99、だから、傷つけられたアンチが怒っている
「何が火臣節だ、モラルが崩壊しすぎている。許されるラインを勉強してほしい。教育に悪い!」
私は火臣打犬のアンチである。
「ストレスの源は見なければいい」と思いつつ、奴は日常のあらゆる場所にその痕跡を残していて、話が耳に入ってくるし、記事もCMも目に入ってくる。許せない。
『俺が人を不快にして傷つけるのだから、他人も俺を不快にして傷つけて構わない』?
何を言っているのだ。
『不倫くらい許せよ』『ファンは応援してくれるからファンなんだぜ。足を引っ張らないで応援してよ』と以前アンチに文句言ってたくせに!
『俺はアンチコメントをプリントアウトしてスクラップブックにまとめて江良を祀った神棚に奉納するようにしています。江良は天国にいることでしょう。天国には綺麗ごとしかなくて退屈かもしれません。なので、人間の生々しい感情を江良が楽しんでくれるよう、奉納しているのです』
綺麗ごとしかない理想の世界にアンチの感情を奉納するな、と言いたい。
江良はそんなものを楽しみません!
SNSで同志が集うアンチの専用タグ『#【世直し系】不正義絶許隊』を見ると、案の定「何言ってんだこいつ」「舌が無限にある」と盛り上がっていた。あっ、殺害予告まであるよ――このアカウントはいくらなんでもアウトなので通報しておこう……。
動画チャンネル界隈では、世直し系配信者というのがいて、不正義絶許隊のタグに「ここに不正義があります」と投稿すると配信者が不正義をしている相手の元に参上し、配信しながら成敗してくれるのだ。
視聴者は、ヒーローショーを観ている子どもみたいなノリで「悪いやつをやっつけろ!」と喜び、スカッとする。
こういうのは「スカッと系」「ざまぁ系」と呼ばれていて人気があると同時に、「醜悪だ」とも言われている。
行き過ぎて正義を名乗る側が犯罪者として捕まる例もある……。
「あ、ノコさんの新曲だ」
ネットサーフィンをしていると、『no-name』のVtuberノコさんが新曲を投稿していた。
わぁ、わぁ。嬉しいな。
今回の曲も、タイトルは『無題』。
アバターは前回と同じ黒いドレス姿で、白いうさぎ耳にピンク色のゆるふわロングヘアー。
水色の瞳がカメラを見て、にこりと微笑する。
造り物のアバターの微笑は不自然なはずなのに、彼女がテレビに映っていた頃に見せていたものよりも自然に思えるのが不思議だ。
♪理不尽 不条理 アンモラル
♪人を傷つけてはいけないと唱えながら 人を傷つけていく
♪そんな正しさでスカッとしている
ピアノの弾き語りで聴かせてくれる歌は、彼女らしい疑問と怒りと、以前の名前で歌っていたときとは違う明るさで彩られていた。
以前の名前で歌っていたときは、お茶の間に届けるコンプララインの内側にいて、大人たちが「楽しさってこうだよ、それを演出してね」と要求する通りの歪で正しい楽しさを作っている歌だった。
今は……すごく自由な感じだ。開放的だ。
♪許せないと怒る夜がある
♪わたしが怒ると あなたも怒る
♪あなたが怒って わたしも怒る
♪負の連鎖 負の連鎖 負の連鎖
♪嫌悪 憎悪 拒絶
高い場所を飛び回る鳥が、地上に叫んでいるみたい。
悲鳴みたいで、耳障りにすら思える高音だ。
