94、キッズチャンネルとVtuber
――【葉室王司視点】
どうもシークレットミッションの雲行きが怪しい気がする。
ジョバンニらしくないことをさせたり、役をリセットさせて別のキャラみたいな振る舞いを要求してくるんだ。
猫屋敷座長の意思を感じる――「君、別の役やらない?」的な意思を。
『【シークレットミッション】君は芽衣ジョバンニを見て、大切な友達だったことを思い出す』
私が座長の意思を疑っていると、芽衣ちゃんがみんなで完成させたイカダを見て呟く声が聞こえる。
「すごい」
純粋にすごいと思った、思ったことをそのまま言った、という雰囲気がピュアだ。
そんな芽衣ちゃんを微笑ましく思っていると、彼女はスマホを見て少し考える素振りを見せた。
シークレットミッションかな?
困ってる? 悩んでる? 大丈夫?
「ジョバンニ、どうしたの」
大切な友達に尋ねると、友だちはイカダに座って隣に座るよう勧めてきた。
どうした、なんかあったか、とみんなが周りに集まってくる中、芽衣ちゃんはスマホで動画を再生した。
「これを見て」
うん、うん?
動画は……キッズチャンネル?
企業のチャンネルじゃなくて、個人が「うちの子の成長記録」ってやってる動画だ。
理想の家庭~って雰囲気。
『めーちゃん&りーちゃん』というサイトで、お家同士が仲良しの二人の女の子が、1歳の時から一緒に動画撮影されている。
「めーちゃんは芽衣ちゃんだね。すぐにわかったよ」
キッズチャンネルの動画は、2人が小学生ライフを送っていた途中で途切れていた。
そして、「りーちゃんパパ」を名乗る男性が「めーちゃんパパ」を名乗る男性のまわすカメラの前で「りーちゃんのママとパパが離婚したことと、親権をママが取ったこと」を発表した。
めーちゃんパパは、りーちゃんパパの味方をすると言っている……この声、なんか聞いたことある関西訛りだな。
彼ら二人が主張するところによると、りーちゃんママは「夫は言葉の暴力をする、りーちゃんはカメラを向けられて、動画用のセリフとして『パパ大好き』って言ってるだけ」と訴えたらしい。そして、その主張が通ってしまった。
りーちゃんパパは、「それは逆だ」と主張している。
『僕は、ママが娘に暴言を吐くので、それを動画に撮ったんです。これです』
動画の中で、動画が再生される。確かに、怖い声できついことを言っているかも。
『裁判でこの動画を提出しましたが、僕は負けました。
そして、元妻は「いつも動画を撮って気持ち悪いから、二度と会いたくない。娘に会わせると娘のことも撮るだろう。だから会わせたくない」と訴えたのです。……裁判所は妻に味方して、僕は面会も許されなくなりました……』
なんということだ。
理想の家庭が一気に崩壊している……。
ところで、芽衣ちゃん。
今、脱出ゲーム中なんだけど、この動画を見せて何をしたいのかな?
「次は、これ」
「う、うん」
芽衣ちゃんは新しい動画を再生した。
すると今度は、『めーちゃんがママに連れ去られました』というお知らせが出る。
パパ同士とママ同士とで揉めた結果、めーちゃんのママは芽衣ちゃんを連れてどこかに行方をくらましてしまったというのだ。
家に帰ると置き手紙があって、妻と娘がいなかった――そう語るめーちゃんパパの声は……これ、猫屋敷座長じゃない?
キッズチャンネルは閉鎖されないまま、最後の動画が「離婚しました、裁判で負けました」「連れ去られました」「連れ去りをした妻と裁判しました」「負けました……」で終わっているという、後味の悪すぎる状態だ。
あまりに衝撃的で、闇が深い。
小さな頃から何年も見守ってきたリスナーたちは親戚のような空気感で心配していて、「その後、どうなりましたか?」「ご無事ですか?」と定期的に更新をチェックしてコメントを送り続けていた。
「最後……」
「う、う、うん」
もう脱出ゲームどころじゃない。
私たちは全員が食い入るようにして芽衣ちゃんが再生する動画に見入った。
動画の再生を初めてすぐ、星牙が呻く。声には強い動揺があって、旧知の仲なのだと感じられた。
「空譜ソラ」
その名前は、私も知ってる。
ノコさんがライブで歌った曲の歌手だ。
彼女はVtuberで、江良が死んだ翌日に死亡したと言われている。
そしてこの動画は、ネットで検索しても出てこない。
一度拡散されたものの、電子の海に存在を許されず抹消された――けれど、保存しているユーザーもいる――そんな動画だ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【空譜ソラの動画】
Vtuberの空譜ソラがしゃべっている。
「私はこれから、女の子を誘拐して、一緒に死のうと思います」
空譜ソラは、水色の髪に羽耳の女の子アバターをしていて、ハイトーンの声と炎上しない安心安全な人柄が人気のVtuberだ。
:昨日見つけたアプリ、どうなった?
