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Phase_09:THE MIRROR ①

カクヨム掲載作品です。

本文の字数制限が70000字までということなので、二つに分けて投稿しています。

地球から約八百キロメートル地点。深宇宙を旅した彼らからしてみればその距離は儚く、窓から覗く青い地球は既に間近で発光するように佇んでいる。ほとんど一年ぶりの帰還となるが、クルーたちにはその実感が無い。冬眠の連続、目的地であったOSX-9が地球と酷似していたこと、そして復路で連続した事件──彼らの感覚を狂わせる要因はいくらでもあった。


 レムが傍受したハイラントの情報によれば、相手はエヴォリスの観測状況を読みながら迎撃態勢を取っている様子だという。使われた事の無い地対空ミサイルの調整や、DEFセクター隊員の配置など、各所に出されているコマンドの履歴が確認されたようだ。その際、ミサイルが切れれば戦闘機の出動も有り得ることも判明した。当たり前だが相手は敷地内への侵入を防ぎ、空中線にてこちらを撃破したいらしい。設備内の損傷は必ず防げ、との号令が出されているようだ。つまりミサイルを凌いだら即刻、ランディングを行わなければならない。データ上ではあるが、予想が現実味を増していく。これからさらに地球から四百キロメートル付近まで接近すれば、いよいよ降下作戦は決行される。


 エヴォリスは一時的に現在の低軌道を周回し、最終調整に入っていた。具体的な突入ルートや滞空プランをシミュレーションし、身辺整理を行う。その際議題に上がったのは、イージスに移送するものについてだった。


 イージスの損傷リスクを考慮すると、必要物資以外はエヴォリスに残し、後に回収する方法が安全性が高い。回収したサンプルは未来の人類にとって一縷の光明になる可能性がある。エシュロンの正体や思惑は不明だが、ハイラントの技術力がある以上、サンプルは死守する必要性がある。たとえもしイージスが大破する結果となったとしても、エヴォリスに保管しておけば有人探査の結果は残せる。ハンスたちは話し合いによって、サンプルはひとまずエヴォリスに置いていくという結論を出した。


 問題は、──アランやヴィクターの遺体だった。”最悪の事態”を考えれば、遺体とはいえ彼らをそれに巻き込むのは忍びない。しかしエヴォリスに残したとて、自分たちが居なければ彼らは宇宙に棄てられる可能性すらある。彼らは一通りの作戦をまとめた後、ラウンジにて頭を悩ませていた。


「お前がここに居て、お前の遺体の話ってのも……現実味に欠けるんだけどな」


 医療室で例のクライオケースを目前に、ハンスが呟く。ケースの蓋は開かれていないため、その中身は見ることが出来ない。解凍は損傷の危険性があるのでヴィクターと同様の保管が不可能なそのケースを、”アラン”はただじっと見下ろすだけだった。ハンスはそんな彼を横目に、ケースに軽く指先で触れる。復路での騒動を乗り越えた今、ハンスは錯覚したくなっていた。あの中身がアランの殻を被った”何か”で、傍に立つ人物こそ本物だと。だが、そう思い込むことは出来ない。理由は、ラビの解析結果が示していたからだ。当の本人はこの件の事になると困惑するばかりで、真相は未だに不明のままだ。彼の反応は終始、何故自分の遺体が存在するのか本当に分かっていない様子だった。


「──私は、遠い宇宙に残して行きたくはないと思っているけど……、最終的には、一番関わりが深かったあなたが決めてもいいんじゃないかしら」


 今では落ち着いた様子のエヴァもハンスと同様、アランに対して曖昧な喪失感を拭えないでいる様子だった。静かに佇むクライオケースは、物言わずただ残酷な現実を示すのみだ。ハンスやエヴァに対して「隣にいるのは偽物だ」などと訴えるわけもない。希望的観測に縋りながら、一方では現実をしっかり理解してしまっている──そんな、バイアスの間で揺らぐ感情を、特異な状況が成立させていた。


「……連れていく。アランは空を望んでたけど、そこで散りたかった訳じゃない。隊長だって……安息の地は地球だろ」

「──ですが、万が一のことがあれば……」

「俺が、連れてくから」


 慎重なケルビンに、ハンスは再度、自分にも言い聞かせるように宣言する。本人の前で本人の気持ちを代弁するのも奇妙な話だ──ハンスは心の中でそう独りごち、軽く笑った。




 物資や武器──諸々のイージスへの移送が開始される。エヴァは持ち込む工具を入念にチェックし、ラビはラボの管理を徹底する。彼は大まかなサンプルをエヴォリスに残す決断に同意したが、いくつか細々としたものはやはり地球に持ち込むようだった。その証拠に、彼の雑多なパーソナルケースの中には小さなエアロックボトルがいくつか詰め込まれていた。


 ケルビンも一見冷静に自分の準備や設備チェックを行なっていたが、緊張感を帯びているのは確かだった。彼がふとした瞬間に見せる神妙な面持ちがそれを物語っていた。彼は、ハイラントに戻れたとしても、その先の事実と向き合う必要がある。これまで順調に進んできたであろう彼の人生にとって、恐らく初めての葛藤になっているのだろう。


 そんな仲間の様子を眺めながら、ハンスはヴォルトストレージへ向かう。武器の性能チェックやバッテリー、自らが戦うために使用するものを確認し、ケースに詰めていく。これまで彼が何度も地上で行ってきた事前準備と作業は変わらない。しかし、その心境は全く異なっていた。彼は今、単なる部隊の一隊員ではない。味方を守りながら先導しなければならない唯一の存在なのだ。


 ふと、息が詰まるような作業を黙々と行っていたハンスのもとに、アランが現れた。顔を覗かせるようにして足を踏み入れた彼は、「手伝うよ」と穏やかに微笑む。ハンスは手を止めてそんな彼を、凪いだ表情で見やった。


「──こっちはもう終わる。自分の準備でもしてろよ」

「俺はもう終わったから、手持ち無沙汰なんだ」


 ケースの蓋をロックしながらハンスが言うと、アランは両手を軽く開いて肩を竦めた。


「なんだか、そうしてると本当に──お前は軍人だったんだなって改めて実感するな」

「OSX-9でも武器装備してただろ」

「あの時は、持ってただけだっただろう」

「──お前にも銃向けたし。……まあ、テーザーだけど」

「ああ、まあ……それはそうだが、俺もあの時は混乱してたから」


 会話を繋げて去ろうとしないアラン。ハンスは小さく息を吐くと、ケースを配送ルートに送って立ち上がり、アランの脇をすり抜ける。


「どこへ行くんだ?」

「……隊長の部屋」


 ストレージを出ていくハンスの背中にアランの声が掛かる。ハンスは振り返らずそれだけ言うと、さっさと歩を進めてしまう。アランが追従してくる音を聞きながらポッドへ向かうと、ハンスは何も言わず乗降スイッチにに触れた。


 結局二人は肩を並べてヴィクターの私室を訪れた。ハンスはそこで、置かれたままとなっている彼のパーソナルケースから例の短銃──ヴェリタスを手に取った。アランの視線を背中に受けながらも、細かく傷が入って色あせた銃身を眺める。そしてそれを追加していたホルスターに収めると、ケースを閉じて立ち上がった。


「持って行くのか、それ?」

「──形見の魔除けだ。……いいだろ、別にこれぐらい」


 アランの問いかけに、ハンスはホルスターを軽く叩きながら悪戯な笑みを浮かべた。しかしすぐに口角を戻すと、直向きな瞳でアランを見上げる。アランが身構えるように軽く身を引くと、ハンスは静かに言葉を紡いだ。


「……気持ちの整理をつけるなら、お前の事だってはっきりさせてぇところだが──そっちは、全部に片が付いてからだ」


 そして、すれ違いざまにアランの肩を軽く叩き、そのまま部屋を退出する。アランは叩かれた箇所に手を触れ、黙ったままその背を見送ろうとする。しかしそれを許さないのもハンスだった。


「ぼうっとしてんじゃねぇよ。言っとくけどお前だって副操縦士なんだからな? ちゃんと補助してくれよ。──行くぞ」


 振り返ったハンスは、どこか面倒そうな、それでいて素直さも滲ませるいつもの表情に戻っていた。彼はその目でアランが面食らったように小さく驚く姿を見ると、郷愁に駆られつつも、アランを促す。彼が何者であろうとも、今のハンスにとっては支えである事──それは確かな事実だった。





 こうして、満を持してエヴォリスは移動を再開した。地球より四百キロメートルの周回軌道へと辿り着くと、高速でその周囲を移動する。雲間やそこから覗く陸地が瞬く間に景色を変え、地球の陰影いよって昼夜が目視可能となる。スマートスーツを纏ったハンスたちは、緊張の面持ちでイージスへと移動して行く。エネルギー節約のため、重力装置は切られている。そのため無重力状態の船内を移動しながら、クルーたちはコックピットへと収まった。


 操縦席に座ってハーネスを締めるハンスの口は自然と引き結ばれている。操縦桿やコンソールを確認しながら、口の渇きを抑えるように鼻で呼吸する。肩や胸がそれに合わせてゆっくりと大きく上下する。


「これよりエヴォリスの軌道をハイラント上空に合わせます。タイミングを見計らい、イージスの降下カウントダウンを始めます。大気圏を突破する間、エヴォリスはハイラント上空に移動します。核融合エンジンの冷却状況にも左右されますが、その場に留まれる限界時間は最大十分前後です。その間、わたしはエヴォリスの目を使用してハンスを援護します」


 操縦席と副操縦席の間に収まったレムから、淡々と行程が告げられる。そのレンズはハンスに向けられており、ハンスはそれを一瞥して片方の口角をわずかに上げた。


「俺は垂直降下で大気圏を最短で突破後、ブレイクして高高度保持したままハイラント上空へトップスピードで移動する」

「わたしが発射されたミサイルの情報と、回避誘導を行います。ハンスはそれに従って回避行動をしてください。ですが、目視での警戒も必要です」


 静かな空間で一人と一体の会話が連なるなか、その後方から新たな声が次々と加わった。


「死角の情報は後方のカメラとモニターを繋いであるから、大気圏突破後にそれが生きてればこっちで見えたものは都度伝えるわ。ラビ、ケルビン、あなたたちもよろしく」

「でも僕、距離とか即座に分かんないよ」

「見えたら伝えてくれるだけでいい。そしたら、俺のほうでも情報を補填しよう」

「窓からの目視も怠らないようにしましょう」


 あくまで冷静に受け応えするエヴァやケルビンの間で、専門分野外の事に不安げな様子を見せるラビ。それにはアランがしっかりケアを入れ、クルーの団結は確かなものとなっていた。


「いいか、スマートスーツとG制御でいくらかマシになるとはいえ、場合によっちゃシャトルの上昇と同等かそれ以上のGがかかるからな。酔ったり意識飛ばしたりするんじゃねえぞ」

「しないように出来るもんなの、それ?」


 背中越しのハンスの声に、ラビが既に疲れ切ったような声を上げる。大人たちによって淡々と進められて行く準備によって、ここにきて急激な緊張感が押し寄せているらしい。すると、見兼ねた隣のエヴァが身体をレムに傾けた。


「ねえレム、”アレ”やってあげたら?」

「”アレ”、とは何でしょう?」

「──もしかして、エヴォリス航空の機内放送、じゃないか?」


 曖昧なエヴァの提案にアランが応えると、ラビが呆けたような表情で二人を交互に見やる。すると、提案を理解したレムのレンズがくるりと回転した。


「そうですね、とても良い案です。軌道の計算中ですが、わたしなら造作もありません」


 レンズ脇のLEDがしばし黄色く点滅する。まるで咳払いをひとつ溢すかのように一時置いたのち、静かな機械音の重なるコックピット内にレムの音声が響いた。


「ようこそ、エヴォリス航空へ。本便は、地球へ帰還する最終特別便となっております。強化外殻とEPS装置を備えた特別機にて、みなさまを地球へ送り届けられるよう尽力いたします。──それでは、しばしスリリングな空の旅をご堪能ください。ハイラントはもう、目前です」


 レムの言葉で、出発前の記憶が蘇る。少々頬を引きつらせてはいるが、ラビにも多少の笑顔が戻る。


「──今度は間違いなく、スリリングな展開になりそう」


 ラビがそう言ってハーネスを握りしめると、ハンスは大きく鼻で笑う。操縦には関わらない後部シートの三人は互いに顔を見合わせ、来る衝撃に身構えた。


「これより降下フェーズに入ります。みなさん、準備はよろしいですね? リリースカウントダウン、10、9、8……」


 お喋りの時間は唐突に終わりを告げる。出会った当初はただ無機質だった声が、淡々としつつもクルーたちを鼓舞するように秒読みを開始する。操縦席の窓、目下で回転する白と青の景色に、降下ポイントのHUD表示が追加されたと思ったと同時──その時はやってきた。


「──3、2、1、アンドッキング」


 レムの合図でイージスが切り離される。ハンスが即座に操縦桿を握る手に力を込め、エンジンが作動する。まるで母船からこぼれ落ちるかのように、イージスは静かに降下を開始した。




 イージスはわずかに角度を変え、みるみるうちに地球が接近する。しかし、程なくして大気圏に突入すると窓の景色は一変した。轟音と振動が機体を揺さぶる。視界の全てが赤に染まる。まぶたの裏まで焼き尽くすような赤光に、思わず眼球が痛む。外は炎の壁だ。


 燃え上がるプラズマが流れ込み、時折閃光が疾る。シートごと押し潰されるほどの衝撃。計器だけが進行の頼りだ。迎角、速度、G負荷──ハンスは数値だけを信じて舵を切ろうとする。


「降下角度、誤差プラス〇・七。修正を推奨します」

「ハンス、計器を信じろ! いいぞ、そのまま」


 衝撃に押しつぶされつつも、レムとアランの声がハンスの耳に入る。応える余裕も無いままに計器を睨み、ハンスは軌道を僅かに修正する。後ろで息を呑むような幻聴が聞こえた気がして歯を食いしばる。


 船内にアラートが鳴り響き、非常灯が点灯する。煉獄に燃やし尽くされるかのような赤一色が視界を支配した刹那──圧力がふっと抜ける。


 赤が裂け、眩しいほどの青が広がった。炎の尾が後方へ流れ、窓の向こうには雲の縁と、どこまでも続く蒼天──ハンスは無意識に息を吐いた。


「抜けた──空だ!」


 ハンスが何か口走る前に、後方から無邪気な声が上がる。たった数分にも満たない瞬きの間で息を止めていたのか、呼吸と共に放出するような声音だった。安堵からか、ハンスの口から苦笑が漏れる。しかし操縦桿を握る手は、しっかりと次のフェーズに備えられている。


「EPSがギリギリで耐えたわ。一回ぐらいならミサイル誘導に利用できる」


 エヴァの冷静な報告も、どこか弾んでいる。大気圏突破、地球の空への帰還、そしてすぐ先に予想される未知なる戦い──喜びと期待と恐怖が入り混じり、奇妙な高揚感が船内を支配していた。


「イージス自体の損傷はほぼゼロだ。いけるぞ」

「本番はこっからだろ」


 コンソールを確認しながらアランが胸を撫で下ろして呟くが、ハンスは既に次を見据えていた。高高度を保ちながらも速度を維持し、目標地点のハイラントへと向かう。成層圏から白亜の塔は覗けないが、誘導信号を頼りにハンスは高度を下げる。白い雲海が近づいた時、レムの声が警告を告げた。


「新規熱源探知。距離四五キロ、速度マッハ四。推定飛翔体三発、分散接近中」


 レムの声に連動するように、船内に低いビープ音が数回響く。フロントウィンドウにはHUDで検知情報が表示され、ハンスがそれを一瞥して眉間に力を込める。大気圏を抜けた感動の空気は一気に霧散し、緊迫した空気が室内を満たす。


