95、雑なハニートラップを仕掛けないでください
「人が死ぬって不思議だな。自分だけ生きてて、変な気分になるんだ」
無人島のゴールで、星牙はぽつりと呟いた。
脱出ゲームが終わり、猫屋敷座長がピンクパンサーの着ぐるみ姿でほてほてと歩いてくる。
「すたーと」と言ってメンバーを送り出した時よりも、その姿はくたびれて見えた。
「お疲れ様でした」
猫屋敷座長は配役を発表した。思った通りの配役だ。
葉室王司……カンパネルラ
緑石芽衣……ジョバンニ
ルリ……女の子(かおる子)
しんじ……男の子
さくら落者……ジョバンニの母
TAKU1……鳥捕り
兵頭……大学士
高槻大吾……かおる子とタダシの家庭教師
「……うちの劇団員、影うっす」
星牙がしかめっ面をしている。
「西の柿座の看板もおらん。目立つ役はゲスト。脚本も座長作じゃない。んで、座長は八町大気とアルチストの言いなりや。なんかなぁ、こんなん、うちの劇団の名前が皮っぺりだけやん。いい気分せん……」
さくらお姉さんが「こら、星牙」と口を挟んだ。
「新川さんは演じたくてもできないんだから仕方ないでしょ。第一、配役に文句あるならアンタが『うちの劇団背負ったる』な気概で役を取りにいけばよかったのよ」
「ぼく、忙しいねん。姉さんや兄さんたちが気張ってやあ。年長者のくせに頼りない」
「はあ? あんた、普段ぼく天才~って言ってるくせに。天才っていうなら劇団引っ張りなさいよ」
も、揉めてる。
「まあまあ」と猫屋敷座長が慌てて場を収めようとしている――。
私が見ていると、芽衣ちゃんが袖を引いてきた。
芽衣ちゃんは推定・パパである猫屋敷座長を助けてほしいのかな。たぶん、そうなんだろうな。
「芽衣ちゃん。私、星牙君の気持ちもわかる気がするよ。自分が劇団に貢献できなくても劇団には立派であってほしい、活躍してほしいっていう……劇団愛……?」
「なるほど。でも、そんなのわがまま。自分が劇団のために頑張ればいい。そうしないなら、心の中に仕舞っておくといいと思う」
ズバッと言うなぁ。星牙が「ぐっ」と黙り込んじゃったよ。
「私が思うに、八町大気が悪いんじゃないかな。八町が悪いよ、八町が。それでは、そろそろ帰る時間なので帰ります。お先に失礼します……今日はお疲れ様でした!」
全てを八町のせいにして、私はセバスチャンの運転する車に乗って帰宅した。
演じる役が決まったのはいいことだ。
脱出ゲームも楽しかった。今日はいい日だ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
日は暮れかけていて、窓の外には夕陽に照らされた都市風景が流れている。
家に向かう車は信号に捕まることもなく、蝶々がひらりと窓に張り付いても、すぐに後ろへと置いていく。
「お嬢様。イジメられマシタか?」
執事のセバスチャンは車を運転しながら話しかけてきた。
心配してくれてるんだろうか?
「いじめはなかったよ。八町は元々カンパネルラで当て書きしてるようだったし」
「演劇は、どんなものをなさるのですか?」
「ん……、宮沢賢治だよ。『銀河鉄道の夜』っていうんだ。知ってる?」
「存じません」
そうか、知らないのか。
「青空文庫で読めるよ。紙の本がよければ、Amazonで買おうか?」
「ぜひ」
日が沈む都市は、明かりがたくさん灯っている。
本をポチるだけでは会話が寂しい気がして、私は言葉を付け足した。
「『銀河鉄道の夜』の汽車は、りんごの匂いがするんだよ。作者がりんご好きなんだって。『こんな闇夜の野原のなかをゆくときは、客車の窓はみんな水族館の窓になる。汽車は銀河系の玲瓏レンズ、巨きな水素のりんごの中を駆けている』……他の作品でも、真っ暗な夜に走る汽車が描かれたりしてるんだ」
「ほう、りんご。私もりんごは好みます」
「そうなの? 今度りんごのタルトを作ってあげるからアッポーポイントちょうだい。作ったことないけど」
「お嬢様。おねだりがストレートですね」
話しているうちに、車は家に着いた。あ、アリサちゃんからLINEが来てる。
高槻アリサ:今日は【西】の人たち、文豪座にいなかったね
葉室王司:みんなで脱出ゲームしてたんだよ~
葉室王司:【東】の人たちは、何をしていたの?