畳みかけるように囀るハイトーンは、感情がこれでもかと籠っていて、ヒステリックに聞こえるほど。
コメントを見ると「不快」「辛い」「なんか怖い」「人に聞かせる歌じゃない」「もっと安心して聴ける癒し系の歌がいい」「スカッとしてストレス発散できる歌がいい」というアンチが湧いている。元ノコファンで、ライブと引退で傷付けられてアンチになった人も来ている。
でも、「こういうのが聞きたかった」という人や「どんな形でもノコさんが歌い続けてくれるのが嬉しい」ってファンもいる。
私も書こう――でも、今は黙って曲に集中したい気分でもある。コメントは非表示にしよう。
♪アンモラル アンモラル アンモラル
♪わたしがあなたを傷つけると あなたもわたしを傷つける
♪これが正しいってやつなんだ
♪イレイサー イレイサー サイレンサー
♪傷つけあって さいごはひとり
♪残ったひとりは 敵を探した
ノコさんの歌は、美しかった。
私は動画を何度も再生して、「さいごはひとり」の気分を味わった。
荒れていそうだなと思いながらコメント欄を見ると、感情が荒れ狂っていた。
:何故かは解らないけど、涙が出た
:感情に語りかけてる感じの声
:裏切者
:まるで悪い奴がいない世界がだめみたいな歌だね。変な気分になった
:今なんか、残ったひとりの世界が見えた
:気持ち悪い、胸糞ソング注意
:業界から追放された人って感じ
:歌はうまいけど、気分が悪くなる歌。なまじ歌唱力が高いのがきっつい
:悲しくて哀しくて寂しい。病んでる人だと思う
:この曲の心に語りかけてくるというか、踏み込んで抉ってくる感じが凄いと思う
:感情の込め方本当に好き
:どんな人がこれを歌ってるんだろう
:↑ノコ……なんでもない
:大人になってしまったから「わかる」と思えてしまった。自分なら形にしないことを形にするぞという勇気や気概を感じて泣きそうになった
:これをもし10代のときに聴けてたら自分は今、どんな大人になっていただろう
:もう寂れたおっさんになってしまった自分には青臭く感じるが、だからこそいいなと言える気がする
「♪アンモラル アンモラル アンモラル……」
口ずさみながら、「私はこの感情が好きだよ」とコメントをした。この世界は「さいごのひとり」になっていないから、こうして「いいと思う」「ぜんぜんよくない!」という声が溢れている。
ああ、人間がいっぱい犇めいて生きている――私はインターネットの文字に人間を感じた。
過去に投稿された『無題』の動画も、もう一度再生した。
♪自分のことだけ歌っていれば 誰も傷つけることがない
――彼女は、人を傷つける歌を選んだ。だから、傷つけられたアンチが怒っている。
♪これを歌うのは罪だろうか
――アンモラル……。
彼女が歌っているのは、プロの作曲家が作ってくれた商業用の歌じゃない。
広大なネットの海の底で、名前も題名もなしで湧き上がるままの本物の想いを歌っているんだ。
プロとして訓練を受け、病みながら打ち込んできた彼女の歌唱力に表現された彼女の世界は、感情の波がこんなに掻き立てられる。
ざわざわして、もやもやして、怖かったり痛かったりして、綺麗だなと思って……私は好きだ。
江良星牙:俺、この歌好きだけど
……あ。
星牙がコメントしてる。本人?