「終末誘導予測。接触危険半径八十メートル。赤外線シーカー作動まで二十秒」


 景色の変動が無いにも関わらず告げられる危機。ハンスは与えられた情報を頭に叩き込み、ミサイルの動きを想像する。


「熱源接近。推奨回避角度──右へ二十度、降下ベクトル維持」

「ハンス、前方だ!」


 ハンスが操縦桿を強く引き、イージスが腹を晒すようにロールする。雲を裂いた視線の先、雲間を弾くように割りながら三条の赤い光跡が突き出した。燃える尾を引きながら、一直線に接近している。HUDには菱形のターゲットが表示され、それとは別に回避ルートが投影される。ハンスはそれをなぞるように機体を傾けた。


 合図も無しにイージスが右に急旋回する。そして急降下からバンクターンと、急激に軌道を変える。スーツで軽減されているとはいえ、Gによってクルーたちの身体が左右に振られる。戦闘機よりも大きな機体も、その動きに合わせて外殻を軋ませた。


「追尾ベクトル予測、交差まで三秒」


 レムの報告のすぐ後に、正面衝突を回避したイージスを追従し旋回した二発がクロスする。すると激しい閃光とともに爆散した。


「やった!」

「いえ、まだ後方に──」

「破片による反射波で信管が作動します」


 ラビの歓喜の声にケルビンの冷静な指摘とレムの報告が被さった時、更なる爆発がイージスを襲った。白い閃光が再び起こり、窓に振動が伝わるとともに短時間の耳鳴りが聴覚を奪う。窓の外には小さな火花が走り、瞬きのように電気系統がダウンし、微小な破片が冷気と共に掠めて行く。HUDには赤い数字の洪水が瞬時に流され、アラートが再び鳴り響く。


 振り払うように機体をロールさせ、ハンスは反射的に爆発から離脱した。距離を取ってから予定通り高度を下げ、雲海へと突入する。


「ミサイル同士の衝突による破片が三発目の近接信管を作動させたようです。EPS作動により外殻に損傷はありません」

「でも、今の衝撃でEPSが死んだわ!」


 レムの報告に、エヴァの深刻な声が連なる。早くもEPSを失った事実に、ハンスは小さく舌打ちをした。センサーが乱れるなか、視界を埋め尽くす白をかき分ける。エヴォリスからの信号を受け取った傍のレムが再び声を上げた。


「新規熱源探知、推奨飛翔体六、分散接近中」

「今度は倍だよハンス!」

「いいからしっかり見てろ!」


 窓の外やモニター画面も白で覆い尽くされている。ラビの焦燥の声が響き、ハンスがそれを打ち消す。


「飛翔体が雲層に突入。プラズマ干渉により熱源ロスト。映像探知に切り替えます。誤検知率六五パーセント」


 続くレムの報告に舌打ちしたハンスは目を細めて窓の外を睨む。彼の目はノイズを起こすHUDを無視し、船の外に全意識を集中させていた。雲間を愚直に突き進むと前方に稲妻が閃き、ミサイルの一部が閃光に照らされて煌めく。ハンスはそれを目に収めた瞬間に操縦桿を感覚で倒し、一度高度を急降下させる。そして徐々に上昇しながらミサイルとすれ違いざま、機体を一度ロールさせる。──天地が逆転し、重力が反転。イージスの翼端がミサイル付近を掠めた時、白光が爆ぜた。


「三発爆散しました」


 爆音と衝撃を無視して真っ直ぐ耳に届くレムの冷静な声を置いて行くように、イージスは爆煙を切り裂いて姿勢を立て直す。感覚に頼ったハンスの操縦に助けられたクルーたちは、一様に呆気に取られた。


「まさか、あの回転で誘爆を──?」

「すごいセンスだ、俺には到底出来なかった」


 驚愕に満ちたケルビンの呟きを聞き取ったかのように、アランの感嘆が被さる。こと戦闘においてのハンスの感覚的センスと、それを実現するだけの、荒削りではあるが圧倒的な技術力。それをまざまざと見せつけられ、誰もが舌を巻いていた。


「ハンス、その先は雷雲帯です」


 レムの声を忠告と捉えず、ハンスは機体を躊躇なく雷雲帯へと突っ込んだ。激しい降雨と雷鳴の中、ロールと急降下を繰り返しながら落雷を避ける。後方で追跡していたらしい残弾の爆音が断続的に響く。篭ったその音の正体は、後部を移すモニターに小さく表示されていた。


「ミサイルの制御が失われたようです。ハンス、こちらのレーダーも全滅状態です。雲層を抜けましょう」

「音の反応は三回確認出来たわ! このまま残りも制御不能を狙いたいものだけど……」

「そんなことしてたらイージスが先にダメになっちゃうよ!」


 エヴァの冗談めいたぼやきにラビがすかさず突っ込む。まるで普段とは真逆の関係性になっている二人だったが、彼らのおかげで船内の空気はいくらか緩和された。それと同時に視界にが開け、光が戻る。雷鳴が遠のき、代わりに風の音が残る──雲間を抜けたイージスの窓には、霞がかった広大な荒野が映し出されていた。ハイラントの白亜の塔はまだ遠いが、荒野に不自然にそびえ立つ姿は太陽光を反射させ光沢を放ち、小さくその存在を知らしめた。


「……視界回復。センサー再構築」


 レムの声とともにHUDが点滅を止める。だが、その再起動とほぼ同時に赤いアラートが洪水のように点滅した。


「──熱源多数……数、十二。収束予測まで十五秒」


 容赦ない報告に、船内の空気が再び張り詰める。雲の層を抜けたイージスからでもその現実は視認出来た。尾を引く火の玉にも見えるものが急速に迫る。それが多方向から来るものだという事は明白だった。HUDが複雑な交差軌道を描き、それを見たアランが固唾を飲む。その隣で操縦桿を握るハンスは、眉間に力を込めた。


「回避ルートを算出──」

「言ってる場合なのか⁈」

「アラン、逆噴射準備!」


 AIらしく微塵も焦らないレムの報告を、アランの上擦った声が遮る。するとハンスの叫ぶような指示が突然飛び、アランは反射的にそれに従った。


「軌道交差まで三、二、──」


 レムによる悪魔のカウントダウンの途中でイージスは機体を背面にすると、逆噴射をかけた。前方から突進してきた三発が慣性で抜ける。噴射による制御不能で一発が空中爆発したのを切っ掛けに、まず六発が消滅する。安堵する間もなく、アラートは続く。


「ハンス、左舷後方から三発。縦に並んでるように見える!」

「こっち側にもいるよ!」


 エヴァとラビのモニター情報が告げられる。HUDにもその姿が表示されているが、陣形を組んでいるような配置にハンスは違和感を覚えた。


「──AI制御されてんのか?」

「ですが、ミサイルには活動限界があります。必ず仕掛けて来るでしょう。地形利用を推奨します。──塔の北東約五○○○メートルに岩場あり。高度一五○○メートル」

「行くしかねえか……」

「イージスの軌道は常に拡散させてください」


 ハンスとレムが相談を重ねていると、アランがそれに加わる。


「EPSが死んでるから、機体が受ける損傷は軽減出来ないぞ」

「──言ってるうちに、着いちまったよ」


 まるで空中を舞う紙片のように機体を操りながら、ハンスは操縦桿を握る手に力を込める。彼はいつの間にか、人生に於いて初めて得る高揚感に満たされていた。


 イージスは岩場の稜線に限界まで接近し、滑るように突き抜ける。衝撃で細かい砂や石片が飛び散る。まず三発が岩肌を舐めるように追従するが、そこでイージスが反転した。機体をほぼ垂直に旋回させ、岩場を盾に回避行動をとる。──ミサイルが激突し、連鎖爆発で火球が吹き上がった。雲の裏に赤光が散り、そこで再び反転して爆炎の下を抜けるように急降下したイージスが峡谷へ侵入する。


 ──残り三発。


「ちょっとこれ……ミサイル当たる前に岩と激突しないよね⁈」


 最狭部で機体を傾けながら激しく左右にロールし、曲線の軌道を描いてイージスが進む。ラビがハーネスを握りしめながら叫ぶ声も耳に入っていない様子で、ハンスの目は見開いていた。めまぐるしく通り過ぎる景色に瞳をくぐらせながら、手は無意識のように動いている。隣のアランはハンスの意図を汲み、その手が止まらないよう補助に徹した。


「最初の接触まで五秒──」


 レムの報告に、エヴォリスから送られたHUDの地形画像を一瞥したハンスは操縦桿を強く倒し、機体を右に滑り込ませた。岩壁の陰に隠れるように進路を変えたイージスに、ミサイルの一発が追いきれず岩に直撃する。爆炎が峡谷を照らし、瞬間的に火の海が浮かび上がる。しかし誘爆を学習した他二発は、時間を置いて軌道をわずかに変えながらしぶとくイージスを追った。


「警告。峡谷出口まで距離二百。上昇を推奨します」

「──ハンスのタイミングに合わせよう」


 理にかなった安全策を述べるレムに、アランがそう告げる。極端に地面が近づくたびにアラートが鳴り響く。後部シートからは衝撃に耐える呻きが聞こえるだけで、ハンスの操縦に身を委ねる他なかった。


 ハンスは上昇指示を無視して高度を急激に落とし、まず一発を地面へと誘導した。爆炎が上がると同時に操縦桿を引き、一気に急上昇させる。──視界とセンサーを失った残りの一発が岩壁に衝突し、爆炎にさらに火柱が重なる。それを貫くように岩場から脱出したイージスが空へと飛び出した。


「熱源の焼失を確認」

「うそでしょ、ハンス天才!」

「──ですが、とはいえ外殻の損傷率は二八パーセント……ミサイルはあと三発残っているはずです」

「残り三発なら、希望的観測しか出来ないけど?」

「あなた、そんな無鉄砲な方でしたか?」


 レムの報告に、ラビの声が弾む。ケルビンが慎重に機体の損傷率を口にする一方で、エヴァが目をぎらつかせる。冷静沈着な彼女に対して散々カウンセリングを重ねてきたケルビンは、Gに耐えつつも怪訝な表情を見せた。


 一度雲間を抜けたイージスの視界には、雲海を突き抜ける塔の白い頂がちらついた。目指す場所はもう目前だった。


「エヴォリスが冷却フェーズに入ります。ハイラント上空から離脱、周辺地形とランディングポイントの更新データを送信。これよりわたしの目はイージスのセンサーに依存します」

「……上空支援無しか。次にエヴォリスが何かしてくれるとしても一時間前後は見ないといけない。──ハンス」

「──いいよ、あとは突っ込むだけだ」


 ハンスは一度短く深呼吸をすると、再びイージスを雲海に侵入させる。重力とエンジンの相乗効果で降下速度が上昇する。視界が開けると間もなく、氷山のような塔の全景と、その周囲を取り囲む防護壁が小さく窓に映る。上空から見る、赤茶けた荒野に聳え立つ唐突な白──太陽光を吸収するようにさらりと涼しげな外殻は、地上から見上げるより異様な光景だった。


 ハンスは進路を調整しながら接近し、ミサイルの動きを警戒する。高高度の空力制御は最小限だが、目標への接近は正確を究めていた。


「ハンス、防護外壁を起点とした電磁バリアのプラズマ干渉により、接近時は計器やデータが乱れます。ミサイル誘導時は一度距離を取る事を推奨します」

「……ドーム状のバリア内部に入ってしまえば、干渉を受けたミサイルはバリア外で空中爆発するはずです。バリアを抜ける際のイージスへの重大な損傷は否めませんが、念のため視野に入れておいてください」

「──了解」


 レムやケルビンの助言をどう受け止めたかは不明だが、ハンスは短く応答した。窓の外のハイラントが徐々に存在感を強めた時、その側面が煌めく。微小な煙や赤い光の粒がその正体を知らしめる。分散する形で下方から、最後の三発がイージスの追従を開始した。


「測距不能、後方下部から来ています」


 レムの声を受け、ハンスはさらに高度を下げる。そして一直線に塔へと速度を上げた。


「ハ、ハンス? もしかして──」


 アランが額に汗を浮かべながらコンソールに手を置いて身構える。ハンスは、見えないバリアがあるであろう地点すれすれで進路変更を試みた。


「バリアにミサイル当てたらバリアぶっ壊れねぇか⁈」

「そんなの未知数よ、大人しくランディングポイント付近でバリア内に入った方が──」

「それでコイツの方がぶっ壊れちまったら意味無ぇだろ!」


 言っている間に、イージスに釣られてバリアに接近した一発目が制御を失い、急激に進路を変える。しかし運悪くその軌道はイージスを掠めた。近接信管による爆炎と破片が船体を襲う。衝撃で揺らいだイージスの左翼がバリアの干渉を受け、さらに姿勢制御がブレる。損傷率が上がった事で、船内アラートが激しく鳴り響く。そんななか、上手く方向転換したミサイルの二発目が、無防備なイージスを襲う。ハンスは慌てて制御スラスターを操って姿勢を整えると、外周を回りながら機体をV字軌道で急降下させ、二発目を外壁付近の地面に衝突させる。しかし、爆音を背に速度を上げて上昇回避した隙を狙った最後の三発目が、イージスを待ち構えるように追従していた。


「近接信管作動範囲──」


 ほどなくして、レムの落ち着いた報告とは裏腹に、視界を無慈悲な閃光が埋め尽くす。ハンスは歯を食いしばって操縦桿を即座に倒す。


 ──再び爆音と衝撃がイージスを襲う。しかし窓の外を覆うのは爆炎ではなく、断続的なプラズマだった。その損傷を受けながら、船体はそれでも姿勢を保とうとする。いつの間にか白亜の塔の外殻が間近に迫っていた。激しく揺れる船体と鳴り響く轟音に耐えながら、アランは外の状況を確認し、垂直着陸モードへと切り替える。それを待っていたかのようにハンスが操縦桿とコンソールを忙しなく操作し、とうとうイージスは地に降り立った。


 着陸脚が間に合わず、半ば滑るように砂塵を巻き上げながら動きを止めたイージスだったが、その停止地点は奇しくもランディングポイントだった。息を飲んで衝撃に耐えていた後方シートの三人も、閉じていた目をゆっくりと開く。アラートは止まり、不安定に点滅していたライトが一瞬ブレて予備電源が点灯する。各シートに設置されていたモニターはブラックアウトしていたが、コックピットの窓の外には確かに大地が広がっていた。目に入る防護外壁の形状からしても、その場所がハイラントの内部だという事が分かる。






「い、一体……どうなったって言うの?」


 額を抑えて軽く頭を振りながらエヴァが呟く。真っ先にハーネスを外して立ち上がったハンスが振り返った。


「ミサイル爆発に巻き込まれるならバリアの損傷の方がマシかと思って突っ込んだんだよ。──でも、意外と大丈夫だったな」

「──ああ、絶対死んだと思った……」


 あっけらかんとした様子で体を伸ばし、手首や足首の関節を回すハンスの目下で、ラビがハーネスを握りしめたまま項垂れている。その後ろではケルビンが眉間を押さえていた。


「せ、船体の損傷率は──?」

「損傷率四三パーセント。推進系統に重大な損傷があるため再浮上は出来ませんが、船内機能は利用可能です」


 ケルビンがレムに尋ねると、相変わらず冷静な応えが返ってくる。事もなげに言ってのけているように感じるのは、彼のボディには表情が無く、声音にも変動が無いからだ。ケルビンは複雑な表情で小さく息を吐いた。


「──ハンスが突入した部分が、二発目のミサイル着弾点付近だった。ちらっとしか見てないが、防護外壁が壊れていたようだったから……もしかしてバリアに不備が生じていたんじゃないか?」


 アランがハーネスを外し、首の後ろをさすりながら立ち上がる。こんな時でも微笑みを絶やさないアランに、エヴァとラビは顔を見合わせた。


「はあ、君らって正しく兄弟なんだね。今思い知ったよ。──いや、アランの正体はよく分かんないんだっけ? ……もうそんなのどうでもいい気がしてるけど」


 ラビが半目でローワン兄弟を見上げながらハーネスを外す。苦笑したエヴァもそれに倣った。


「防護外壁損傷により、損傷箇所付近のバリアが一時的に点滅していたようです。つまり、凡その爆発の衝撃をバリアで防ぎつつ、バリアの不具合によって通過の衝撃は最小限に抑えられた、ということです。流石の機転でした、ハンス」

