Phase_09:THE MIRROR ②
カクヨム掲載作品です。
本文字数制限のため、二つに分けて掲載しています。
白く狭いシャフト内には、窓も階層表示も存在しない。慣性は重力装置で打ち消され、音も無い。まるでそこは白い宇宙空間だ。端に佇むアランと距離を取り、ハンスは居心地の悪さの中、時間が過ぎるのを待つ。
たった一人の兄の異変は、エヴォリスで既に見た筈だった。だが、どこまでも彼は”アランそのもの”で、ハンスはいつの間にか胸の奥底にこびりついた負の感情に蓋をしたままでいられた。
しかし、クライオケースに詰められた遺体を見ようと、ラビの解析で人間じゃない可能性を示唆されようと崩れなかったアランへの信頼は、ここにきて大きく揺らいでいた。目の前で心臓を撃たれ、倒れた筈なのに傷一つなく再生する──その現象はハンスを激しく動揺させた。ゆえに、それ以来ここに来るまで、アランに声ひとつ掛けられずにいたのだ。
そしてアラン自身もまた自分の存在に愕然としているのか、あれ以来満足に言葉を発していない。二人の間には、奇しくもすれ違っていた同居時代を思い起こさせる空気が漂っていた。ハンスは背中でアランの気配を探り、アランは後ろ姿でハンスの内心を探る。──それはエヴァが”ハンスの反抗期”と表現したなかで、最も最悪な期間だ。
互いに言葉を交わせぬうちに、シャフトは静かに停止する。ドアが開くと、その先の景色に二人は一様に目を見開く。そこには彼らが見たこともない、それでいて”楽園”と瞬時に認識できるような、美しい空間が広がっていた。ハンスアランはそれぞれの葛藤を忘れ、操られるようにシャフトから一歩踏み出した。
高く澄んだ青空のもと、白くさらりとした小道が曲線を描く。まず目を楽しませたのは、白い砂が贅然と波のように敷き詰められ、その上に小石が並ぶエリア。歩を進めると景色が変わり、色とりどりの花が規則正しく植えられた緑の広場が現れる。蔦と花の這うアーチを潜るとその先には、小高く美しい彫刻の上を水が伝う噴水。石柱が立ち並ぶ垣根を越えると景色はガラリと変わり、硬い葉の植物や岩が点在する砂地となる。次には一面緑の草原。遠くには霞がかった山の稜線や裾野が見える。そうして景色を見渡しながら歩くうちに空は赤みがかり、星の光がうっすらと姿を現す。夜になると満点の星空と白銀の満月が一帯を照らした。
道中には泉や小川、オアシスのような水場があり、空が明るいうちはそのせせらぎに合わせてどこからともなく鳥の囀りが風に運ばれていた。穏やかな音が耳を刺激し、二人の脳に癒しをもたらす。しかし夜になるとそれらは一斉に、星空を反射させるように青く輝きだす。言葉を失う景色に目を奪われていると夜は終わり、また朝が来る。太陽が登っていく姿をハンスとアランが目で追っていると、唐突にその動きが止まった。
「景色は楽しめたかな、お二人とも?」
背後から柔らかな男性の声がして、弾かれたようにハンスたちは振り向いた。その先に、いつの間にか音もなく白衣姿の男性が立っていたのだ。しかし、身構えたハンスはすぐに体の力を抜いた。──その姿は、精巧なホログラムだった。その証拠に、微細な光を放っていた。
「美しいだろう? 想像できるかい、これはこの星が壊れる以前、普通に存在していた景色なんだよ。──まあ、多少誇張してはいるけどね」
そう言いながらその人物は、二人に歩み寄る。実体は無いのにすれ違いざまに避けるような素振りをして二人を通り過ぎると、振り返って手招きをする。背が高く、プラチナブロンドの短髪と白い肌、青い瞳を持つ男性は、本当にそこにいるかのような存在感だ。ハンスとアランは顔を見合わせる。すると男はそのままその先へ足を進めてしまったため、二人は慌てて追いかけた。
男は傍の小さなゲートに手をかけて開く。空間全体の中央部分に向かって伸びる通路の先に、アーチを描く石造りのガゼボが見える。今まで庭の垣根に隠れていたのか、その姿にハンスたちは気づかずにいたのだ。──そして、その中に四人の白衣姿の人物が見て取れた。ハンスたちを先導する男と合わせて五人。ハンスは思わず息を飲んだ。
「──エシュロン……」
「はは、どうして驚くのかな? 僕らが君らを呼んだんだ。ここに僕ら以外の誰がいるって言うんだい?」
ガゼボに到着すると、中央の円卓を囲んでベンチに座る四人の人物がハンスたちをじっと見つめた。年齢も性別も見た目も異なる姿は、皆ホログラムだ。それぞれ形の異なるティーカップを手に持っている。
「さあ連れてきたよ。言い争いは終わったかい?」
先導していた男がベンチに腰掛ける。円卓に置いてあるカップのうち一つを手に取り、紅茶の香りを堪能すると、満足そうに口にした。それから、足を組んで対面に座る人物にいたずらな視線を向ける。問いかけられたのは厳格な顔つきをした年嵩の男で、白衣の上からでも鍛えられた体をしているのが分かる。後ろに撫でつけたダーティブロンド、同じ色の口髭と顎髭。瞬時に堅物だと想像出来る雰囲気は、ホログラムとは思えない。男は不機嫌そうに鼻を鳴らしてふいと外方を向くだけだった。
「まあお座りください、お二人とも。──彼の隣は少々気後れするでしょうがね」
その男から一人挟んだ場所に座った黒髪に眼鏡の男が、手を差し出してハンスたちに席を促す。予想もしない展開に、ハンスたちはおずおずと空いているスペースに並んで腰を下ろした。彼らの前に置かれた紅茶のカップからは湯気が上がっているが、それも幻影のひとつに過ぎない。
「まずは、手荒い歓迎をしてしまったことをお詫びするわ。どうしてもアトラスが帰還させるなって聞かなくて……」
「他責とは殊勝なことだな、リヴァ」
「リヴァは事実を述べただけだろう? 最近のお前はどうも直情的だねぇ。そうやってすぐに気色ばむ」
「律儀に突っかかってくるあんたも充分直情的だと思うがな」
「ロン、アトラス、もういい加減にしてくれよ」
ブラウンのショートヘアに青い瞳の女性がハンスたちに向けて謝辞を述べるが、それを隣の不機嫌そうな男が一笑し、皮肉を返す。すると、一番年上に見える黒髪の女性が反論し、先導した男がうんざりした様子で訴える。一連の発言を目で追っていたハンスの隣で、アランは目を丸くしていた。
「──失礼。一応礼儀として紹介すると……」
眼鏡のブリッジを上げた黒髪の男が、わずかに口角を上げた。
「あなた方から見て右からアトラス、リヴァ、そして私がシン。隣のこちらがロンで、案内したのがフィン。私たちが、このハイラントを管理するエシュロンという組織です」
シンがそう明言したことで、目の前の存在が”エシュロン”であると認識すると同時、微塵も想像していなかった姿にハンスはゴクリと喉を鳴らす。姿こそホログラムだが、人間としか思えない。各中継ステーションのフェム、リクス、シア──そして、エヴォリスのレム。様々なAIを見てきたハンスたちには分かる。ここまでだけでも、彼らはAIとしては考えられない言動を見せている。
「……手荒い歓迎ってのは、ミサイルのことか?」
言葉の切っ掛けが見つからず、リヴァに応える形でハンスが発言する。すると、リヴァはカップを置いて腕を組んだ。
「ええ、それもだけど──DEFセクターの隊員たちの件も……彼らは未だに混乱しているでしょうけど」
「分かってんなら、今すぐ何とかしてくれよ。あんたら、ここの全てを牛耳ってんだろ?」
ハンスが身を乗り出すと、リヴァは眉間に皺を寄せた。穏やかな表情が一変したことで、ハンスがわずかにたじろぐ。
「”牛耳る”だなんて人聞きの悪いこと言わないで。私たちは取り仕切っているだけ。理想的な空間維持のために規範を構築し、そこで穏やかに暮らす人々を管理してるだけよ」
リヴァの言葉の圧が増す。そんな彼女に対するものなのか、フィンの方からわざとらしい溜息の音が届く。リヴァは気を取り直すように咳払いをひとつすると、居住まいを正した。
「AIの管理は難航してるところなの。おそらく……私たちの意見が割れているから、その信号を律儀に読み取ったAIの指示が錯綜してる。これは人間の反射神経にも似た作用で、私たちにも手が出せないの」
全く他人事のように話すリヴァに、ハンスの頬が引きつる。ラビにはうまくやれと言われたが、もうすでに守れそうにない。自分はこんなに短気だったかと半ば驚きつつも、口を強く引き結ぶ。そんなハンスの様子を見たアトラスが皮肉げに笑った。
「やはり外部出生者は感情のコントロールが不完全だ。俺の意見は真っ当だったんじゃないか?」
「まだそんなことを言ってるのかい、坊主? こうした反発心が原動力に繋がる例を、我々は見たばかりだろう。こいつらがイージスを駆使してハイラント内に帰還する事を、この中の誰が想像出来た? ──特に、ミサイルが躱される度に歯噛みするお前の姿は、実に見ものだったねぇ、アトラス」
勝ち誇ったようなアトラスに、ハンスに代わってロンが即座に皮肉を返す。アトラスが盛大に表情を歪めて舌打ちし、一触即発の空気となる。
「はいはい、もういいって先輩方。──ごめんな、君たち。もうしばらくずっと、僕らこんな感じなんだよ」
フィンが面倒そうに声を上げ、ハンスたちに向かって謝罪する。眉尻を下げて肩を竦める姿も、人間そのものだ。
「──あんたらは、一体どういう存在なんだよ? ぶっ壊れたAIなんじゃないのか? だから今、こんな事になってるんだろ? 今だってこんな時に、こんな場所で呑気に茶会なんか開いてる」
自分たちを顧みない、勝手な発言の応酬に苛立ちを覚えたハンスは、語りかけてきたフィンを睨みつけてそう問いかける。するとフィンは目を丸くしてしばし静止した後、弾かれたように笑った。
「僕らがAIだって? まさか。AIに”場所”なんか必要かい? わざわざこうして姿を見せて君らを迎える必要性も無い」
「姿を見せてるって、それホログラムだろ? 実際に目の前にいるわけじゃない」
「まあ、確かにね」
ハンスが反論すると、フィンは楽しげに笑みを浮かべて紅茶を啜る。おどけたように肩を竦める仕草も自然だ。唇を噛んだハンスが身を乗り出そうとした時、背もたれに寄り掛かったロンが、カップを置いてテーブルに頬杖をつき、覗き込むようにハンスを見た。白髪混じりの髪と顔に浮いた皺が彼女の年齢を物語っているが、その表情は若々しさすら感じられる。何か言いかけて止めたハンスに、ロンは不敵に笑って語りかけた。