:今日、エイプリルフールだっけ?
:ドッキリかな?
:ソラ、星牙コーチと仲直りした?
:コーチと一緒に大会出たくて自主練頑張ってるんだよね
:今日はゲーム配信サボリ日? コーチに言いつけちゃうぞ
配信リスナーたちが賑やかす中、ソラは突然、生身の人間の姿を見せた。
年齢不詳の黒のオーバーサイズパーカーの女だ。しかも、女の子と手を繋いでいる。
キッズチャンネルで大人気だったりーちゃんだ、とリスナーの誰かがコメントした。
両親が離婚して3年が経過しており、りーちゃんは小学校を卒業していた。3年経っても、「この子はりーちゃんだな」とわかる面影だ。
:りーちゃんだ
:え
:ソラ?
:は?
:ガワ脱いだw
Vtuberは、キャラのガワを被っているものだ。
リアルの姿をさらけ出すなんて――リスナーがどんどん増える。
空譜ソラとりーちゃんは、夜の病院に入って行った。
当然いるはずの警備員などが不在で、巡回している夜勤看護師の姿も見えない。
ロックは解除されて進行を妨げるものがない。
:病院は本物?
:凝ってるなあ
:これ何の企画ですか?
:怖い。なんかしゃべって
配信優等生のソラは、普段の配信では10秒以上無言になることがなかった。
けれどこの時、ソラはリスナーを放置して、ずっと無言だった。
りーちゃんも無言だ。
ただ、息づかいと足音がする。
:この配信、なんなの?
:通報した方がいいんじゃない
:なんかヤバイ
:この病院どこ?
二人は病院のエレベーターで上に行き、6階へたどり着いた。
6階は、空の病室が並ぶ階だった。
けれど、奥にひとりだけ入院していた。
:面会謝絶の札ついてるけど
:入っちゃうの?
:今来たんだが何やってんの?
:この病院多分ココ(URL)
:通報した
:通報しました
:え、何?
:事件?
病院が特定されて、リスナーの中に「通報」という文字を打つ者が出てくる。
そんな中、りーちゃんは病室に入り、ベッドにいた男に近付いた。
「ぱぱ」
呼吸器をつけて目を閉じていた男は、まるで骨格標本のように痩せていた。
骨に皮を着せているような手首に、二度と目覚めないのではないかと思われる閉じた双眸――彼は、キッズチャンネルに映っていたりーちゃんパパだ。
:りーちゃんパパだ
:ガチ?
:どゆこと?
:え
:え
:え?
死にかけてる。
そんな言葉を誰かが書いて、モデレーターに消されていく。
通報という文字がネットに増えた。
空譜ソラの名前でコメント欄に文字が書かれる。
空譜ソラ:離婚後、りーちゃんパパはご病気に罹りました。しかし、りーちゃんは一度もパパを見舞うことができませんでした。最期に一目会いたいと言うお願いを、今夜、赤リンゴアプリが叶えました。
:これ、ソラが打ってるの?
:おかしくない?
:怖い
:こわ
:おかしい
:アプリ使ったの?
:いや、アプリはりーちゃんが使ったってことでは?
:パパが使った?
:お前らが何言ってるかわからん、アプリって何
:そんなん都市伝説だろ
:やべーよ
「……り、?」
父親が乾き切ってひび割れた唇を動かす。
目を開ける様子からは、それがとても困難で、けれど彼が必死に力を振り絞って目を開けているのだと思われた。
「ぱぱ。りり、あいにきたよ」
娘が父親に抱き着いて笑顔を向ける。
「……り、り。ほん、とうに……? これは、現実?」
父親が呟き、必死に手を動かそうとしている。
けれど、枯れ木のような手は動かないようだった。
代わりに、りーちゃんが父親の手を握り、その手を自分の頬にあてられるように導いた。
「ずっと、会いたかった」
父親は乾いた頬に涙をあふれさせた。
「あ……あいしてる。パパは、いつも、いつまでも……」
父親は目を閉じ、脱力し、呼吸をやめて、事切れた。
:あ
:あ
:がち?
