90、俺は八町大気にマグロ認定してもらえたぞ!
――『おまけ枠のカジキマグロ』
【東】のチームに所属する火臣恭彦は、墓の前で倒れていた八町大気と現在の彼を心の中で比べていた。あの時は人の死にかけてるところを初めて見て、内心かなりびびったものだ。
死なれなくてよかった。トラウマになりそうだから。
八町大気は、江良九足という俳優をいたく気に入っていて、後追い自殺未遂をするほどだ。
かなり精神的に不安定で心配である――と、父である打犬が言っていた。
精神的に不安定とはいえ、復帰して活動を再開しているのは喜ばしい。
少なくとも、「死にそう」という雰囲気ではないし……。
この八町大気は、才気あふれるクリエイターであり、実績ある映画監督であり、お気に入りの俳優で当て書きすることでも有名である。
おのれが主演を望むことはないが――「俺が主演をやりたい」と口にする自分を想像するだけで、自分が恥ずかしくて胸が苦しくなってしまう――……脇役なら。
映画作品に脇役ででも出演すれば、主演の脇を固めるための光る人材を探して映画作品の脇役をチェックしている他の監督やプロデューサーの目に留まりやすくなること間違いなしである。
では、どう気に入られるか? 簡単だ。
八町大気は、江良九足が好きなのだ。
……そして俺は、江良九足に詳しい。
父に散々出演作品を鑑賞させられ、語りを聞かされ、かなり貴重な演技ノートを独占している。
恭彦は、「もしかしたら」と可能性を見出していた。
俺が「江良のようだ」と思わせられたら、気に入ってもらえるのでは?
自分には、その演技ができるのではないか?
演技ノートを読めば、それを遺した役者の感性がありありと伝わってくる。
どのインタビューにも掲載されていない、父もファンも知らない江良の過去や体験が書かれていたりもする。
八町大気のことも書いていた……。
『少年タカラは、怒りのあるキャラだと思う。自分への怒りかな。怒りは強い感情だ。怒っていると人間って感じがして、魅力を感じる。
怒りといえば、八町が言ってたっけ。江良君は「自分はここにいるぞバカー!」と怒ってるから好きだって。
俺は親に捨てられた子だったし、孤独が強かったんだと思う。
子どもの視界だと大人たちはみんな背が高くてせかせかとどこかへ歩いていって、都市ビルはどれも無機質で四角くて、世界は冷たかった。誰にも見向きされない石ころの気分だった。
俺は誰かに自分という存在を、自分の心を見て欲しかったのかもしれない……』
彼は孤独で、寂しがり屋で、善良で、欲があって、怒っていた。
「単細胞生物からスタートして、張り切って進化していきましょう!」
進化するシアターゲームが始まる。幸運にも、BGM付きだ。
みんな床に寝転がり、這いずったりうねうねしたりしている。
恭彦は「もし自分が江良九足だったら」と想像した。
ここにいる自分が火臣恭彦ではなく、江良九足だったら?
しかし、江良九足の単細胞生物がどうも想像できない。なりきることができない。
「はい、進化してください」
みんながどんどん進化していく。自分はどうもうまくいかない。
自分より格上の他人になりきり、その他人が演技をするふりをする――そんなこと、考えてみれば難易度が高すぎる。普通に演技するだけでも難しいのに。
「ここは海です。みなさんは魚になりましたね」
言われた瞬間、目についたのは部屋の隅に飾られていたカジキマグロだった。
1秒にも満たない時間で思考が巡る――いつかネットで見た記事を思い出す。
『カジキマグロという魚はいない』
『しばしば「カジキマグロ」と呼称されるが、同じスズキ目でもサバ科であるマグロとは異なる分類群である』
――なんで。
……腹の底から感情がぶわりと湧いた。
なんでや。マグロって呼ぶならマグロ認定せえや。
カジキマグロって呼んでるんやから「いない」なんて言うなや。
かわいそうやん。ひどいやん。マグロ気取りしてて恥ずかしいやん。
燃えてる。胸の奥で、何かがチリチリと燃えている。
熱い。狂おしい。吐き出したい。そんな何かがある。
……怒りだ。
ああ、そうだ。
怒りってこんな感じだ。
俳優二世と呼ばれて「俺の息子」と英才教育されたのに、血が繋がってないとばらされた。
