムのレンズ付近にある小さなグリーンのLEDが、声に合わせて点滅する。その前にわずかに黄色く点滅するのは、話す言葉を考えているからなんだろう。──ハンスはぼんやりとそんな事を思いながら、ウィンドウの外の宇宙を流し見た。
「──じゃあ解析困難な部分の答えが出せるまで、あそこに住んでみろ…とかエシュロンに言われたりしないかな」
「それは、非現実的と考えられます。物資やエネルギーには限りがありますし、追加で要求しても届くまでに少なくとも半年かかりますから」
「まあ、そうならいいんだけどな。…ていうかお前、エシュロンにどこまで報告してるんだ?大気成分がどうとか、気温がなんたらとか、そんな話はもうしてあんのか?」
「そうですね。わたしが報告しているのは完了した行程と、OSX-9の表面的な情報のみです。ラビの解析結果が正式に出されれば、彼がまとめたデータをそのまま送信する予定です」
ふうん、と鼻息まじりに応えると、ハンスはそのまま黙り込んだ。静止軌道上に浮かぶエヴォリスは、じっとOSX-9を見つめている。ここに居ながらにしてレムは、エヴォリスの目を使って星を監視している。発光するように佇むOSX-9は、太陽からの距離を考えるとまずその時点で異質だ。そして地上は夜が無く、気温も一定──地球では、土地や季節、時間帯により気温は上下する。そして極限の条件下にある地域ではそれが致命的なまでに過酷になるという。任務でハイラントの外に出る機会が多かったハンスは、ある程度の自然に揉まれた経験があるため、気温が一定であることの異常さはそこはかとなく理解は出来ていた。
そして、常識を覆すような物質──温かくとも溶けない氷。その存在は、美しいと同時に奇妙だった。まるで、「そういうものだ」と刷り込まれたものが実はその限りでは無かったと、新たな真実を突きつけられたような感覚があった。脳筋の部類に入る自分でこれだけ違和感を覚えたのだから、インテリ部門の人間たちからすればその数倍の違和感があったことだろう。──ハンスはそんな事を思いながら、半ば呆けたような時間をコックピットで過ごしていた。
「カフェテリアにでも行くか」
どうしても浮遊する、不明朗な感覚を払拭させるため、大きめに独りごちながらハンスはベルトを外した。無重力に身を任せ、コックピットから退出するためドアに向かう。その背中にかかる「行ってらっしゃいハンス」というレムの声が彼を見送った。
カフェテリアのドアを開くと、カウンターにラビの姿があった。ハンスに気づかないほど何かに集中しているような彼は、よく見るとコーヒーカップ片手に小石を眺めているようだった。人と見ればお喋りが止まらないラビにしては珍しく、ハンスにはその姿が研究者らしくも映る。忍び足でキッチンに近づくが、どうやらラビは意識を外に向けていないようだ。まるで吸い込まれるように手にした小石を注視していて、ハンスの気配に気づかない。ハンスは肩を竦めながらも、極力音を立てないように自分のカップにサーバーからコーヒーを注ぐ。振り返ってキッチンに寄りかかり、ラビの様子を伺いながらコーヒーを啜ってみるが、時が止まったように動かない。呼吸を忘れているのかと疑うほどだった。
「──それ、何の石だよ?」
とうとうハンスが声をかければ、ラビは大袈裟なほどに肩を跳ねさせた。反動で、手にしていたカップからコーヒーが飛び、液体の塊が小石にかかる。するとラビは、大きく目を見開いた。
「ああー!!ちょっと、急に声かけないでよ!かかっちゃったじゃん!」
大声でそう訴えながら、慌ててサイズの合わない白衣の裾を持ち上げて石を拭こうとする。その真剣さに、ハンスは思わず身を引くほかなかった。
「…いや、まさかそんなビビると思わなくてな…」
「ハンス⁈もー、こんなに配慮ないことするの君ぐらいだよ!いいかい、これはOSX-9から持ち込んだもののひとつで、貴重なサンプルなの!コーヒー塗れにしちゃったら台無しなんだよ!」
