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96、火臣打犬の真実の愛

「おかえり、王司(おうじ)。今日はお仕事関係の人が来ているの」


 家に帰ると、ママの会社の人たちがいた。スーツの女性と男性、ひとりずつだ。

 会社の人が家に来るなんて、初めてかもしれない。


「こんにちは、娘の王司です」

「わ〜、天使ちゃん! 本物! ドラマ観てました!」

「王司ちゃんのおじいさまがいつも会社で自慢してるんですよ、『天使ちゃん』って」


 天使ちゃん?

 そんな呼称が広められているの?

 おじいさまに? ちょっと恥ずかしくない?


「ママ、お客様は夕食を一緒に摂るの? 私、自慢のカレーつくろうか?」

「おやめ王司。せっかく天使ちゃんって言ってくれてるんだから夢を壊さないの」

「カレーを作って壊れる夢ってなんだろう……」

 

 お客さんは、すぐに帰って行った。

 夕食を味わいながらママに聞いた話によると、最近セキュリティ不安があり、おじいさまの会社とママの会社とで連携してセキュリティ対策に力を入れているのだという。

 セキュリティは大事だね。


「王司、おじいさまに写真を送るから可愛いポーズを撮りなさい……王司? どうして銃を撃つポーズなの、おじいさまを撃つんじゃありません」

「癖でつい……」

 

 おじいさまへの写真を撮り、自室に戻って開くのはノートパソコンだ。電源を入れてからスマホを開き、セバスチャンの件で気になっていた火臣(ひおみ)恭彦(きょうひこ)のインスタを見てみると、八町(やまち)大気(たいき)とのツーショット写真を投稿していた。

 ……八町と写真~~?

 DMしてみるか。

 

葉室(はむろ)王司(おうじ):お兄さん、八町大気と親しくなったんですか?

葉室王司:【東】の演出に参加してるからかな? 

葉室王司:セバスチャンが嘘をつくの、どうしてわかったんですか?

葉室王司:アリサちゃんと仲良くしてますか? アリサちゃんどんな感じですか?

葉室王司:私のアプリ消えましたけど、お兄さんのアプリも消えました?


 返信を待ちながらノートパソコンで検索するのは、キッズチャンネル『めーちゃん&りーちゃん』だ。

 動画チャンネルのファンが情報交換するコミュニティ掲示板を見てみると、時間経過と共に減っているファンが細々と雑談を続けていた。


 『連れ去り』と呼ばれる事案は、年々増加している。


 日本では、子どものいる夫婦が離婚した後は、どちらか片方のみにしか親権が与えられない。

 配偶者の合意なく子どもを連れ去ることは原則として違法だが、それでも増加する理由はひとつ。

 連れ去った方が、親権を獲得しやすいからだ。連れ去り勝ち、と言われている。

 特に、連れ去った側が母親の場合、父親が勝てるケースは稀である。

  その理由は多くの時間を子どもと一緒に過ごしている方が有利になるから。 

 ずっと一緒にいる親が親権者となった方が、子どもの生活の変化や精神的負担を小さくできると判断されやすいからだ。


 ある日、突然、子どもが配偶者に連れ去られる。連れ去りを非難すると、いつの間にか自分がDVをしたことになっている。

 でっちあげDVは、常套手段だ。

 加害者にされた側は、裁判した結果、子どもに会うこともできず、養育費を支払うだけの人生に陥る。弁護士からは「時間が経つほど不利になり、控訴しても勝ち目がない」と言われる。

 その被害者が、りーちゃんパパとめーちゃんパパなのだ。


:めーちゃんは元気そう

:テレビに出てるよね


 あ、緑石(みどり)芽衣(めい)に気付いてる人がいる……。 

  

:めーちゃんママのブログ見た人います?

:そもそも子供を産んだのが「働くのが無理」「妊娠したら専業主婦になれる」って理由だって

:わあ……

:りーちゃんパパは亡くなられたし、めーちゃんパパはつらすぎるわね 

  

 めーちゃんパパが猫屋敷座長っていうのは、コミュニティの人たちは知らないんだな。

 私も「たぶん座長」って思ってるだけで確証は得てないけど。

 

 なんとも言えないどんよりしたコミュニティだ。

 見ていると鬱々としてしまいそう……。

 現実って胸糞悪いことがあるなあ……「こんなのおかしい」って言っても、覆らないんだなぁ……。


 ――いや、本当にそうかな……?