「いや、これ絶対意図してないよ。ただラッキーだっただけだって」

「──しかし結果的には、彼のおかげで我々は予定通り帰還出来た……というわけですね。感謝いたしましょう」


 レムが状況を分析し、ハンスに称賛の意を述べる。それに対してハンスは乾いた笑いと共に一つ返事しただけで、そんな彼をジト目で見上げたラビが反論する。宥めるようにケルビンが謝辞を述べて眼鏡のブリッジを上げる仕草をする。空を切った指先をまじまじと見つめるケルビンに「眼鏡してないよ」とラビが肩を竦める。一時的に船内に日常風景が戻るが、その空気をエヴァが引き締めた。


「さ、私たちの目的は着陸することだけじゃないわ。ここから先が問題よ」


 彼女の言葉に、船内に緊張が戻る。そうなれば彼らの行動は素早く、各々が準備に取り掛かった。


「お前ら、防護スーツとテーザーの装備忘れんなよ。今のスマートスーツよりも防弾性能あるはずだからな。あと各自必要なもんだけバッグに詰めて、両手は必ず自由に出来るようにしておけ」

「あと無線! PIコアは事前に無力化してあるから、僕らの通信手段は実質これだけ。個人端末の電源も必要時以外はオフにするんだから、絶対忘れないで」


 クルーたちは、エヴォリスでの準備段階で無線の配布と共にPIコアの通信妨害を済ませていた。これは、ラビによる処置だ。装着中、手の甲に埋められたチップから”メンテナンス状態”の信号を送信し続ける小型の書き換え装置だ。一見すると、ハイラントではもはやアンティークと化した腕時計のような形状だが、コア付近に装着する事で信号に干渉が可能なのだという。


「──まさか、航行中にあなたがこんな物を造っていたなんて……思いもよりませんでした」

「”解析を誰にも邪魔されたくないから”って動機がラビらしいけどね。……まあでもあの時、バッテリーの持ち出しを意地でも止めなくて良かったわ。過去の自分に感謝する」


 エヴァとケルビンが手首の装置を見せ合いながら苦笑する。実は地球降下作戦前、ラビからの重大な告白があった。彼がケルビンの引き起こしたアラートを知らなかった事、事がほとんど済んだ後に連絡が繋がって事情説明という流れになった事──全ては彼が往路で自作していたEMジャマー装置が原因だったというのだ。自身のパーソナルケースにガラクタのように詰められていたのは解体した部品群で、それを往路でせっせと組み立て、好きなタイミングで作動させてはラボに篭っていたらしい。その話がまるで日常会話の一部であるかのように本人の口から出された時、クルーたちはそれぞれ目を点にした。


「俺がお前に”何してたんだ”って聞いても誤魔化してたのも”後ろめたいから”だろ? ほんとガキだよな」

「ハンスにガキって言われたくないんだけど! ていうかもうその話はいいじゃん!」

「なんでだよ!」


 ラビに突っかかりながらもハンスは改めて少し前の記憶を遡る。思えばラビが重大な告白と共に、人数分の携帯EMジャマーを提示したことも彼らしい行動だった。もし復路で何も起こらず無事に帰還する流れだったら彼はどうしていたのだろう、と、有りもしない世界戦の姿を想像して思わず苦笑が漏れる。同時に、アークウェイ作戦決行前は、そうやって無事に探査を終えて無事に帰る姿ばかりを想像していた事を思い出す。ハンスは頭を振ってその思考を振り切った。


「じゃ、俺は武器チェックと周囲警戒に当たる。お前らも準備が済んだらコックピット に集合してくれ」


 ハンスはそう言い残してコックピットを後にした。スーツロッカーでさっさと防護スーツに着替えると、ホルスターやハーネスを装着してカーゴベイへと向かう。エヴォリスから移送した武器は全てチェック済みだが、改めて装着前に簡易的に動作確認を挟む。パルスライフル、テーザー、EMPフラッシュとバッテリーの他、防護スーツの内側に使い込まれたヴェリタスを忍ばせる。ハンスは突入時、パルスライフルの設定をパルススタン──非殺傷モードから変更する気は無かった。つまり、残り四発の実弾が装填されたヴェリタスは単純に、持ち主と同様”魔除け”でしかない。


 スーツ越しにヴェリタスの銃身を撫でながら、ハンスは処置室の方向を一瞥した。そこにはヴィクターと……アランの眠るケースが保管されている。ひとまず彼らを地球まで帰還させることは出来た。しばしこの場に置いていくことにはなるが、イージスの位置的にも船体を破壊するような攻撃を受けることは無いだろう。あとは最悪の事態を招く前に、エシュロンと接触するだけだ。


 装備を終えると、ハンスは一足先にコックピットへと戻った。アランたちは各々散って準備に走っているらしい。エヴァは念のため船内設備と、可能であればデータによる外殻プレートの状態も確認したいと言っていた。おそらく彼女の準備が最後になるだろう。


「レム、周囲の状況は? 奴ら、来てるか?」

「周囲十数メートルに装甲車六台が展開中。断続的に移動しつつ接近しているようです。周囲にドローンも確認出来ます」


 コックピットからボディを外してやりながら、ハンスがレムからの報告を受ける。イージスと接続し、まだ生きている目を使って周囲を確認していたレムは、レンズを動かしてハンスを見上げた。


「くそ、EPSが生きてたらドローンなんか潰してやれるんだけどな」

「ですが我々の読み通り、彼らはこちらに致命的な爆撃を行うつもりはないようです」

「そりゃあそうだろう。俺が乱暴に扱っちまったがコイツだって奴らの船だ。長年かけて積み上げてきた成果物をみすみすぶっ壊すなんて不合理なこと、奴らはしない。いつだって、自軍の損失無しに相手を殲滅することを要求してくるんだからな」


 コックピットの窓を覗き込むようにして、ハンスが皮肉げに口元を歪ませる。傍に移動したレムのLEDがちらちらと点滅する。目線を合わせるように屈み、ハンスはそのレンズに視線を合わせた。


「典型的なタスクで来るなら、奴らはさらに距離を詰めてくる。最終的には周囲を支援部隊で囲んでから、ハッチを破って小隊が突入って流れになるはずだ。俺がそいつらを撃破して、EMPで支援部隊の目を潰しつつ小隊の装甲車を奪う。そっから先は車の装甲を信じて塔まで突っ走る」


 自分にも言い聞かせるように、ハンスが今後の動きを口にする。イージスの操縦を見事成し遂げて高揚していた様子だった彼も、武器を手にしたことによって再び張り詰めた表情に戻っていた。


「──俺らの話を聞いてくれってエシュロンに伝えて、快諾してくれりゃあそれで済む話なんだけどな」

「わたしからではありますが、通信は試みました。──しかし、彼らからの返事は現在までありません」

「……は、そうかよ」


 レムの機転にも驚いたが、相手が頑なである事実を再確認したことで溜息が漏れる。今までの働きで積み上げたものも、彼らの意図にそぐわない行動を取ることで全て一瞬にして霧散するのだ。自分たちは、精神を狂わせて壁外へ捨てられたハイラント住民と同義の存在となっているのだ。だが違うのは、ほとんど無抵抗にそれを受け入れていた彼らと違って、自分たちは抗おうとしている、ということだ。平和な理想郷を管理しているはずのエシュロンが、真に平和主義者なのか確かめる為に。その正体が”壊れたAI”なら、止めなければならない。


 ──不意に銃声が響いた。続いてエヴァの短い叫び声がハンスの耳に飛び込む。反射的にパルスライフルを装備し、ハンスがパネルを叩いてコックピットの扉を開く。ドア付近でカバーしながら通路を覗けば、エアロックのハッチがいつの間にか開かれている。敵の姿は見えないが、相手もハッチ付近でカバーし、こちらの様子を伺っているようだ。


 通路の途中、処置室付近に工具が落ちている。その周囲に小さな血痕をいくつか発見したハンスは、目を見開いた。


『ハンス、一人侵入してる! エアロック付近!』


 無線から切迫したエヴァの声が響く。即座にEMPフラッシュのモードを”Micro”に切り替え、エアロックに向けて投擲する。ハンスは衝撃に備えつつコックピット から飛び出した。ほどなくして船内が色彩が反転するほどの紫がかった閃光で埋め尽くされ、ひどい耳鳴りのような音が蔓延する。カバーしていたハンスはいち早く視界を取り戻すと、一気にエアロックまで詰める。通路を抜けた死角で顔を覆っていた人物を捉え、パルスライフルの引き金を引く。被弾した衝撃で硬直したように昏倒する一人を通り越してハッチ脇でカバー体勢を取る。そして外に向けて数発、威嚇射撃を行った。


「そのまま外にいろ! 一歩でも入る素振り見せたら容赦無く撃つ! 外からの銃撃があった場合も同じだ! お前らが俺らを攻撃するなら、俺は自衛のためにお前らを攻撃する!」


 ハンスが外に向けて怒号を放つ。後方で倒れ伏す警衛セクター隊員を一瞥するが、動きは無い。パルスライフルを受けた者はしばらく動きと意識を遮断される。その確かな証拠を目の当たりにしながら、ハンスは武器のエネルギーを充填した。


『ハンス、何が起きてる?』


 アランが状況を問う。ハンスは焦燥を抑えるように舌打ちをした。


「分かんねぇが、無音でハッチ開けて入ってきやがった。一人鎮圧して側で伸びてる。他は多分すぐ外で待機してる。俺はエアロックで待機済み。──エヴァ、お前撃たれたのか⁈」


 アランに応答しながら、エヴァに投げかける。無線の声はしっかりしていたが、血痕が気がかりだった。


『私じゃない、ケルビンが撃たれた! 何とか止血してるけど、誰か応援来れない⁈ 処置室よ!』

「……おい、嘘だろ」


 思わず口走りながらも、ハンスは外から視線を外せない。パネルを操作して手動でハッチを閉じようと試みるも、反応しない。


「レム、ハッチ閉じれねぇか⁈」

『信号遮断により、ハッチの操作が不可能となっています。相手がEMジャマーを使用した可能性があります』

「俺のEMPが邪魔してんじゃないのか?」

『いえ、長期遮断は外部ジャマーの痕跡によるものです。復帰には時間がかかります』

「くそ……おいアラン、俺が外見てるから、処置室行ってくれ!」

『分かった、出るぞ』

『ぼ、僕どうしたらいい?』

「お前今どこにいる?」

『ラボ!』

「いったん処置室行ってくれ。固まってくれた方が守りやすい」

『わ、分かった!』


 ハンスは銃身を外に向けて警戒を強める。その隙に通路側から背中越しに足音が聞こえ、収束する。


『移動できたが……ハンス、かなりまずい。胸の辺りを撃たれてる』

『背中に抜けてないから弾丸が残ってる! 早く摘出しないと……』


 相次ぐアランとエヴァの最悪な報告を受け、ハンスの全身に緊張が走る。酸素濃度が操作されているのかと錯覚するほど、呼吸が上がっていく。誤魔化すように唾を飲み込んで、ハンスは冷静を装った。


「レム、処置室でケルビンの様子を見れないか? 応急処置が済んだらさっさと塔に連れてかねぇと……」

『了解、ハンス』


 再び背中越しに移動する機械音を聞きながら、ハンスは船外を舐めるように睨みつける。目立った動きはないが、傍に装甲車が二台待機している。恐らく接近するための誘導用と壁用に使ったものだろう。これらを障害物にして、相手もこちらを窺っているはずだ。ハンスはここから相手を牽制するほかない。


『──意識混濁。肋骨下端に弾丸が残存していますが、大動脈や心臓、肺に損傷は無いようです。出血は中程度。ただちに摘出処置と止血が必要です。エヴォリスから移送された医療器具リストを参照した結果、イージスでも処置は可能です』

「肝心の医者がぶっ倒れてんだろ? どうすんだよ!」


 レムの報告にひとまず安堵するが、問題は解決していない。処置する者が居なければ、医療器具など塵同然だ。ハンスが半ば投げやりな感情を無線に乗せると、しばし声が止む。何か動きがあるような沈黙の後、再び声を発したのはアランだった。


『ハンス、ひとまずお前と俺、ラビで塔へ向かおう。イージスから視線を逸らす事も出来るし、そもそもこの状況自体を打破しないと……負傷したケルビンを無闇に危険に晒すだけだ』

「──は? どういう事だよ」

『ハンス聞いて。私とレムが残る、ここで弾を摘出して止血する。内部セキュリティは生きてるから、処置室に篭城して侵入に対処する。私はテーザーの他にも武器として使える工具があるから最悪戦える』


 エヴァの声は無線越しにも落ち着き払っていた。その声音に覚悟を感じたハンスだったが、簡単にその提案を呑めるわけが無かった。


「俺がここ守ってる間にさっさとやればいいだろ! 分かれる必要性が無い」

『あるわ。ここに部隊が次々に突入してきたらそこで終わり。本来私たちは動き続けなきゃいけない。でもそれは出来ないし、ケルビンの処置には時間の猶予が無い。相手は残った私たちより塔に向かうあんたたちを優先する可能性が高い。だから、先に行ってくれた方がここは安全。──これでどう? 納得した?』

『ハンス、時間が無い。急がないと全て水の泡だ──決断しよう』


 エヴァの理詰めの説得と、アランの真摯な声。その二つが重なって、ハンスは観念するように頭を振った。短く呼吸を整えると、最終的には「──分かった」と応答する。


「お前はいつもそうやって──」

『……そっちは任せたわ、ハンス』


 エヴァの声が和らいだので、ハンスは小さく肩を竦めた。同時に、自分の中の焦燥が治まっていくのを感じる。かくして総意となった分断作戦に従い、アランとラビが処置室からエアロック付近に移動した。しっかりと準備を終えていた二人は同じ防護スーツ姿だが、ラビの方は装着する荷物が多い。彼はレムに変わって塔内の撹乱作業を行う為に道具を追加したようだ。


「そこに寝てる斥候はしばらく起きない。ハーネス剥いで手足だけ縛っとけ。あとアラン、そいつの武器、ホルスターごと奪え。使えなくていい」

「わ、分かった」


 緊張の面持ちで、恐る恐るアランが指示通りの処置をしていく。それを見守っていたラビの表情は硬い。おおかた、ケルビンの状態を目の当たりにして慄いているのだろうとハンスは推測する。突然の間近な銃声も、彼は初めて体験したのかもしれない。大怪我や、物理的な危機への耐性が極端に薄いのだ。


「ラビ、お前は必死こいて俺らについて来れればそれでいい。あと、今回ばかりは俺の指示に従ってもらう。──出来るな?」

「うん」


 ラビは素直に小さく応える。いつもの皮肉めいた態度は一切削ぎ落とされ、両の拳を握りしめている。ハンスはラビの肩を鼓舞するように叩くと、懐からEMPフラッシュを取り出した。側面の装置でモードを”Standard”に切り替える。それを準備の整ったアランとハンスに小さく掲げて見せた。


「いいか、俺がこれを外に投げる。フラッシュと超音波が数秒続くから、この隙に左の装甲車を奪う。お前らは装甲車を盾に出来る位置まで移動して、俺がドライバーを制圧したらすぐ乗り込め。俺は助手席行くから、アランは運転頼む」

「──了解」


 二人に交互に視線を合わせながら、ハンスは単純な指示を出す。運転を任されたアランは目を瞠ったが、すぐに眉間に力を込めてひとつ首肯した。


「最初のフラッシュはカバーして躱せる。あとは光の中で俺の背中だけ見て進め。音は頼りにならない。いいな?」


 アランとラビが同時に頷く。ハンスは「よし」と一息つくと、無線に語りかけた。


「ここから離脱するときEMPフラッシュをスタンダードで使う。数秒電子機器がストップするが、大丈夫か?」

『ええ、わかったわ』

『わたしのボディはパルス干渉を受けません。いつでもどうぞ』


 処置中の切迫したエヴァの声に、医療器具を動かす硬質な音が混ざる。対してレムの声は相変わらず一定で、それはひどく心強いものだった。


「──行くぞ。合図する」


 無線と、目の前の二人にそう宣言し、ハンスはEMPを握りしめた。





 イージスのエアロック周辺が、激しい閃光に照らされる。周囲の電子機器に乱れが生じ、半径五○メートル内で無線の一切が瞬間的に遮断される。周囲を警戒する隊員たちが装甲車の陰から光の発生源を覗くと、斥候として送ったうちの一台が急発進を開始した。──乗っているのは、ハンスたちだ。