「お前がどう思っていようが、我々はAIではないとしか答えられないよ、ハンス・ローワン。何故なら、”演算意識集合体”だからだ」
「演算意識集合体……? 何だそれ」
ハンスは眉を顰める。すると、シンが眼鏡のブリッジを上げて捕捉した。
「つまり、人間の精神を抽出し、再構成して維持された──永久的な組織体、というわけです。身体を捨て、こうしてハイラントと接続し、創設以来──ずっとこの理想郷を管理してきました」
「そう。だから、僕らに”壊れてる”って言うことは、”お前ら性格破綻者”だって言ってるのと変わらないってわけだ」
肩を揺らしてフィンが笑う。半眼で彼を睨むハンスに、冷静な声が掛かる。
「こうしてこの場所にいるのは、私たちに”落ち着く必要”があるからよ。だから、あなたにも激しい感情を吐露するのはやめてほしい。私たちの感情を逆撫ですれば、その代償は階下の者たちが払うことになるわ」
リヴァは半ば脅しのような忠告でハンスを諫める。舌打ちして気を鎮めようとした彼に、アトラスが鼻で笑った。
「外部出生者は野鄙だな。炙り出せばいくらでも負性が暴かれただろうに、ケルビンは何故ああも肯定的な所感ばかり寄越したんだ?」
「お前も煽るでないよ、アトラス。人間に感情がある限り負性の種は誰にでも存在する。うまく付き合い、秘められているならいいだろう」
ロンがアトラスをやんわりと咎める。また険悪なムードになるかと思われたが、今度は誰に止められるでもなく、二人は互いにそれ以上の発言をしなかった。意味深な会話にハンスは不穏なものを感じたが、ひとまず深呼吸して気分を落ち着けた。
「落ち着いているうちに本題に入らせていただきましょう。今回あなた方をお呼びしたのは──本来は、アラン・ローワンのみの予定ではありましたが。……アラン・ローワン──あなたの力が必要だと、結論づけたからです」
「──お、俺の?」
俯きがちで座していたアランが怪訝な表情で顔を上げる。十の瞳が自分に集中していることに気づいた彼は、わずかに身を引く。一気に蚊帳の外に追い出されたハンスは、心の中で再び舌打ちした。
「ええ。恐れながら、先ほどのあなたの反応は拝見いたしました。銃弾を生理現象のように体から排出し、傷を修復する──いつの間にそのような能力を得たのか知り得ませんが、十中八九OSX-9の恩恵と言えるでしょう。その力ならば、システムを傷つけずにAIの混乱を抑制出来る──そう、私たちは判断しています。ご協力いただく代わりと言っては何ですが、あなた方にはアークウェイ作戦の真実をお話しする。いかがです?」
「真実って? それを知って俺らに何のメリットがあるんだよ」
主にアランに向けて語りかけるシンに、ハンスが横槍を入れる。シンは咳払いをして眼鏡のブリッジを上げると、ハンスに向き直った。
「我々はひとつ、大きな過ちを犯しました。それを筒がなくお伝えし、謝罪する意思があります。また今後についても、最大限の保証をお約束します。その条件で、我々にご協力いただきたいのです」
「話が読めねぇよ。全部曖昧じゃねぇか」
「そりゃあ、細かく話したら交渉にならないだろう? まあでも、これぐらいは言っていい。──我々の過ちが原因で、お前たちの復路に混乱が生じた。そして、その波がこっちにまで飛び火した。だから今、お前たちに顛末を話して詫び、今後の保証を約束する。……代わりに協力してもらう。まずは、この混乱を鎮めることだよ、アラン」
ロンが小さく笑いながら二人に条件を述べる。しかしハンスはさらに疑問を呈した。
「アランの協力って、具体的にこいつに何させる気だよ?」
「心配しなさんなって。”居てもらうだけ”でいい。別に、何かさせようと言うわけではないさ」
フィンが穏やかに答える。ハンスがいくら食い下がろうとすぐに答えが返ってくる状況に歯噛みしていると、黙って様子を見守っていたアランが口を開いた。
「──分かりました。それで、何をお話しいただけるんですか?」
「おい!」
ハンスが止めにかかるのを、アランは目で制した。そんな二人を取り囲むエシュロンたちは、密かに視線を交わす。覚悟を決めたように眉間を寄せたアランの様子に、ハンスは諦めて背もたれに身を預けた。腕と足を組んでエシュロンの言葉を待つ。すると、リヴァが姿勢を正して彼らに真摯な眼差しを向けた。
「まず前提として、人類移住のための有人惑星探査──”アークウェイ作戦”は、あなた方を含む、ハイラントの全住民に向けた”表向きの任務”よ。地球に酷似した惑星の出現に希望を抱かせ、荒廃した大地の外にも”救い”があると思わせるための。……けど、私たちがその裏で進めていたのは別の計画──”OSX-9計画”。”OSX-9”とは”観測対象”ではなく”観察対象”。危険度・重要度共に最高レベル9。──これは、この理想郷を維持するための、最も重大で壮大な実験だった」
「……実験?」
ハンスが眉を顰め、呟くように声を漏らす。一度視線を落としたリヴァだったが、顔を上げるとさらに続けた。
「確認事項は大きく分けて三つ。一つは中継ステーションやエヴォリス・イージスなどの性能テスト。実際に宇宙空間でのエネルギー構築や補給が問題なく行われるか、AIは正しくクルーを導くかなどの性能を見るもの。特にエヴォリスや中継ステーションは、スペースコロニー構想の前身でもあるからね」
ハンスは息を呑んだ。まさか、自分たちの航行が”テストの一部”だったとは。その事実が脳裏に沈んだ瞬間、今更ながら背中を冷たいものが這い上がった。
「二つ目は、OSX-9のサンプル採取。ある程度見解は固まっていたけど、実際にどんな場所かの映像や物質的サンプルは必要。解析しきれば、彼の地での生活様式を構想出来る。星全体をハイラントのような理想郷とする具体的な計画に着手するには、必要なプロセスよ」
リヴァはそこまで言うと、ゆっくりと目を細めた。すこしの間を置いてから、再び口を開く。
「そして三つ目、”行動心理実験”。私たちが最も長く観察し、最も慎重に扱った部分よ。対象は二極。ひとつは、あなたたち外部出生者。もうひとつは、上級職員である計画的出生者──ケルビン。これらが同一の閉鎖的空間で長期間を過ごすことで、どんな事象が生じるか。私たちはこの三つ目を最も重要視していたわ」
リヴァが一通り説明を終えて息を吐くと、今度はシンが卓上に手を翳した。瞬間、彼の前に光の粒が集まり、小さな宇宙空間が描かれる。地球からOSX-9までの航路に、中継ステーションや母船エヴォリスが連なって浮かび上がった。シンはそれらを指先でなぞりながら、静かに言葉を継いだ。
「行動心理を計るための条件は二つです。ひとつは外部出生者に対し”非監視区域”を許し、監視レベルの大幅緩和を明示すること。ヴィクターからの申し出という相乗効果もあり、これはより効果的に作用したように思います。──そしてもうひとつは、ケルビンに定期的にカウンセリングを実施させること。さらに、それを含めた外部出生者への所感を都度提出させ、感情の変化を観察したのです」
OSX-9へゆっくり滑らせるシンの指を、ホログラムの小さなエヴォリスが追随する。自然と、ハンスの脳に往路の記憶が蘇る。思えば関係はぎくしゃくしていたが、航行じたいは穏やかなものだった。
「我々はこの往路の段階で、あなた方とケルビンの間にマイナスの変化があると予想していました。そのための布石は投じていた。──ひとりは、能力は高いが問題児であるティム・ナイ。そしてもうひとりは、心的外傷を持ち、死に急ぎながらも戦場では泥臭く生き残る……ヴィクター・ソーンです」
冷血とも取れる事実に、ハンスが明らかに気色ばんだ。ただのテストを通り越し、自分たちが実験サンプルとして扱われていたこと、そして、そのために意図的にクルーが選ばれていたこと──予想の上をいく彼らの仕打ちに、煮えたぎるような怒りがこみ上げる。立ち上がりかける彼を、アランは肩を抑える事で黙って制した。二人の様子にアトラスが冷笑を漏らしたが、心を落ち着けようと躍起になるハンスには聞こえていない。
「案の定、レムのデータでは、二人は思惑通りの動きを見せてくれました。ハイラントから遠く離れ、監視まで緩められた箱庭のような場所で、ティム──ラビは実に奔放に動いていた。対して、戦闘の無い安全な場所で内省し警戒を深め、苦痛を抱え閉じこもるヴィクター。しかし、再三に”不穏因子への対処”と指示していたにも関わらず、ケルビンは所感でその項目について触れることはありませんでした。ヴィクターが発作を起こした時も、彼は惑星間航行や統率者としての適正に言及することはせず、航行中に心的外傷の治療が出来ないか模索するような発言すらし始めました」
「そんなの、当たり前なんじゃねぇのかよ? アイツは医者としてあの船に乗ってたんだ」
ハンスがシンに食ってかかるが、シンは涼しい顔をしたまま目を閉じて受け流す。すると今度はロンがテーブルに両肘をついてハンスの意識を誘う。
「ケルビンは全体補佐も兼ねていた。あの環境下で、一人の患者にのめり込むのはいただけない。奴は表向きには任務を淡々とこなしているようだったが、その内心では常に治療ばかりに気を取られていたように見受けられた。だから我々は、最悪の場合はヴィクター本人の”望み”を叶えられるよう、持たせていた薬の示唆までしてやった。だがあろうことか、奴は”アークウェイ作戦の最大目標”であったOSX-9の滞在期間を、ヴィクターのために短縮した。その”対処”は、我々の望むものとは違っていたんだよ」
確かにケルビンは、徐々に自分たちと徐々に寄り添う姿を見せていた──ハンスは記憶を辿り改めてそう思う。だが、エシュロンが望んだのは歩み寄りの姿勢ではなかった。だからと言って──。
目尻を吊り上げ、唇を噛みながら激憤を抑え込み、ハンスはロンを射殺すように睨む。しかし老成した彼女は、それを涼しげに微笑み返して受け付けない。それどころかハンスの様子に目を細め、喉奥で小さく笑った。
「お前がそのように直情的な人物だったという事には、心底驚かされているよ──ハンス・ローワン」
「……あ?」
ロンは突然、慈しむような声でそう言った。その場の空気がわずかに変わり、アトラスの舌打ちが響く。感情の抑制に苦労していたハンスは、虚を突かれたように眉根を寄せる。すると、今度はフィンがふっと含み笑いをこぼした。
「君は、僕らの中では当初”最も注目していない外部出生者”だったからね。それがなんと、イージスを巧みに操縦してクルーたちを帰還させた。だからこの通り、ロンは大喜びなのさ」