 部屋の中の鏡の縁に貼られた『Don't Wish』の付箋が目に入る。

 『人間は満足せず、願いが叶っても次々に新しい願いを抱きます』――全くその通りだ。だって、次々と「嫌だなぁ、こんな現実」「なんとかしたいなぁ」って出来事が目に入るんだもの。

 

 とはいえ、アプリ、もう消えてるんだよね。

 ドラえもんじゃあるまいし、あまり非現実的な奇跡に縋るのはよくないよね。


葉室王司:このコミュニティについて今日知りまして、たった今参加しました

葉室王司:めーちゃんのお友だちです

葉室王司:よろしくおねがいします


 とりあえずコミュニティに入って挨拶しておこう。

  

「むーん。他の動画も観てみるか」

  

 空譜(カラフ)ソラの動画チャンネルは、消えていた。情報がほとんどない。

 ただ、私が観た動画のコメントにはコーチの名前が出ていたな。

 江良(えら)星牙(せいが)の配信チャンネルを見てみると、見覚えがあった。

 解放区で一瞬だけ見たチャンネルだ。

 

 プロフィールや検索して出てくる人物評を調べたところ、江良(えら)星牙(せいが)は、プロのeスポーツチーム所属。最近は競技戦績が振るわず公式試合に欠席続き。

 ゲーム配信をせずアプリで遊ぶ配信が増えていて、競技シーン引退が囁かれている……。


 こっちのコミュニティにも参加しておこうかな。


葉室王司:参加しました、よろしくお願いします 

 

あ、恭彦からDMにお返事が来てる。

 

火臣恭彦:質問が多くてチャットを打つのが怠いです 

火臣恭彦:ちょっと待って 

葉室王司:葉室家の家訓を教えてあげます

葉室王司:兄は妹のDMに三秒以内に返事しないとダメなんですよ

火臣恭彦:三秒はきつくね?


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

 

――【火臣打犬視点】


「この作品に俺の魂が注ぎ込んであるわけです。すなわち、愛……」

  

 火臣(ひおみ)打犬(だけん)はプロデューサーとの対談で、表現をぼかしながらワインを煽った。

 本当はもっと解像度が高いことも言えるが、出し惜しみしたい気分だったので。


『全人類抱いてやる』は、顔がいいのにドSでドクズな弁護士が主人公。内容はネット配信だからこそ可能なR20のエロエロエロスだ。初回は大好評である。

 

「想定ターゲット層ではなかった客層が、火臣さんのアンチ活動をするために有料月額会員になってくれたのが大きいです。作品名を宣伝しながら何度も再生してくれてます。さすが火臣さんですね!」


「俺のアンチは世界一だな。経済を回してくれるんだ。ありがとう、アンチ。俺はみんなを愛してる」

「おお、出ましたね火臣節。その言葉を対談記事に乗せましょう」


 対談を記録しているライターが嬉しそうだ。

 このライターは事あるごとに打犬を批判する記事を書いているのだが、プライベートではよく飲みに行く仲でもある。

 

「主人公がご自分に重なることも多いのではありませんか? だって、この主人公、嘘つきな奥さんをずっと許容していたでしょう。浮気現場を目撃しても怒ったりしないで。でも、離婚になっちゃった。托卵(たくらん)までわかって……脚本家が当て書きしたと聞きましたが、なかなか踏み込んでますよねえ」

 

 脚本も踏み込んだ過激な代物、演じる役者も乗ってしまう炎上役者。

 それだけに、ライターも「みんなが言いたいことを言う」と踏み込んでくる。それでいい。


 火臣打犬は、二俣グループのCMにもある通り『自分を貫く』男としてブランドイメージを確立しつつある。

 ――クズだが何か? と上から目線で言い放つ傲慢な男だ。

 