:あ
:ああ……
:あ……
:え
モニターに大量の「あ」が並ぶ。
:……え?
誰かが「死んだの?」と書いた直後、りーちゃんはカメラを見た。
彼女は、カメラを懐かしむように、慈しむように見つめた。
「りーちゃんは、パパと動画撮るの大好きだったよ。コメントくれるみんなも、好きだった。……ママはね、それが小さい頃からずっとやってるから、洗脳されてるって言うんだ。……ばいばい」
あどけない声が別れを告げた。
直後、リスナーは目を疑った。
りーちゃんはナイフを取り出し、自分の手首を切ったのだ。
鮮やかな血がカメラに映り、コメントが大騒ぎになる。
通報されていたため、パトカーのサイレンが聞こえてきて、コメントの民は「急いで」「救急車も呼んで」と濁流のようにメッセージを送信していた。
「じゃまされちゃうの、やだよ」
りーちゃんが弱々しく呟く声は、なんだかとても悲しげだった。
「大人はいつも、じゃまをする」
空譜ソラは、そんなりーちゃんを抱きしめて窓際に行った。
病室の扉が開き、二人が追い詰められていく。
現実世界の怒号とネット世界のコメントが動画を情報でいっぱいにする中、ソラとりーちゃんは窓から一緒に飛び降りた。
「さよなら、世界」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
この動画は、事件の後で消された。
この動画について話している発言も、消された。
人々はその件を表立って話題にすることができなくなり、「代わりにこれを話せ」とばかりに無難な話題を提供されて、気を逸らされていった。トレンドの話題は毎日、次々と新しいものが浮上するから。
日常は淡々と経過した。
そして、現在に至る。
緑石芽衣は、芝居を忘れた劇団員たちを滑稽な生き物でも見るかのように眺めて立ち上がった。
「私にシークレットミッションが届いた。ジョバンニをやりたいライバルに、ジョバンニへの熱意を見せて譲ってもらえるように頑張りなさい、だって」
黒ぶち眼鏡の奥の瞳は、ほの暗かった。
そこには妄執に似た感情があった。
「家に帰るとママがいる。ママは、私に依存している。私が生きがいで、私が宝物で、私がいないと死ぬと言う」
緑石芽衣は、淡々とした口調で語った。
「カンパネルラは友達だった。ずっと一緒にいると思った。そんなの当たり前だった。でも、私のカンパネルラはもういない」
緑石芽衣は、その瞳を哀しみと喪失感で揺らした。その子が大好きだったのだ、という感情が、静かな声から痛いほど伝わってきた。
「お仕事の付き合いなら、パパと会ってもいいと言うの。だから私は、パパとお仕事をする。私はジョバンニが自分に近いと思う。ジョバンニをやりたいと思う。他の役より大変だけど、他の役より頑張れる」
私のスマホに通知が届く。
ああ、……追い詰められていく。
『【シークレットミッション】
君は、以下のミッションを達成してもいいし、反抗してもいい。
カンパネルラ、君は自分が死んでしまったことを思い出す。
そして、本当の幸いについて考える。
君は、友と最期のひとときを過ごした後、天に召される運命の少年だ』
――反抗してもいいんだ。
猫屋敷座長は、逃げ道を作ってくれた。
本当に他者を押しのけ、「他人の事情も何もかも知らないよ。私は自分ファーストなんだ」と思うなら、私はここで「譲らない」と言っても許されるんだ。
……でもでも、でもさ。これはずるいよ。
――江良はこういう女の子に「俺はお前の事情なんて知らん」なんて言えないんだ。
「ジョバンニ。一緒に海に漕ぎ出そう。ほら見て」
私はジョバンニの手を取り、視線を海に向けた。
「あそこにいるの、ぼくのお母さんだよ……」
カンパネルラは、そう言って消えるんだ。
私はその日、カンパネルラを選んだ。
ジョバンニは、芽衣ちゃんだ。