87、勝ちたい
お泊り会の翌朝。
「おはよう!」
私たちはみんなで朝食を摂り、稽古場に向かった。
振り付け師のSACHI先生に稽古をつけていただくのだ。
車から降りて建物に入る時、涼しい風に頬を撫でられて、季節の移ろいを感じた。
稽古場は壁の一面には天井から床までの大きな鏡が設置されていて、稽古風景を撮るカメラが隅に置かれていた。
私たちの楽曲は『最初で最後!』と言う名前の曲である。
本当に最初で最後なのかは、よくわからない。グループは曲が売れたら続くのかもしれないし、売れなかったら解散するのかもしれない。
SACHI先生は美人だ。
すらりと背が高くてスポーティな印象。
身のこなしが軽やかで、動作がきびきびしていて気持ちいい。
腰丈の金髪をポニーテールにしていて、目は蒼い――ハーフなんだって。
「昨夜は青春してたんですって? グループが仲良しなのはいいことね。不仲だと仲良しのふりをしてても、にじみ出ちゃうものがあるからなぁ」
ボーカルのない曲を流しながら、SACHI先生はお手本のダンスを披露した。
踊り始めると、先生はまるで溌剌としたアイドルガールに変身したかのようだった。キュートで、魅力たっぷりだ。初々しさまで感じるからすごい。
「全身を大きく使うよ! 一生懸命、楽しい楽しい、好き好きって気持ちで踊ってね! 右手をあげて。ショーの始まり~♪ 手を上にかざして、左右に全身の角度を変えながら見渡す、きょろきょろ」
踊りながらだと、たまにイントネーションが関西風に訛るのが可愛い。
先生の解説によると、メンバーたちは1列に並んだりくるくると回ったりして、全体的にワチャワチャしたショーをするらしい。
ジャンプをするときは、一斉にジャンプする時とタイミングをずらしてジャンプする時がある。
全員がイヤホンマイクをつけて踊りながら歌うが、持つタイプのマイクも2つある。
その2つをリレーのように回して歌う――マイクを持って歌う時は、その女の子の見せ場と言うわけだ。
私たちは、一斉に先生の真似をした。
アイドル部でもダンス解説動画をみんなで見ながら練習してるけど、やっぱり先生がいると違うな。それにしても、このダンスって結構しんどい。
「もう一度、最初~、葉室、楽しようとしなーい」
先生は有能だ。省エネしようとすると、すぐ見抜く。
「葉室、バタバタしなぁい。指をクロス。首傾けて~、全員並んで、横一列フォーメーション。ライン意識して~、はい、両側の子の腰に手をあてる。葉室、遠慮しない」
目を付けられたか、センターだからか、他の子には言わないのに「葉室、葉室」と指摘される。
一生懸命踊るよ、頑張ってるよ、ほら、ちゃんとできたよ。
可愛い仕草だよ。アイドルちゃんだよ。
「葉室、照れがあるよ。恥ずかしいって思ってる? 自分が恥ずかしいと思ってるものを客に見せる気?」
「くぅ……」
言われてることは「ごもっとも」だ。反省しよう。
「人差し指立てて腕を真上に、はい、いちばーん。心の底から自分が一番だと思って」
い、いちばーん。
ポーズを決めると、そこからターンだ。
「くるってまわってー、はい、わちゃわちゃ。小走り、可愛く。仲良しよ。葉室、もう一歩前」
アイドルは体力とメンタルを消耗する。そんな予感を感じつつ、私は涙目で「いちばーん」のポーズを取った。
「葉室、そこはいちばーんじゃなくてピストルを撃つ。全員を代表して客を仕留めろ。全員殺せ。生きて帰すな」
これアイドルの振り付けの解説? 殺戮アイドルジュエルちゃん?