 ハンスは思惑通り目的の装甲車を奪うと運転席をアランに譲った。焦った様子で後部座席に乗り込んだラビを振り返ると、その頭を下げさせる。アランがアクセルを強く踏むが、慣性をものともせず、思い立ったようにシートの背もたれをフラットにして車内を移動した。


「おい、危険じゃないか⁈」

「俺のことは気にすんな、お前は運転に集中してればいいんだよ! ──おい、蛇行しろ蛇行!」


 相手の陣形が薄い部分に進路を向けながら、アランがバックミラー越しにハンスに声を掛ける。彼を気遣って直進しようとするアランに、ハンスは容赦無く怒鳴りつけた。慌ててハンドルを切って進路を歪めながら、アランは前方を睨みつける。アランたちの装甲車に誘われ、周囲に待機していた装甲車にも動きが見える。車体を盾に迎え撃つ歩兵と追跡に分かれた相手の陣形の隙間を縫うように、蛇行しながらゲートまでの距離を着実に縮める。相次ぐ急カーブに声を上げていたラビもすぐに慣れ、運転席を覗き込みながらハンドル操作に合わせて身体を安定させる。


「グレネードなら目眩しに使えるか。──アラン、防護壁には近づくんじゃねぇぞ!」

「ああ!」


 後部座席に移動したハンスが、トランク部分を漁りながら呟く。アランへの進路誘導も忘れない。装甲に弾丸が当たる音がパラパラと聞こえ始める。最小限の窓すら防弾仕様の車内では、被弾する音や衝撃もどこか遠く、篭っていて現実味が無い。外の状況を正しく理解しているのは、現場経験のあるハンスのみだった。


 徐に、座席で窓から身を隠しつつ耐えていたラビが天井を見上げ、手を伸ばす。ハンスはそれを一瞥すると、「屈んどけって」と一言諫めて外を警戒する。後方の小さな窓から追跡する装甲車を探る。自分たちの車や相手の車から巻き上がる荒野の砂塵が、実に良い仕事をしているようだ。後続車は三台。進行方向にも数台待機しているだろうと当たりをつける。しかし、防護壁にスナイパーが配備されているとすれば、側面からの攻撃に対してその砂塵は効果を示さない。ハンスが三つ残ったEMPの一つに手をかけようとした時、突然、瞬間的に周囲の景色が陽炎のようにブレた。敵からの妨害かと警戒を強めたハンスは、天井のハッチに手を伸ばそうとする。しかしその途中で、前方座席の天井、中央部分に身を伸ばすラビの姿が目に入る。彼の視線を追うと、そこにハニカム形状の黒いパネルが嵌め込まれているのが見えた。


「な、何だ⁈」

「アラン、前! ──ラビ、何かしたか?」


 アランのハンドル操作が一瞬不安定になる。ハンスはそんな彼を運転に集中させ、ラビに問いかける。ラビは運転席の背もたれを掴んで体勢を保ちながら、天井のパネルを注視していた。


「……これ、ステルスジャマーじゃない⁈」

「あ? 何だそれ!」

「局地的に高周波ノイズや位相ズレを発生させる装置だよ。ざっくり言うと、特定範囲の空間を少し歪ませる目眩し装置! もちろん、電子機器妨害もアリ」


 ハンスとラビが話していると、アランが大幅にハンドルを切って車体を塔の側面に寄せる。遠心力を耐え、ラビが体勢を立て直す。


「出力パーセンテージ八五……僕も実際に使ったことないから向こうから見てどうなってるのか詳しく知らないけど……これ、作動させとく?」

「使え使え! アラン、こっからゲート付近までグレネードで相手の視界を塞ぐ。そのまま壁沿いで細かく蛇行だ!」


 ラビに乱暴な指示をした後、ハンスはその身体を乗り越えてラビを助手席側に寄せると、運転席の後ろへ移動してドアハンドルに手を掛けた。アランが応答する声を聞くとドアを開き、隙間から進行方向の前方右手に向かってひとつずつ、段階的にグレネードを放る。外の音がクリアになるが、ドアからは暴風がなだれ込み、その音が三人の聴覚を奪う。アランは爆風と砂塵を抜けるように車体を進ませる。


「ゲートに着いたらEMPを投げる! さっきと同じ要領でゲート管理室を制圧するから、俺の合図で出てこい! アラン、管理室の位置分かるな? なるべく車寄せて止めてくれ!」

「──やってみる」


 装甲を叩く銃弾が鳴る度にハンスはドアを閉じて被弾を防ぐ。そうして三つのグレネードを投げ終えるたハンスは、矢継ぎ早にEMPフラッシュのモードを切り替える。ゲートは近い。


「ハンス!」


 アランが呼びかけと同時にブレーキペダルに足を叩きつける。ハンドルを限界まで回し、車体がドリフトするように荒野を滑る。タイヤが激しく砂を巻き上げるなか、ハンスは注意深く距離を測り、狙いを定めて合図とともにEMPフラッシュを放り投げた。


 周囲に再び眩い閃光が発生する。同時に、車体のバックドアが管理室付近の塔壁面に接触した。衝撃を耐えて停止と共にドアを開いたハンスは、そのままパルスライフルを構えて管理室へ飛び出していく。パルス干渉時間がすぎたと同時にドアを開け放ち、迅速に狭い内部に向かってパルスライフルの引き金を引く。パルススタンモード特有の、空気が破裂するような音が短く連続し、待機していた二名が昏倒する。ハンスはすぐに車内の二人に無線で合図を送り、アランとラビが管理室に駆け込む。その時ハンスは、後続車がゲート付近を包囲し始めているのを窓から確認した。


「おい、屈め」


 アランとラビを屈ませ、手首のEMジャマーを外した。そして、奥の扉のセンサーに向かって手の甲を翳す。するとセンサーが解除され、扉は難なく開かれた。


「ハッ、マジか! ザルかよ。──アラン、屈んだままゲート解放させてくれ。ラビ、先に来い」


 ハンスの指示に頷くと、アランは慣れた手つきでコンソールを操作した。巨大な塔のゲートがゆっくりと上がっていく。それを確認したハンスはアランを扉の奥に呼び寄せた。そして扉を閉めると再びEMジャマーを装着する。


「何ここ、どこ?」

「ゲート警備員の休憩所。ここが抜けられるならわざわざ外のゲート通らなくても塔には入れる。一か八かでPIコア認証させてみたが、俺のやつまだ有効だったみてぇだ」

「──ああ、だから”ザル”ってことね。確かに、僕らを侵入者とするならPIコアぐらいブロックしてそうなものだけど……ていうか、位置バレするからあんまり使わないでよ」

「結果的に相手も釣れて、助かったってわけか。……お前がDEFセクターの人間じゃなかったらと思うとゾッとするよ」


 PIコアはセキュリティカードも兼ねている。警備エリアのドアロックは警衛セクターに登録された人間でなければ解除出来ないのだ。彼らはもともとゲートを潜るつもりであったが、ハンスの思いつきが功を奏したようだ。


「ゲートを開いたから、奴らはゲートから先回りするだろう。俺らは予定通り進めば大丈夫だ」

「了解」

「──こっからはお前が先頭だ」


 ハンスがそう言って休憩室の出入り口を指し示す。アランがそれに対して小さく頷いた。




 休憩室のドアを開くと、まずラビが、バッグから取り出した掌台の立方体を持って手を伸ばす。通路側の壁に貼り付け、スイッチを押した。センサー用のジャマーだ。


「一分だからね!」


 ラビがそう言ってハンスを促す。まずハンスが通路へ飛び出して通路ないの警戒に走る。横に広がる狭い通路には二枚のドアがあり、左はゲート側、右は保守系統の設備管理エリアへと通じている。どちらもロック解除方式はどちらもPIコアで、ゲート側はDEFセクター、設備管理エリアはSTRセクター職員のものが必要となる。ランク権限は不要だ。


 アランとラビは、四方が白く真っ新な通路の管理エリア側に走る。ラビがドアの手前で屈み、アランがその背に足を掛ける。まるでそこがスイッチであるかのように、ラビが苦しげに呻いた。


「ごめんな、ラビ」

「いいから早くね!」


 ハンスに周囲を警戒させ、アランはラビを土台に、天井のハッチに手を掛ける。STRセクター職員らしく素早く慣れた手つきで工具を操り、手動ロックを解除する。ハニカム型のハッチを開くとすぐにラビから降りてその背を払い、まずラビを持ち上げてハッチの中に入れる。保守トレイへのバーを掴むのに手間取り、上がり切るのに多少時間を要する。彼の足が完全にハッチの先に消える前にハンスは動いた。すかさずアランのもとへ近づき、手で踏み台を作ってブーストさせる。そして最後、まず持っていたパルスライフルを渡してからアランの手を掴み、引き上げられるかたちでハンスがハッチの中へ消える。全員上がり終えるとアランはハッチのロックをかけなおした。


 三人が侵入したのは、天井裏の保守トレイだ。休憩室や通路など、静寂の塔内施設の裏では、こうした構造保守用の通路が張り巡らされている。コンクリート壁と天井、銀灰色の装置が並び、格子状の通路がそれに並列する。唸るような機械音が木霊し、油と鉄の匂いが充満する狭い空間は、白一色の施設内部とは正反対の場所だった。


 背の高いアランや、それよりは低いが髪型的に弊害のあるハンスは若干身をかがめなければ歩けず、ラビだけが平然と立ち上がって物珍しげに視線を巡らせていた。


「くっさ! アランっていつもこういうとこで働いてたの?」

「まあ……ほとんどがAI管理だから、本来滅多に人が入る場所じゃないんだ。どうしても人の手が要る場合とか、……俺みたいな”作業好き”の人間が入る場所って感じだな」

「俺としては、お前が扱ってる薬品の方がよっぽど鼻にくるけどな」

「──住んでる世界が違うんだなぁ、僕ら」


 声を抑えつつそんなことを言いながらも、アランを先頭に通路内を進んでいく。格子状の床が足音を拡散させる。防音対策が成されてるとはいえ、三人は殊更歩く音には気遣った。


「──それにしても、僕らで突破出来ちゃったね。正直びっくりだよ」


 真ん中を歩きながらラビが呟く。最後尾で前後を警戒しながらも、ハンスは雑談に応じた。


「もともとDEFセクターの隊員は数が少ねぇんだよ」

「え⁈ そうだったの?」


 足を止めずにラビはハンスを振り返る。そんな彼に前方を見るよう顎をしゃくって促し、ハンスは続けた。


「奴ら、”お利口さん”は兵隊にしたがらないからな。警備の配置は外側にいくほど外部出生者の比率が高いんだぜ」

「……」


 アランがハンスを一瞥する素振りを見せるが、何も言わずに向き直る。


「ヴィクター隊長の第三部隊が、ダート部隊として遠征任務ばっかやってたのも頷けるだろ? あの人はもともと、外の政府組織の軍人だった」

「じゃあ、うまいこと利用されてたって事?」

「……いや、隊長も戦場以外に居場所が無いって感じだったから、ウィンウィンだったんだろうけどな」

「──でも、結局ヴィクターは……」


 ラビの声のトーンが落ちる。ハンスは空気を一掃するよう強く息を吐いた。


「……ま、つまりアレだ。ハイラントってのは”設備”に守られてる。定期的に外部偵察してダート部隊を放つのはそもそも敷地に敵を入れない措置で、事前に芽を摘んでおく作業だ。もし仮に襲われたとしても外壁が侵入を阻む。──けどな、外の世界ってのは悲惨だぜ。満足な設備なんて無い。戦闘用の物資もこっちからしたら全部旧式。まずハイラントには敵わない。でも今回俺らは、ハイラントの恩恵を利用してハイラントに楯突いてんだ。やってやれなくもない所業だったんじゃないか?」

「──僕ら完全に異分子になっちゃったわけだ」

「お前はもともと怪しいけどな。何だってあんなジャマーに詳しいんだよ? さっきの装甲車のやつだって俺知らねぇぞ」


 ラビは現在、突破目的のジャマーをいくつか持ち込んでいる。もともとエヴォリスに持ち込んでいた部品群に、レムの協力のもと改造を加えたものまで存在するらしい。自作であるが故の効果時間の短さは否めないが、それでもバイオ分野の研究者としては充分すぎる出来だ。装甲車内の装置を「ステルスジャマー」と言い当てた知識量といい、分野外のことに詳しすぎる。


「ジャマーに関しては趣味だよ趣味。ここに来た時にさ、PIコアって何だよと思って、誰にも邪魔されない”僕だけの空間”を作りたくてやり出したのがキッカケなんだ。やましいことなんてひとつも考えてなかったんだって! だからOBSセクターからも見逃されてたのに……今回ので全部パーだよ」


 ラビの声音から、口を尖らせているのが予想できてハンスは苦笑する。


 小声での会話を挟みながら、三人は迷路のような保守トレイ内を順調に進む。保守トレイの端に差し掛かると、アランが足を止める。わずかに周囲の匂いが変化し、足下のハッチから漏れる暖かい空気が頬を撫でる。


「この下が貨物リフトのある場所だ。……待ち構えられてると思うか?」

「俺らが上を目指してるのは向こうからも明らかだ。昇降機は全部洗うと思うが……人員用でも数が多いし、結局運次第だな」

「……今日のハンスは運良いと思うよ。続いてるうちにどんどん行こう」

「──と、その前にいったん、エヴァに無線繋ぐ」


 ハンスが耳に手をかけて無線を繋ごうとする。


「エヴァ、そっちはどうだ?」


 しかし、エヴァからの返答は無い。三人は緊張の面持ちで顔を見合わせ、次いでアランが声をかける。


「レム?──……だめだ、向こうで切ってるのか」


 アランの呟きに、ハンスの瞳が僅かに慄く。走馬灯のように最悪の映像が浮かびそうになり、引き返す選択肢まで脳が導き出そうとする。その内心を察したアランが「ハンス」と呼びかけた。


「大丈夫だ。俺らは俺らの仕事に集中しよう」


 ハンスは歯噛みしながらアランのひたむきな眼差しを受け止め、錆び付いた機械のように頷く。アランもうなずき返し、ハッチのロックを解除した。




 ハンスはハッチの少し押し上げ、まず貨物リフト前室の音を聞く。リフトの乗降音や作業ロボの稼働音に混じり、小さく羽音のようなものを聞き分ける。そして一度蓋を閉じると顔を上げた。


「ドローンあるな……偵察用じゃないんだよな?」

「ああ、機械の作動監視用ドローンだ。各所で数台動かしてて、視線は専ら機器に対して向けられてる。映像送信先は、STRセクターのメンテナンス室だ」

「ジャマー使うのは得策じゃない気もするけど……どうする?」

「範囲によるが、複数の機器に問題が生じるとアラートになるな」

「じゃ、一個潰すぐらいなら?」

「──故障で済む」


 流れるように相談を終え、ハンスはパルスライフルをテーザーに持ち替える。


「ドローンの巡回ルートは?」

「そこまでは把握してないが……こっちに居るのはリフト部屋監視用で、倉庫の方に数を割いてるはず。万が一故障が発生した場合は、付近のドローンがルート変更する設定になってる。だから、近場のドローンがリフト部屋をルートに加えて、新しいドローンが来るまでの監視を担うだろう」

「わかった。──じゃあタイミングはリフトが上がる直前だな。俺がドローン撃って無力化するから、他のドローンが進路変更する前にさっさと降りてリフトに移動だ」


 アランとラビが頷くのを確認し、ハンスは再びハッチに手をかけた。器用にハッチの縁に足を掛けて上半身だけを下ろし、周囲を確認する。目の前には二台のリフト。倉庫へと伸びる五本の運搬レーン付近では、仕分け作業用のロボットが数台稼働している。ハッチから垣間見るだけでも倉庫は天井が高く広大に見える。しかしリフト周辺は小上がりになっており、多少広さのある部屋のような構造だった。