ロンのハンスを見る目は、”観察者”というよりも”理解者”の側面を帯びていた。だが称賛を受けているはずなのに、ハンスの反発心はそんな事で拭われない。複雑な彼の表情すら楽しむように、ロンは再び口を開いた。
「──お前は記録だけ見れば、常に誰かに付随する存在でしかなかった。自分の意思で動いているつもりでも、常にアランやエヴァリン、ヴィクターの延長線上にいたんだ。だが──窮地に立たされた今、お前は違う。自分の感情で動いている。怒り、戸惑い、抵抗している。実に興味深い。やはり人間は、負の感情を受けてこそ覚醒する、逆説的な生き物なのだ。……私は今、思いがけず真のお前を観察出来て、非常に喜ばしく思っているんだよ」
「──戯れ言だと言ってるだろう。誰もがそうなるわけではない。じゃあ与えたストレスで生じる不和の精算は誰がする? 小さな不和はやがて負の連鎖となる。発生しうる犠牲の負債は? ……俺らは負の無い世界を創ろうとしているのに、──ロン、なぜお前はそうなんだ」
しかし、彼女の語りに反応を示したのはハンスではなく、その隣で顔を顰めるアトラスだ。彼は即座にロンに反論すると、半ば立ち上がる勢いで身を乗り出す。しかし怒気を含んだアトラスの重厚な声を物ともせず、ロンは鼻で笑って返す。
「可能性が妨げられるのも”犠牲”だろう? お前が提案した”計画的出生者”も所詮は人間だぞ? お前が嫌悪する”負性”を秘めている」
「それを表に出させない環境こそが理想郷だ。──外部出生者の負性すら矯正する環境が完成すれば、人類は知的生命体としての進化を続けられる。そう、誓い合ったはずだろう!」
アトラスはとうとう腰を上げ、テーブルを叩く。ホログラムの動作は勢いがあったが、音や振動は生まれない。ロンは目を細めて彼を見やり、口角を持ち上げる。
「ならば、お前の理想郷は”生きた屍”の群れが成す虚構だ。──ケルビンも、自壊する前に抵抗を示せばもっと素晴らしい能力を覚醒させられたのではないかい? ああ、この実験は──、そう思わせずにいられないほどの結果をもたらした……アトラス、再考の時が来たのだ」
「貴様は耄碌している。誰がこの地球をここまで破壊したのか、まさか忘れたわけじゃないだろう!」
話題の発端である当人を無視して再びロンとアトラスが口論を始める。しかしハンスの耳は、それを篭った音としてしか脳に届けなかった。ハンスは、自分の激情も、意志も、彼らにとってはただの事象のひとつでしかないということに悪寒を覚えていた。……理解が追いつかない。いや、理解したくなかった。これがAIだというならまだ良いのだ。だが、彼らは自らを”人間”と名乗っている──。
「──それで、お話の続きは? 本題に戻りましょう」
だんだんと白熱するロンとアトラスの声を静かに遮ったのは、アランだ。隣でずっと黙って話を聞いていた彼をハンスがハッと見上げると、彼は凪いだ表情でシンやリヴァに視線を向けている。感情が見えないと、余計に彼が”別の生命体”のように思えて、ハンスはすぐに目を逸らす。咳払いと共にアランに応えたのはリヴァだった。
「ケルビンが異例の措置を取った時、私たちの中でヴィクター・ソーンは不適合者となった。不適合者とは作戦に対する評価ではなく、”ハイラントの住人”としての評価。矯正に失敗した外部出生者ということよ。しかも彼は極めて危険な精神状態にあると予想できた。──そのあたりで、私たちとAIの接続に突然、問題が生じ始めたの」
「我々の中に潜む排斥思考、浄化思考、統制思考、興味的思考──全てが混線し、強いものから優先されていきました。結果として、排斥思考が強い信号となってケルビンに送られたわけですが、そこに、”彼を追い詰めた場合どのような結果になるか”という興味的思考もない混ぜになり、拙いコマンドとなった。……OSX-9のことなど忘れ、復路での実験を優先したのです」
「私たちはその間、互いに意見をぶつけ合ったわ。そうこうしている間にレムが通信を無視するようになり、ケルビンとの通信も遮断された。私たちは、あなた達が”排除対象”なのか、あくまで”観察対象”なのか、ずっと鬩ぎ合い続けていた」
「──そして、その隙間を縫うようにして、あなた方は帰還した、……というわけです。つまり、私たちが混乱したことにより、あなた方の復路に歪みが生じた、という事になります。──これが、私たちの過ちです」
互いに息つくタイミングで交代しながら、リヴァとシンが淡々とアランの要求に応えて説明を続ける。眉根を寄せるハンスの隣で、アランはゆっくりとひとつ瞬きをした。
「……つまり、あなた方は感情を抑える必要に駆られ、──こうしてこのような場所で茶会に興じている、という事なんですね?」
「情けないことだけど、まあ、そういう事だね」
冷たいアランの声に、フィンが肩を竦めて応えた。
「だからこうして顛末を話して、何があったのか知ってもらった上で、君たちが帰還後にやったことをチャラにする。これが僕らの条件。──仕方の無いことだけど、君らがハイラントを襲うような形になったのは事実だし、防護壁やイージスの破損は本来許しがたい事だ。けど、お咎め無しでいいし、何ならランク4職員に格上げしてもいい。現職の職員がいるから彼らの補佐役にはなるけど、君らは外部出生者だし、特別枠って感じでね」
エシュロンの瞳が、それぞれアランに向けられる。ホログラムとはいえ、こちらの様子を窺うような表情をする者はいない。五人の誰もが別々の顔で、”次はお前の番だ”と物言わず語っている。まるで自分たちが快く次のプロセスに移行することを当たり前と思っている相手の態度に、ハンスはテーブルを叩いて立ち上がった。
「そうやって、ランクさえ与えとけば納得すると思ってんのかよ?」
「では何が望みなんだ? 俺たちの排除か? 怒りに任せて何がしたい?」
アトラスの煽るような発言に、ハンスは彼を振り返ったが唇を噛む。彼は自分でも何をどうして欲しいのか、問われても答えが出せないでいた。何故なら彼は直接の被害者とは言えない上に、過ぎた時は戻らない。仲間が受けた仕打ちの精算をさせたくとも、その方法が分からない。加えて当事者がそれを望んでいるかも定かではない。一人はもうこの世にはおらず、他の者は自分の罪に苛まれているだけだからだ。彼がここで当たり散らかすように暴れたとしても、それは彼自身の感情でしかない。──ハンスは行き場の無い感情を抑えるように、自分の防護スーツの腹の辺りを握りしめた。
「……もうわかりました。あなた方はとにかく、人間という生き物に絶望していたわけですね。そして、自分たちの”理想の人間”が出来上がるまで、人間に期待などしない。──自分たちも人間であるはずなのに」
そんなハンスを横目にアランは座したまま、静かにエシュロンを見渡した。
「その”理想の人間”に関しても、意見が一致していない。──つまりこの理想郷も美しく堅固に見えて、実は脆い定義の上に成り立つ張りぼてだった」
冷徹なアランの声は、怒りを帯びるわけでもなく、ただ凪いだものだった。しかしその言葉は強く、アトラスがわかりやすく気色ばむように身を乗り出す。アランはそれを一瞥してさらに続けた。
「そうと分かれば、さっさとあなた方に協力して仲間を助けなければ。──次何に巻き込まれるか、分かったものじゃないですから」
「知ったような口を聞くな!」
アトラスの怒号とともに、どこからともなく地響きのような音が鳴る。テーブルが震え、ホログラムのカップが律儀にそれを感じ取り、赤褐色の液体が小刻みに揺れる。ハンスが驚いて辺りを見回すのと同時に、エシュロンたちが次々に立ち上がった。
「アトラス、お願いだから落ち着いて! ──ああでも、アラン・ローワン……あなたは何も分かっていない! 私たちがこれまで何を見てきたか、何を強いられてきたか、あなたは知らない」
リヴァが片手でアトラスの腕を掴みつつ、もう片方で頭を押さえて項垂れる。空間に歪みが生じ始める。ガゼボの外で風が騒めく。だがそれは、ハンスやアランの髪は揺らさない。その中だけは不思議と守られているようだった。
「もう彼は限界です。──信号を断つべきだ。でないと秩序が乱される……理性的でいる事こそ、管理者としての義務。何を言われようと心を乱すべきではありません。彼は、もうそれが不可能になっている。彼は不適合者だ」
シンが外の様子を見渡しながら眼鏡のブリッジを上げる。しかし突然レイヤー・ゼロの温度が急激に下がり、庭園の植物の葉に霜が生まれ、凍りつく。
「いいやアトラス、お前は不適合者なんかじゃない! それでこそ人間の証だよ。我々は体を捨てても人間であることを捨ててない! お前がそうして心を乱すたび、私はどこか愉悦を感じるんだ。もっと私に見せてくれ!」
ロンはどこか狂ったようにシンの言葉を退け、アトラスに語りかける。アトラスは苦し気な呼吸に肩を揺らして項垂れ、彼女の声には応えない。外はみるみるうちに霜に覆われ、やがて白銀の世界に変化する。ハンスやアランの息は白く尾を引き、体は感じたこともない凍てつく寒さに震える。
「ああ、なんてことだ……僕の作り上げた楽園が……誰かこいつらを止めてくれよ、もううんざりだ!」
色とりどりの庭園が白く染まり、見る影もなくなると、その光景を目の当たりにしたフィンが頭を抱える。外の状況はひどくなる一方で、唸るように風が増している。
「お、おい──どうなってんだよ、これ⁈」
「分からない……が、もしかしてこの部屋は彼らの精神と直結した場所なのか?」
どんどん悪くなる状況にハンスの声が上擦る。アランも動揺しつつ、冷静に答える。確かに、外の状況に引きずられるかのように、エシュロンの態度がおかしくなっている。
「もういい! こいつらに何と言われようが、俺らがハイラントを築き上げた事実は変わらない! そして、俺らはお前を利用して一つとなり、今度こそ完全体となる。くだらないエラーに苛まれることのない永遠の管理者となるんだ!」
叫びにも似たアトラスの声に呼応するように、突然、ハンスたちに大量の”砂”が覆いかぶさった。突然のし掛かる重みに耐えきれず、ハンスの膝が崩れ落ちる。唇を噛み締めてそれをかき分け、次にハンスの目に映ったのは、暗い嵐の光景だった。時に点滅するように庭園の姿がちらつき、嵐の轟音もノイズのように途切れる。しかし暗く、一寸先も危うい視界で状況の詳細を見極めるのは不可能だった。