遅すぎる認識と矢継ぎ早に放たれる大声に、ハンスは呆気にとられる。口に運ぼうとしていたらしいカップが、逆に遠ざかっていく。
「わ、悪かったな。──ていうか、貴重なサンプルならこんなところに持ち込むなよ。しかもコーヒー片手になんて…ていうかコーヒー飲んでんのか?珍しいな」
「僕だって頭をスッキリさせたい時にはコーヒーぐらい飲むよ!リラックスして脳をリセットすれば思考も整理出来ると思ってここに来たのに…あのさ、君、集中してる相手にはもっと段階的なアクションをとるべきだよ!」
「いや、無茶言うなよ。…そもそも音立てないようにしてたっての」
「声かけの段階で失敗してたら意味ないだろ!ほら見て、こんなに──」
ハンスと向き合いながら言い合っていたラビが、白衣で包んでいた石をハンスに差し出すように目の前に翳した。そしてその瞬間、ラビの瞳孔はこれでもかというほどに開かれた。
「え⁈ちょっと待って!」
突然ラビがスツールから降りた衝撃で、傍のカップが傾いて倒れ、残り少ない中身がカウンターに溢れる。しかしラビは、そのまま周囲を意に介さず石を抱えてドアに向かって走り出した。
「おい!」
「ちょっとラボ!!」
ハンスが戸惑いつつも出ていくラビを追ってドアから通路を覗くと、移動ポッドが待ちきれないラビはリフトに乗って回廊に上がるところだった。その場で足踏みする姿に、逸る気持ちが如実に現れている。そして、間も無くラビの姿は回廊に消えていった。おそらく、着いた途端走ってラボに向かったことだろう。
「──…一体何なんだ、あいつ…」
呆然とラビを見送ったハンスは、片手で後頭部を掻きながらカウンターに戻る。そこには、倒れている白磁のカップとこぼれたコーヒーが残されていた。
「ったく、…これアイツの私物か?まあ、食洗機に入れとけばいいか」
ハンスは倒れた白磁のカップとこぼれたコーヒーを片付ける。ラビのカップは食洗機に入れ、こぼれた液体は拭き取り、ひとまず作業を終えた。カップを持ってソファに移動し、腰を下ろしてカップを啜る。窓の外には、地球のようなOSX-9が静かに浮かんでこちらを見ていた。
得体の知れない浮遊感が再び彼の胸に押し寄せる。別の星であるはずなのに、どこか安堵を感じるような──それでいて、不安も同居するような。またはその逆で、不安や不気味さの中に安らぎを感じる、不思議な感覚。考える事を放棄すれば、無限に浸れるそれに、とりあえずは身を任せてみることにしてポケットからイヤホンを取り出すと、ハンスは音楽に意識を委ねた。
ハンスがカフェテリアで半ば眠るように過ごしていた時だった。ほんの一瞬点滅するようにして空間内のライトが落ちた。不気味な音を立てて、船内機能が一瞬だけダウンしたような反応を見せる。そしてすぐさまアラートが鳴り始め、船内に赤い非常灯が点滅した。のんびりとしていた空気が突如として一変する。
「な、何だ⁈」
ハンスはわずかに手間取りながらイヤホンを外し、飛び起きる。心臓が嫌な跳ね方をした。コーヒーカップを手にしていれば、先刻のラビのように中身をぶちまけていただろう。反射的に立ち上がって通路に向かったところで、レムの通信がスピーカーから発された。
『エンジンコアルームに異常が発生しました。直ちに点検を開始します』
「エンジンコアだと⁈」
ハンスは弾かれるようにしてポッドを呼び、焦燥を携えてエンジンコアへと向かう。ポッド内でも響くアラートの音が頭蓋に直接響くようで、呼吸が早まる。たった数十秒の移動がもどかしい。その間も、レムの船内報告は続けられた。
『両エンジン、正常に作動。メイン電源遮断検知、リブート中』
放送が流れる中、ドッキングハブからエンジンコアへと進む。無重力の通路はまるで彼の進路を妨げる枷のようだ。徐々に復帰していくライトの下、泳ぐようにしてハンスはエンジンコアルームへと辿り着く。そこはまだ無人だった。
