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傷ついたガル2

 しばらく呆然と見ていた僕は、ハッと気がつき「背中の傷!」と慌てて駆け寄った。まだわずかに膨らみ続けている毛の間から、刺さっていた太い針が次々と抜けている。抜けるときの衝撃のせいでプシュッと血が噴き出ることに気づき、慌てて綺麗な布で傷口を押さえた。

 押さえては止血し、次の場所から血が噴き出したら新しい布でそこを押さえる。何度もそれをくり返しているうちに太い針はすっかり抜け落ちていた。ホッとしつつ、改めてガルを見る。


(人狼って、こういうふうに狼になるんだ)


 ガルのかっこいい顔も獣に変わっていた。お尻のあたりからはふさふさの尻尾が出ている。手足は大きく、肉球のようなものも見える。

 完璧な狼の姿になったガルに見惚れながらも改めてその大きさに驚いた。たしかに姿形は狼だけれど、大きさがあまりに違っている。人の中では決して小さくないはずの僕の体も、この大きさならすっぽり覆われてしまうだろう。まるで銀毛の魔獣のようだと思った。いや、聖獣のほうが近いかもしれない。


「大きくて綺麗だなぁ」


 思わず漏れてしまった僕の声に気づいたのか、狼の頭がむくりと起き上がった。そうして「グルル」と小さく鳴いてから顔をこちらに向ける。獣らしい顔は大きくて恐ろしい。でも、僕にはとびきり美しく見えた。キリッとした凛々しい眼は大好きなエバーグリーンで、狼は間違いなく僕が大好きなガルだ。


「ガルは狼になっても男前だね」


 僕の言葉に呆れたのか、エバーグリーンの眼がわずかに細くなる。


「そうだ! 早く手当の続きやらないと!」


 ハタと気づいた僕は、大急ぎで薬箱を引き寄せた。傷口を覆っていた布をどけて刺された痕を見ようとしたけれど、毛が邪魔をしてよく見えない。血で絡まっている部分を濡らした布で拭いながら、少しずつ毛を避けて皮膚を確認する。

 毛を引っ張らないように、それでもできるだけ早くと思いながら確認した傷は全部で十二カ所あった。そのうちとくにひどいのは二カ所で、右肩近くと腰の近くはまだ血が出ている。清潔な布で血を拭ってから、刺さっていた穴を塞ぐように止血剤を塗り込むことにした。

 薬を付けると近くの毛がブルッと震えるように揺れた。薬を塗り終わったところを保護するための布を当てると皮膚がうねるように動く。おそらく痛みで反射的にそうなるのだろう。


(そのくらい痛いのに、僕の手当の邪魔をしないように我慢してくれてるんだ)


 この大きさだと、僕なんて身震いしただけで吹っ飛ばされるだろう。それがわかっているからガルはひたすらじっとしているに違いない。


「大丈夫、僕が絶対に治してみせるから」


 僕の声に、ガルが「わかってる」と答えるように小さく「グルル」と鳴いた。


 それからひと月あまり、ガルは狼の姿のまま過ごした。僕は朝と晩の二回、毛を避けながら傷口を確認し、消毒や塗り薬で手当を続けた。どうやらあの太い針には魔女が触れられないまじないだけでなく、傷口が直りにくくなるまじないも施されていたらしい。おかげでばあちゃん直伝の薬でも完治までに時間がかかってしまった。


「しかも傷跡が残るなんてさ」


 回復具合を確認しようと傷口を見るたびに苦い気持ちになる。ようやく人の姿を取れるようになったガルの右肩と腰の近くには、穴を塞いだような傷跡が残ってしまった。そういう傷跡すら残さない魔女の薬を使っていたのに、よほど強いまじないがかけられていたのだろう。


「なんてひどいまじないなんだ」


 それがマイニィと呼ばれていた魔女の力だとすれば、薬で傷を癒やす僕とは正反対の魔女ということだ。どんな力も否定はしたくないけれど、その力でガルを捕らえようとしていたことに腹が立った。動けなくするためだったとしても人狼だって生きている。治りにくい傷を負ったまま捕まっていたら、それがもとで命を落としていたかもしれない。


「俺は気にしてない」


 傷口の確認が終わり、シャツを着たガルがそんなことを言いながらソファに座った。


「それに傷の一つや二つ、好きな奴を守った勲章だと思えばいいだけだし」

「そんな勲章、僕は嬉しくない」

「俺は誇らしいけどな。この手で大事な存在をちゃんと守れたんだって実感できるし……って、顔が赤いけど?」


 指摘され、慌てて顔を背けた。まさか面と向かってそんなことを言われるとは思っていなくて気恥ずかしくなる。火照った頬を指でスリスリし、薬瓶を薬箱に仕舞った。


「そういえば、人狼って満月のときしか狼にならないの?」


 照れくさいのを誤魔化そうと思って別の話題を振ることにした。ちろっと視線を上げると笑っているガルが見える。きっと僕が意図して違う話をしたことに気づいているに違いない。


「必ずってわけじゃないけど、満月の光が一番狼に変わりやすい気がする」


 僕を見るエバーグリーンの眼は笑ったままだ。「そうなんだ」と答えながら薬箱の蓋を閉じ、顔を隠すように立ち上がった。そんな僕の背中にガルが「怖い?」と訊ねる。


「まさか。あんなにかっこいい狼、初めて見た」

「そういやそんなこと言ってたっけ」

「だって本当にそう思ったんだ。ガルって狼でも男前だと思うよ」


 それに獣の顔なのにあんなにかっこいいなんて卑怯だ。きっと狼の世界でも大勢の雌たちを虜にするに違いない。そう思うとモヤモヤしたものがわき上がった。薬箱を棚に戻しながら「ガルは僕の恋人だから」と、会ったこともない雌の狼たちを牽制していた。