高槻アリサ:恭彦さんが王司ちゃんに伝えるといいって言ってたんだけど
葉室王司:直接DM送ってくればいいのに
葉室王司:なーに?
「お嬢様」
「うん、着いたのはわかってる。今降りるよ」
「お嬢様は、演劇祭が終わるまでの命です」
高槻アリサ:執事さんがなんか嘘を言うから、気にしないのがいい、だって
……。
なんて絶妙なタイミングなんだ。
さては八町か。
『だって、江良君がカンパネルラを演じたら「僕、死ぬのやめた。ジョバンニと一緒にいる。女の子になるから結婚しよ」とか言い出しそうだもの』って言ってたもんね。
私を追い詰めて「自分、死ぬ。本当にこれっきり」という真に迫った演技をさせたいのだろう。
八町に限った話ではなく、演出家や監督は、撮りたい映像や作品の完成度のために妥協するのを嫌ったり、手段を選ばなかったりする生き物だ。
大なり小なり、そんな傾向はあると思われる……。
葉室王司:ありがとう、アリサちゃん
「いつもお仕事お疲れ様、セバスチャン。余命僅かか。悲しいなぁ……」
「む……」
悲嘆に暮れた視線をセバスチャンに向ける。
彼はハンドルを握ったまま前を見た姿勢で固まっていて、視線を合わせない。
「私、まだ生きたいのになぁ……なんとかならないのかな……」
「……残念ですが」
ちょっと辛そうにしてくれてる。なんだこの執事。
この、ちょっと愛嬌を感じさせるのがなあ。憎めないなあ。
悪魔なんでしょう? それが、ちょっと八町に脅されて従っちゃうの?
どんな悪魔だよ。八町は何をしたんだよ。
空譜ソラの動画を思い出す。
あの事件、赤リンゴアプリが使われていたんだ。ということは、この悪魔は関わってるんだ。
……芽衣ちゃんの動画、もらっておけばよかったかな。
「セバスチャン。空譜ソラとか、りーちゃんって覚えてる? アプリを使って亡くなった人みたいだけど。死にゆくお嬢様のおねだりだよ、未練なく逝けるように教えてほしいなぁ」
ちょっと接近しておねだり強化してみるか。
助手席に移動して、一回ドア閉めて。変装用の眼鏡もつけよう。こいつ、眼鏡好きっぽいし。
手を握ってあげよう。
「セバスくーん。私、眼鏡委員長。もうすぐ死んじゃうの」
「お嬢様。私に雑なハニートラップを仕掛けないでください」
「あ、はい」
そんな冷たい声で言わなくてもよくない?
こっちは『余命宣言されて傷心』という設定のお嬢様だぞ。悪魔め。
……あれ、アプリが私のスマホにない。消えてる。
「アプリは、元々もう人間に使わせないつもりだったのですよ。役目も終えましたから」
「えっ、そうなの」
「あれは、まだ私が初めてこの世界で自我を得たばかりの、ふわふわとしていた頃……街中で乱暴なキッズに追いかけまわされて困っていた私は、街路樹に隠れていました」
おお。悪魔が過去を語っているよ。サイズ感が小さいな。
キッズに追いかけまわされて困る悪魔ってなんだよ。そんなんで困るなよ。
「少年がいました。彼は人間を観察していて、観察した人間を真似していました。それが、私には興味深く思われたのです」
人間模写? 懐かしいな。江良もよく遊んでたよ。
「それで、私も人間観察をしたり、模倣してみたのです。人間は満足せず、願いが叶っても次々に新しい願いを抱きます。いい商売でした。私は代償を多めにちょろまかし、もぐもぐと命を食べて育ったのです。人間はちょろいのです。とても」
くだけた言い方で悪魔っぽいことを言うじゃないか。
まあ、私も三回ほどお願いをしちゃってるから、何も言えないかな……。
「願いは複数人のものが衝突することもあれば、一致することもありました。そして、他者を巻きこんだり自滅したりするのです。全く愚かな生き物だ……と、私は結論を下しました。くだらないですし、面倒ですし、お気に入りを絞るとお気に入りに情も移るしで、やるもんじゃなかったと後悔しています」
「こ、後悔してるのぉ……?」
へ、変なやつ。
どうしたの、人間に感化されたの?
悪魔は人間味あふれる表情で頷いたので、私はうっかり「大変だったね」などという間抜けな相槌を打ってしまった。