薄暗く、スペースの保たれた空間に浮かぶ、繋がれた状態の二機の球体。インディケーターラインに縁取られたそれらのエンジンコアは、まるで宇宙空間に浮かぶ惑星のようだ。超音波のような静かな低音を響かせながら、ハンスを見下ろすように鎮座している。
「コアが落ちたってわけじゃないのか──?」
ハンスが赤いラインを踏みながら核融合炉のコンソールへ歩み寄る。しかし、こちらに異常は見られない。便利ではあるが爆弾のような存在である核融合路の安定を確認すると、ハンスは力が抜けたように息を吐いて肩を落とした。
「メインバスが不具合を起こしたようです。瞬間的に停電状態のようになりましたが、復旧しました」
天井からレムの声が降る。とうとうハンスはその場に座り込んだ。鼓動が安堵の音を立てるとともに、核融合炉が吹っ飛ぶ姿が時間差で脳裏に過ぎる。頭を振って大きく吐いた息は、彼自身が笑えるほどに耳に響いた。
再びエンジンコアルームの扉が開かれ、エヴァが文字通り飛び込んできた。焦りからか、無重力から重力装置の変わり目に耐えられず、若干蹈鞴を踏んでいる。
「コアは無事なんでしょうね⁈」
「ああ、レムが言うにはインフラ部分の配電遮断が起こっただけで、復旧したとさ」
「馬鹿!ちゃんとチェックしてないの?」
エヴァは白いライン上にあるメインコンソールに駆け寄り、モニターを操作して各部のチェックを始める。矢継ぎ早に現れては消えていくウィンドウと図形、文字を見送りながら、一通りの確認を終えたところでようやく彼女は機器に両手を着き、首を垂れて溜息を吐いた。
「……配電系統への信号遮断ね。原因は分からないけど、無人探査機が妨害を受けたという話もあったし…破損があるわけじゃなくて良かったわ」
エヴァはそう呟くと、そのままの体勢で静止した。しかし息を整えているのか、わずかに肩が揺れている。様子がおかしいように思えたハンスが立ち上がり、エヴァに近づこうとしたところで再びドアが開いた。姿を表したのはケルビンだ。彼はメガネのブリッジを上げながらエヴァの元に駆け寄ると、コンソールモニターを確認した。
「──良かった、レムの対処で間に合う範囲でしたか」
「ええ、コアの異常じゃなくて本当に良かった」
二人が胸を撫で下ろすなか、ハンスは辺りを見渡した。そして、ふと思い当たったことを口にする。
「なあ、他の連中は?」
すると、エヴァとケルビンが顔を見合わせる。そして、同時にハンスに振り返った。
「……知らないわ」
「エンジンコアの異常ともなれば集まりそうなものですが…レムの復旧報告を聞いてひとまず安心された、ということでしょうか?」
「にしたって、ラビはともかく…アランやヴィクター隊長は確認に来ても良さそうなもんだけどな」
ハンスの発言に、エヴァの目が逸らされる。それを横目に内心で違和感を覚えながらも、ハンスは続けた。
「大体、隊長ってメディカルルームでお前と一緒だったんじゃねぇの?」
「いえ、少し前に目を覚まされた後、一人になりたいと言って出ていかれたのです。カフェテリアにでも向かわれたのかと思っていたのですが…」
「俺いたけど、誰も来なかったぞ」
ハンスとケルビンが話していると、ハンスの端末が音声通信の通知を告げる。怪訝そうに懐から端末を取り出すと、画面にはアランという文字。スピーカー状態にして通信をつなげると、その場にアランの声が響く。それは、衝撃的な内容だった。
『ハンスか?その…ストレージに来てくれ。ロッカールームだ。──ヴィクター隊長が、亡くなっている』
アランの様子はここからは窺えないが、声色はどこか落ち着いている。しかしそれが、動揺から来るものであると経験則で分かる。それでいてハンスの心臓は痛いほどに重く音を立てた。理解が脳に届くより先に、背筋を氷水で叩かれたような感覚が走る。目を見開いてエヴァとケルビンを見上げれば、聞いていた彼らも一様に驚愕の表情を浮かべていた。