「それに毛もフサフサで気持ちよかったし」


 棚にはいくつもの櫛が並べてある。全部このひと月の間に買ったものだ。どれがガルの毛を梳くのにいいのかわからなくてあれこれ買ったけれど、異国の品だという櫛が一番手触りがよかった。「極上の毛並みってああいうのを言うんだろうなぁ」と、ふわふわになった銀毛を思い出す。


「アールンが櫛で梳いてくれたからだ。ああいうのは初めてだったけど気持ちよかった」

「本当? じゃあ、また狼の姿になったときにしてあげるよ」


 そう言いながら振り向くと、ガルがさっきとは違う笑みを浮かべている。何か変なことを言ったかなと首を傾げる僕に、「アールン、言ってる意味わかってる?」と言いながらにやりと笑った。


「どういうこと?」

「獣にとって毛繕いは愛情表現だってこと」

「うん、それなら知ってる。昔、ばあちゃんが使役してた猫が恋人連れて来たとき、お互いの毛を舐め合ってたのを見たことあるし」

「毛を梳くのって毛繕いっぽいよな」

「まぁ、言われてみればたしかに……あ、」

「アールンの愛情表現、すごく気持ちよかった」


 にやりと笑うエバーグリーンの眼から視線を逸らしつつ、「そ、そっか」と答えた。ただ櫛で毛を梳いてあげただけなのに、いやらしいことをしたような気がして耳まで熱くなる。


「お礼に俺もしてやるよ」

「な、なに言ってんのさ。僕に毛はないからね」

「なくたってしてやる。狼の舌は長くて肉厚だから、きっとアールンも気に入ると思う」

「だから僕に毛繕いは必要ないって言って……って、ガルっ!」


 毛繕いの意味がわかり、名前を呼びながら振り返った。「昼日中からそんなこと言わないの!」と叱る僕に、「ははっ、意味わかったんだ」とガルが笑う。「もうっ」と頬を膨らませながらも僕は元どおりの日常が戻ったことにホッとしていた。


(あんなこと、もう二度と起きないでほしい。どうかいつまでも平穏な日常が続きますように)


 そう願いながら用意していたポットとカップを載せたトレーを手に取り、ガルの隣に座った。

 カップに注いでいるのは調合し直した特製の薬草茶だ。以前のものより体力回復と傷の修復効果を強化してある。ガルが苦手な酸味は抑えつつ、できるだけすっきりした後味になるように味にも注意した。鼻をくすぐる爽やかな香りに「うん、上出来だ」と満足しながらガルにカップを渡す。


「それにしても、狼になるとあんなに体が大きくなるなんて知らなかった。僕が乗っても平気そうな大きさにはびっくりしたなぁ」

「人狼の特徴じゃないかな」

「みんなそうなの?」

「父親はそうだった。ほかは会ったことがないからわからない」


 ガルの言葉にハッとした。ちろっと隣を見ると、ガルは穏やかな顔で薬草茶を飲んでいる。


「……あのさ、ガル」


 赤毛の魔女たちの言葉から、とっくにこの森が普通じゃないことに気づいているだろう。それにエルダーやオークの力も使った。何も気づかないはずがない。

 それでも自分の口から伝えなくては駄目だ、そう思った。それなのに喉が詰まって言葉が出てこない。目を伏せながら、持っていたカップをテーブルに置く。


「この森のこと、なんだけど……」


 声を詰まらせた僕に代わり、「ここが普通の森じゃないことは知ってる」とガルが言葉を続けた。


「知ってた……って、もしかして、」

「最初から知ってた」

「……知ってて入ってきたってこと?」

「あの赤毛の二人に追われていたんだ。しかも、しくじって左足を怪我した。あの怪我で人の街に潜り込んでも血の臭いですぐに見つかってしまう。俺は人を巻き込みたいとは思ってない。だから街以外で隠れられそうな場所を探し、いい匂いがしたこの森にたどり着いた」

「匂い……?」


 どういうことだろう。窺うように隣に視線を向ける。


「最初は森の匂いかと思ったけど違った」

「じゃあ、なんの匂いだったの?」

「アールンの匂いだよ」

「え?」

「アールンを見て、すぐに匂いの正体がわかった。俺を惹きつけたいい匂いはアールンの匂いだった」

「僕の匂いが森からしてたってこと?」

「あぁ。だから森に来た。でも俺が惹かれたのは匂いだけじゃない。アールン自身に惹かれたんだ。だから使役契約を持ちかけた」

「そんなの変だよ。森から僕の匂いがするなんて……だってここは……」

「ヤルンヴィッドの森だろ?」

「……知ってたんだ」

「森に入ったとき獣たちがうるさく言ってたから、最初から知ってた」


 最初から知っていたという事実に少なからず衝撃を受けた。知っていてずっと住んでいたなんて変だ。「もしかして」と思い、「そんなわけない」と否定しつつ口を開く。


「もしかして、ヤルンヴィッドの森がどんな森かってこと……」


「知らなかったの?」という言葉は出てこなかった。言葉を詰まらせた僕に、ガルが「もちろん知ってる」と答える。


「多くの同胞が飼育され殺された場所だってことは知ってる。それをしていたのが、足枷(グレイプニール)の魔女だってことも」

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