 打犬はクズで過激で泥沼の家庭の子煩悩(変態)父である。人間なので、価値観や考え方が進化することもある。


 世間の者は感情に波を立てられ、平穏な心を乱される。人によっては大きく傷付いたりすることもある。 

 特に男女関係や家庭の問題は、受け手も似た問題を抱えていたりする。

 打犬に自分を重ねる者もいれば、打犬を自分の敵と重ねる者もいるだろう。

 快にせよ不快にせよ、クズ男を堂々と演じるならば、俺という役者にリアクションを投げかける相手は、俺に刃を突き立てる権利がある。


「俺が人を不快にして傷つけるのだから、他人も俺を不快にして傷つけて構わない」


 それがフェアというものだ。

 ……もっとも、磨き上げられて極めてしまった打犬の変態ハートは、有象無象が何をしても傷ひとつ付かないが。

 と、こんな風に現在の変態マインドは練り上げられていた。

  

「俺はアンチコメントをプリントアウトしてスクラップブックにまとめて江良を祀った神棚に奉納するようにしています。江良は天国にいることでしょう。天国には綺麗ごとしかなくて退屈かもしれません。なので、人間の生々しい感情を江良が楽しんでくれるよう、奉納しているのです」

  

 対談を終えて帰宅すると、ファンが素晴らしい情報をくれた。

 娘、王司の学校で、文化祭があるのだ。ぜひ行かねば。


 どんな格好で行こう。

 

 最近親交を深めた西の柿座の猫屋敷座長が、実の娘に自由に会えない身だ。

 今回の仕事でも元妻に条件を出されていて、着ぐるみ姿で、しかも最低限必要な時間しか接触させてもらえないらしい。

 父だと名乗って父親としてコミュニケーションを取ることも禁止だという……。

 難儀な話である。

 

 当然のことであるが、打犬は彼をよき友と思っている。

 友が娘に着ぐるみで会っているなら、同じ苦しみを共有したい。

 では着ぐるみで行こうか。しかし、このイケおじパパの姿で堂々と文化祭に行き、「王司ちゃんのパパって格好いいね」と友達に言われて満更でもない顔をする愛娘の姿も見てみたい。

 文化祭は、パパをお友だちに自慢するイベントではないか?

 な、や、ま、し、い。


「……おや、見慣れない車が我が家の前に停まったな」


 打犬は、ふと窓の外の異変に気付いた。

 火臣家の前に、高級車が停まっている。誰が降りてくるのかと思って見ていると、車のドアが開いた。


「……む」


 車から出てきたのは、柔らかな金髪をした美男子だった。普通の美男子ではない。打犬の息子だ。恭彦だ。


 息子、恭彦は車に向かって軽く頭を下げた。

 車の窓から顔を出したのは、父親よりも年上の男だ。垂れ目がちで、顔立ちは平凡といっていい。

 しかし、匂い立つような知性があり、最近は若干の危うい感じのする天才である。

 ――八町大気だ。

  

 息子が八町大気の車で送られてきただと。

 シャツの前がはだけている。

 何が入っているのか知らないが、大きな紙袋を持たされて、頬にキスされているではないか。

 

 しかも、八町大気は打犬に気付いている。

 こちらに向かって「してやったり」ないやらしい腹黒笑顔で手を振り、車を出して去って行く……。


「――あ……、あの男……っ」

  

 挨拶もなく、目の前で息子にキスして逃げるとは何事か。

 うちの子に手を出しやがって。息子は俺のだぞ――打犬は頭に血が上るのを感じながら玄関に向かった。


「恭彦! 今のは……その紙袋は……、っ!?」


 息子は、笑顔で父に「ただいま」と言った。


「パパ。帰ってたんだね」

「……ああ?」

 

 息子はいつもと様子が違った。

 酒の匂いはしないが、妙に高揚しているような、あまり見たことのないテンションだ。

 距離が近く、父をぐいぐいと引っ張り、体を押し付けるように体重をかけてきて、気づけば居間のソファに座らせられている――いや、寝かせられている。

 そして、ソファに仰向けに寝た父を、息子は上から見下ろしてくるのだ。


 ……俺は今、息子に押し倒されているのか?