『ハンス、聞こえているか?』
「あ、ああ──アラン、…隊長が、何だって?」
突然水分を失ったかのように喉が枯れ、掠れた声で時間を稼ぐような問いかけをする。
『ロッカールームに倒れていたんだ。頭に傷があって、息を…していない。ケルビンを呼んで来て欲しい』
「…それなら、全体通信で言えよ!…今から行く」
ハンスが乱暴に通信を切り、端末を握りしめる。動揺、焦燥、驚愕…彼が表面上で無闇に取り乱さずいる内心を表すかのように、力を込められた指先はわずかに震えていた。その様子を見ていたケルビンは、冷静に「急ぎましょう」と告げるとエンジンコアルームの出入り口に向かう。ハンスは端末を懐にしまい直し、縋るようにその背を追いかけようとした。
「エヴァ?」
後ろを振り返れば、エヴァが硬直したようにその場に立ちすくんでいた。表情は無く、視線はわずかに床に落とされていてどこを見ているのか分からない。ハンスは眉を潜めて彼女に近づくと、何度か軽く腕を叩いた。
「おいエヴァ、行くぞ」
びくりと体を跳ねさせたエヴァは、ハンスを見上げた。その一瞬だけ、眉根を寄せ、眉尻が下がった困惑と動揺の入り混じった表情を浮かべ、瞳はわずかに充血しているようにも見えた。しかし彼女はすぐに思い出したかのように口元を引きむすび、いつもの表情に切り替わる。
「え、ええ…向かいましょう」
そう言うと、エヴァはハンスを脇をすり抜けるようにしてエンジンコアルームを出て行った。ハンスは訝しみながらも、彼らに続いた。
三人がストレージモジュールのロッカールームに到着すると、仰向けに横たわるヴィクターと、その傍にしゃがみ込むアランの姿があった。ドアが開かれた瞬間アランは顔を上げ、ケルビンの姿があることにわずかな安堵の表情を見せる。すかさずヴィクターに駆け寄ったケルビンに場所を譲り、アランはその傍で状況を説明した。
「確認作業をしていて…たまたまストレージに入ったら倒れていたんだ。はじめはただ意識を失っているだけかと思って少し揺さぶってしまったんだが…呼びかけにも反応しないのでおかしいと思って、よくよく見たら頭に傷があった。動かすのは良くないと思ったんだが、息がしづらいと思って仰向けにした。──そこで、息をしていないことに気づいたんだ」
そんな二人の様子を、ハンスとエヴァは立ちすくんで見下ろしていた。ヴィクターの側頭部には確かに傷があり、血の気を失った顔面と硬く閉じられた瞳が、現実を突きつけるように二人の脳内にその様を見せ付けていた。ケルビンが呼吸や脈拍、鼓動を調べながら小さく息を吐く。そして、頭部の傷を慎重に観察しはじめた。
「蘇生作業を試みたけど反応が無くて…そのままハンスに連絡した」
アランがハンスを見上げる。ハンスは動かないヴィクターを微動だにせず凝視していたが、その気配を感じて軋むような動きでアランに視線を移した。
「……お前の言うとおり、全体通信で言うべきだった。──どうかしていたよ」
そう言って、アランは力なく溜息を吐く。その瞳は疲労を滲ませていた。ハンスはぎこちなく頷いてから、「ああ」と掠れた声で曖昧な返事をした。
すると傍のエヴァが、突然口元を抑えてストレージを出て行った。思わずそれを視線で追ったハンスだったが、足は縫い付けられたように地面から動かない。すると、検分していたケルビンが、作業を続けながら口を開いた。
「──遺体を、ご覧になったことは?」
ハンスとアランは再び視線を合わせる。ケルビンの問いかけは、すでにヴィクターが、確実に亡くなっていることを示唆していた。
「──俺は、ある」
「俺も、子供の頃に。…エヴァは恐らく、直接見たことは無いと思う」
兄弟がそれぞれ小さく応えると、ケルビンは「そうですか」と吐息まじりに相槌を打った。そして遺体の周囲を見渡し始める。つられてハンスが辺りを見渡せば、そこには不可解な痕跡が残されていた。遺体の衝撃が大きく、彼の視界は極端に狭まっていたようだ。
