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98、ジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニ

――【火臣恭彦の話】


 中学生の妹に、托卵の話は重いでしょうか。

 托卵とは、女性が婚前、あるいは結婚後に他の男との子供を妊娠し、その子供を夫の子だと思い込ませて夫に育てさせることを言います。

 される側の気持ちを想像すればわかることですが、褒められたことではありません。

 

 我が家は複雑な家庭なのです。


 母は元アイドルでした。

 聖女系アイドルなどと謳われ、現役時代は理想のアイドルといった雰囲気の、清楚でピュアな女の子だったのです。ただ、内面まで清楚でピュアかと問われると、別にそんなことはなく……「対外的に綺麗な自分を演じるのが上手だった子」って感じでしょうか。

 そして、父はそんな彼女の本性ごと愛している……。

 

 そんな彼女は、俳優の父とデキ婚して俺を産みました。

 

 父は「俺の子なのに、恭彦はなんか変だな。妻も怪しい」と怪しむこともあったようです。

 そして、その疑問は正しくて、俺は父の子ではなかったわけですね。

 相手の男は、当時は芽が出ないまま潰れかけていたピアニスト志願者。現在は有名な国際コンクールで受賞して、プロになっています。

 母が言うには、ストリートピアノをしている彼に光る才能を見出して食事を奢っていたら、ねんごろになっていたようです。

 

 相手の話を聞いた時、「なるほどなー」と思いました。

 

 俺は幼少期から多くの習い事をさせられていましたが、どれも上手くいかなくて。

 「ピアノを試したらどうだ」と父が言い出し、母は渋りつつ、連れて行ったのです。

 ピアノを習い始めたばかりの頃、先生は俺を褒めてくれました。

 しかし、母はそれに焦ったような顔を見せて、帰りの車の中で言ったのです。

 

 「恭彦。あなたはピアノも上手くできなかったの。他の習い事ができないのに、ピアノだけ上手く出来てはいけないの。次にピアノの習い事に行ったときは、下手になりなさい。できそうでも失敗して、『ピアノできない、ぜったい無理』って言いなさい」

 

 幼かった時はわからなかったのですが、今はわかります。

 その頃の母は真実を隠そうとしていたので、「まずい」と思ったのでしょう。

 わずかでも托卵がばれる可能性を隠匿しようとしたのでしょう。


 さて、葉室さんが父の過去の所業を世に晒し上げるまで、我が家はそれなりに平穏でした。

 俺という不穏分子を抱えて時折揉めつつ、父と母はそれなりに仲良くやっているように見えました。たまに、聞こえてきた会話が「思い返せばこの時の会話は托卵疑惑についての話だったのか?」という内容だったこともありましたが。

 

 しかし、葉室さんが過去を暴き、芋づる式に他の女との不倫の話も浮上して、父はSNSで本性を露呈しました。

 母は自分の托卵を棚上げし、父への嫌悪を高めました。

 

 そして、そんな母に再縁を申し出たのが、ピアニストの男でした。

 母と彼は結ばれて、母は「これから幸せになるわよ」と言うのです。


 そんな大人たちが俺はとても汚らわしく思えました。

 どっちもクズやん。でも、どっちも親だと思ってもいて、身内意識があるんです。

 19年間ずっと家族として過ごしてきた人たちですからね。

 

 父が不倫して出来た「葉室さん」という本当の娘の存在も、面白くなかった。

 国民の妹と呼ばれるだけあって、可愛いとも思うのですが。

 あなたはとても演技が上手かったので、よく父が言っていた「火臣打犬の遺伝子」が、俺にはなくて、あなたにはあるのだと毎日思い知らされるのです。

 役を降板になり、俺がいなくても成り立つドラマを観たときは、なんとも惨めな気分でした。


 そんな折、赤リンゴアプリは俺のスマホに湧いたのです。

 

 俺は赤リンゴの悪魔に選ばれたので、望みを叶えることができる。ただし、代償を払う必要がある。なんじは奇跡を望むか? ――と、言うのです。


 俺は半信半疑ながら、『なんか世の中がクソなので、もっといい感じになるといいと思う』とアプリに入力して、送信しました。


 そうすると、自称悪魔の執事さんが大学に来て言うのです。

『そういうフワフワした望みを抱く人は多いが、いちばん困る』

 

 望めと言うから望んだのに、どうして説教されてるんだろうと思いました。俺という人間は、「望む」ことすら人並みにできないのか、とも思いました。

 もういいや、死んでしまおうと思ったのです。

 すると、執事さんは止めてきました。


『死んだ後にもヤダヤダ死にたくないって執着する子もいるのに、なぜそんなに簡単に死のうと思うのか。興味深い』

 

 なんか、興味を持たれたのです。

 そして、世間話に付き合わされたのです。

 