 ハンスはテーザーを構え、まずリフトの高度が表示されているパネルを睨んでリフト到着のタイミングを読む。リフトは搬出が終わると新たな荷物が搬入され、扉を閉じて上がっていく。次の荷物の搬入出後が合図だ。そう決断すると、室内を周回するドローンの動きを追って狙いを定めた。


 片方のリフトが到着し、扉が開かれる。ロボットの搬入出が終わる直前、ハンスは引き金を引いて一発放つ。テーザーの発光が反射し、青白い閃光が床や壁面に映る。被弾したドローンはプラズマを発生させながら微かに羽音を立てて傾き、ゆっくりと紙切れのように地面に落下した。


「行くぞ!」


 ハンスが飛び降りる。アランが続き、次いで降りてくるラビの降下補助をする。三人は到着しているリフトに乗り込むと、さっと荷物に紛れた。閉じていく扉の向こうに、新たなドローンが浮遊するのが垣間見える。どうやらうまくいったようだ。


「はあ、緊張した。コソコソする時って息するの忘れない?」


 上昇を始めるリフトの中、ラビが胸を撫で下ろす。そんなラビに笑いかけながら、アランも小さく息を吐いた。


「これでひとまず中層部までは行ける。場所は、ノートリウム付近のストレージだ。行けるのはランク3エリアまで。大体千メートル付近だな」

「今のところ順調だけど……」

「問題はそこからだ。上層エリアはランク4職員しか上がれない。──君のジャマーが、エレベーターのPIコア権限を誤魔化せるかが鍵だな」

「もともとケルビンの権限使う気満々だったから……一か八かだね」


 アランとラビのやり取りを聞きながら、ハンスは黙って武器のエネルギーを充填し、再びパルスライフルを構える。階層が上がるにつれ、緊張感が増していく。ハンスはランク2のDEFセクター隊員だ。ほぼ遠征任務と防護壁、ゲート警備の毎日だった彼が今から向かうのは、全く未知なる領域なのだ。


「ハンス、ストレージを出たらまず一番近い上層用のエレベーターに向かう。セキュリティはランク2エリアと同じだ。警備ドローンと……監視カメラ。テーザー武装がついてるやつだ。どっちも性能上は警告を挟みながら、段階的に非致死から致死攻撃へ移るはずだけど、作動してるのは見たことがない。確実なのは、実弾を使うのは相手の隊員たちだけってことだ」

「──ああ」


 冷静なアランの声を聞きながら、ハンスは息を整える。脳内で対処シミュレーションをしながら、彼の声に耳を傾ける。


「構造もランク2階層とそう変わらない。ノートリウムを中心として、こっちのストレージ側の奥は居住区。反対側は中層セクターと娯楽施設だ。エレベーターは三箇所で、ノートリウム中央、セクター施設区域、娯楽施設前に1箇所ずつ。それぞれランク4用のエレベーターが並列してる。ランク4用のエレベーターがあるのは、今から行くランク3階層の一番上だけだから、違うのはそこぐらいかな」

「だったらほぼ同じだな」

「──ただ、そこから先は俺にも未知数だ。場当たり的な対応になるだろう」


 リフトがスピードを緩め始め、三人は会話を止めた。そのままゆっくりと停止したリフトの扉が悠然と開く。三人は死角に身を潜めた。扉付近でカバーしながら外を警戒したハンスは、さほど広くない空間にさっと視線を走らせる。天井の隅にある監視カメラ一台を発見すると、パルスを三発撃ち込む。青白い火花が弾け、光点が途絶える。搬入出用のロボットはそんなものには反応せず、ただ荷物の識別番号だけをスキャンして運び始める。その合間をぬって、三人はひとまず前室に躍り出た。通路へ続く扉の前に駆け寄ると、ラビがバッグから先程とは別の装置を取り出す。緊張の面持ちの彼らの背後では、数台のロボットが通常通り作業を行なっている。何ともちぐはぐな光景だ。


「──ドローンが一気に止まるとアラートになるんだっけ?」


 ラビがアランを見上げる。アランは肩を竦めて苦笑した。


「けど、ここから先は強行突破しかないだろうな。移動中には何台もカメラやドローンがあるし、ハンスが一つずつ潰しても無意味だ」

「……じゃあ、ジャマーの連続で時間稼ぎするしかないか。──ハンス、EMPフラッシュ何個残ってる?」

「あと二つだな」

「モードって変えられるんだよね?」

「イージスから出た時のがスタンダード。あとは、効果範囲がそれの倍だけど電磁波弱いのがスプレッド、範囲狭いけど電磁パルスメインなのがフォーカス、スタンダードの縮小版がマイクロ」

「フォーカスだと何秒保つ?」

「設定だと数分前後は保つぞ」


 ラビはハンスの情報を得ると、しばし俯いて目を閉じた。ハンスとアランが互いに目を合わせていると、間もなくしてラビが顔を上げる。


「じゃあハンスのは上層まで温存しよう。僕のジャマーより手軽で強力だし」


 ラビは自分に言い聞かせる様にそう言って、バッグから小型の球体を取り出した。黒い球体にはよく見るとつなぎ目があり、紛れる様にして押し込み式のスイッチのようなものが見える。ラビはそれをハンスに差し出す。


「それ、ドア開けたら居住区側に投げて。スイッチ押すとレムの声で警告しまくるんだ。あとノイズ発生装置でもあるから、機械なら何秒か騙せる」


 ハンスは球体を摘み上げて回し、胡散臭そうに眺める。その傍で、アランが顎を摩った。


「──住民は緊急時にはどこでもいいから室内退避する決まりだけど……その声で人が出てこないか心配だな」

「ここの住民は待機って言われたら待機だろ。変なことして邪魔したらランク下げられかねないからな」


 軽口を言いながらも三人は覚悟を決めた。ハンスがパネルを押してドアを開き、言われた通りスイッチを押してすぐに居住区方面に投げ込み、ドア付近の壁に張り付く。小さな黒い球体は声を発しながら軽く弾み、通路の奥へと転がって消えていく。


『妨害電波発生中、直ちに対処してください──』

『妨害電波発生中、直ちに対処してください──』


 無機質なレムの声が通路に反響する。その声に釣られて、ドローンの羽音がざわめいた。通り過ぎていくドローンを数体見送る。


「行くぞ!」


 ハンスの合図でアランが飛び出す。その手にはテーザーが握られていた。ラビが後に続き、ハンスは最後尾で周囲を警戒する。通路には人気が無く、白い空間が続いている。ほとんど扉しか無く殺風景で、まるで通路が永遠に続いているような錯覚を覚える。ゆるいカーブを描きながら走り、十数秒後にはノートリウム前のエレベーターに到着した。通路が開け、内周側にエレベーターが三つ並んでいる。その一番奥のエレベーター脇にあるセキュリティセンサーの蓋をこじ開け、ラビは三つ目のバッグから伸ばしたケーブルを取り出す。先端付近で何本かに分かれ、それぞれ違った形状の端子の中から素早くひとつを選んで差し込んだ。


 そんな彼とアランを背中に庇い、ハンスは天井の隅に配置された監視カメラをパルスライフルで落とした。ジャマーを使えばラビの邪魔になるので苦肉の策だ。監視カメラを無効化した後はすぐに通路を警戒する。目の前にはノートリウムを移す窓が広がる。窓越しに見る、懐かしさすら感じる無機質で整頓された内部。ドアから離れた奥側に屈んだ人影がちらついたが、彼らはただ素直に身を守ることだけに徹しているようだった。


 ──居住区側から羽音が近づく。ハンスはラビのバッグを探って追加の球体を取り出すと、スイッチを押して再びその方向に投げる。近くでレムの声が響き、羽音の接近が止まる。ハンスは体感で、大体一つあたり二十秒前後の効果時間があると推測する。


「──ダメだ! 次行こう!」


 ラビがケーブルを抜きながら声を上げた。同時にアランが通路の先に駆け出し、同じ陣形で通路を走る。ハンスはハンスが途中垣間見たラビの表情は焦燥に歪んでいた。


「ねえ、やっぱりダメかもしれない! どうしよう!」


 走りながらラビが泣き言を溢す。突然弱気になり出したラビにハンスが理由を訊こうとした時、先頭のアランが小さく声を上げる。ハンスが慌てて前方に向かって銃を構えると、アランの前方にドローン一台を確認した。ハンスは反射的にそれを撃ち落とす。すると突然、通路内にアラート音が響き渡り、白い室内灯に赤が混じる。警告灯の光が三人の影を揺らし、スピーカーからAI音声が流された。


『複数箇所で不明な機器障害が発生。最新箇所、ランク3居住エリア最上階』

「──走れ!」


 まるで事務連絡のような静けさの音声が不気味さを感じさせる。思わず足を止めたアランとラビを、ハンスが背後から叱咤する。ハンスは後方から聞こえてきた羽音に意識を割きながら、アランとラビの背を追って前方を警戒した。二箇所目のエレベーター前に到着すると、その先から来るドローンを打ち落とし、流れで監視カメラも無効化する。狙いを定めている暇はない。発射されたパルス弾のいくつかは壁に当たり、火花のように光が散る。スピーカーからのAI音声が、最新位置を冷静に更新していく。作業をするラビの隣で、アランも焦燥した様子でテーザーを構えた。


「こっちも失敗!」


 追ってくる形で現れたドローンをハンスが撃ち落とす。ラビが叫ぶ様に声を上げ、次へ向かうため一歩踏み出す。すかさずアランが前に出ると、二人はさらに通路の先へ移動する。ハンスはそれを背後から追いながら周囲を警戒しつつ、前方に問いかけた。


「ダメかもしれねぇってどういう事だよ⁈」


 前を向いて走りながらラビが答える。


「僕のゴーストタップは偽装ジャマー装置なんだ! 認証システムをいったん落としてノイズ送って、曖昧なうちにエレベータを開くつもりだった! でも向こうの再起動が早くてノイズが弾かれる! 五分五分なんてレベルじゃないよ!」


 息を切らしながらもラビが状況を説明する。それは、絶望的な報告だった。ハンスは舌打ちするが、足は止められない。三人はとうとう三箇所目に到達した。ハンスが監視カメラを処理して周囲の警戒を強める。ラビが焦りながらもジャマー装置を繋ぐ。そのうちドローンの羽音以外の足音が通過した通路から聞こえる。息つく暇もなく三人は、DEFセクターの小隊に囲まれた。


「──結局、ランク4の壁は越えられねぇってわけかよ……」


 ハンスは正体に向かって銃で牽制しつつ、皮肉げに呟いた。


「武器を捨てて手を上げろ!」


 包囲網の中心にいる隊員が声を上げる。一様に黒いボディアーマーとタクティカルベスト、ヘルメットを装着し、グローブ、ブーツ、ゴーグルまで同じものを身につけている。彼らの外見の違いはわずかに見える肌と髪の色、背の高さぐらいだ。個人で動きやすい装備を工夫していたハンスの所属する第三部隊とはまるで違う。


 テーザーがハンスの右側で放物線を描き、乾いた音を立てて隊員の足元に転がる。後方のアランが素直に指示に従ったのだ。さらにハーネスごと、奪ったライフルも放る。振り向かずとも察したハンスは、観念してパルスライフルの構えを解く。そしてそれを地面に置こうと身をわずかに屈めた時、左端で銃を構えていた隊員が声を上げた。


「後ろの奴、手を止めろ!」


 リアサイトを覗く素振りをし、銃口がラビを捉える。気づいたハンスは、反射的に手放そうとしていた銃を持ち直す。それに、中央の隊員が反応する。


「止まれ!」

「やめろ!」

「──ハンス!」


 隊員と、ハンス、アランの声が交差する。それは、一瞬の出来事だった。銃声が数発響く。ハンスは全身に衝撃を受けると同時、右肩に急激な熱を感じる。膝をつき、銃を床に落とすと、すぐ近くで重い体が床を叩いた──アランだ。


「アラン!!」


 まるでスローモーションのような光景の後、ハンスとラビが同時に叫ぶ。撃ったのはハンスが牽制した隊員ではなく、最初にこちらに警告してきた隊員だった。肩を地面に打ち付けたアランは、そのまま仰向けに倒れ込んだようだ。防護スーツの左胸と左上腕あたり、二箇所に穴が空いている。這うようにしてハンスが近づこうとすると、撃った人物が銃身を向けてそれを牽制した。


「動くな!」

「うるせえ、救護が先だろ!」


 ハンスの剣幕に、隊員たちがわずかに身を引く。彼らは、銃弾を受けて倒れたアランの状態にも若干の動揺を見せているようだった。


「お前が隊員に銃を向けたんだろう。単なる制止射撃だ」

「先に武器構えてねぇ奴撃とうとしたのはそっちだろうが! アイツは無防備だっただろ!」


 アランの状態を確認しながら、武器を構えた隊員に対してハンスは容赦無く怒鳴りつける。その背後ではラビがホルスターやツールベルトを外し、持ち物を床に放るとアランのもとに駆け寄って屈み込む。見開いた目はみるみるうちに充血していた。


「アラン、アラン!──ねえハンス、動かないよ!」


 取り乱して悲痛に叫ぶラビを脇目に、ハンスは震える手でアランの防護スーツを開こうとして一瞬手を止める。──撃たれた箇所の一つは心臓の位置だ。絶望的であるはずだったが、血が滲む様子が一切無い。不可解に思いながらも防護スーツを開き、中のボディシャツをずらして患部を見たハンスは驚愕に瞠目した。


「な、──」


 思わず小さく声が漏れる。その瞳に映る傷口は異様だった。胸や肩に空いた穴は血を生むことなく、ただぽっかりと空いていた。まるで蝋をえぐったような滑らかな孔だ。皆の視線がそこへ吸い込まれる。事切れたように目を閉じて動かないアランは、さながら蝋人形のようだ。呆然としていた隊員たちが慄いて後ずさる。突然降り立った沈黙に、アラートとAI音声だけが響き続けた。


 誰もが動作を忘れた空間で、程なくしてアランにだけ変化が起こる。彼の胸の患部から、細くうっすらとした白い霞が小さく立ちのぼり、ゆらりと揺れては消える。その直後、傷口の奥から金属光を帯びた何かが押し出され──弾丸が、ぽとりと地面に転がった。肩の傷からも同じように弾がこぼれ落ち、わずかに滲んでいた周囲の皮膚は、ゆっくりと元の色へ戻っていく。やがて穴は徐々に閉じ、まるでそこに最初から傷など無かったかのように滑らかになっていた。そして程なくして──アランは目を開けた。


「ア、アラン──?」


 ラビが震える声で呼びかける。表情なく目を開いていただけのアランは、声に反応するように顔を歪めた。


「こ、これは──どういう事だ……? 俺は確かに撃って……」


 呆然と口を開けたまま何も言えないハンスの向こうで、撃った本人が慄いたような声を漏らす。軽く呻きながら状態をゆっくりと起こしたアランは、額を押さえて頭を振った。


「ハンス、ラビ──? 一体、何がどうなったんだ……?」

「だ、大丈夫なの? 怪我は──」


 眉根を寄せてアランが口を開く。それは、異様な光景を目の当たりにした者全てが彼自身に問いたい疑問だった。アランの疑問に応える者はいない。ラビが銃創を確認しようとするが、形跡はすっかり失われている。再び沈黙が降り、AIとアラートだけがその場に繰り返される。


『直ちに武装を解き、争いを停止してください』

『不適合者を排除してください』


 いつの間にかAIの発言がちぐはぐなものに変わっていた。相反するような二つの指示がただランダムに繰り返されている。しかしそんななか、アランを撃った隊員が再び銃を構え直し、アランに向けようとした。しかしその腕はすぐに、小さく跳ねた後に静止した。


「おい」


 低い声で隊員を制止をかけたのはハンスだ。屈んだ状態からゴーグルの奥の瞳を睨み上げる。まるで怒りのオーラを纏ったかのような静かな声に、隊員は半歩後ずさる。


「てめぇがコイツら撃った瞬間、俺はてめぇを死んでも殺す。俺はヴィクター隊長の第三部隊で実戦経験積みまくった人間だ。どうせ温室育ちのてめぇらよりも、よっぽど泥臭くて腕が立つ自信はあるぜ」