部屋の隅に古びた短銃が放られている。そして奇しくもヴィクターのロッカーに一発の弾痕。つまり、一発発砲している。ハンスはその短銃の存在を知っていた。ヴィクターが魔除と称して懐に忍ばせていたV-9ヴェリタスだ。ハンスは過去、これについて本人に問いかけたことがあった。目を閉じれば、その光景がいとも簡単に蘇る。
とある作戦中のことだ。ヴィクター率いる第三部隊は、ダート部隊の任務でとあるヴァインのポッドを殲滅するため遠征に出ていた。移動時間は車で二日。旧市街地から少し離れた林の片隅にキャンプを張り、夜を待って突入する予定だった。
敵のポッドは半都市型で、旧市街地の一角を自分たちの住処として利用していた。半壊したショッピングモールを主要拠点とし、図書館や劇場、銀行などの施設を中心に防衛拠点を置いていた。先行調査では、敵は特別時間や規律を厳しく設けている訳ではなく、トップと数人の幹部以外はかなり奔放で、統率はさほどとれていないということだった。ヴィクターは夜を選んで隠密行動を取ることにより、朝までに各防衛拠点を撃破し、最後に主要拠点を叩くことを決定。ハンスたちはベースキャンプで周囲を警戒しつつ、わずかな時間を過ごすこととなったのだ。
車を隠蔽し、同時にそれをキャンプとした簡易拠点。パルスレーダーを駆使して放射能汚染区域をマップに照合させていたヴィクターに、水の入ったボトルを渡しに行った時だった。ハンスは彼の傍に置かれた古い短銃に目を留めた。所々塗装が剥げ、細かい傷もあるがきれいに磨かれた形跡のある、旧式の短銃だ。ハンスは思わず、それについてヴィクターに尋ねずにはいられなかった。
「それ、手に馴染むってやつですか?」
「何?」
「その拳銃、隊長のですよね?」
ヴィクターが、腰掛けていた自分の側に置かれていた短銃に目を落とす。そして、徐にそれを手に取った。
「V-9ヴェリタス…魔除みたいなものだ。残り五発あるが、装填出来る弾は無い」
「じゃあ、使わないんですか?」
「そうだな。ハイラントの武器があれば敵の制圧は容易い。…これを使う時が来るとすれば、どうしても使うほか手立てがない時だろうな」
そう言ってヴィクターは、ショルダーホルスターに手早くそれを収めた。そして水を受け取ると、再び作業に戻る。ハンスはその時、ヴィクターにも物に願掛けのようなことをする一面があるのかと目を瞠った。どんな背景があって、”魔除”にどんな意味合いがあるのか気になりはしたが、ヴィクターは寡黙だ。むしろ触りの情報が聞けただけでも貴重だった。そして以降、意識してみれば彼は常にその短銃を懐に忍ばせていた。装備する武器に合わせてホルスターの位置を変え、どの戦場にも持ち込み、センチネルとしてハイラント内の警備を行う時ですら離さなかった。
そして、どの戦場でもそれを使っているのを見たことがない。もちろん四六時中観察しているわけではないのでどこかでは使っていたのかもしれないが、ハンスの記憶の限りであれば、弾倉の中身は一発分の弾丸も減っていないはずだった。
まるで現実から目を逸らすように思考の海に身を沈めていたハンスは、徐に放られた短銃を手に取って弾倉を確認する。すると、放たれた一発分以外は残されていた。つまりヴィクターは、今まで魔除として肌身離さず持っていたものを確かに武器として使用したのだ。宇宙船内での実弾発砲はかなり危険な行為だ。よってエヴォリスに搭載されている武器はパルスライフルやテーザーのみとなっている。ヴィクターとハンスの二人は戦闘員も兼ねているので、常にホルスターに小型のテーザーガンを携帯しているが、現場にそれは存在しなかった。どうやらヴィクターはテーザーの代わりにヴェリタスを携帯していたようだ。
「頭部以外に目立った傷はありません。転倒時の頭部打撲が原因でしょうか…恐らくですが、内部で出血が広がっていたのかと思われます。しばらくは意識があったかもしれませんが、次第に混濁し、そのまま…」