しかも血が繋がっている娘が現れて、そっちには才能があるんだ。
ああ。くそ。現実が気に入らない。
……そうだ。江良も「現実が気に入らない」という怒りを抱えていた人間だ。
俺には怒りがある。江良が眺めて怒っていた視界が見える。
周りが高い。自分が小さい。他人が華やかで、自分が地味だ。
でも、自我がある。俺だって「すごい」と言われたい。
やるんだ、今。
だって、できるから。
「……っ」
役柄理解――解像度を上げていけ。
『カジキ類は水中における最速のスプリンターである』『体は紡錘形』『肉食魚』『温暖な海に住む』『体内に有害な化学物質が蓄積しやすい』『攻撃され、人が死亡した事例もある』
思い出せ、怒りの源を。
『俺の遺伝子持ってるのに、なんでできないんだ?』『火臣ジュニア』『お父さんの子じゃないのよ、恭彦』『マグロではありません』『俳優二世』『妹ちゃんが天才なんは、お父さんの血のおかげやね!』『異なる分類群』『へたっぴ』……――ぬるま湯で遊んでいる魚どもは俺が食らう。奴らの毒ごと吞み込んで、俺は食物連鎖の頂点に立つ。
人間、許さねえ。
俺をマグロと呼んだのに「でもマグロじゃないんです」だと。
俺は八町大気を最速で刺し殺す――両腕を前に突き出し、全身を矢のようにして恭彦は突進した。
「はい、皆さん。それでは次の進化――なっ……!?」
「サス」とか「マグロ」とか「カジキ」とか雄叫びをあげていた気がするが、記憶は定かではない。
気付けば恭彦は八町大気を両手でプッシュして壁に押し付けていた。
室内には「えーっ」とか「きゃー!」とか悲鳴があがっていた。
「壁ドンだ」
「勢いありすぎ」
「かっこいい」
ハッと正気に返ってから「しまった。やらかしたか」と冷や汗を流したが、今のは壁ドンに分類されたらしい。
八町大気を見ると、目を最大限見開いて「とてもびっくりした」という顔で縮こまっている。
大変だ。この人、偉い人なのに。
しかも精神不安定な人なのに。えらいことをしでかしてしまった。
「し、失礼しました。役に……入り込んでいたのです……」
八町大気を壁から解放して床に座って頭を下げると、羞恥心でいっぱいになった。
調子に乗ってしまった。悪目立ちした。なんて恥ずかしい――しかし、そんな恭彦の手を取り、八町大気は「今の演技について解説してくれたまえ」というではないか。
「俺は、カジキマグロでした。怒っていたんです。だって、マグロだと呼んだ癖にマグロじゃないっていうから……俺はマグロな気分に育てられてしまったのに。しかも、隣を悠々とマグロが泳いでるんだ――本物のオーラを出して。俺はどう見ても自分が偽物だってわからせられて……最初からマグロって呼ばれなきゃよかったのに。八町大気、許せねえ」
「それ、八町大気関係ある?」
八町大気は冷静に指摘しつつ、「君のカジキマグロの掘り下げ演技は素晴らしい。カジキマグロの心を君ほど情熱をもって表現する役者はそういないだろうね」と賞賛してくれて、頭を撫でてくれた。
「カジキ君。君はマグロだ。よーし、よし。その荒ぶる感情を収めておくれ」
そして、部屋の隅に飾られていたカジキマグロをトロフィーと呼び、持たせてくれた。
俺は八町大気にマグロ認定してもらえたぞ!
これは良いことではないか?
恭彦は心を浮上させたが、3秒後には「いや、今のは『なんか暴走系のやばい若造がいるからあやしておこう』というパフォーマンスじゃなかったか? 勘違いして喜ぶ自分、痛々しい……」という感情が沸々と湧いて、憂うつになってしまった。
葉室王司:恭彦お兄さん、カジキマグロのトロフィーって20万円以上するっていうじゃないですか
葉室王司:お返しします!
火臣恭彦:返さないでください
火臣恭彦:それを見ると憂うつになるんです
妹はカジキマグロを引き取ってくれた。助かる。
火臣恭彦:俺はもう寝ます
火臣恭彦:おやすみなさい妹さん
葉室王司:おやすみなさいお兄さん
妹は、実は血が繋がっていないし同居もしていないし苗字も違うが、兄だと思って接してくる。仲良し兄妹に憧れているようだ。
カジキマグロの俺をマグロだと認定するようなものだ。
だから俺はマグロのふりを頑張ろうと思った――すなわち、兄のふりを。