名前をクリックすると、本人の動画チャンネルに繋がった。本人だ。
葉室王司:星牙君いるじゃないですか
葉室王司:趣味が合いますね
コメントを打つと、濁流のように流れるコメント欄に「有名人がいる」という新しい波が生まれた。
曲に浸っているところを邪魔しちゃった。反省しよう。
星牙の配信チャンネルを見ると、メンバー限定の配信が開始されたところだった。
「大会の日に大事な予定が入ってて、悩んでる」
と言う言葉に「もしや」と思って見てみると、eスポーツ大会の日と演劇祭の日が重なっている――なるほど、「多忙」だね。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
【西】チームの稽古場の壁際に、メンバーが集まっている。
彼らの視線の先には、2人の役者がいた。
どちらも華奢な少女だ。
椅子に座る緑石芽衣と、椅子の後ろに隠れるようにして床に座る葉室王司――二人揃って艶の綺麗な黒髪で、肌は瑞々しく、可愛らしい。
二人とも上は白のTシャツで、下は黒のジャージだ。
ありふれた稽古着姿ではあるが、そろって無言なのもあり、どことなく1対の人形が並んでいるような印象を感じさせた。
二人の前にはピンクパンサーの着ぐるみの猫屋敷座長がいる。
座長が膝に抱えたノートパソコンからは、リモート通話で参加している新川友大の声が響いていた。
『では皆さんは、そういう風に川だと言われたり、乳の流れた跡だと言われたりしていた、このぼんやりと白いものが、ほんとうは何か、ご承知ですか?』
西の柿座の看板役者、新川友大は、事故に遭ってリハビリ中だ。
当日は車いすで学校の教師役としてワンシーンのみ演じる予定だと言う。
彼を心配しているファンは多い。
舞台上で芝居をする彼を見れば、喜ぶ者は多いだろう。
さて、教師のセリフを聞いて、葉室王司が動いた。
座ったままで手を伸ばし、椅子に座る緑石芽衣の肩に、すぅっと手を置いたのだ。
芽衣の正面にいる人物から見ると、椅子の後ろから手だけが出てきたように見える。
「ジョバンニ。あのぼんやりと白いもの、ぼくは知ってるんだよね」
王司の声に、芽衣は「うん、ジョバンニ。ぼく、あれがなんなのかわかる」と返事をしている。
ここは、学校だ。お芝居の冒頭のシーンだ。
ジョバンニが、二人いる――いや、正確に言うと、ジョバンニにしか存在が認知できない、もうひとりのジョバンニがいる。
イマジナリーフレンドの自分版というか、多重人格者が別人格と話すようなものか。
『ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう?』
リモート通話の新川友大が演じる教師が、ジョバンニを指名する。
「指名された。ジョバンニ。ぼく、答えられるよね。わかってるんだもの」
王司が言うと、椅子に座っていた芽衣が「うん」と勢いよく立ち上がった。
けれど、答えることができない……。
「なるほどぉ。心の声を言ったりお芝居の手伝いするみたいな影のジョバンニやな」
江良星牙が呟く温度感は、好意的に感じられた。
「教師役が友大兄さんなのはいい。けど、カンパネルラは……」
稽古をしていた王司が壁際に行く。そして、星牙にスケジュール表を見せた。
「四日目の午前中に、星牙君は大事な予定があるんですよね。だから、その予定をキャンセルして劇団に貢献しようか、劇団を置いといて大事な予定をがんばろうか、悩んでるんですよね」
星牙は意表を突かれた顔をした。
それはまったく、その通りだったのだ。
「私、あなたのことを調べました、星牙君。あなたは才能豊かで、オンラインゲームもお芝居も、とっても上手い! でも、オンラインゲームが嫌いなご両親が会ったこともない叔父さんのことを言ってきたり、『亡き国民的俳優の甥、天才!』として売り出そうって勧めてくるので、『お芝居がいやだな』って反発心も抱いている……」
葉室王司は、天使のような顔をして心にずんずんと踏み込んで来た。
そして、可愛らしい声で言ったのだ。
「でも、西の柿座のことは大好き! お芝居は楽しい! だから、迷ってるんだ」
その瞳は全てを見透かすようだった。
きらきらとしたオーラみたいなのが溢れていて、「なんだかこの子は普通ではない」と思わせる何かを感じさせた。
「両方しましょう、星牙君。四日目の午前と午後を入れ替えればいいだけじゃないですか」
「な……」
王司が簡単そうに言うので、星牙は反論した。
「二足のわらじなんて、そんな甘っちょろいことして勝てるか。あっちもこっちも、みんな真剣で遊びやない。一本に打ち込んで、集中してありったけ注ぎこんで勝負する世界なんや」
当然の主張だ。世の中は厳しい。舐めてはいけないのだ。
地に足を付けて現実を語る少年に、少女は手を伸ばした。
少年の手を握り、綺麗な理想家みたいな瞳で顔を覗き込んだ。
そして、挑戦的に言い放った。
「勝とう」
ニッと笑った可愛らしいスマイルは、天使のように綺麗で、悪魔のように蠱惑的だった。