検死をしていたケルビンからおおよその死因が言い渡される。ハンスは、ヴェリタスを持ったまま力なく手を下ろし、ヴィクターを見下ろした。彼の眠っている姿すら見たことが無かったハンスは、それが本当に息を──鼓動をしていないのか見定めることが出来なかった。ケルビンの”遺体”という言葉も安易に受け入れ難く、まるで眼前にフィルターがかかったかのように視覚情報に現実味が無い。
しかし、残酷にも処置は進められていく。ヴィクターの遺体は一度メディカルルームへ移送し、そこで保管処置を行った後、モルグ代わりの冷凍ユニットに安置する事となった。メディカルルームから持ち出した医療用ストレッチャーに遺体を運び上げ、ポッドに乗せ、医療室の処置台に移す。ケルビンに手を貸す形でハンスやアランも作業を行い、直接遺体に触れる。ハンスはその触感が、手にこびり付くような錯覚を覚えていた。作業行程が進むほどに、現実が確かなものとなっていく。透明のボディバッグに納められた状態でユニットに入れられ、その姿が見えなくなるまで、ハンスはほとんど無意識に手を動かしていた。
「ハイラントに移送し、希望があれば更なる検死と…正式な埋葬をしなければ」
ケルビンがそう言って振り返る。その目は冷静に見えるが、どこか”そう装っている”ようにも感じられた。いつもは真っ直ぐに相手を見つめるケルビンの瞼は、わずかに落とされていた。
「…エヴァは、大丈夫かな。通路にはいなかったけど」
アランの声も沈んでいる。そんなアランを見上げながらハンスは、第一発見者がアランなのは彼にとって酷なことだと思っていた。アランは蘇生措置を行おうとしたと言っていた。既にその時にはヴィクターが亡くなっていたとしても、自分が死なせてしまったように思っているかもしれない。ハンスにとってアランとは、そういう人間だ。
「分かりませんが…一度召集をかけるべきでしょう。姿を見せていないラビにも、事情を伝えなければなりません」
ケルビンはそう言って短く息を吐くと、端末を取り出して手早く操作した。そしてエシュロンへの報告のためか、デスクトップ端末を使うため机に向かう。いつもの、スパティフィラムの鉢植えだけが飾られたミニマムな彼の机の上には、伏せられたタブレットや医療ケースのような小さなボックスが雑然と置かれていた。そしてそこに、さらに今使っていた個人端末が追加される。──それはまるで、彼の精神状態を表しているかのような光景だった。
「──ハンス、その…平気か?」
ぼんやりとケルビンの背中を見やっていたハンスの傍から、アランが遠慮がちに声をかける。ハンスが彼を横目で見れば、アランはわずかに眉尻を下げ、窺うような視線をハンスに向けていた。その手はハンスの肩に乗せられようとして、触れずにそのまま、彷徨うように下ろされる。ハンスは自然と眉間に力が籠り、口元をひき結んだ。そして、今度はしっかりとアランに向き直る。
「…平気でいられる奴って、いると思うか?」
その声は、酷く掠れている。アランは一瞬目を見開くと、ゆっくりと視線を落としながら目を逸らした。そして、苦笑まじりに「いないな」と呟く。互いに言葉が出なくなり、ぎこちない会話は蝋燭の灯火のようにすっと消えた。
突然のヴィクターの訃報は、改めてロッカールームで周知されることとなった。既に集まっていたハンス、アラン、ケルビンがロッカールームで待機をしていると、回廊にいたというエヴァが合流する。ハンスがちらりと横目に様子を見れば、出て行った時よりは幾分顔色が良くなっていたため、ひとまず落ち着きはしたのだろう。そして、最後に何も知らないラビがリフトから降りてきた。回廊を走って来たようで、息切れと共に入室する。
「ヴィクターが死んだって、…本当なの⁈」