 ハンスはそのまま、横並びに自分たちを包囲する隊員を順に睨みつけた。


「俺がコイツを撃ち殺しちまったら、てめぇらは俺を殺すんだろう。──その時、ただ任務として冷静に殺すのか? それとも、仲間をやられた怒りを覚えて殺すのか?」


 中央の隊員を顎をしゃくって示しながら、ハンスは淡々と続ける。誰も彼に口を挟めない。AIの指示がループする空間で、何に耳を傾けていいのか戸惑う様子すら窺える。


「──少なくとも俺らは、俺らのうちの誰かがやられたら、やった奴を恨むだろうよ。それが火種になって、また争いが生まれる。じゃあ俺らを全員始末するか? ──果たしてそれは”正しい”ことなのか? 教えてくれよ、お利口さん共」


 ハンスから遠い隊員の一人が、隣の人物と顔を見合わせる様な動作を見せる。


「なあ、俺らは──エシュロンに会いたいだけなんだ。エヴォリスで奴らに理不尽に混乱させられて、俺らはこのハイラントのトップにいるエシュロンに疑問を抱いちまった。それを察してか、ハイラントの設備やお前らを使って、向こうは俺らを排除しにかかってる。……まあ今は、争いを止めろとか言ってるみてぇだけど?」


 ハンスの言葉を邪魔するかのように、AI音声は鳴り響く。ハンスは耳を苛む冷静な音声に舌打ちした。


「てめぇらは、この命令にどう従うんだ? 争いをやめろ、不適合者を排除しろ──どうすればこの先一切の淀みを残さず、誰もがスッキリした状態で、この二つを全う出来ると思う? てめぇらが自分の心を殺して俺らを全滅させるか? 俺にはてめぇらが”そこまで”の人間には見えねぇけどな」


 ハンスは燻る怒りに火種を足すようにして、隊員たちに言葉を衝突させる。そして、まるで何が起こったのか理解していないようなアランを一瞥すると拳を強く握る。目の前ではっきりと、もはや人間の摂理から逸脱した再生能力を発揮した”アラン”にさえ、彼は胸を突き刺すような悲嘆と、抑えきれない激情を覚えていた。


「俺はここまで、攻撃に対する反撃しかしてない。しかも撃ったのはパルス弾だ。おまけに俺以外の仲間には戦闘能力が無い。まあ、ここまでの事して今更弁明なんてしたところで、聞く耳持たねぇだろうが──」


 ──と、ハンスの耳元で途切れながらノイズが発生する。そこから微かに、こちらに呼びかける声が混ざる。アランやラビもそれを聞き、耳元に手を当てる。


『……──、……ス、──聞こえる? ハンス、アラン、ラビ! ちょっとレム、一向に繋がらないじゃない。何とか中を探れない?』

『もう無茶を言わないでください、エヴァ。エヴォリスがハイラント上に戻れば希望はありますが──』


 懐かしくすら感じるエヴァとレムの声が無線に乗せられる。ハンスはハッとして耳に手を当てると、思い出したように声を掛けた。


「エヴァ……エヴァか? そっちはどうなった⁈」

『ハンス! ──無事? 私たちはひとまず大丈夫、ケルビンも……』

「……! 待て!」


 繋がった事でエヴァの声がワントーン上がり、彼女はすかさず自分たちの状況について報告を始めようとする。しかし、ハンスは何かに気づくとそれを止めさせた。


 自分たちが通ってきた通路の向こうから、落ち着いた靴音がこちらに近づいてくる。隊員たちも奥の者からそれに気づき、そちらを振り返る。一定のリズムを刻みながらエレベーターホールまでやってきた足音の正体は、隊員たちの壁に阻まれてハンスたちからは窺えない。その人物はどよめく隊員たちを通り過ぎ、中央の隊員の向こうで足音を止める。ハンスたちからは、足を揃えて隊員と向き合う白いスラックスと白いパンプスしか確認できない。


「──ソレン隊長。部下たちに銃を下ろすよう命令してくれ。奴らは我々が矛を収めれば歯向かう意思を見せないだろう」

「だ、誰だ?」


 厳格な女性の声がその空間に加わる。ソレンと呼ばれた隊員は、戸惑いながらも銃の構えを解かずにいた。彼の視点は、女性がかざした左の手の甲に吸い寄せられる。そしてさらには瞠目した。


「PIランク4、生体構造研究主任、リュミナだ。エシュロンの指示でここに来ている。──道を開けてくれないか」


 ソレンが武器を下ろすと、命令がなくとも部下たちはそれに倣う。リュミナと名乗った女性が一歩踏み出すのに合わせてソレンが身を引くと、ハンスたちにもその姿が見て取れた。ハイラント製の白を基調としたスーツ。彼女が歩くたび、その上に羽織った白衣の裾が靡く。きっちりと結い上げた金髪、眼鏡の下の鋭利な目つき──その雰囲気はどこか、ケルビンと似通っていた。彼女がかざす手の甲には、白く発光するマークが描かれている。円の中で四つの小さな三角形が一つの三角形を築くそのマークは、ハイラント上級職員の証だ。


「……何か、そちらでも動きがあったのではないか?」


 隊員の垣根を越えてハンスたちの目の前で足を止めたリュミナは、彼らを見下ろすと腕を組んだ。──どうやら、無線の事を聞いてきている。そう察したハンスたちは、無意識に視線を交わした。


「安心しろ。お前たちを騙すつもりは無い。──そもそも我々には、それが出来ない。お前たちの事情と状況を把握したいだけだ。無線を聞かせてくれ」

「……散々こっちを攻撃してきたあんたらを、どう信じろって?」


 ハンスがリュミナを睨みつける。リュミナは眉一つ動かさずそれを受けると、徐に数歩進み、床にかがむ。そして、アランから排出された銃弾を摘み上げ、注意深く観察した。


「お前たちの弁明を聞く代わりに、こちらの弁明も通したい。──これに関しては私自身の、興味の範疇でもあるがな」


 弾丸を眺めていた瞳がハンスを射抜く。夜空の色をしたそれに感情を見出された自分の姿が映ったような気がしたハンスは、小さく舌打ちをして耳に手をかけた。


「──悪い、エヴァ。ちょっとゴタゴタしてて……で、そっちはどうなったって?」

『……大丈夫なの?』

「ああ、ひとまずは……な」


 ハンスは視界にリュミナを入れたままエヴァと無線を繋いで無線の音量を上げた。リュミナは表情を一切変えずにハンスを見つめている。その姿がブレるように、カウンセリング中のケルビンと一瞬だけ重なった。


『結果だけ言うと、ケルビンの応急処置は成功した。あとは塔に移送できればいいんだけど、……問題があって』

「さっきの斥候か?」

『いいえ。侵入者は今味方についてくれてる。ただ、包囲網が厚くなってて外に出られないのよ』

「「──は?」」


 エヴァの唐突で不可解な報告に、ハンスとラビの声が重なった。聞いていたリュミナの眉がわずかに上がる。


「斥候が味方? どういう事だよ?」

『ちょっと、……まあ、色々あって。でも、信頼して良いとは思う』


 困惑するハンスに、リュミナが端末の画面を差し出す。そこには”子細を聞きたい”という文字が表示されている。ハンスはさっと目を通すと、再びリュミナを見据えた。


「……一体、そっちで何があったんだ」

『実は──』


 ハンスの声を受け、エヴァはそれまでにあった事を駆け足で話し始めた。






 時は、ハンスたちがイージスから出て行った時点まで巻き戻る。イージスの処置室に残ったエヴァとレムは早速、処置台に乗せたケルビンの応急処置を始めるため忙しなく準備を始めていた。ケルビンの傍にカートを引き寄せてその上にレムを乗せ、エヴァはレムの指示に従ってドロワーを漁る。レムはレンズを細かく滑らせながら、ケルビンの容態をスキャンしていた。


「本当に実行するんですか、エヴァ? わたしは医療ロボットでは無いのですよ」

「あなたは医療知識にアクセス出来るし、便利な腕もたくさん持ってる。私よりずっと頼りになるのよ! 腹を括って!」

「腹を括る……わたしのボディに腹部など無いのですが……」

「よくこの状況でそんなAIジョーク出せるわね? 案外余裕なんじゃない。いい? 医療ロボットじゃないからって出来る事をやらないのはナンセンスよ。時には非合理な判断も必要ってこと!」

「──了解、エヴァ。認識を改めます」


 レムがセンサーを作動させる横で、エヴァは次に武器の確認をする。万が一新たな侵入者があれば、エヴァが対処しなければならない。渡されていたテーザーの他にあるのは、彼女専用のツールガンだ。溶接やプラズマカッター、パルスリベット、電磁ドライバ、グラップル──それぞれのモードで武器の代用が可能だが、人間に対して扱うとなると悲惨な結果を生みかねないため、下手をすれば銃よりも危険性が高い。他の工具はほとんどアランに託したため、エヴァにとってはその二つが命綱だった。


「弾丸の位置を確認。エヴァ、摘出処置を開始します。まず、止血帯を外して圧迫止血を。わたしはアームで弾を非接触摘出します」

「──わかったわ」


 ツールガンのセーフティを外し、エヴァはケルビンの元へ向かう。彼を処置室に引き摺り込んでから、エヴァはとにかく止血帯を使って止血を試みていた。弾を摘出するには、それが邪魔になる。額に汗を滲ませながら、エヴァは慎重に血の滲んだ止血帯を外しにかかる。


「ガーゼを強く押し当ててください。それから止血鉗子を。ドロワー三番にあった物です。それをわたしに」


 エヴァは指示通りガーゼ越しに患部を圧迫する。そして素早く鉗子をレムのアームに近づけると、レムがアームの先端の小さなクランプでそれを受け取る。重力が倍増したような緊張感の中、圧迫の痛みを感じたのか、意識のないケルビンから小さな呻き声が上がる。


「もう少しの辛抱よ、ケルビン」


 エヴァが無意識に気休めの声をかける。すると反応するように、ケルビンの目がうっすらと開いた。


「……ああ、これが痛み……エヴァ、どうか私を置いて……先に、行ってください……」


 うわ言のようにケルビンが口を開く。朦朧とした意識の中でも状況を把握しているケルビンに内心驚きつつ、エヴァは盛大に眉間に皺をよせた。


「馬鹿言わないで。私にまた誰かを見捨てさせる気? そんなのごめんだわ」

「肋骨下端、角度確認、吸着準備を開始します」


 エヴァの怒気を含んだ声と、レムの作業工程をなぞる声が交差する。レムは別のアームでライトを照らし、鉗子で微細血管を押さえながら、磁気作用のある細いアームをゆっくりと患部に接近させた。


「──捕捉しました。エヴァ、圧迫を強めてください」

「わかった。……ケルビン、余計な事考える余地なんかなくなるわよ」


 レムのアームが弾を吸着する。わずかな引きに合わせ、エヴァが周囲をさらに抑える。弾が抜かれた瞬間、ケルビンが短く呻く。血の流れが増すのをレムが即座に報告する。


「出血増加、圧迫強化を。縫合準備開始」


 ケースに、摘出した弾丸が落とされる。ガーゼに血が滲み、エヴァの唇が微かにわななく。流れる鉄の匂いと、照らされた生々しい傷口は、エヴァの精神を確かに削っていた。


 ふと、外の廊下から通気口を通して足音が聞こえた気がして、エヴァは顔を上げた。微細な音だったが、捉えたと同時に、ドアの外に気配を感じる。


「エヴァ、縫合はあなたが行ってください」

「わ、私⁈」

「わたしのアームでは限界のようです。こちらで指示出しと補助は行います」


 針と糸がエヴァの目前に差し出される。外に意識が割かれていたエヴァは上ずった声を上げた。


「エヴァ、時には非合理な判断が──」

「──わかったわよ!」


 エヴァはラテックスグローブを嵌め、震える手を叱咤して針と糸を受け取る。指示通り準備したものを持針器で掴み、さらにレムから細かい角度や縫合箇所の指示を受けながら縫合を進める。普段から細かい作業には慣れている彼女だが、いつも相手にしているのは硬い機械だ。エヴァは固唾を飲むことも息をするのも忘れ、手先に集中した。


 すると、外からインターホンが鳴らされる。跳ねそうになった肩を寸でのところでとどまったエヴァは、一瞬止まった作業を再開させた。


「エヴァ、外に生体反応が」

「いいから、無視してそのままこっちに集中して。すぐには破られないでしょ」

「──了解」


 レムが警告を入れるが、エヴァは意識が揺らぎそうになるのを抑え付け、レムに指示を送る。突如、ジャマー攻撃を受けたかのように室内の電気系統が点滅する。しかし影響を受けないレムは指示通りにバイタルを読み上げ、縫合補助を優先させる。一人と一体は神域に達したかのように、二人だけの静寂の中で作業を続行した。そこには、ケルビンの呻き声が入る余地すら無かった。


「──縫合完了。エヴァ、よくやりました」

「……あなたもね……」


 レムの声で、エヴァが道具をカート上に放るようにして手放した。そして脱力してその場に座り込む。作業中ずっと赤点滅を続けていたレムのLEDもグリーンに落ち着く。作業を終えたエヴァの額や顳顬には、尋常ではない汗が唐突に湧き出していた。


 しかし、問題は片付いていない。エヴァは息つく暇なく汗を拭ってドア付近へ駆け寄ると、グローブを放ってツールガンを手に取った。そして慎重に外の様子を窺うため、聴覚をそちらに集中させる。何やら機械を動かすような音を耳に捉えたエヴァは、力づくでドアが破られる前に内側からスピーカーを操作して通信を繋げ、外へと通話を試みた。


「待って。重傷者がいるの。手荒な真似はやめて」


 エヴァの声に、外の音が静まる。相手の行動が停止した様子を感じ取ると、彼女は続けた。


「お願いだから、いったん攻撃や拘束はやめてほしい。──塔の医療施設に移送する必要があるわ。そこまで見届けて、適切な処置が約束された後なら、私たちはそっちの指示に従ってもいい。それまでは、そっちが攻撃して来ない限り、こっちからは攻撃しない」


 しばらく沈黙が続く。相手の姿が見えない中、エヴァは焦ったさに歯噛みする。すると、患部の消毒と保護を行っていたレムがエヴァに向けてレンズを回した。


「外の生体反応は四人です。そのうち一名は動けない模様。恐らくハンスが制圧した人物です」

「そう。──まだそれだけの人数しか入ってきてないのは僥倖なのかしら」


 エヴァは肩を竦めて皮肉げに笑みを浮かべる。ツールガンを握る手に力が込もる。すると、ようやく相手から反応が返った。


『保証が無い。俺たちにはお前らの制圧と拘束命令が出ている。直ちに武器を捨てて降伏するんだ』


 会話に応じる相手にわずかな希望を感じたエヴァは、心の中で喜びに拳を握った。


「聞いてほしい。一刻を争う状態なの。あなたの上司でもなんでもいいから、塔の医療施設へ患者を連れていくよう頼めない? 私たちはそっちの攻撃を避けて地球に帰還しただけ。攻撃の意思なんか元々無いのよ」

『こっちには負傷者が出てる。本当に攻撃の意思が無いと言えるか?』

「詭弁だわ。どうせパルス弾で昏倒してるだけでしょう? こっちはその負傷者が撃った実弾を受けて──仲間が一人死にかけてるの! そもそも、その攻撃があったからハンスは私たちを守るために反撃したのよ!」


 エヴァが苛立ちで声を荒げていく。相手がこちらの言い分に対して聞く耳を持たないことは想像の範疇だったが、それでも実際に理不尽な対応を受ければ精神が乱れる。その理不尽に突き動かされた言葉が、見えない刃となって相手を斬り付ける。


「自分たちに置き換えて想像して。あんたたちは自分たちの仲間が致命傷を受けても黙って無抵抗でそれを受け入れて、放置するの? 自分含めて全員が全滅させられるかもしれないのに、銃を向けてくる相手の前で馬鹿みたいに武器を捨てられるの?」