「──ア、アラン⁈ 大丈夫か⁈」
ハンスが体に叩きつけられる砂のような感触から顔を守りながら、何とか声を張り上げる。しかし、返事は無い。
「くっそ……早速巻き込まれてんじゃねぇか! どうなってんだ!」
苛立ちに任せて言葉を吐き出すと、どこからともなく、暗闇で声が響く。暴風の音に紛れているはずなのに、その声がやけにはっきりとハンスの耳に届いた。
「人間は醜い……不浄なものは捻り出してでも浄化しろ……必ず、必ず人間はそれを秘めている……」
「私は決して自分たちの利害で動いていない……そうよね? ……違うわ、違う、違う……」
「ああ、何と醜い……築き上げたものが崩れていく……脆すぎる……」
「人間は感情の支配からは逃れられない! ハハハ、皮肉なものだ!」
「僕の美の結晶が……お前らが、お前らがうるさいからだ……」
風に乗って移動するように、五人の声が重なるように木霊する。彼らの姿はもはや無く、あったとしても暗闇と暴風で確認できない。声の位置もあちこち転移し、ハンスは相手の居処が掴めない。耳を塞ぎたくなる気持ちを抑え、とにかくアランの様子を窺いたいが、返事がない。ハンスは耳の無線機についている小型ライトに触れ、何とか視界を確保しようとした。
「気ィ狂うってんだよ!」
ハンスは飛び交う声を無視し、散っては消える砂に足を取られながらも移動を試みる。小さな光源でわかるのは、白い砂ばかりだ。状況からして、ガゼボが砂となって落ちてきたのかもしれない。暴風にも吹き飛ばされずしぶとく残っている姿は異様に見えた。
風に阻まれながら数歩移動したところで爪先が何かに当たる。ライトを照らせば、そこには蹲るようにして屈み込むアランの姿があった。体の半分が砂に埋まっている。
「おい、アラン!」
肩を揺らして意識を確認しようとするが、びくともしない。アランの体を覆っている砂と思っていたものは岩のように硬く、それが彼の動きを阻んでいるようだ。
「すまない、ハンス。──身動きが取れそうにないんだ」
「どうすりゃいいんだよ、これ⁈ お前何かわかんねぇの?」
アランの意識はあるようで、状況に反して冷静な声が返る。対してハンスは焦燥に駆られて白い塊いこぶしや蹴りで衝撃を与え、破壊を試みるが失敗に終わる。そして、懐に手を伸ばしかけるが、アランにやんわり止められた。
「ハンス、もう少し待ってくれないか」
「は⁈ お前それ、どうにか出来るってのかよ?」
「分からない。……俺自身は分からないけど、体はどうにかしようとしてる。──よく分からない、不思議な感覚なんだ」
会話の間にも、アランの姿は白い塊に埋れていく。ハンスは為すすべなくかき分けようとするが、塊には取っ掛かりがなく、その進行を止められない。そのうち、一際強い暴風がハンスを襲う。耐えきれず飛ばされたハンスはもんどり打つと、離れた場所で呆気なく転がった。
「おい! くそ、大丈夫なんだろうな⁈ ──何か、どうにか出来ねぇか……?」
暗闇に向かって叫ぶが、もちろんアランからの応答は無い。打開策は無いかとハンスが視線を巡らせた時、再び突然の、景色の変化が起こった。
シャットダウンするような音が響いたかと思うと、風も音も、全てが一度に息を止めた。世界が息を吸ったまま二度と吐き出せなくなったような静けさが生まれ、室内灯が照らされる。暗闇に慣れ始めたハンスの瞳が急激な光に閉じられる。反射的にかざしていた手を下ろしながらゆっくりと瞼を開き、周囲を確認する。──そこに広がっていたのは、真っ白で巨大な空間だった。
「なっ──⁈」
白い壁、白い天井。床には白い砂が残骸のように積もっている。まるで姿を消してしまった庭や自然の風景に驚愕しつつも、ハンスは忙しなく辺りを見回した。
「おい、アラン⁈ どこにいる?」
砂をかき分けてどこへと無く足を進めながら、呼びかける。しかしあるのは砂の山で、返ってくる声も無い。焦り始めるハンスの耳に、無線の声が響いた。
『エヴァ、成功したっぽい! 今レムがAI指示を書き換えてるから、もう安全に中に入って来られるよ!』
『ありがとうラビ! そっちはどう?』
『僕は平気! ハンスとアランは二人でエシュロンのところに行ってるんだけど、どうだろう……大丈夫なのかな?』
「俺は、ひとまず無事なんだが、アランが──」
仲間たちの声が聞こえ、ハンスが無線機に手を当てて応えようとする。しかしどうやら何故か、彼の声は無線に乗らないようだった。
『わかった。ひとまずケルビンを医療室に送ったらそっちに向かうわ』
『オッケー! 上層には四番エレベーター使って。動くようにしてもらっとく』
無線の声が止み、辺りに耳鳴りのするような静寂が再び降りる。呆然と砂を爪先でかき分けながら足を彷徨わせるハンスだったが、もはやどこにガゼボがあったのかすら分からない。白い砂の海で、ハンスはとうとう立ち尽くした。
程なくして、砂が徐々に姿を消していく。音もなく何処かへ消え去っていくそれを見て、ハンスは期待に目を凝らす。しかし、一切の砂が消えた広大な空間に現れたのは白い床だけだった。アランの姿は無い。
「お、おい……アラン?」
よろめきながらも一歩ずつ足を進めるが、どこまで行っても白い床が広がるばかりだ。自分以外の何者も存在しない空間に、ハンスはまるで悪夢の中に迷い込んだかのような錯覚を覚える。自分の声も満足に反響せず、誰からの応えもない。彷徨うように空間の中央まで足を進めるが、ハンスはそこで力なく膝をついた。
ハンスは思考を放棄したかのように過去を思い出す。こうして誰からの干渉も受けず、何も無い場所に逃げ込みたいと思う時が多々あった、と。アランやエヴァの先行く姿から目を逸らし、静かに見守るヴィクターには自分を偽り、戦いの悲惨さには心を閉ざす──つい先刻ロンが言った通りだ。彼は感情を揺さぶられることから逃げ、誰かに見守られていることを心の奥底で知りながら、見ないふりをして”一人で”生きようとした。孤独になろうとしていたエヴァと自分は違うと一線を引き、自分は”自立している”と思い込んでいた。
為す術なく項垂れるしかない今、あれだけ前進しようとしていた心が窄んでいく。そうしてハンスは、しばらく虚空を眺めていた。
「──ハンス! アランは?」
無線越しではないエヴァの声が聞こえる。近寄る靴音が、ハンスの意識を現実に戻していく。振り向いた視線の先にエヴァの姿を確認したハンスは、わずかに目を見開いた。
「ちょっと、聞いてるの? アランは? ──ていうか、ここがレイヤー・ゼロ……? 何も無いじゃない。本当にこんな所にエシュロンがいたの?」
肩を掴んで軽く揺さぶりながら問いかけてくるエヴァに目頭が熱くなるような気がして、ハンスは頭を振った。そしてエヴァの手を優しく肩から外すと、自嘲ぎみに笑う。
「エシュロンはいた。奴らはどうやらAIじゃなくて──”性格破綻者”だったらしい。……アランは、──消えた」
「消えた⁈」
エヴァが怪訝そうに眉根を寄せる。そして辺りに忙しなく視線を這わせるが、そこには白い空間があるばかりだ。
「どういうことなの……ハンス」
打ちひしがれるハンスの様子から何かを察したのか、エヴァはかがみ込んでハンスと視線を合わた。何かを覚悟したかのような瞳がハンスを見上げる。ハンスは大きく溜息を吐いて項垂れると、そのまま額を押さえた。
「アランはアランだけど……人間じゃないのは確かだった。──それで、エシュロンがアランを利用しようとして暴走して……嵐が来て、治まったと思ったら……アランが消えてた」
エヴァにとっては要領の得ない説明だったが、彼女はそこから問いただす事はしなかった。代わりに、額を押さえるハンスの手を取って顔を上げさせる。
「──それで、もう為す術なしなの?」
「だって、見ろよ……」
ハンスは空間を見渡した。
「──ここには、何も無い」
ハンスの声は諦めたかのように沈んでいる。エヴァはそんな彼の肩を強く叩いた。
「いって!」
「何も無い空間なんてこのハイラントにあると思う? 何か”仕掛け”が必ずあるはず。──探すわよ」
エヴァは踵を返し、壁に向かってさっさと歩き出す。じんわりと痛みの残る腕を摩りながら、ハンスは摩っている方の肩は銃弾が掠めたのだと思い出す。もうすっかり痛みなど忘れていた彼にそれを思い出させるほど、エヴァの一撃は重かったようだ。
二人は白一色の広大な空間を当てもなく探った。壁を叩きながら歩くエヴァに倣い、ハンスもノックするように壁の様子を探りながら互いに反対方向へと足を進める。空間の半分ほどの壁に異変が無いことが分かったところで、思いもよらぬ声が響いた。
「ハンス、エヴァ」
それは、アランの声だった。二人は瞬時に色めき立ち、周囲を視線を巡らせるが、姿は無い。
「アラン⁈ あなた今どこにいるの?」
エヴァが大声で呼びかける。すると、声だけはそれに応えた。
「すまないが、今そちらには行けないんだ。だが、秘密の場所を見つけた。──協力してほしい」
まるで天から下された声のように、アランの声はどこからともなく響いていた。その声色に焦燥は無く、まるで、幼少期に秘密基地を発見した時のような悪戯めいたものすら感じる。ハンスとエヴァは互いに駆け寄って顔を見合わせる。その表情で、二人は同じ記憶を思い出していると理由もなく悟った。
「わかったわ! どうすればいい?」
エヴァが天井に向かって問いかける。するとアランはくすくすと笑い声を乗せながら、何も無い空間で二人を誘導した。
「ちょうどこの空間の中央あたり……床を調べてみてくれ。ごく小さなハッチがあるはずだ。電子ロックは解除したけど、隙間もとっかかりも無い。強い衝撃を与えて傷を作ったら修復されるはずだから、その隙に工具か何かを介入させて、取手を作れないかな」
アランの指示で、二人は空間の中央へ向かう。位置の微調整を行い、一見何も無い床にハッチの場所の当たりをつける。
「大体この辺で、いいんだな?」
「そうそう。本当に人一人分くらいの円形だ」
「直径五、六十センチってとこかしら……蝶番の位置は?」
「君から向かって左側だね」
「どこから見てるのか知らないけど……だ、そうよ、ハンス?」
「だ、そうよって言われても、強い衝撃ったって……──あ」
ハンスは呆れたようにうなじを掻いていたが、ふと思い出して懐を探る。防護スーツの内ポケットに隠し持っていた、魔除けのヴェリタスだ。
「あんた、それ──」
「悪いが、ありったけ使わせてもらうぜ」