静かだった部屋に、ラビの声が響く。遺体は既に運ばれているため、彼にとっては真偽が不確かなままだったが、三人の表情を見上げると何かを察したように口角を下げて黙り込む。ラビは彼らの様子から、無言の肯定を認めざるを得なかった。
「…一体、何があったっていうんだよ」
ラビのトーンが下がる。その目線はハンスたちを捉えた後、最後にケルビンで止められた。ケルビンは目を伏せ、大きく息を吸い、眼鏡のブリッジを上げる。
「私とハンス、エヴァは共に居たので、私から大まかな経緯を説明します。──まず、私たち三人は点検のためエンジンコアルームに居ました。すると、アランからハンスの端末に連絡があり、”隊長がロッカールームで亡くなっている”と知らされたのです」
ラビは眉を寄せ、アランを一瞥する。ハンスがその視線を追ってアランを見れば、彼は肩を落とし、半ば項垂れていた。
「駆けつけると、確かにヴィクター隊長は亡くなっていました。頭部に強打の跡があり、…恐らくですが、転倒などで頭部を強打し、脳内出血が起こったものかと」
「転倒?こんな段差も何も無いところで?」
ラビが床を指差す。平らな床で転倒するのはもちろんだが、軍人が受け身も取れないとは、やはり簡単には納得できないらしい。
「──それについては、ここで皆さんにお伝えしておくべき事があります」
ケルビンはゆっくりと数歩進み、、かつてヴィクターが横たわっていた場所で屈むと、片手を付く。視線はその指先に向けられ、彼は記憶を反芻させるように静かな口調で語り始めた。
「アンネル付近の到着予定時刻にズレがあった事を覚えていらっしゃいますか?──あれはセルの不具合が原因ではありません。ヴィクター隊長が冬眠中にバイタル異常を起こしたために私が起こされたためです。私はあの時、ヴィクター隊長を強制覚醒させました」
ハンスは目を見開く。あの時ケルビンは微塵も疑いを生じさせない、実に自然でスムーズな説明をしてみせた。そこに裏があったとは。ハンスが呆気に取られている間にも、ケルビンは続ける。
「バイタル異常は主に、レム過剰によるものでした。──つまり、夢に囚われている状態です。最悪の場合は呼吸が停止も有り得ました。──正気に戻る前、彼は夢で”影と戦っていた”と言い、さらに現実で、”部屋の隅に影が見える”とも証言していました。正気に戻られて以降は平常通りでしたが、やはりそうではなかった」
ケルビンは一度視線を上げてハンスたちを見やった。反応を確認するように一人一人に瞳を向けた後、再び手元を見下ろし、床を軽く撫でる。
「ヴィクター隊長はこの事実が皆さんに知れる事を望んでいませんでした。ですから私は、彼の精神状況も考慮した上でその意向に沿った。彼は再冬眠を無事乗り越え、その次の冬眠でも正常値を保っていました。ですが結局、彼の精神状態は数日と保たなかった」
ケルビンはそこまで言うと立ち上がり、ラビに向き直った。珍しく黙って話に耳を傾けていたラビは、確信めいた目をケルビンに向ける。ケルビンはひとつ首肯すると、今度はハンスたち三人に視線を移した。その表情は読みづらく、先刻とは違って口振りはしっかりとしている。ハンスは、眼鏡の奥に光る紫の瞳を通して何かを見るように、どこか遠い目で彼の様子を窺っていた。
「OSX-9でヴィクター隊長が感じていたという”視線”ですが、あれは、彼が見ていた悪夢に出てくる”影”だったのでしょう。私はラビの証言を聞いた時すぐにそう思い至り、ヴィクター隊長の状態も鑑みて、エヴォリスに帰還する旨を提言したのです」
「──未知の生物なんかじゃなくて、僕らじゃ確認しようもない存在を見てたってわけね」
ラビが力無く肩を竦めた。その場にいっときの静寂が満ちる。すると、アランが深呼吸をするように大きく息を吐いた。そしてずっと組んでいた腕を外し、両手を軽く上げて見せる。そして自嘲するように小さく笑った。
「──そうだったんだな。…全く気付けなかった」
「…俺も、寝てなさそうだってぐらいしか思ってなかったが、まさかそこまでとはな」