 何も応えないインターホンに向けて、さらにエヴァは畳み掛ける。摘出処置を成功させ、あと少しというところで現れた障害に対し、彼女は焦燥でいささか冷静さを欠いていた。


「いい? 私たちが何も疑問を抱かず従ってきたエシュロンは狂ってる可能性があるの。私たちが迎撃されてるのは、宇宙でそれに気づいたからよ。私たちはエシュロンの意思によって内部崩壊の危機に陥った。ケルビンだって望まない行為をエシュロンに強いられて、それを実行して精神崩壊しかけたの! だからエシュロンから切り離すために通信手段を絶ったのに、今度はそれが原因で敵対視されて、帰還も容易じゃなかった! ……どうして。どうして、エシュロンの指示で惑星探査に行っただけの私たちが、──成果を持ち帰った私たちが、こんな目に遭わなきゃならないのよ⁈」


 矢継ぎ早に吐露される彼女の感情の爆発は、もしハンスたちがこの場に居ればさぞ驚いただろう。エヴァはツールガンを片手に、もう一方の手で拳を握り、壁に叩きつけた。彼女にレンズを向けていたレムのLEDが黄色く点滅する。目をきつく閉じて痛みに耐えていたケルビンはうっすらと目を開き、霞む視界で天井を見つめながらエヴァの声を聞いている。


 すると、スピーカーの向こうで異変があった。何やら離れた位置でやりとりが交わされているようだが、詳細までは耳に入らない。その間、エヴァは荒くなった息を整えた。いつもの冷静な彼女が再び顔を覗かせる。エヴァは再びツールガンを両手で構え直した。


『──今、ケルビンと言ったか?』

「……え?」


 あまりに予想外の問いかけに、エヴァは片眉を上げて表情を歪ませる。思わずレムを振り返ると、レムはLEDを黄色く点滅させたまま戸惑うようにレンズを微細動作させるだけだった。


『ケルビンというのは、ドクター・ケルビンか?』


 隊員の声に動揺の色が混じる。怪訝に思いつつ、意表を突かれてある程度落ち着いたエヴァは素直に応対した。


「ええまあ……医療主任のケルビンだけど……何、もしかして惑星探査のクルーについて共有を受けて無いの?」

『俺らは末端の隊員だ。簡単な指示しか受けていないから、惑星探査が行われたってことしか知らない。あんたらに関しては、最悪の場合排除も視野に入れつつ、可能であれば拘束しろとしか言われてない』


 突然歩み寄るような姿勢を見せる相手に警戒しつつ、エヴァは彼らの言い分に耳を傾けた。スピーカーに耳を近づけながら、名前の上がったケルビンを見やる。彼の右手が、小さく彷徨うように自身の腹の上を泳いでいる。その動作に意思を感じるものの、それだけで満足に動けない彼の心情を汲み取るのは困難だった。


『もともと俺たちは、一年くらい前までは医療施設に保護されてたんだ。──ドクター・ケルビンの計らいだった』

「──!」


 エヴァが好機を感じ取って息を飲む。まさに僥倖だった。


「怪我人だったの?」

『いや、PTSD発症者として──壁外に放り出されるところだったのを、拾われたんだ。……担当が変わったと聞かされて、結局部隊に戻されはしたが、──こうして、上手いこと使われるだけに留まれた』


 エヴァの問いかけにも、今度は素直に応じている。たったひとつの意識共有で逆転した状況に、エヴァは身が軽くなる思いだった。無意識に安堵の溜息が漏れる。


『──もしかして、仲間が撃ったのは、ドクター・ケルビンなのか……?』

「そうよ。弾の摘出はなんとかここで出来たけど、そもそも医者の施術を受けられてないの。だから、塔の医療施設に移動して、ちゃんとした医者に治療してもらう必要がある」


 焦りが含まれた問いかけに、エヴァはすかさず返事を送る。一時置いて、相手から『──わかった』と重々しい声が返ってきた。


「──じゃあ、お互い武器を捨てましょう。……と言っても、どうやって信用してもらったらいいかしら? お互い不安よね?」

『俺の端末情報を言う。それで映像共有出来ないか?』

「いいわ、じゃあお願い」


 相手の申し出を了承したエヴァは、早速紡がれる端末情報を自分の端末に入力し、通信をつなげる。互いにカメラを起動させ、壁に隔たれた映像が共有される。エヴァの端末には、廊下に待機した三人の隊員が映されていた。年嵩の男が一人と、若い男の隊員が二人。パルス弾を受けた一人は動けずに、入り口付近に待機しているのだろう。画面に移った端末の持ち主は、三人のホルスターからセカンダリまでしっかり武器が抜かれ、手の届かない位置に滑らされていく光景を映し出す。確認したエヴァは室内を写しつつ端末をレムに預け、向けられる画面に向かってテーザーとツールガンを手放す姿を見せつけ、部屋の隅へと追いやってドアの位置に戻る。互いに無防備な状態となったところで、ドアの操作パネルに手をかけた。


 機械的な音を立てて素早くドアが開く。ケルビンやレムの傍に移動したエヴァは、開いたドアからおずおずと処置室に入る隊員たちを見つめた。ゴーグルやヘルメット、マスクで顔全体を覆っていた人物がそれらの装備を外す。頬や額に浮かぶ皺から、彼が年上の隊員だと分かる。後続の二人はマスクをつけておらず、若い隊員であることが窺えた。


 相手は一様に、ケルビンの状態を見てざわついた。そして、それぞれが小さな反応を示す。年嵩の男は拳を握りしめ、瞳を泳がせる。若い隊員の一人は呼吸を荒げて後ずさるように身を引き、もう一人は目を逸らす。そんな様子の彼らを目の当たりにして、このような状態の人間が真っ先にイージスに送られたのかと、エヴァは目を丸くした。


「し、死なないよな、助かってるんだよな……?」


 後ずさった青年が掠れた声で誰に向けるでもなく問いかける。エヴァは頭を振って応答した。


「さっきも言ったでしょ。弾の摘出は済んでる。でも、それだけじゃ不十分なのは分かるわよね? ──だから、一刻も早くちゃんとした医療施設に移動したい。協力してくれる?」







『──で、今どうやって外の包囲網を越えようかって話してるところなの。……装甲車は一台残ってるけど、負傷したケルビンを乗せて相手とやりあうのは危険だし、あんたが撃った隊員はまだ目を覚さないし、──向こうに斥候が寝返ってるのが伝わってるかどうかは定かじゃないけど、このまま篭城してたら追加が来る。あんたたちとは無線も繋がらなくなるし、何かあったんじゃないかって気が気じゃなかったわよ』

「それはこっちのセリフだよ。──俺らだって途中でそっちに無線しようとしたけど、繋がらないから諦めたんだ」

『そうだったわ。お互い様ね』


 エヴァの話を聞いたハンスたちは、思いがけない再会をきっかけに危機を脱していた彼女たちの状況を知り、安堵のあまり脱力した。ハンスは長い溜息を吐き、ラビは小さく乾いた笑いを漏らしながら項垂れる。アランだけは困惑の境地でいまだ彷徨っているようだったが、三人の張り詰めた空気は一旦、落ち着きを取り戻しつつあった。


「──そうか。ケルビンはそのような状況にあったのか……想像だにしなかった。実に、興味深い」


 落ち着いたリュミナの声がそう呟くと、それを拾ったのか、無線の向こう側に緊張が走る。リュミナの反応に眉を潜めたハンスは、エヴァが鋭く息を吸い込む音を聞いた。


『──誰かいるの? ていうか、そっちは無事なのよね?』

「無事無事! ちょっと色々ありはしたけど、僕らは──とりあえず、無傷だよ」


 エヴァを安心させるためか、ラビが即座に応答する。隊員たちやリュミナに視線を移しながら朗らかな声で報告するが、最後にアランを見やると言葉尻が萎む。アランは反応を示さない。


「何とか、レイヤー・ゼロにも行けそうなんだ。──だよね?」


 ラビは確認するようにリュミナに向けて問うように報告する。リュミナは一つ肯くと、摘んでいた弾丸を白衣のポケットに入れ、立ち上がった。そしてラビが必死に開こうと奮闘していたエレベーターへ歩みを進めると、センサーパネルに手の甲を翳す。すると、いとも容易く軽い電子音を鳴らしてエレベータが作動する。彼女の足元にはラビのジャマーが入ったバッグと、そのひとつから伸びたケーブルが虚しく転がっていた。


「ソレン隊長。私たちはこれより上層へ向かう。君は──何とかイージスのクルーたちが敵では無いということを外の隊に伝達してくれないか? 現状、ここにいる人間は我々ランク4職員含め、状況を把握仕切れていない。頼みのAIは混乱中……難しいかもしれんが、やってみてくれ」

「──だが、それは──エシュロンの意思なのか? 指示範囲から逸脱してないか?」


 リュミナの頼みを、ソレンが二つ返事で承諾することは無かった。言葉を若干詰まらせながらも、彼女に窺いを立てるのみ。リュミナは表情を変えずに小さく溜息を吐くと、腕を組んだ。


「ふむ。やはりそうなるか……まあいい」


 リュミナはそう呟くと目を伏せ、顎を摘んで逡巡する。そしてすぐに腕を組み直した。


「──いいか、私がここに来ているという時点で、エシュロンの指示下にある証左だ。本来ならこのような状況でランク4職員が現場に出向くことはないからな。だが、今の依頼は違う。これは私個人の判断だ。それを”エシュロンの意志”と解釈するかどうかは君の裁量に任せる。──この者たちの事情は、これまでのやりとりで凡そ理解できただろう?」


 ソレンの瞳を射抜くリュミナの眼光は挑戦的にも見えた。ハンスは彼らの様子から、上級職員や計画的出生者たちにも、何か見えない楔がある事を察する。強固に打ち付けられたそれを引き抜く発想自体に制限がかかり、行動が抑制されるのだろう。特にソレンの反応は顕著だった。ハンスは、自分の知る隊長像とは掛け離れた彼の様子に少なからず落胆していた。


『……それなら、そっちはとにかく上に行く事に集中した方がいいわね。こっちはこっちで何とか打開策を考えてみるわ。──味方も増えたことだしね』


 エヴァが探るような声を無線に乗せる。仲間以外の誰かがいる事を察していたのか、慎重に口を噤んでいたようだ。


「ああ。もしかしたら、隊の動きに変化があるかもしれない。相手をよく見て注意深く進んでくれ」

『──了解。何か分かったらまた連絡する』


 ハンスは何とも言えない意味深な伝言しか残せなかったが、エヴァは特に事情は聞かず、さっと無線を閉じた。


 ちょうどその時、リュミナが呼んだエレベーターがホールに到着した。到着の電子音だけを響かせ、静かにドアがスライドする。真っ白な清廉の箱が口を開ける。リュミナはアランの元へ歩み寄ると、上体を起こしたまま無線に一切参加していなかった彼の手前で足を揃えて静止した。


「──さて、アラン・ローワン。……いや、”そう呼ぶべき存在”なのか、まだ確証は無いが。──立てるか?」

「あ──、ああ……」


 アランが掠れ声で応え、ゆっくりと立ち上がる。ハンスとラビもそれに倣う。リュミナはアランが動ける事を確認すると、乱雑に転がったラビのバッグのハーネスを拾い上げる。そしてバッグだけを取り外すと、ハーネスだけを持ってハンスに近づき、腕を取って止血を始めた。ナイロンストラップがリュミナによって引き締められると、ハンスは押し殺した呻き声を漏らす。出血量は酷くはなかったが、防護スーツの上にはいくつか血の筋が垂れている。その後ろではラビが思わず自分のバッグに手を伸ばそうとして止めていた。また銃を向けられたらと躊躇ったようだ。


「何もないのでこれで我慢しろ。見たところ心配するほどの傷じゃない。今はまず、上層へ向かう事を優先してもらう」

「あ、ああ、──悪ぃ」


 リュミナの瞳は冷ややかだが、決して冷酷な訳ではなかった。処置が終わればさっさとエレベーターへ向かっていく背中も同様だ。こちらをただ観察し、適切な対処をしようとする冷静な姿勢でしかない。ハンスは、そんなリュミナが変わり者に見えるのは、自分が外部出生者だからだろうかと心の中で独りごちた。


「では、アラン・ローワン、ハンス・ローワン、ティム・ナイの三名はこちらへ。武器の類は持たずに同行しろ。ひとまず上層へ向かう」

「あっ、ちょっと!」

「──ティム・ナイ?」


 リュミナの言葉に、慌てたラビの声が被さる。しっかり聞き取っていたハンスは眉を潜め、気まずそうに肩を竦めるラビに向かって耳慣れない名前を復唱する。黙ってリュミナの後を追うラビにハンスはそれ以上問い詰める事をせず、後方で立ち尽くすアランを振り返った。彼の中で何の葛藤が起こっているのかまでは汲み取れないが、ひとまずこの場を離れるのが得策だ。少し前より冷静さを取り戻していたハンスは、視線でアランについてくるよう促した。


「すまんな、お前は”ラビ”と名乗っているんだったか。識別名称はティム・ナイのままなのでそう呼んだが、何かまずいことでもあるのか?」

「き、気持ちの問題なんだよ! ──あ、ねえ、僕の道具だけ持ってっちゃだめ? 全然武器じゃ無いんだけど」

「──まあ、いいだろう。性能はある程度見させてもらった。取るに足らない物だ、問題無いだろう」

「ぐっ……」


 エレベーター前では、リュミナが意図せずまるで手玉に取るようにラビの相手をしている。ラビは歯軋りすると、黙って地面に転がったバッグを全て拾い上げ、エレベーター内に駆け寄った。全員が揃ったところで、リュミナは再びソレンたちに向かって声をかけた。


「ではソレン隊長、後のことはよろしく頼む」


 未だまごつく様子を見せる隊員たちを断ち切るように、応答を待たずドアは静かに閉じられる。ほとんど音もなく上昇を始めるエレベーター内で、手持ち無沙汰にハンスはアランやラビ、自分の状態を観察する。白色電灯に照らされた清潔な白い空間のもと、これまでの道のりを物語る装備の乱れや汚れに今更気づく。どっと疲れが襲った気がして、ハンスは腰に手を当て、大きく項垂れて溜息を吐いた。







「ねえ、何で突然エシュロンは僕らを呼んだの? ──まあ僕らっていうか、アランを呼んでるんだろうけど……」

「そうだな。正確にはアラン・ローワンのみ随伴させるよう指示があった。他二名をその名に連ねたのは、私個人の判断だ。その方がアラン・ローワンを素直に従わせられるとエシュロンに進言し、了承を得た」

「さっきの人も言ってたけどさ、……それって、君たちにとっては”逸脱行為”になるんじゃないの? なんか聞いてると、エシュロンに進言すること自体が逸脱行為に繋がるような雰囲気感じるんだけど」

「本来であればそうだな。だが、AIが混乱している原因も掴めていない状況では迅速な判断を下し、対処するのが妥当だ。混乱した状況において、あくまで自由意志ではなく、提案としての進言であれば通るのかどうか──結果的には試すような形となった」

「通らなかったら、リュミナはどう思ったの? ていうかエシュロンの指示ってどうやって君らに降りてるの? ケルビンが持ってた専用タブレットみたいなのがランク4職員には配られてるってこと?」

「──質問が多いな。現状致し方ないことなのかもしれないが、興味の拡大は身を滅ぼすぞ。少しは口を慎め」


 エレベーターがチューブ内を天に向かって疾走するなか、黙って壁に背を預けて腕を組むハンスや、ハンドレール片手に重心を保つアランと違い、ラビは質問攻めを開催していた。リュミナは一切表情を変えずに彼に応対していたが、そのうち面倒になったのか、最終的には明確に口を閉ざすよう言いつける。だが、危地から脱したことで安堵したラビはそんな事では止まらない。ハンスは心の中でリュミナに同情した。


「だって、今ひとつ指示系統が見えて来ないんだもん。エシュロンはAIを止められないの? ──例えばエヴォリスのレムのコアが、独立しだしたレムのボディを止められなくなるみたいに。それともエシュロン自体が壊れてて、君らや僕らだけが振り回されてるの?」