ヴィクターがエヴァを脅す時に使った道具だが、今配慮している暇は無い。ハンスは跳弾する位置を計算しながらヴェリタスを構え、狙いを定める。ほとんどライフル形式の銃しか扱ってこなかったハンスは、短銃の構えに、物理的な軽さに反した重みを感じた。
連続して四発の音が響き、続いて薬莢の落ちる軽い音が鳴る。すると、銃弾を受けたあたりの床が波打つように揺らぎ始め、そこを狙ってエヴァが力強く電動スパナを突き刺した。本来なら床に跳ね返されるはずのそれは、半分ほど床に沈んだ。そして波打つ床が治まると、スパナが突き刺さった状態が保たれる。エヴァは固定されているか確かめるために何度かスパナを揺するが、びくともしない。どうやら目論見は成功したようだ。
「ナイスだ、二人とも。──じゃあ、それを開けて」
言われた通りにエヴァがスパナを引こうとする。が、多少持ち上がるくらいで開ききるには至らない。空になったヴェリタスを懐に戻したハンスは、彼女の手ごとスパナを掴む。二人は合図とともに、力一杯蓋を引き上げた。
重い蓋が開くと、下へ続く細い穴と、梯子用のバーが見える。その先は薄暗いが、何やらチカチカと電子的な光が点滅しているようだ。
「俺から行くぞ」
もう武器は無いが、ハンスは先頭を買って出た。エヴァはひとつ頷いて先を譲る。慎重にバーを掴みながら下り、途切れたところで地面に飛び降りる。ハンスはその場所に一瞬目を奪われたが、後続のエヴァをひとまず介助して下ろさせた。
「な、何なのこれ──?」
エヴァが口元を押さえる。無理もない。その部屋は、実に不気味な様相だったのだ。
広大だったレイヤー・ゼロに比べれば狭いものだが、エヴォリスのハビタットモジュールほどの広さはある。その中央に、円卓を囲むようにして配置された五つの円筒が並んでいる。その透明な筒の中で、気泡を発する培養液に入れられて浮いているのは、ケーブルに繋がれた──脳だ。まるで、先程ガゼボの中で円卓を囲み、茶会をしていた構図のように、五つの脳が黒い球体を囲んでいる。筒と球体はそれぞれ幾重にもなるケーブルで繋がれており、その球体の下部から伸びる数多のケーブルは血管のように床に広がる。そしてそれは壁面を埋め尽くす装置に這うようにして繋がれていた。部屋の奥だけには装置を管理するためのコンソールが敷き詰められ、それらは薄暗がりの中で電子音を鳴らしながら、チカチカと機械的な光を点滅させていた。
「意識集合体……」
ハンスは、エシュロンが名乗っていた言葉を思い出して呟いた。確かに彼らの言う通りエシュロンとは、五人の人物の脳を介して一体化となった存在だった。それが一目見て分かるような光景だ。”これ”が自らの姿をホログラムで作り上げ、「自分たちはあくまで人間だ」と証言していた事を思い出すと、ハンスは吐き気を催した。
「これが、エシュロンの正体だって言うの……?」
エヴァが口元を押さえたまま後ずさる。エシュロンがAIだと思っていた彼女からすれば、これほど不気味な事はない。ハンスもまた、脳がこちらをじっと見ているような気すらして、こみ上げるものを押さえ込むように唾を飲んだ。
「この人たち、どうしたい? このままここをシャットダウンするのは非常に危険だが、AIの指示中枢をここから中央管制室に移すことなら出来そうだ。それでハイラント自体は崩壊を免れる。──けどその後、この人たちは……ここに残されたままになる。今も自我が溢れて有害信号が途切れないんだ。全てが済んだ後、終わらせる事だって出来る」
アランの声が静かに響いた。エヴァは訳もわからずハンスを見上げる。ハンスは口元を引き締めて五つの脳が眠る装置へと一歩踏み出した。
「──俺たちが、決めちまっていいのか?」
「ひとまず対処だけはしないとな。お前たちがこの装置をシャットダウンしたいなら、それも可能だ」
アランの声が初めて、悪魔の囁きのように聞こえる。ハンスは一つ一つの脳を眺めながら、レイヤー・ゼロでの光景を反芻した。
彼らは恐らく、過去に人間の醜い部分を見てきた人間たちなのだろう。思い返せば彼らの言動からもそれが滲み出ていた。そして彼らは彼らの正義で動き、荒廃した大地にここまでの技術を成り立たせた。それを”悪”だと一概に言えるだろうか? ハンスたちは、荒廃した土地で助けられ、技術の恩恵を享受してここにいる。だが、ハイラントが悪ならば、外の世界が正しいのかといえばそれも違う。ハンスは、互いを疑り合い、生きるために血を流し、欲望のままに生きる人間たちのいる外の世界を知っている。戦いのさなかで”外の現実”を目の当たりにしてきたのだ。
「……こいつらには、俺らの今後を見てもらうってのは、どうだ? 出来るなら、だけど」
「”観測者”になってもらうということかい?」
「ああ。こいつら極端だから中枢にするのは問題だけど、”見るだけ”なら……俺らも今後ここで生きてくなら、こういう奴らから見られてるって感覚は必要な気がするし、──俺らが何とか俺らなりに理想郷を維持出来たら、少しは気も治まるんじゃねぇかと思う」
ハンスは天井に向かって呟くようにそう告げた。
「どういう事なのよ?」
身を引いていたエヴァがハンスに小走りに駆け寄る。ハンスは自分を見上げるエヴァに向かって声なく笑うと、小さく肩を竦めた。
「こいつらさ、人間が争って地球を壊したから、争いのない理想郷を作りたかったんだ。で、ストレスでパンクして、暴走してたってことらしい。──だから、こいつらに舵取らせるのはいったんやめてもらって、何とかして俺らでその理想郷ってやつを模索して、こいつらに見せてやるのはどうかって話」
「──よくわからないけど、それって彼らの思惑通りじゃなきゃ破綻するんじゃないの?」
エヴァが片眉を寄せる。するとハンスは挑戦的な笑みを浮かべ、五つの筒を見渡した。
「しないね。こいつらは見ることしか出来ない。──せいぜい、”人間の理想郷とは何か”を解明させるための行動心理実験ってことで、観察だけしといてもらおうぜ」
ハンスの言い様に、アランの笑い声が穏やかに弾む。エヴァは不可解なやりとりに顔を顰めるが、腰に手を当ててひとつ息を吐いた。
「じゃあ、とっとと済ませましょう。私たちにはやる事が山積みなんだから」
「そうだな。──よし、じゃあやるぞ。受信回路だけ残したまま、エシュロンの指示回路を遮断する。──……安心してくれ、絶対に悪いようにはならないから」
最後はエシュロンに告げたものだろうか。アランが宣言し、彼らの処置を進めていく。中央の球体と円筒を繋ぐケーブルが光を失い、電子音が大幅に減少する。気泡を上げる培養液の音が高まったように感じたが、それは単純に音が減ったからだ。
「──さあ、済んだよ。君らは戻ってラビたちに報告だ」
アランの軽やかな声は、別れを含んでいるようにも聞こえる。ハンスは拳を握りしめて天井に語りかけた。
「……お前は?」
「──後で会える」
声だけで、言い聞かせるように穏やかに笑う表情が浮かぶ。ハンスは途端に表情を歪めると、エヴァの手を引いて強引にハッチへと踵を返した。戸惑うエヴァが蹈鞴を踏んで彼に連れて行かれながらも後ろを振り返る。そこには誰もいない。
「ち、ちょっと、ハンス!」
エヴァを無視してハンスは進む。有無を言わさない彼の行動に、エヴァは不安を抱えながらもその背を追う。適当な土台を使ってハッチを上がったハンスは、その先の異変を目の当たりにして立ち尽くした。後から顔を覗かせたエヴァも、その光景に言葉を失う。
二人はそこに、OSX-9で降り立ったような、広大な草原と遠くの青い海原を見た。薄く雲が浮かぶ真っ青な空と、草を優しく揺らすそよ風までが、何も無かった白い空間に出現していたのだ。
彼らにこの場が確かに”地球”であることを物語ってくれるのは、文字通り草葉の陰で蓋を開く、ハッチの存在のみだった。
────
《ランク3医療区:隔離リカバリールーム》
病室の小さな窓越から、星を浮かべる濃紺の空が覗く。銃弾を受けて倒れていたケルビンはゆっくりと目を開き、白い天井の次にその景色を見た。自分の伏せている寝台がエヴォリスのメディカルモジュールかと錯覚するが、すぐに違うと思い直す。──あの部屋には窓は無かった。そして、胸のすぐ下の痛みが彼の記憶を呼び起こす。波のように押し寄せる、イージスでの地球降下作戦、着陸、被弾のシーン。全てを思い出したケルビンは、「ああ、生きているのか」と、ただ思った。
痛みで朦朧とする意識の中、何かうわ言のような事を言ったような気がするが、それは思い出せない。だが、処置室の前の通路にてエヴァと簡単なやりとりをしている際、突然現れた黒い武装の隊員に気づいた瞬間はスローモーションのように覚えていた。相手がこちらの視線に驚き、反射的に銃を向けてきた動作も記憶に新しい。咄嗟にエヴァを処置室に突き飛ばしたが、すぐに熱を感じて動けなくなった。被弾したと悟った時にはエヴァによって処置室に引きずられ、そこから先のことは曖昧だ。
ケルビンは、空調と医療機器の音だけが囁く夜の病室で、シーツから右手を出して天井に翳した。この手で数々の処置をしてきた。その中で、あの忌々しいシリンジの記憶がこびり付いて離れない。人を治すためでなく、処理するためにプランジャースイッチを押した。あのたった一押しの記憶が、彼の手をいまだに震わせるのだ。
不意に、部屋の扉が開く。手を下ろしてケルビンがそちらに目をやれば、入ってきたエヴァが、起きている彼を見て笑顔を浮かべたところだった。
「ケルビン! 良かった、目が覚めたのね」
エヴァは寝台の傍に置いてあった椅子に腰かけると、ケルビンの顔を覗き込んだ。彼女の晴れやかな表情と自分の状況が、ケルビンに”事は上手く運んだのだ”と連想させる。しかし安堵と喜びが生まれると同時に、暗い感情が彼を襲う。ぼんやりとエヴァを見上げながら、ケルビンは静かに口を開いた。
「私は、生き延びてしまったのですか」
酷く声が掠れる。その振動で傷が彼に痛みを主張する。ケルビンはそれを罰のように静かに受け止めていた。
「──まだ、そんな事言ってるの?」
まるで亡霊のようなケルビンに、エヴァは眉根を寄せた。
「…………あなたも私に、”自分を殺せ”って言う?」
「……いいえ」
声を強張らせるエヴァに、ケルビンは小さく首を横に振って否定する。彼女の前で自らの命を軽んじる発言は禁句だと思い直す。そしてそっと口を噤んだ。