『私のお坊ちゃんは強欲で、そのくせ代償を渋るセコイところがあるのですよね……』


 俺はなぜ見ず知らずのお坊ちゃんについての惚気を聞いているのだろう、と思いました。


 聞いていると、俺がそのお坊ちゃんを何度か助けたのだそうです。

 そのため、俺は執事さんに気に入られたのだと……。

 執事さんが特別に寵愛しているお坊ちゃんは、とても可愛らしくて優しく、ちょっと残念で、弱々しいのだそうです。

 お坊ちゃんに『お兄さん』と呼ばれる俺は、その他大勢の人間と比べて特別だと言ってくれました。

 

 そこまで聞くと、「そのお坊ちゃんは葉室さんだろうな」と思えてきました。そもそも執事さん、葉室さんがいつも連れてる人だったし。


 なので、親切心を起こして教えてあげたのです。

 「そのお坊ちゃんはお嬢様でしょう、呼び方を間違えていると思いますよ」って。

 執事さんは「そうでした」と喜び、俺にポイントをくれました。

 そして、再び「望め」と言い出したのです。


『さあ、ポイントを使って、先ほどよりも解像度の高い望みを叶えてみましょう』


 俺は、怪しい宗教みたいだなと思いました。

 もう、さっさと願って帰ってもらおうと思いました。

 それで、望みを考えました。

 

 『両親が裁判とかをしないといい』

 

 だって、どっちが正しいとかどっちが償うとか、どっちも身内だと思ってる俺にとってはお金と時間の無駄だし。

 

 どっちも間違っていてクズだと思うし。

 でも、どっちも俺にとっては大切な家族で、かけがえのない親だった。

 どっちもどっちな身内同士で争って、時間と金を無駄にするなんて、もったいない。

 そんなことをする時間と金で、別なことをした方が二人にとっても有意義じゃないかな、と思った。

 ……メリットがないと思った。


 すると、そのせいかはわかりませんが、我が家に関する裁判の予定が嘘のようになくなったのです。

 やべえなと思いました。

 もっと願ってみたい誘惑が強くなり、俺はスマホを一時期封印していたのです……。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


――【葉室王司視点】

 

 カレーを味わいながら聞く恭彦の話は刺激的だった。

 何度かツッコミを入れたくなったのは秘密だ。

 カレーが美味しかったので沈黙を守れた。

 美味しいカレーさん、ありがとう。

 

「なるほど。思えば、その時期がDMスルーの始まりでしたね」

「スルーしてすみません。長く放置していると、返事のハードルがどんどん上がっていきまして」

「麗華お姉さんにはゆるキャラのスタンプを送ってたのに」

 

 フレンド交換を迫ると、恭彦はLINEを交換してくれた。

 わーい。

 

「八町大気は、【東】の演出をしています。俺は彼に気に入られたくて、彼好みの演技をするようにしています……。おかげで、八町大気が執事さんに演出のための(かた)り依頼をしている会話も聞けました。余命宣言なんて、たちの悪い嘘だと思い、『嘘ですよ』と知らせたのです」


 やはり、セバスチャンに嘘をつかせたのは八町か。

 ネタバラシしてくれて助かった。

 でも、恭彦は罪悪感をチラチラさせている。


「葉室さんを追い詰めて良い演技を引き出すのが目的なのはわかっていたので、邪魔するべきか迷ったのですが……」

「邪魔してくれて助かりましたよ! ひどい嘘……!」


 心から言うと、恭彦は少し安心したようだった。


「俺はライバルの邪魔をしたいだけだったのかもしれない、とも思えるのです。葉室さんに上手い演技をされると、凄いなと思う一方で、悔しかったり嫉妬もしますし。今回は別のチームで、『兄妹対決だ』と煽られてもいますから。俺は、心の醜い兄なのです」

「そんなことはないですよ! 卑下はいけません、お兄さん!」

 

 恥ずかしげに言って水を飲み、恭彦は気を取り直した様子でアリサちゃんの話をした。

 

「アリサさんは社交的な子なので、俺によく話しかけてくれますね。月組の方々はやる気を感じませんが、アリサさんは熱心で……」


 ふむ、ふむ。

 ま……待って。


「恭彦お兄さん。私を呼んでみてください?」

「……? 葉室さん……」

「アリサちゃんは……?」

「アリサさん」


 なんで妹が苗字呼びで、妹の友だちが名前呼びなんだよ。

 おかしくない? 指摘していい?


