赤い魔女の襲来2
二人の言葉にうなじにぞわっと鳥肌が立った。赤い二人は魔女だ。しかも僕よりずっと強い、そう直感した。
「もしかして銀の狼の伝承を知らないのかしら」
「ここは鉄の森だ。そんなことはないだろう」
「そうよねぇ」
二人はヤルンヴィッドの森が鉄の森と呼ばれていたことまで知っている。つまり、この森が人狼を捕らえるための場所だったと知ったうえでここに来たということだ。
(どうしよう。僕にこの二人を退けることができるだろうか)
いや、できなくてもしなくてはいけない。そのために僕はここにいるんだ。両手にグッと力を入れながら二人を見る。
「この森に狼はいません」
「おかしいわね。ここに銀の狼がいるってあたしの烏が教えてくれたのよ。ねぇ、ソル?」
「あぁ、マイニィ。俺の蛇も捕まえた兎からそう聞いたと教えてくれた」
「銀の毛並みをしていて翡翠のような眼を持つ美しい狼だと言っていたわ」
「この森の魔女と一緒に暮らしていると言っていたな」
「この森にそんな狼はいません」
僕の返事にマイニィと呼ばれた魔女が「ふふっ」と笑った。
「言い方が悪かったかしら。銀の狼は普通の狼じゃないわ。とても珍しい人の姿になれる人狼なの」
人狼という言葉に鼓動がドクンと跳ねた。うなじを汗がツーッと流れ落ちる。
「金の人狼は毒だが銀の人狼は不老不死の妙薬になる。おまえも魔女なら知っているはずだ」
続くソルという男の言葉に僕は返事ができなかった。代わりに心の中で「そのことなら僕のほうがよく知ってる」とつぶやく。
人狼が数を減らしたのは、かつて魔女たちが妙薬の材料にしようとこぞって捕まえていたからだ。本当に不老不死の力を得られたのかはわからない。ただ、若返りの薬として効果があったという話は魔女の世界では有名だ。自分のために、もしくは金を得るために、多くの魔女が人狼狩りを行った。
そうした時代に作られたのが人狼を捕らえるための鉄の森だった。ばあちゃんのばあちゃん、さらにそのばあちゃんの時代には十数匹の人狼を捕らえていたと聞いている。
始まりは数匹の人狼で、この森で繁殖させて数を増やした。貴重な人狼を逃がさないためにすべての植物を人狼が嫌う鉄に変えることまでした。そうして鉄の森の檻に囚われた人狼は妙薬の材料として魔女の間で取引された。
(だから、僕たちは足枷の魔女と呼ばれてきたんだ)
僕はその名を継いだ。でも、僕はガルを捕らえたりはしない。そうしたいとも思わない。人狼を妙薬の材料だと考えていたのは大昔の話で、鉄の木々も百年以上前にすべて取り払った。
「鉄の森に住む足枷の魔女、ここに銀の狼がいるはずだ」
ソルがそう告げるのと同時に、足元から複数の蛇が這い上がってきた。いつの間に蛇を呼び集めたのか、まったく気がつかなかった。慌ててエルダーの木に触れようとしたものの、それより先に腕に蛇が絡みつく。そのまま両手を後ろに引っ張られ、蛇自身の体で手首を一括りに締め上げられてしまった。
「諦めたほうがいいわ、ソルの蛇はとても力が強いの。振り払おうとすれば絞め殺されかねないわよ?」
「……ここに銀の狼はいない」
「案外しぶといな。さすが鉄の森の魔女といったところか。だが、いつまで虚勢を張っていられるかな」
ソルの声に反応したのか、頭のすぐそばにいた蛇の口がくわっと開いた。鋭い牙からはポタポタと雫が垂れている。
(きっと毒を持つ蛇だ)
不意に母さんの言葉を思い出した。
『毒っていうのはね、毒だぞ! ってわかるような色よりも、湧き水のように綺麗な色のほうが油断ならないものなのよ』
蛇の牙から滴り落ちる液体は透明な雨水のように見える。これが毒だったとしたら相当な猛毒かもしれない。
「痛い目を見たくなければ白状したほうがいい」
そう言いながらソルが近づいて来た。主人に従順な蛇たちは、さらに僕を締め上げようと首にまでギチギチに巻きついてくる。
このままじゃ本当に絞め殺されかねない。息苦しくて「かはっ」と息を吐きながら顎を上げた。そのまま身をよじろうとしたとき、「なんだこの匂いは」という声が聞こえてきた。
「これは……」