「──ハンスたちがエシュロンとの接触に成功したの。で、色々あって……今は束の間の休息という感じよ。だから様子が気になって、少しだけ顔を見にきたの。タイミングがよかったわね」
エヴァは気を取り直すように話題を変えた。よくよく観察すれば彼女の姿はエヴォリスでもよく見た作業着姿に戻っている。それは日常が戻った証だった。
「その後、どうなったのです?──エシュロンは、何と?」
ケルビンに縋るような目を向けられ、エヴァは苦しそうにわずかに顔を歪める。彼にとってエシュロンが全てだったのだと改めて実感する。誤魔化すように苦笑して、エヴァはケルビンに語りかけた。
「……ハンスから全部聞いた。結果だけ言えば、あなたもエシュロンからは全てを知らされる事なく、実験材料にされてただけだった。そのエシュロンも途中から歯止めが効かなくなっていて、──私たちは悪循環に、巻き込まれた形になった……ということみたい」
ケルビンは黙って耳を傾けるだけでその表情を変えない。簡潔に話しすぎて理解が及んでいないのかと思ったエヴァだったが、”実験材料にされた”という情報だけでもケルビンならある程度察する事が出来そうだと思い直す。そしてそこで、彼の感情は全て、後悔の念に押し殺されたのだと直感する。彼の中ではエシュロンからの仕打ちなどもはやどうでもよく、ただ罰されることを望んでいる。その沙汰を下してくれる対象としてのエシュロンに、彼は縋っているのだ。
「あのね、ケルビン。例え、ヴィクター隊長の行動がエシュロンの目論見通りのものだったとして……それでも私のしたことは、”私”の選択なの」
エヴァは穏やかな声でゆっくりと告げる。目を閉じ、頭に過去の光景を思い浮かべるようにゆっくりと話す様は、どこか懺悔のような雰囲気を醸し出していた。
「あの時、──ヴィクター隊長を倒した後……救護よりもアラートを優先した私の判断は、私自身がしたことよ。彼が恩人であると同時に、たった一人の兄を殺した人間だと知って、──正直、暗い感情が生まれてた。あの時、彼を放置した冷酷な自分が、……今でも脳裏に焼きついてる」
エヴァは深呼吸を挟み、黙って聞くケルビンの瞳を見つめた。
「それに、あの時私が救護を優先していたら──違う世界線があったかもしれないでしょ? あなたがヴィクター隊長を手に掛けることも無かったかもしれない」
「──いいえ。……いいえ、エヴァ。そのような事はありません」
ケルビンが上体を起こそうとして痛みに顔を歪める。慌ててエヴァがその背を支え、ベッド傍のスイッチを押してリクライニングを少し起こす。目線が同じ高さになると、ケルビンは小さく礼を告げてエヴァに向き直った。
「私も、同じです。──命を絶つことこそ彼に為せる最善のことだと考えたのは、エシュロンの指示を正当化させるためだった……それは否めません。本当に彼の今後を思うなら、私は医師として、エシュロンに進言するべきだったのです」
「でもそれは、──ランク4職員には誓約的なものがあって、破れないって聞いたわよ?」
「患者を前にした時、私はランク4職員ではなくただ、”医師”であるべきだったのです。そうすれば最善策をエシュロンに伝え、説得出来たかもしれません。しかしそんな事も忘れ、私は勝手に指示に翻弄され、解放されるために従った。──これは、私の意思でした。つまりあなたが救護を優先していようと、私の行動は変わらなかった可能性は高い。……これはお互いに、とても不毛な問答だと思いませんか?」
「──そうね。有りもしない世界線の可能性を探るより、やった事に対する精算をする方が、私たちの未来にとって有益だわ。ごめんなさい」
エヴァが肩を竦めて苦笑する。ケルビンは静かに首を横に振った。
「あなたも、その──……あまり、気負わないで。お互い、背負ってこれからを生きましょう」
真摯な眼差しを向け、エヴァは小さく笑みをこぼした。
「ヴィクター隊長が、せめて苦しみから解放されたのだと──思わずにいられないけど」
そう言って、そっと窓の外の夜空を眺める。エヴァに倣って夜空を見つめ、ケルビンは独り言のように言葉を紡いだ。
「……医師としての私は、願望でもそうは思えません。どんな事情があろうと、本人が望もうと……生きてさえいれば打開の道があったかもしれない。私はその可能性の芽を摘み、永遠に彼から奪ってしまった。例えここに彼の亡霊が現れて礼を言われたとしても、私はそれを受け止める事が出来ません」
穏やかに語られる彼の胸の内は、確固たるものだった。エヴァは彼の生真面目さと自戒の念の強さを危ぶみつつも、どこか尊いものに感じていた。
「──あ、ちょっと待って」
エヴァの端末が振動で通知を告げる。さっと送られたメッセージに目を通すと、彼女はにやりと笑った。
「じゃあ、あなたは今後医師として後悔しないように、彼らに対応してあげて」
その発言とともに再び部屋の扉が開かれる。そこにはエヴァたちに味方した、例の隊員たちが佇んでいた。ケルビンを撃った隊員も含め四人が、武装を解いた姿でそこにいる。ケルビンはその姿を見て瞠目した。
「──あなた方は……」
「彼らね、自分たちが撃ったのがあなただって知って、途中から味方になってくれてたの。イージスで私たちと一緒に籠城してた時は、積極的に周囲を警戒して守ってくれた。あなたを問題なくここへ運べるようになった後も、率先して搬送してくれたのよ」
隊員たちが遠慮がちに入室するのに合わせて、エヴァは立ち上がった。場所を隊員たちに譲ると、ケルビンに軽く手を振る。
「じゃあケルビン、私行くところがあるから失礼するわね。またみんなも様子を見に来るだろうけど……ちゃんと養生するのよ!」
そう言って退出したエヴァは、すぐに歩き出さずにドアの前で耳をそば立てる。中からぎこちないながらも会話が生まれたことに笑みを深めると、軽い足取りでその場を後にした。
《上層区:アークス・ラボ》
「けど驚いたわ。まさかそんな力技用意してたなんてね」
「僕のジャマーがオモチャじゃないって分かったでしょ?」
部屋の中央にあるハニカム型のテーブルから、楽しげな男女の声がする。テーブルの片隅に椅子を並べ、膝を突き合わせる姿は一見すると年若い二人だが、女性の方の年齢は不詳である。二人の間にはバイオミールαが載せられた皿が置かれている。各々それをつまみながら談笑しているのは、ラビとアシェルだ。
管制室での一仕事を終え、彼らはアークス・ラボに戻ってきた。そして戻るなり、見張りで二人と共にいたリュミナを尻目にテーブルに着き、談笑し始めたのだ。溜息を吐くリュミナはさながら引率の教師のようでヘリオの笑いを誘ったが、彼はひと睨みされてそれを引っ込めた。以降のリュミナとヘリオはそれぞれ下との情報共有が忙しくラボに閉じこもったため、ラビたちはアークス・ラボ内で自然と休憩時間を過ごすこととなったのだ。
「エヴォリスが軌道上でハイラント上空に戻る時間を計算し、タイミングを測ってジャマーでAI信号経路に歪みを作る。そこにエヴォリスからレムを介入させてシステム権限を一時的に奪う。──まあよくそこまで、レムを手懐けられたものだわね」
「手懐けたんじゃないよ。僕ら友達だから協力し合ったんだ」
「AIと友達? レムが自発的にそれに従ったというの? ──とはいえレムをハッキングする技術なんて持ってないだろうし……あたしとしては、こっちも充分”AIの暴走”って思うけど、違うのね?」
「もうすぐ来るから、実際会って確かめてみなってば」
二人はぼそぼそとバイオミールを齧りながら会話する。ラビが、一番小さなバッグに潜ませていたものだ。連絡が一段落ついたのか、ラボから現れたリュミナがそんな二人を見て顔を顰めた。
「食事は自室で取れ、アシェル。ここは会議スペースだぞ」
「あら、談話スペースでもあるわ。ちょっとした軽食くらいいいじゃない。ゴミはちゃんと片付けるわよ?」
厳格なリュミナの言い分を、可憐なアシェルの声が一掃する。呆れたように溜息を吐いて追撃を諦めるリュミナの様子から、それが日常的なやりとりという事が窺える。彼女がそのままアークス・ラボから退出しようとした時、目の前のドアがひとりでに開いた。目を瞠って足を止めたリュミナの視界に、丸いシルエットが浮かぶ。自らドアを開けて入ってきたのは、レムだった。
「おひさしぶりです、アークス・ラボのみなさん。はじめましての方はよろしくお願いします。エヴォリス統合AI、レムと申します」
レムは滑るように通路を進み、リュミナの横を通り過ぎる。その際、レンズはしっかりと彼女を捉え、会釈するように上下した。
「来た来た、レムこっち!……ていうか久しぶりって、来たことあるの?」
「わたしの開発に携わったことがある方とは面識があるのです。この場所に来るのは初めてですよ」
「勝手に開けて入って来たの? ──恐ろしい子ね」
ラビがその場で立ち上がって大きく手招きをする。それをレンズに捉えたレムは彼の元へスライドしていく。アシェルはその傍で、レムがセキュリティ権限を一時的に有していることで、全ての扉に介入できることに末恐ろしさを感じていた。
「あとどれくらいシステムに介入していられる?」
「──それなのですが、レイヤー・ゼロとの信号が遮断されたことにより、わたしの介入が許可されたままの状態になっているようです。つまり現在、わたしがこの塔のセキュリティを維持している状態です」
「え、そうなの⁈」
ラビとアシェルは思わず顔を見合わせる。
「ご心配には及びません。通常のセキュリティ状態を再設定し、不要な指示は削除しました。この場所に来られるのもランク権限を持つ方々と、”わたしの友人”だけですよ」
レムの音声は相変わらずAIらしい、抑揚の無いテノールだ。だが発する言葉に温かみを感じ、アシェルは目を細める。
「AIが人間を”信じる”なんてこと、本当にあるのかしら。信頼度を蓄積し、主人を自ら選ぶことも……」
「でも本当に、ハッキングとか改竄とかしてないんだよ。──アークウェイ作戦中の往路では人間同士の僕らにも距離はあったし、君らだって一応、ただの管理者から協力者になってくれたわけだから、──つまり、そういうことなんじゃない?」
「よくわからないわ。あたしたちは単純に、経過観察の延長線上で結果的に協力する形になっただけだから」
ケルビンやリュミナのようにステレオタイプなランク4職員と異なり、アシェルは言動だけ見れば自由だ。だが根本の部分は確かに二人と変わらないらしい。ラビは肩を竦めると、座したまま身を屈め、レムのレンズと視線を合わせた。