 ラビが、単純に疑問を呈する事を装ってリュミナに探りを入れている。そう察したハンスは彼の行為を咎めず、わざとらしくうんざりした溜息を吐く。心の中では「いいぞ、もっとやれ」とラビを焚きつけながら。


「くどいぞ。──お前が能力の割にランク3に留まっている理由がよく分かる」

「うるさいな。別に僕はランク4になりたいなんて思わないよ。少なくとも、リュミナを見てる限りはね」


 口を尖らせるラビにふっと笑うような反応を見せるリュミナだったが、その鉄面皮は変わらない。しかし、止まらぬ上昇を告げる階層表示を見上げながら、彼女が少しだけ遠い目をしたのをハンスは垣間見た。


「本当に今のままで満足しているのか? ランク4になればもっと最新鋭の研究に携わることが出来るぞ。──ケルビンも一時期は危うかったが、とどまったからランク4となってあれだけの成果を残せた。だからあの若さで”上級臨床監察医”まで登りつめられたんだ」

「ケルビンが、──”危うかった”?」


 ハンスが思わず口を挟む。リュミナは肩越しにハンスを一瞥し、前に向き直った。


「──ああ。奴は心理学から精神医学にまで興味を示した。その一環として、犯罪心理のアーカイブにまで触れようとした。エシュロンから制限がかかったと、私に若干の不満すら述べてきた。──私は止めたんだがね。結局、奴はエシュロンの制限には従ったものの、精神疾患患者の経過観察と称して外部出生者……主にDEFセクター隊員に対する実験的診察を申し出た。結果として、壁外に出されるはずだった者たちを観察対象として保護し……その行為が彼自身を助ける形となったわけだ。こう見えて私も、驚いているんだよ」


 リュミナの話が途切れると同時にエレベーターが徐々に速度を緩めて停止し、電子音が到着を告げる。ドアが開くと、目の前には相変わらず白い空間が現れた。しかし中層以下と異なるのは、横に広がる通路の壁が、大きな窓になっていることだった。堅そうな雲の塊が浮かんだ真っ青な空、果てなく続く夕焼け色の荒野。高さ二千メートル付近の景色は圧巻だった。それよりも高い景色をイージスから見た筈だ。だがあの時は眺望を楽しむどころか、視界を確かめる余裕さえなかった──ハンスはそんな記憶をぼんやりと思い出した。


「わお! 相変わらず荒野しか無いけど、下とは全然違う景色に見える」


 早速ラビが窓に近づき、景色にかじり付く。リュミナと並んでエレベーターを出たハンスの後にアランが続く。しかしこれまで緩慢な動作で追随する事しかしなかったアランは、目の前の二人の脇を通り過ぎて窓に近づき、ラビの傍で外を眺めた。窓に片手を触れ、遠い荒野の景色に没頭し始める。始めはそれを観察するように見つめていたリュミナだったが、すぐに「行くぞ」と二人を呼び寄せた。


「レイヤー・ゼロへのエレベーターはアークス・ラボ内に存在する。そのセキュリティはエシュロンしか操作出来ない。私もレイヤー・ゼロには行ったことが無いのでな。その先は未知の領域だ」

「じゃあ、リュミナもエシュロンに会ったこと無いの?」


 白い空間が陽の光を反射する。そんな緩やかな曲線を描く通路を進みながら、ラビは質問を再開する。先頭を歩くリュミナは事もなげに「ああ」と応えた。


「もしかして、誰もエシュロンに会ったことなかったりするのかな? ──それって、本当に人間なの? エシュロンって確か、五人の頭脳集団なんだよね?」


 ラビの揺さぶりにも感じられる問いかけは、リュミナの感情に全く影響を与えなかった。彼女は表情や声音を一切変化させず、ただ目的地に向かって歩みを進める。


「エシュロンの存在に言及することは、重要なことなのか?」

「そりゃ、人間か……例えばAIかで対応変わらない?」

「──エシュロンとはハイラントの”基盤”だ。どんな存在であろうと、問題ないだろう」


 リュミナの声は鋼のように硬質だった。彼女の確信の強さに、ラビは思わず口を閉ざす。彼女の発言からは負の感情が一切感じられない。二人の話に耳を傾けていたハンスは、もしエヴォリスに乗っていたのが彼女だったら、ケルビンと同じ道筋を辿ったのだろうかと漠然と考えていた。


 程なくしてアークスラボに到着すると、白い壁面に溶け込むようなドアに向かってリュミナが手の甲を翳す。ドアが反応して素早く開くと、まず白い廊下がしばらく続く。その先に開けた空間と、中心を支える主軸のような円筒形が見えた。リュミナは静かに廊下を進み、ハンスたちは自然と縦に並んでその背に続く。開けた空間には、四つの正九角形のテーブルが主軸を囲むように配置されていた。さらにそれを囲むように九つの扉が並ぶ。壁の構造はまちまちで、白い壁で中が見えない部屋がほとんどだが、半透明や透明の壁も見られ、バリエーションに富んでいる。内部が窺える部屋を見ればそれはどうやら研究室で、中のデスク着いてこちらを眺めている人物の姿が見える。機械的であるのにどこか神秘的にも感じられる不思議な場所に、ハンスたちは三者三様に辺りを見渡した。


「すっご……! ていうか、整いすぎてて寒気してきた。これ、本当にラボ?」


 ラビが腕を摩る。エヴォリスのラボの惨状を見たことがあるハンスは、「だろうな」と小さく呟く。見える部分には一切の無駄が無い──そこは、彼らランク4職員の象徴のような場所だった。


「ヘリオ、オプティフェイズを解除しろ。エシュロンの指示とはいえ、イレギュラーな職員を入れているんだぞ」


 透明なラボに向かってリュミナが鋭い声を投げる。すると、中の人物が両手を広げて肩を竦める。壁にスピーカーがあるのか、室内の人物とも壁越しにやり取り可能らしい。ヘリオと呼ばれた男は、どこか皮肉げな笑みを浮かべてリュミナに応えた。


『俺のラボには見せて困るものなんか無いさ。それより、俺のVR訓練システムをガラクタだと証明してくれた彼らの顔を拝みたくてな』

「──だから言っただろう、計画的出生者にも擬似的に痛覚を与えろと。お前は現実味に欠けるVRの映像性能にこだわりすぎる。戦う者の立場はいつも後回しだ」

『だって、計画的出生者に痛みなんか経験させて心的外傷なんて植え付けたら、再調整プログラムが面倒だろ? あいつらはハイラントの中しか知らないんだ。外部出生者みたいに、適応出来なきゃ外に戻すってわけにもいかないんだからさ』


 ヘリオの声は軽くどこか芝居がかっており、軽薄にも感じられる。そんな態度にリュミナは小さく息を吐いた。


「……まあいい。とにかくオプティフェイズを切れ。念の為の措置だ」

『はいはい、相変わらず融通の利かない女だね』


 ヘリオは面倒臭そうにわざとらしく眉尻を下げると、緩くウェーブのかかったブルネットを後ろに撫でつけた。そして椅子の手すりを指先で軽くスナップする。すると瞬時に壁は白く染まり、室内が姿を隠す。同時にスピーカーも解除されたのか、そこから声はしなくなった。


「──ランク4にも、あんな奴がいるんだな……」

「ああ見えて奴も歴としたランク4職員だ。態度は時折不適切だがな」


 呆気に取られるハンスを横目に、リュミナは床と天井を貫く中心の円筒形へ足を進める。そして、ドアのような切れ目の一歩手前で足を止めて振り返った。


「さて、私が扉に触れればエシュロンが応え、このコアシャフトの扉が開く。入ることを許されているのはお前たち三人だ。──いいな?」

「ちょっと待った!」


 突然、ラビが軽く片手を上げた。周囲の視線が彼に集まる。ラビはバッグを抱え直しながらリュミナの前に一歩躍り出た。


「その前に、このフロアってCTLセクターがあるでしょ? ハイラントのセキュリティをマニュアルにして、隊員への指示出しとかも統制することって出来たりしない? そしたらエヴァたちも、安全に塔の中に移動できるよね?」


 出来る前提といった様子で訴えかけたラビだったが、リュミナは静かに首を横に振った。


「すまないが、それは出来ない」

「は、何で⁈」


 ラビが声を荒げる。責めるような目を向けられても、リュミナは眉ひとつ動かさない。


「CTL並びにOBSセクターの指示系統を直接司っているのはエシュロンだ。そもそも”マニュアル”などというシステムは存在しない。それに、もし仮に私がシステムに介入して勝手にセキュリティを操作出来たとしても、それはエシュロンから権限を奪う逸脱行為だ。──ランク4職員にとってそれは、最も耐えがたい苦痛だ。エシュロンに背くということは、単なる”行為の逸脱”ではなく”構造そのものの崩壊”に等しい。意識は軋み、存在が危ぶまれる」

「エシュロンがおかしかったとしても?」

「それはお前たちの言い分だろう? お前たちが正しいかどうかは、これからエシュロンがお前たちに下す判断によって決まるんじゃないのか?」

「……さっき自分だって”AIが混乱してる”って言ってたよね? それであのソレンって人に後の事任せたのは逸脱行為にならないわけ?」

「エシュロンの意志に”争いの停止”と”不適合者の排除”があるのは間違いない。それを踏まえ、相手の状況を見てひとまずの判断を下させることにしたのは、ある種実験的な行為だ。これは彼自身の評価と、行動パターンのデータ構築に繋がる。逸脱行為には当たらない」


 リュミナは淡々と答える。その無感情さに、ラビの声が自然と低くなっていく。ハンスたちもこの短時間で、彼女らの奇妙な歪さを感じ取っていた。エシュロンの懐で育てられた真っ新な存在──ただそれだけなのだ。ハンスはずっと彼女を敵か味方か判断しようと試みていたいが、それを放棄した。自分たちは何か、大きな思い違いをしていたのかもしれないと直感する。


「ラビ、食い下がっても無駄な気がする。──そもそもこいつら単純な”上の人間”じゃねぇんだよ。いや、……うまく言えねぇけど、ただの管理者とか、観察者とか、そんな存在なだけって気がしてきた」


 ハンスがラビに向かって声を潜める。その様子すらじっと見つめるリュミナを見返しながら、ラビは大きく溜息を吐いた。


「──わかった。じゃあ、僕がやる」

「あ?」


 突然ラビが、抱えていたバッグを近くのテーブルに並べ始める。若干不貞腐れたような背を追ってハンスが思わず声を上げ、リュミナはわずかに眉を持ち上げる。そんな怪訝そうな彼らを無視したラビは、開けていなかった最後のバッグから黒いボックス状の機械を取り出した。


「僕が残って、セキュリティ操作を試してみる。僕がやるなら、君らの逸脱行為にはならないだろ?」

「……何だと?」


 リュミナの目が細められる。ラビは挑戦的な笑みを浮かべるだけで、譲る姿勢を見せない。それどころか、リュミナに一歩詰め寄ってみせた。


「管制室があるなら案内してよ。それだけでいいからさ」

「そんなこと許すわけがないだろう。黙って見過ごすことは出来ない」

「君らの屁理屈みたいなルールを利用させてもらうなら、僕のこの行為は”まだ”逸脱行為にはならない筈だよ。それが決まるのは、エシュロンが何かしらの判断を下してからだ。つまり、エシュロンが僕らを敵と見なしたなら僕の行為は違反になる。そしたらそこで罰するなり何なりしたらいい。でも僕らが間違ってないって認められたら、窮地を脱する一手になる。──どう?」


 抜け道を突くような彼らしい言い分に、リュミナは二の句を告げずに低く唸る。ラビは勝ったとばかりに会話を止め、さっさと移動する準備を整えた。


「けどお前、一人で残るって──」


 ハンスが懸念を口にしようとしたところで、ドアが開く音が小さく鳴った。反射的に全員がそちらを振り向く。ヘリオと対面の位置にある部屋から出てきたのは、赤茶色の巻き髪を一つに編んだ、少女のような顔立ちの女性だった。パンプスの軽快な音とともにハンスたちに近づいた女性は、輪の隅で止まると片足に重心を乗せ、踏ん反り返るように腕を組んだ。


「面白そうじゃない。──やらせてあげてもいいと思うけど。ねえ、リュミナ?」

「──アシェル」

「メタリンク設計主任のアシェルよ。よろしく」


 アシェルと呼ばれた女性は不敵な笑みを浮かべ、ハンスたちを順繰りに観察した。そして組んだ腕を解き、手振りを加えながら自己紹介を始める。


「──この者たちの対処は私に任せるんじゃなかったのか、アシェル」

「だって、あたしの管轄に関わってくることだから、ちょっと助言してあげようと思って」


 眉を潜めるリュミナと対照的に、アシェルは楽しげに笑う。ヘリオに次いで現れた癖の強い職員に、ハンスは口元をひくつかせた。


「そりゃあ管制システム弄らせるのはリスクだけど、何をするか観察する価値はあるんじゃない? それが今後のシステム更新の参考になるかもしれないし。──とはいえ、この子のオモチャはエレベーターには通用しなかったみたいだから、果たしてデータになり得るかは疑問だけどね」


 小馬鹿にするような言い方だが、単純に事実ベースで発言している雰囲気は窺える。ラビはむっと口を尖らせたが、ハンスはアシェルにも直感的に、リュミナと同質な何かを感じ取っていた。


「確かに今、管制系統がごたついてる。あたしたちは手が出せない。抜本的なシステム改善が今後必要になるかもしれないって時に、彼を通して動作チェックしておくのはいいことなのかも。彼らがもし敵と見做されたとしても、あたしたちが問われるのは監督責任であって、逸脱行為じゃないわ」

「そうそう。そういうことにしておけばいいんじゃない?」


 考えあぐねるリュミナに対し、アシェルはさらに意見を重ねる。不服そうな声でありながらも、ラビがそれに便乗して焚きつける。背丈もそう変わらない二人がリュミナを陥落させようとする姿はどこか、親に何かをせがむ姉弟の姿にも似ていた。


「──……はあ。……分かった。ではラビ、くれぐれも余計な真似はするなよ」

「他の職員は出てくる気が無いみたいだし……決まりね」


 たっぷり時間をかけて思考を巡らせたリュミナは、最終的に渋々頷いた。アシェルが口角を持ち上げてラビに試すような視線を向ける。ラビは舌を出しそうなところを耐えて口を引き結ぶ。


「けど、いくらこいつらがひとまず俺らに肯定的とはいえ、一人で残るのは──何かあった時危険だろ」

「余計なこと考えなくていいよ。僕らを助けたいなら、そっちがエシュロンにうまく立ち回ってくれたらいいんだから」


 ハンスの危惧をラビは一蹴する。彼のどこか落ち着き払った態度は、何か策がある時だ。不安を胸の奥にこびりつかせつつ、そう察したハンスはそれ以上、彼を止めることはしなかった。


「──アラン」


 コアシャフトの前に移動したハンスとアランに、ラビから声がかかる。あれ以来ずっと黙ったままのアランを気にしていたのか、その表情は真摯なものだった。


「僕は”君”を信じてるよ」


 振り返ったアランに真剣な眼差しをむけたまま、ラビは静かに言った。アランの目がわずかに見開く。返事を待たず、ラビはそのままハンスを見上げた。


「じゃああとは頼んだからね、ハンス! 君の運はまだ尽きてないよ!」

「──わかってるよ」


 リュミナの手の甲がシャフトに翳されると、扉に模様のような白いインディケーターラインが一瞬走る。するとドアが音もなく開かれ、招かれるようにハンスとアランは中に足を氷見入れる。


 手を振って見送るラビに、ハンスは片手を上げて応じる。ドアが閉まる寸前、「ああレム、今どこにいる? ──」と、無線に呼びかけるラビの声がして、すぐに閉ざされる。静寂の白い空間で──とうとうハンスはアランと二人、レイヤー・ゼロへと上昇した。


長いお話ですが、もしここまでお読みいただいた方おりましたら感謝です。

人生において物語を作って完結させるという行為を初めてやり遂げました。色々パンクしそうになりながら仕上げましたが、今後誤字脱字修正などに加え、表現の修正などさらっと行うかもしれません笑


色々勉強にもなり、楽しくもありました。ありがとうございました。

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