「そうだ、葉室さん。会計は俺が払うので気にしないでくださいね」

「むむ。私、自分の分は払いますよ。汗水垂らして働いたバイト代はご自分のために使ってください」

「俺は妹に飯を奢るという感情体験をしたいのです」


 色々な体験をすると、引き出しが増える。

 その考えはとてもいい。しかし。


「俺、バイトも……ブラックな職場で店長とモンスター客にパワハラとカスハラをかまされながらペコペコ頭を下げて労働する感情体験のために続けているのです」

「なんのバイトか知りませんけど、そのバイトは辞めましょう……?」


 やばいことを言われた衝撃で名前について直接言うタイミングを逃してしまった。帰ってからDMにメッセージを送ってみようかな。


「ごちそうさまでした!」

「ごちそうさまでした。美味しかったですね」

  

 恭彦は本当に二人分を払ってくれた。

 この感情体験が糧になるならいいけど、なんか「感情体験のため」と言ってなんでもやりそうな気配が危なっかしいな。

 

「妹を苗字で呼ぶのに妹の友だちのことは名前で呼ぶ恭彦お兄さん。カレーは美味しかったし、お話はすごく参考になりました。ありがとうございました!」

「その呼び方……」

「どうかしましたか、妹を苗字で呼ぶのに妹の友だちのことは名前で呼ぶ恭彦お兄さん」

「なんでもないです……」

「妹を苗字で呼ぶのに妹の友だちのことは名前で呼ぶ恭彦お兄さん。色々な体験をするのは本当にいいことだと思いますけど、『演技のためなら手段を選ばない』ってなっちゃって道を踏み外すと『太陽と鳥』の原作者みたいになっちゃいます。妹は兄に『気を付けてほしいな』と思っています」 


 そーっと言ってみると、恭彦は「それですね」と頷いてくれた。


「つまり、八町大気のやり方を邪魔したのは、俺が『演技のためなら手段を選ばない』がよくないなと思ったってことですよね」

「おお……まさに。そうですよ、お兄さん。お兄さんは、とてもいい判断をしたんですよ」

「だから俺は自分が残念だと思ったんだ……」


 なんでそこで「自分が残念」になるんだ?

 このお兄さんの考えは、やっぱり危なっかしいな。

 

 それにしても、八町め。

 【西】の演出に名前を出してないのに、余計なことをして……。

 

   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


「名前が出てない人の言うことを聞くのはおかしいと思いまぁす」


 翌日の稽古場で、私は早速、猫屋敷座長に物申した。

 先に緑石(ろくいし)芽衣(めい)ちゃんに話を通して、同伴してもらって。


「私たち、一緒にジョバンニしちゃいます」

「しちゃいます」


 二人で手をつないで宣言すると、猫屋敷座長はピンクパンサーの着ぐるみ姿でのけぞった。


「……ええっ?」

 

 私は八町の思い通りに踊ってあげない。

 ジョバンニジョバンニジョバンニだ。

 

「王司先輩とジョバンニする無人島の脱出ゲーム、楽しかった」

 ……ほら、娘さんもこう言ってますよ、めーちゃんパパ。


 さあ、めーちゃん。打ち合わせした決めセリフをどうぞ。


「おねがい、パパ」

 お願いシャチョーウのパパ版だ。


 効果は――抜群だった。

 

「【西】のチームは、今日からボクが全部仕切りますぅ。八町さんの口出しは参考として聞くことはあるっちゃーあるけど、ボクの耳が詰まってて聞こえないときが多いかもしれんなぁ。着ぐるみだと聞こえにくいねんな。しゃあなし、しゃあなし」


「ね、猫屋敷くん……?」


「稽古場にも必要以上に近寄らんでください。第三会場が中立の場ってことで、別のチームのメンバーと交流するのはそっちで。互いの稽古場は、そのチームのメンバー限定の秘密基地や」

  

 やーい八町。

 口出ししようと偉そうにやってきて追い出されてる。いい気味だよ。


 スマホでメッセージを送ってあげよう。


葉室王司:八町くーん

葉室王司:実は私、余命わずかなんだって

葉室王司:悲しくてカンパネルラどころじゃなくなっちゃった

葉室王司:なので、当て書きしてくれたところすまないが

葉室王司:私はジョバンニをします

葉室王司:死ぬ前にやりたい役やりたいよね~、優しい八町くんはわかってくれるよね~

葉室王司:それでは私の怒りの荒らし連投を浴びてください

葉室王司:ジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニ

葉室王司:ジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニ

八町大気:ログを流さないで

葉室王司:ジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニ

葉室王司:ジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニ

八町大気:やめて江良君

葉室王司:ジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニ

葉室王司:ジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニ

葉室王司:ジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニ

葉室王司:ジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニジョバンニ 

八町大気:江良君やめて本当にやめて僕の大切なログをジョバンニで汚染しないで

八町大気:謝るよごめんよ悪かったよ

 

 八町は反省してくれたので、荒らすのをやめてあげた。


葉室王司:仲良く楽しい演劇祭をしよう八町

八町大気:はい


 これで八町の暴走も収まることだろう。よし、よし。

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