「──それで、じゃあ……エシュロンの正体、どこまで分かった?」
声を潜め、悪戯な笑みを浮かべる。レムは少しの間LEDを黄色く点滅させると、アシェルを一瞥するかのように一瞬だけ小さくレンズを動かす。そして、明らかにボリュームの下がった声でラビに答えた。
「簡単なプロフィールは発見しました。戦前、政府や権力者たちによって進められていた”地下都市計画”に携わっていた研究者や技術者たちだったということです。権力や利権に翻弄され、不当に淘汰される優秀な人材を憂い、危機を覚えた者たちが、互いに手を取り合い同盟を組んだ──それが、”エシュロン”という存在のようです。ですが、彼らがハイラントを生み出してからの詳細なアーカイブについては厳重なロックがかけられているため、開示するには時間が掛かります。唯一すぐに判明したのは、”腐敗した楽園を人間の理想郷に”という彼らの標語のみでした」
「え、じゃあ──エヴァが言ってた、”脳だけで生きてる”っていうのは本当だったんだ……」
「明確にどの時点から”戦争によって地球が半壊した”とするのかは明記されていませんが、少なくとも百年以上前の人間であることは確かなようです」
身を寄せ合って小声で話す内容が、すぐ傍にいるアシェルに届かないはずもない。彼女は頬杖をついてぼうっと会話を耳に入れながら、虚空を見つめるようにレムの頭部を眺めた。
「別にエシュロンが何なのかなんて考えた事も無かったけど──、人間だったって言われるとそれはそれで、違和感を覚えるわ」
ラビは彼女の呟きを聞き、同感だ、と頭の中で独りごちた。彼自身、このような状況になるまでエシュロンについて、その正体を追求しようと思ったことすら無かったからだ。単純に”ランク4より上の存在”という認識しなかく、ただそれだけだった。
しかし実際にどういう存在だったのか知ると、このハイラントという最新技術の詰まった美しい塔も俗悪な雰囲気を醸し出す。両親が遠い地で暮らす、あの屋敷とこの場所が同等なものにすら感じられたような気がして、ラビはその思考を振り払う。
「──でも僕、なんか分かっちゃうな」
気を取り直すように背もたれに寄りかかり、溜息混じりにラビは言った。
「好き勝手やる人に逆らえなくて、結局好き勝手されるしかないってさ、──結構苦痛だよ。そういう人たちなんか放っておいて、賢い人たちでうまくやっていこうって思うのは、わりと自然な気がするし」
レムを見ていたアシェルの瞳がラビの方を向くと、視線が交わる。そしてしばし沈黙がその場に下りた。レムはそんな二人に向かって交互にレンズを動かし、黙って様子を窺う。体勢を変えぬまま先に口を開いたのはアシェルだった。
「……あなた、アークス・ラボに来なさいよ。こうなった今、誰にその許可を貰えばいいかわからなけど、──あたしの部下として働かない?」
唐突な申し出に、ラビは目を丸くした。しばしの脳内処理を終えると、唸り声を溢して頬を掻く。困ったように眉尻を下げて俯き、瞳を彷徨わせた後、彼はアシェルに向き直って苦笑した。
「でも僕、本来RESセクターの人間だし……次やりたいのはOSX-9で採取したサンプル解析だし……君の部下はちょっと……」
「じゃあ、生態循環主任を紹介するわよ? そしたらサンプル解析にも携われる。──ああでもあなたは、人の下で働くのには向かないかしら?」
最後に揶揄うように微笑まれ、ラビは眉根を寄せて小さく口を尖らせる。そっぽを向いた先で、レムが彼を見上げていた。
「良いお話なのでは?」
「──そんな話は後、後! だって、サンプルはほとんどエヴォリスに残ったままだし、もう一回取りに行かなきゃならないだろ? その前にエシュロンとの接続が切れたハイラントをどうするかって話もあるし、問題は山積みなんだ」
レムが後押しするも、ラビは片手を振ってそれを退けた。そして、中央のシャフトに視線を移す。その先に居るだろう人物に想いを馳せながら、かすかな溜息を漏らした。
「そう、”問題”は、山積みなんだよね──……」
《最上層:レイヤー・ゼロ》
青空の下、青々とした草原にハンスは寝そべっていた。──レイヤー・ゼロだ。心地いい風と草が頬を擽るなか、手足を広げて目を閉じる。彼はそうして、ひたすらその時が来るのを待っていた。脳内で、つい先ほどまでの出来事を思い返しながら。
エシュロンについてひとまずの片がついた後、治療を終えたハンスはエヴァと連れ立ってまずイージスへと向かった。そこにあるアランやヴィクターの遺体を搬送するためだ。移送車で慎重に塔まで運び、一階の医療区画の片隅へ。そこから地下にある医療隔離室へと運び、二つのケースを医療監察官に預ける。正確に冷凍処置されたヴィクターの死因は既に明らかだが、アランは違った。結局死因はわからぬまま、狭い医療廃棄物用のクライオケースの中で膝を抱えるようにして押し込められている。
アランの検死を求めると、医療監察官はバイオスキャンの装置にかけると言った。解凍が危険なため、そのままの状態で体内の情報を読み、AIに再構築させて死因を解明させるのだという。数ヶ月もの間冷凍保存されたまま解明出来なかった死因は、ものの十数分で彼らに告げられた。
「突然の心室細動──発作を起こしたようです。心筋細胞に異常な電位パターンが残存しており、QT延長傾向が再現されました。これは長期の潜在的疾患です。おそらくご本人も知らなかったことでしょう。……苦しむ間も無かったはずですよ」
結果を知らされたハンスとエヴァは、ただ義務的に、それを受け止める事しか出来なかった。例えば彼の地で、何か外的要因を受けて誘発されたのではないかと疑うことも出来る。だが二人の記憶の中のアランは、エヴォリスでの往路を楽しんでいた──それが何かの予兆だったのか、とも思わずにいられない。
持病を圧してでも宇宙へ行きたがったのはアランのエゴで、それを止めれば良かったと今更後悔するのも、彼が一時でも望みを叶えられて良かったのだと思うのも、残された側のエゴに過ぎない。二人はその後の処置を医師に任せ、静かにその場を後にした。二人の遺体はひとまずその場に保管される。その後の事は、また仲間と相談だ。
「──結局、あのアランはどういう存在だったのかしら、ね……」
白い廊下を進みながら、ハンスの隣でエヴァが呟く。塔内をほとんど荒らしていないので、周囲には既に日常の生活が戻っていた。通りすがる人々は、役職別にそれぞれ一様の格好で、それぞれの場所へ移動している。一人で歩く者や、二人連れ立って談笑する者など、様々だ。ハンスはその光景を眺めながら、「ああ」と曖昧に応えた。
「……でも、本当に、アランは──」
エヴァはそこで言葉を詰まらせ、短く深呼吸をして立ち止まった。ハンスが、そんな彼女につられて後から足を止めて振り返る。エヴァは吹っ切れたように微笑むと、真っ直ぐハンスを見上げた。
「私、ひとまず着替えてから……ランク3医療区へ行くわ。ケルビンの様子も見たいし。──あなたは、”アラン”を待ったら?」
「え?」
不可解にも思える提案に、ハンスは眉を顰める。エヴァは両手を腰に当て、少し状態を屈めるようにしてそんなハンスを覗き込む。
「聞き間違いじゃなければ、”後で会える”って言ってたと思うけど? ──私も諸々済んだら行くし、……先に行っててよ」
ハンスは彼女の視線に僅かに身を引き、口を小さく開閉させる。地球降下作戦中はあんなにも頼もしかった彼が、ここに来て萎んだように勢いを無くしている。エヴァは苦笑して彼の肩を叩くと、そのままスタスタと通路の奥へと消えていった。
取り残されたハンスは考えあぐねいたが、結局行く当てもなく、再びレイヤー・ゼロへと舞い戻った。あれだけ苦労した道のりを難なくパスして最上層へ足を進め──そして今、こうして寝そべったまま、まるで悠久にも感じる時間を過ごしているのだ。
ハンスは目を閉じ、精巧に再現された自然の音を聴く。大地に身を預けていると、荒廃した地上も、ハイラントも、エヴォリスやフェリス、ストルム、アンネルで過ごした宇宙での生活も、──OSX-9も……全てが夢で、目を開けて見える自然の光景こそが本物なのではないかと思える気さえした。
「やあ、待たせたね──ハンス」
突然頭上から下りた声にハンスは開眼し、飛び起きる。上体を起こした彼の視線の先、数歩離れた場所に──アランが立っていた。防護スーツに身を包み、遠い海原を背景に微笑をたたえている。共にこの場所に初めて訪れた時と同じ姿で。
「──お前は本当に、……”アラン”なのか……?」
つい先刻に遺体を運び、死因を聞いたハンスは、目の前のアランが信じられない。銃弾を受けて復活した時よりもさらに強く、目の前の存在に対して違和感を覚える。自然と声が慄き、棘さえ帯びる。アランはそれを見て、どこか哀しげに眉を下げるだけだった。
「そうだよ。──アランだ」
「嘘つけよ! じゃああの遺体は何なんだ? 俺はさっきお前の死因だって聞いたんだ。あっちが偽物だったっていうのか?」
ただ自分を”アラン”だと静かに告げる”彼”に、ハンスの表情が歪む。遺体のアランと目の前のアランを別個体と認識しながらも、ハンスは”アラン”に対して問い詰めた。
その”アラン”は小さく笑うと、静かに海を振り返った。そして背を向けたまま、独り言のようにハンスに語りかけた。
「今まで本当に、俺自身も何がどうなっているのか分からなかったんだ。……”俺”は”俺”でしかなかったし、記憶もあった。自分の遺体を見ても、それをお前たちに問い詰められても、──俺は自分は自分だとしか思えなかったんだ」
ハンスもまた、静かにそれに耳を傾ける。彼にとっても結局、目の前の存在は”アラン”でしかないのだ。
「──でも、さっきな、レイヤー・ゼロと一体化した時に……”知らない記憶”を思い出したんだ。──夢のようなスライドだった。暗い宇宙空間を漂ったり、水の真ん中で空を見上げたり、木に紛れたり……不思議だった。綺麗な景色だったが、俺は、どこか寂しさも感じられた」
淡々と述べられる言葉の中に衝撃の事実も混ざっていたが、ハンスは口を挟まず沈黙で先を促す。アランはそんな彼を肩越しに一瞥したが、再び前に向き直った。
「しばらくしたら、空に光が見えた。それはどんどん近づいて、目前までやって来た。見慣れなくて、興味が湧いて、隙を見て中に入ったら、目の前に何かが倒れてた。そしたら有り得ないぐらい視界が歪んでな。──気がついたら俺は、目の前に倒れた自分を見下ろしていた」