突然ソルの顔が近づいてきた。何かされるのかと思い咄嗟に顔を背ける。ところがソルは僕の首元に顔を近づけ、なぜかクンクンと匂いを嗅ぎ出した。少し離れたところでマイニィが「どうしたの?」と首を傾げるのが目の端に映る。
「……なるほど、そういうことか」
「ねぇ、どうしたのよ」
「この魔女は銀の狼とできてる。人や魔女とは明らかに違う匂いがする」
「本当に?」
「あぁ、間違いない。しかも相当仕込まれている匂いだ」
ソルの言葉にカッとなった。寝室を覗かれたような嫌な気持ちと羞恥心がぶわっと広がる。思わず睨みつけるようにソルの顔を見ると、真っ赤な眼が僕をじっと見ていた。
「……そうか、それならもっといい方法がある」
ソルがにやりと笑った。
「おまえに銀の狼の子を生ませればいい」
何を言われたのか一瞬わからなかった。蛇に締めつけられている苦しさもあって、少し遅れて意味を理解した僕はギョッとして目を見開いた。
「人狼の種は相手が誰であろうと確実に人狼を生ませることができると言われている。あぁ、そのあたりは足枷の魔女のほうが詳しいか」
ソルが顔を近づけ、首のあたりの匂いをクンと嗅ぐ。
「これだけ匂うということは、おまえは間違いなく銀の狼のつがいだ」
「まさか、いくら魔女でも人よ? しかも足枷の魔女よ?」
「いいや、間違いない。これだけ匂うつがいだから、もっといい方法があると言ったんだ」
「あっ。あたし、わかっちゃったかも」
斜め後ろに来たマイニィがにやりと笑った。
「つがいなら強制しなくても種を仕込むだろうし、人狼の精力なら子もたくさんできるはずだ。その子どもたちを使えば、いくらでも妙薬を作り出すことができる。銀の狼は血肉や骨、毛皮にも魔力を帯びているからいろんな実験もできる。かつてあったと言われる不老不死の妙薬を復活できるかもしれない」
「さすがあたしの弟ね。いいこと考えるわ」
「マイニィも少しは考えろ」
「あたしは体を使うほうが得意なの。考えるのはあなたに任せるわ」
「武闘派の魔女なんていまどき流行らないだろう?」
「そうかしら」
二人の会話にゾッとした。赤い魔女たちは、ここに鉄の森があった頃のようなことを考えている。しかも僕とガルを使って人狼の子を増やし、実験や薬の材料にしようと考えているのだ。
「足枷の魔女を捕らえれば銀の狼は捕まえたも同然だな」
「じゃあ、このまま締め上げておきましょ」
にこっと笑ったマイニィが、「そういえば」と真っ赤な唇に人差し指を当てながら首を傾げた。
「肉は若いほうが柔らかいっていうわよね?」
「そういう話もあったな」
「それなら最初の子どもはあたしたちで食べましょうよ。きっと若々しく美しい肉体を手に入れることができるわ」
「若い肉体に興味はないが、脳が若返るかもしれないことには興味がある。自分の体で試してみたい実験ではあるな」
「それじゃあ、満月に近いタイミングで生ませなきゃ。首を落とすにしても狼の姿のときのほうがいいわ」
「そうだな。さすがに人の形のときに食べたいと思わない」
二人の会話に目眩がした。勝手なことを言うなと叫びたいのに、体中に絡みついた蛇に締め上げられているせいで声が出せない。呼吸もますます苦しくなってきた。
(せめて……手が動かせれば)
すぐそばにあるエルダーの木に触れることができれば……そう思いながら後ろ手に縛られている両手首を必死に動かした。手首より先は自由なままだから、なんとか外せないか絡みつく蛇を引っ掻いたりつねったりしてみる。ところがロープのようなしなやかさを持つ蛇は一切緩むことがない。
「あとは、どうやって銀の狼をおびき出すかね」
「人狼はつがいを傷つけられることを極端に嫌う。そいつのどこかに傷をつければ血の臭いで飛んでくるはずだ」
「あら、ソルったら冴えてるじゃない」
数歩下がったソルに代わり、マイニィが近づいて来た。首すら動かすことができない僕に、にこっと笑いながら右手を伸ばす。真っ赤な爪が左の頬を撫でるように肌の上をすべった。途端にズキッとした痛みが走り、血の臭いが鼻をつく。
「さぁ、銀色の王子様が来るのを待ちましょ」
そう言ってマイニィが艶やかな笑みを浮かべた。