アランに続くようにして、ハンスが小さく言葉を溢す。そして、ウエストバンドに挟んでいたヴィクターの短銃──ヴェエリタスを取り出して周囲に分かるように差し出した。弾倉から弾をひとつ抜いて見つめる。全員の視線が、その手元に集中する。
「こいつは、ヴィクター隊長の私物で、ヴェリタスっていう、多分旧式の拳銃だ。…隊長は魔除って言ってた。掃討作戦でも警備でもいつも持ち歩いてて、前に”使うのか”って聞いだんだ。そしたら、弾は弾倉に残ってる分五発しか無いから使わないって言ってた。──でも、今ここに四発。一発は、あそこだ」
ハンスは弾倉を手早く戻すと、ヴィクターのロッカーを指差した。扉の中央からやや下あたりに小さな弾痕がある。おそらく放たれた弾は扉を貫通し、内部に残っている事だろう。
「俺と隊長が常に携帯するテーザーは持ってなかった。…つまりなんだけど、こう…精神が安定してないが故に、ヴェエリタスを手放せなくなって、その──影?がまた現れて、思わず撃った…ってことはないか?」
「──歴戦の軍人も、精神的に参ってたら転倒した時に受け身も取れなくなっちゃうわけか…なんか、不思議な話だね」
ハンスの見解は、状況から見ても納得するに足るものだった。ラビも呼応するように独りごちながらヴィクターのロッカーを開けようとしたが、ロックがかかっていて叶わず、肩を落とす。
ロッカールームでの状況説明は、そんなラビの一言で締められた。誰もがヴィクターの精神が極限状態であったことに驚きと後悔を隠せないでいた。ハンスは、もう少し踏み込めていればこの結末にはならなかったのではないかと、別の世界線を思わず想像しそうになる。彼の性分を重んじることなく壊せば良かったのか?思い切り踏み込んで、胸の内を引きずり出せば結果は変わったのだろうか?──気を緩めればそんな、沼に足を取られて浮上できなくなるような、どうしようもない思考に陥ってしまう。
頭を振ってそれを強引に追い払い、ハンスは大きく深呼吸をした。そして今更になって、わずかに後方でずっと黙ったままその場に立ちすくんでいたエヴァに気づく。彼女は、ヴィクターの倒れていた場所を静かに見下ろしていた。左腕を掴む右手の指先が白く変色している。ただ虚空を見つめるような彼女の瞳に、ハンスは息を呑んだ。
「──エヴァ?」
エヴァの肩が跳ねる。虚ろな目で見上げてくるブラウンの瞳は、色を失っているようにも見えた。ハンスが言葉を失っていると、エヴァはゆっくりとハンスから視線を外す。ゆるやかな拒絶に、ハンスは再度開きかけた口を閉じる他なかった。
「…ひとまず、場所を変えて今後の事を話し合いましょう」
静かなケルビンの一声で意識が切り替わる。誰もが思いもよらなかった事態に足止めされながらも、”すべき事”を欲していた。行動指針は、まるで彼らにとっての救いの道標のようだった。
ロッカールームを退出し、ポッドの乗降口に向かうためストレージモジュール内をしばし歩く。これからブリーフィングルームに移動して、次の行動について話し合うのだ。ケルビン、アラン、エヴァと続くその背後でぼんやりと歩を進めていたハンスの袖が不意に小さく引かれる。怪訝そうに振り返れば、ハンスの背後に身を潜めるようにして、ラビがそこに居た。口元に手を当てる仕草をするので、ハンスが促されるように身を屈めると、耳元で、ラビが囁いた。
「これって本当に事故だと思ってる?──ハンス」
今回は短めですが、ここから後半戦だという転換点になっています。
更新を早めたい気持ちもありますが、色々整合性とか情報整理しながらやってると平気で数時間経ってるのでなかなか進みません…
あと宇宙の描写をするために、想像だけでは追いつかない部分をYouTube動画で補填しようとし出すと、宇宙関連の動画の沼にハマって抜け出せなくなる病にかかってるのでそれでも時間が溶けていく…助けてくれ