まるで、静かな悪夢だ。──とハンスは思った。目の前のアランから語られる話はセルの中で見た悪夢のようにとりとめがなく、現実味に欠ける。だが不思議とそれが、真実なのだと分かる。原理は分からないが、何故だか理解出来るのだ。
「そこでまたシーンが飛んで、俺はエヴァに呼び起こされた。──”ああ、夢を見たんだ”と思ったが、俺は自分の体が普通じゃなくなってるのを実感してた。銃も効かないし、さっきまでは──何も無い空間で、お前たちを導いていた」
アランが振り返る。その表情は確かにアランだ。違和感も何も無い──ハンスは直感的にそう思う。今のアランがアラン為りえないのは、生命としての根源が異なる存在となっているからだ。だがそれは同時に、今のアランが精巧な偽物である可能性も物語る大きな要因だった。
「けどな、俺は──お前とエヴァと……三人で過ごした日々を覚えてる。ハイラントに来る前、お前がエヴァに揶揄われて泣いて、エヴァが呆れながらも慰めて、俺がそれを見守る──そんな日常すら覚えてるんだ。あの秘密基地で、空を夢見てた──自分のことも。俺は、どうしても何かしらの形で空を飛んでみたかった。そうすれば、もっと自分の可能性が広がると思ったんだ。……リフレクションタイムの行動傾向を見たエシュロンから作戦の打診があった時も、ほとんど二つ返事で快諾した。俺は誰を巻き込むことになっても、パイロットとして空に出るつもりだった──たったひとつの、夢を叶えるために」
アランが必死に訴えかける。その中に混じる彼の本音は、ハンスも初めて知るものだった。だがそこまでの執着は、生前のアランの行動からも窺えた。あの時ひとつも語られなかった本音が、今ここで初めて吐露されている。ハンスは途端に目に熱を感じた。
「もう、いい。──結局俺も、どんなに考えても、お前はお前だとしか思えないから、それで……いい」
ハンスは低い声でそう言ってアランの言葉を遮った。しかし、無造作に折り曲げられた両膝に肘をつき、額を抑えて俯くと、静かに肩を震わせる。アランはそんな彼を茫然と見下ろした。
「──……でも、ずっと……どうしてもどっかで引っかかってたんだ。……お前がアランらしい事するたびに、──”本当にアランはこうしたんだろうか”って……」
ハンスから吐き出された掠れ声が、風に乗ってアランの耳へと届く。声を殺して俯くハンスに、アランは何も言うことが出来なかった。ただ息をするのも忘れ、ハンスを見下ろして佇むほかなかったのだ。
しかし、程なくしてハンスは軽く目を擦ると顔を上げた。赤くなった目元を引き締め、真っ直ぐにアランを見上げる。過去にそんな風に、覚悟が決まったような瞳を向けられた記憶のないアランは、思わずたじろいだ。
「だから、正直俺は、……素直にお前を”兄貴”だとは思えない」
「──そうか、……そうだよな──」
「でも、──お前は”アラン”だよ、絶対。……すげぇ矛盾してるけど」
ハンスの拒絶に思わず胸を抑えて視線を逸らし、受け入れようとしたアランだったが、同時に放たれた言葉に思わず顔を上げる。いつの間にか立ち上がっていたハンスは、ぶっきらぼうにアランに手を差し伸べている。アランがおずおずと手を伸ばしてその手を取ると、力強く握り返された。
「──仲直り、出来た?」
突然背後から発された声に、二人は肩を跳ねさせて振り向いた。いつの間に入り込んだのか、勾配の陰からエヴァが顔を覗かせている。ハンスとアランは互いに焦ったように目を丸くした。
「エ、エヴァ……? いつの間に……」
「アランが向こう向いてる間にね」
「──お前、汚ねぇぞ! 聞いてたのかよ⁈」
「また昔みたいに、慰めてあげなきゃいけないと思ったけど……大丈夫だったみたいね」
狼狽するハンスとアランを尻目に彼らに近寄ると、エヴァは二人の握手する手に自らの手を重ねた。そしてハンスに不遜な視線を送った後、アランを見上げる。その顔つきは、どこか幼い。
「──戻ってきてくれてありがとう、アラン」
エヴァの安堵し切った笑顔がアランの瞳に反射する。彼女の素直な声が後押ししたのか、アランの頬を涙が一筋伝う。ハンスとエヴァは顔を見合わせると、そんな彼を同時に見上げた。ハンスはどこか苦笑するように眉を上げ、エヴァは綻ぶように笑う。
「私たち、これからやり直すっていうのはどう? 随分すれ違ってきたでしょう?」
「おい、それお前が言うのかよ」
幼い頃とも違う二人の気のおけないやりとりに、アランはとうとう、弾けるように吹き出した。
───
《X年後:ハイラント防護壁内発射口付近》
白いスペースプレーンが地面を割って姿を表す。防護壁に囲まれた広大な荒野で、白い機体が太陽光を反射させる。防護壁ではその輝く姿を眺める隊員たちの姿がちらほら見える。もの珍しげな周囲の視線を尻目にエアロックが開かれ、そこから乗り込むのは五人のクルーたちだ。同じようなスマートスーツを身に纏い、足取り軽く通路を進む者もいれば、確かめるように床を踏み締める者もいる。
彼らは緊張を携えながらも、どこか楽しげに会話を交わしていた。コックピットに集合し、出発前のひと息といったところだろうか。その中には一体の、丸みを帯びた小さな機械も混ざっていた。
「はあ、ようやくこの時が来た! まさかまたこのメンバーで行けるとはね」
プラチナブロンドの巻き毛が特徴的な青年が、慣れない手つきで眼鏡を外して懐にしまう。それを目にしたツーブロックにマンバンスタイルの青年が盛大に顔を顰める。
「お前、まだその面倒臭ぇ悪あがきやってんのか?」
「──それ、僕以外にも効くやつだからね」
巻き毛の青年が目を細めて後ろを振り返る。するとその先で、黒髪のオフセンターパートをきっちり整えた人物が、静かに眼鏡のブリッジを上げた。
「いえ、私の場合はもう──これが精神安定剤のようになっていますので」
そう言って微笑む彼の隣で、ブルネットを顎のあたりで切りそろえた女性がくすりと笑う。
「あらそれ、悪あがきだったの? 別にかけてようがなかろうが、どっちも変わらないと思うけど」
「さあ、そろそろハーネスを締めてくれ。レム、君はこっちな」
そんななか、操縦席に座したブラウンの短髪の人物が振り返る。そしてひとりひとりの顔を眺めた後、傍にいた小型の機械を持ち上げてコンソール付近に接続した。
「わたしは自分でボディを収められますよ」
「こっちの方が早いだろ?」
頭部のレンズを小刻みに動かしながら訴える機械に対し、操縦席の男は事もなげに笑いかけた。
「ねえハンス、操縦席じゃなくていいの?」
「俺はミサイル回避専用操縦士だからな」
「じゃあ降りてもらってもいいのよ? 置いてきたサンプル取って帰ってくるだけなんだから、戦闘員なんていらないでしょ」
「うるせぇぞエヴァ、俺は副操縦士として乗ってんだよ。──それを言うなら、行って帰ってくるだけなんだから、医者だっていらねぇだろ?」
「とんでもない。どんな場所に行くにせよ、医者は居るに越した事はありませんよ」
「ケルビンの言う通り。じゃあさ、帰りはハンスが操縦してよ。アクロバット付きで」
「非常時以外のアクロバット飛行は推奨できませんよ、ラビ。採取サンプルとともに安全に帰還することが最優先です」
発射準備が進められる中、コックピットには自由な会話が行き交う。そんな声に耳を傾けつつ作業をしていたアランは、背中の光景を思い浮かべ、噛み締めるように笑った。
『発射カウントダウンのタイミングを』
「了解、五分後でいいよ」
管制室からの通信が届く。その男の声に、エヴァは小さく目を瞠る。アランが通信に答えると、HUDに表示された時間がカウントダウンを開始した。機体の準備が進むにつれ、機械音が重なり、徐々に高められていく。あと一分半というところで、また通信が入った。
『みなさん、ご無事で。──エヴァ、気をつけて』
名指しされたエヴァが苦笑すると同時、クルーたちの目が一斉に彼女に向けられる。真っ先に口を開いたのはラビだ。
「何今の! 誰⁈ 恋人?」
「──まさか、そんなわけないでしょ」
面倒そうにやり過ごそうとするが、ハンスやアランに加え、ケルビンまでもが興味深げに視線を寄越すので、エヴァは肩を竦めた。
「アークウェイ作戦前に食事に誘われたことがあるってだけよ。今はもうランクで行動区域が縛られてる訳じゃないから、断る理由が無くってね。適当に躱してるところなの」
「え、じゃあ脈なし?」
「そ。だってあいつ、私が髪の毛切ったの見て、”長い方が似合ってた”とか言ったのよ? 論外の男だわ」
顔を顰めるエヴァに、ラビが「うわぁ」と同じような顔をする。アランは堪えきれずに笑い声を上げ、ハンスは強気の姿勢のエヴァを半眼で眺める。
「──それは、何とも……デリカシーが無い、と言うんでしょうか?」
後部シートから、ケルビンが呟く。その、らしくない発言を耳ざとく受け取ったハンスとラビが顔を見合わせる。しかしそこで発射時間が迫り、クルーたちが前に向き直る。
「改造イージスの実力はどんなもんかね?」
「携わった身としては、”大丈夫”としか言えないわ」
ハンスとエヴァの応酬に、レムの声が重なった。
「皆様、これより垂直発射加速に入ります。機体は垂直上昇の後、加速モードに切り替わります。シートベルトをしっかりお締めください。手荷物はお持ちではありませんね? お持ちの場合は懐へお仕舞いください。──発射まで二十秒。ご搭乗ありがとうございます。──エヴォリスへの快適な旅をお楽しみください」
そして、カウントダウンが開始された。
三、二、一、────
砂を巻き上げ風を起こし、イージスは颯爽と飛び立った。機体は加速を続け、地上の景色は徐々に小さくなっていく。雲を突き抜け青い世界に飛び込めば、大気圏という障壁が彼らを待ち受ける。五人の視線は今や、一斉にその先の宇宙へと向けられていた。操縦桿を握るアランも、それは同じ。
──宇宙に飛び立つ彼の瞳にはやがて、青い惑星が映し出される。
”星々”は、そんな彼をただ見つめていた。
長いお話ですが、もしここまでお読みいただいた方おりましたら感謝です。
人生において物語を作って完結させるという行為を初めてやり遂げました。色々パンクしそうになりながら仕上げましたが、今後誤字脱字修正などに加え、表現の修正などさらっと行うかもしれません笑
色々勉強にもなり、楽しくもありました。ありがとうございました。