まるでミュージカルだ。そうか、わかったぞ。
芝居は、何かを表現するときに身体の全体を使って演技をするもの。
パフォーマンスをして、見る人の心を動かすもの。
アイドルも役者ということだ。
これは、『ジュエルたちがファンのハートを撃ち抜いてぶち殺す劇』なんだ。
私は殺す。
「撃ちます、先生」
それでは、死んでください。バキューン……。
SACHI先生の胸に照準を定めてピストルを撃つと、先生はバッタリと倒れ込んだ。
「葉室……効いたぜ」
仰向けに倒れたまま、サムズアップしてくれた。
……この先生、稽古始める前と後で人格変わってない……?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【西園寺麗華視点】
その場の流れに「流された」。
他人の勢いに「呑まれた」。
そんな言葉がある。
西園寺麗華は、オーディションで自分が役者として敗北したという自覚を抱いている。
あの時、麗華は「私がオデット」と決めたのに。
一番目立てる。
度胸も瞬発力も地力も見せつけることができる。
勝った、と思った。
オーディション慣れしていない年下の芝居初心者など知るか、他の仲間が右往左往してぼろぼろの演技をしても、それは本人が悪いと言ってやる……くらいの気持ちだった。
大人げないと言われようが、自分、自分、自分。エゴ、エゴ、エゴだ。
役者としてのエゴを主張したのに――葉室王司が初心者の子と2人で「私たちも入れて。あと、私はオデットです」と芝居を挑んできた時に、麗華は「合わせよう」と思ってしまったのだった。
アフタートークで誇ったように、大人の対応であり、全体のための判断として評価できる対応だ。
悪役と王妃の2役もこなして伸びしろや器用さも見せることができたので、悪いことではなかった。
けれど、麗華の中の女優の魂は、「私は自分を貫くべきだったのでは?」と悔しがってもいる。
あの時、大切な何かを守らないといけなかった。
なのに、守らなかった。
その結果、麗華は女優として大事な「私が誰よりスポットライトを浴びる権利があるの!」と思うためのティアラみたいな何かを葉室王司に奪われてしまったように思う。
「ふう……」
「はあ……」
ため息をつくと、車の中に一緒にいる後輩もため息をついた。アンニュイ仲間だ。
車の外には、劇団アルチストが所有する『文豪座劇場』がある。駐車場に車を停めて、西園寺麗華は後輩に世間話を振った。気分を切り替えるためだ。
「そういえば、恭彦君。アイドルのグループって、メンバー同士で競争をさせるのよね。王司ちゃん、大丈夫かしら」
気分を切り替えるためなのに、あの子の話をしてしまう――麗華は苦笑した。
「今のところ番組サイドは競争させる予定はなさそう、と聞いています」
「ふうん。例えば『チェキ会』や『お話し会』ってあるでしょ」
「ありますね」
別の事務所に所属している後輩は、外見は派手だが性格は大人しい。「陰キャ」と言ったら失礼よね、と麗華は心の中で呟いた。「草食系」……これなら失礼にならないかしら。
「ファンの人気でランキング順位を付けるやつですよね。人気投票でセンターを決めたりする……」
「それよ、恭彦君。お姉さん、あれがどうも『順位なんて付けなくてもいいじゃない』ってなっちゃうの」
麗華はサングラスをずらし、車の外を見た。
軽く開けた窓から、外の風が吹き込んでくる――外には風が吹いてるんだ、と思った。
無風の車内の隙間から外の風に気付いたみたいに、私は自分と世の中の変化から目を逸らせなくなりつつある――そう思った。
「……グループ内でもライバル関係などが自然とできるのよね。人気が下のほうの子はとても辛いと思うわ。順位が発表されて1位だった子が転落してしまったときに泣いてしまっていたりする動画を見たことがあって……見ている方も心が辛くなったわ……」
「……」
私は今、1位だった子に「転落する自分」のイメージを重ねて、強く感情移入しているのだわ。
麗華はそう思った。
転落しそうな感覚があるのだ。
今まで立っていたところが崩れて、落ちてしまいそうな気がするのだ。
言葉を止めると、数秒間、車内には静寂が訪れた。
そうすると、青年は気まずさを感じた様子で言葉を探してくれた。
「競争があるから必死に努力をして、ぎらぎら輝く……努力は美しい……一生懸命がんばる子って、応援したいコンテンツです。ファンの男は好きな女の子が泣く姿を見たくないので、必死にお金を使って応援するわけです。『好きな子を勝たせるぜ、守るぜ』『好きな子を泣かせないようにするぜ』とパトロンとかナイト気分になれて、楽しいんじゃないでしょうか? WIN-WINなんだ……母は、俺にそう言っていたかも」
あまり自分の考えを言わない後輩が、一生懸命話している。
いいことね、と耳を傾けていた麗華は、後半で心配な気持ちになった。
「恭彦君、あのね、お姉さん、すごく余計なお節介なことを言うけど、もし女の子とデートすることがあったら、デートの時にはお母さんのお話はしない方がいいわよ」
「デートすることがあったら気を付けます」