「恭彦。お前、まさか酒を飲まされたのではないだろうな」

「お茶を楽しんでたんだ。俺、八町大気にお茶を淹れたんだよ。お茶の名前を『進一(しんいち)特製ティー』って言ってカレー粉をぶちこんだら喜んでさ」

「芝居の練習をしてきたんだな? 役の影響を受けているのか」

   

 恭彦は「お土産をあげるよ」と言って紙袋をくれた。

「なんだ?」

 紙袋を奪って中身を見ると、カラフルな糸巻やフェルトが詰まっている。


「恭彦、これは役作りに使うのだろう。俺に押し付けてどうする。お前が使いなさい」

「そうだった。忘れてたよ」

 

 息子の手が頬を撫でてくる――背筋にぞくりと甘く痺れたような官能の波が立つ。息子は危機感も何もなく、きらきらコウモリを口ずさんだ。

 

「♪キラキラこうもり、オソラはくもり……」

 

 我が子ながら恐ろしく顔と声がいい。


「恭彦。録音するから、もう一度歌いなさい」


 これは永久保存しなければならない。

 父は使命感でいっぱいになってスマホで動画を撮った。胸のうちには感動があふれていた。


 俺の息子は役に没入し、こんなに「いかれた」演技をしている。

 とてもいい。しかし、あまりべったりと甘えられると父は困る。襲ってしまいそうだ。襲っていいか? 襲うか?


「恭彦、そろそろ夕飯にするからどきなさい。今夜は回鍋肉(ホイコーロー)だ」 

「ん……」


 息子はふと現実に立ち返った様子で冷めた気配になった。

 そして、きっちり三秒経ってから自分の振る舞いを客観視して、凄まじい羞恥心を感じた様子で部屋の隅で縮こまった。

 なんて可愛いのだろう。

 打犬はその表情を見ないようにした。

 

「くぅ……」 


 情けない声を出すな。

 目に涙を浮かべて辛そうな顔をするな。

 パパはお前の泣き顔フェチなんだぞ。


 パシャっと撮影の音が聞こえて、窓を見るといつものカメラマン・パトラッシュが写真を撮っていた。

 

 撮ったのか、俺のフェチズムを刺激する写真を。


 パトラッシュ、お前は腕がいい。

 さぞ芸術的な写真を撮ったのだろう――あとでコッソリ分けてくれ。

 ――視線で訴えると、パトラッシュは頷いてくれた。

 宝物が増えてしまうな。


「恭彦。演技に熱を入れるのはいいが、八町大気と親しくなりすぎるのはいけないな。気安く車で送らせたりキスさせるんじゃない。パパが嫉妬してしまうだろう。お前の一番はパパにしておきなさい」

「俺、八町大気の演出を邪魔したかもしれない。彼の作品の完成度をあげたり、役者を成長させるためには邪魔しない方がよかったかもしれないのに」

「?」

   

 恭彦は再び奇妙な高揚を覗かせていた。

 感情が不安定に上がり下がりする――我が子は見ていて飽きない生き物だ。

 江良が生きていたら、見せてやりたかった。

 面白い子だね、と言ってくれたのではないだろうか。

 ああ、江良。俺はお前ともっとたくさん話をしたかった……。


「……恭彦。お前はいいことをした。よくやったぞ。お前が邪魔したいと思うときは、どんどん邪魔してやりなさい。パパが許そう」


 労い、肯定すると、息子はパッと(はじ)かれたように顔を上げた。

 そして、ふわりと微笑んだ。

 

 俺の言葉が嬉しかったのか――その感情が伝わって、父は多幸感で危うく股間を膨らませかけた。実に危ないところであった。

 

「ありがとう、親父はいいことを言う」

 

 打犬が思うに、恭彦は父を「親父」と呼ぶときと「パパ」と呼ぶときがある。

 パパと呼ぶときは微妙に偽の愛を向けていて、ビジネス感がある。

 親父と呼ぶこの声は、真性の愛だ。ふう……。

  

 今日の息子はニャンニャンデレデレか。なんて可愛いんだ。

 気を抜くと襲ってしまいそうで実に危険である。

 とりあえずほっぺにちゅーしておこう。ぺろぺろ。

 耳を甘噛みしてもいいか? マーキングもしておくか?


 対談では言わなかった言葉が、胸の中で輝いている。


『俺は息子を愛している。愛する息子をこの世に生み出してくれたのだから、托卵した相手の男のことも、俺に息子を育てさせてくれた妻のことも、愛せるんだ。俺に息子をくれてありがとう……』


 ――これが真実の愛。

 だが、世間には教えてやらんのさ。

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