「お父さんとも……結構、仲が良すぎって有名になっちゃってるじゃない? 繊細な部分かと思うんだけど……大丈夫? 何がとは言わないけど……ABCで言うとどれくらいの仲……?」
「親父は演技が上手いから」
「あ、うん。……うん……?」
後輩は、スマホで何かを検索して「これ、使いますか」と見せてきた。
アイドルオーディションに落ちた子たちが泣いてる動画だ。
「使いますか」というからには、自分が彼女たちに自分を重ねて「競うのが辛いわ」と陶酔していたのを見透かされたに違いない――麗華は赤くなった。
「ど、動画は結構よ、お姉さん、恥ずかしいわ。うふふ。忘れて? 忘れてね?」
外から青年と少女の声が聞こえたのは、その時だった。
「アリサ、お兄ちゃんは別のグループだから、そっちのグループのお部屋まで行けないよ。中に入ってからだと帰りにくくなるけど、いいのかい。役者、しないんじゃなかったのかい」
「お兄ちゃん、ありがとう。王司ちゃんも参加するっていうから、一緒にやりたいなって思ったの」
「でもアリサ。王司ちゃんはそっちじゃないよ」
知っている兄妹だ。
麗華は兄妹が文豪座劇場に入っていくのを見て、麗華は車のドアを開けた。
「私たちも行きましょうか、恭彦君。あっちだかそっちだかに」
「血の繋がりって、むかつく」
「え?」
穏やかな青年が変なことを言ったので、麗華は耳を疑った。
金髪の青年は、いつものパーカーフードをかぶり、じとじとした風情で高槻兄妹の背中を見ていた。
「自分にはどうしようもない要因だ。それで差とか壁を感じるんだ。気になるんだ。……嫉妬だ」
感情に名前をつけると、青年は演技ノートを取り出して感情をメモした。
その感情は、きっと将来「嫉妬する役」を演じる際に使うのかもしれない。
麗華はその姿を見ていて、「自分は先輩として何かを言わないといけない」という使命感を感じた。
「…………恭彦君……」
嫉妬の種類が気になった。
麗華は発言することにブレーキを踏みそうな自分を鼓舞して、アクセルを踏んだ。
「それって、役者としての感情なの? 息子やお兄さんとしての感情なの? お父さんの血を引いている王司ちゃんに嫉妬しているの? それともお父さんと妹は家族なのに自分は2人の家族じゃないって壁を作っちゃう自分が嫌なのかしら……」
恭彦はノートに感情を書いて安心したのか、凪いだような気配になっていた。
「両方では?」
……他人事のように言う。この子は、ちょっと変だ。
「でも恭彦君。お父さんはそんなに神格化するものじゃないわ。確かに、お芝居の上手な人だけど……もっとすごい人はいるもの。世の中って、化け物みたいな人がごろごろいるんだから。亡くなった私の先輩、江良九足さんとか。お父さん、江良さんが好きでしょ? 江良さんが自分よりすごいからよ」
価値観を変える石として投げた俳優のチョイスは、我ながらGoodだと思った。
「江良さんの血を引いてないって視点でみたら、みんな平等よ、恭彦君。世の中には親族かもって言われてる人もいるし……恭彦君は、役者として優秀な血筋に嫉妬するなら江良さんの親族に嫉妬するべきね!」
恭彦は「なるほど」と呟き、「じゃあ、そっちに嫉妬します」と頷いた。
物分かりがいいわね。
そんな簡単に嫉妬の矛先、変わるの?
――麗華はヒヤヒヤしつつ、青年の背中をぱしぱし叩いた。
「お父さんも妹ちゃんも、仲良しで羨ましいわぁ! 楽しい家族じゃなーい。お姉さんも血が繋がってないけど、姉枠で仲間に入れてよね!」
文豪座劇場に入ると、受付に「妹ちゃん」がいた。赤毛の執事が一緒だ。
「あ、麗華お姉さん。恭彦お兄さんも。一緒に演劇できるんですね、嬉しいなあ」
のほほんとした平和な風情で言って、妹ちゃんは西の柿座のメンバーが集まる部屋に向かって行く。
「あら、あら。別チームみたい。お姉さんたち、劇団アルチストのチームでお芝居をするのよ、王司ちゃん」
「葉室さん。俺たち、そっちじゃないんです」
葉室王司はそれを聞いて寂しそうな顔をしたので、麗華は「可愛い」と思った。
きっと、「兄」も同じであろう。残念そうにしている。
……この「王司ちゃん」は、嫉妬してしまうこともあるが、自分たちを慕っていて、とてもいい子で、可愛いのだ。
「えーっ、残念です」
「お姉さんも残念。一緒にやりたかったわね」
――ライバルチームだなんて。本当に。
麗華はそっと脅威から目を逸らし、震える手を握った。
「怖がっているわけじゃない、これは武者震いよ」と自己暗示するように自分の心に言い聞かせれば、自分がもっと高みに登れる気がする。
勝ちたい、と思った。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
案内された部屋で、メンバーが自己紹介を交わす。
代表者が説明し、脚本を書いた八町大気が挨拶する。その才能と確かな実力で知られている有名な人物だ。引退宣言をしていたが、撤回するらしい。
貴重な才能が失われずに済んでなにより――麗華はいいことだと思った。だが。
「宝石を磨くには宝石を使うのがいいよね。僕の江良君の輝きが鈍ってしまったんだ。磨かないといけないものだから」
八町大気はわかりやすく壊れていたので、メンバーは戸惑いでいっぱいになった。