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85、#太陽と鳥

 SNSのトレンドは、『太陽と鳥』の話題がホットだ。

 

 作品への愛や事件の感想を見ているうちに衝動が湧いたので、猫のミーコを抱っこして『太陽と鳥』の好きなところを語ってみた。

 

 『太陽と鳥』の好きなところは、主人公が善良で大人の感性を持っているところだ。


 江良が個人的に好きだったのは、主人公の家族愛。

 自分の母親を足かせだと言って捨てて成功した主人公は、いざ母親が亡くなってみると、痛烈に後悔した。


 お金では買えないものは存在する。

 どんなに成功しても満たされない孤独というものは、ある。

 

 『太陽と鳥』の主人公は、俳優としての成功者ではあったものの「自分が愛され育まれる子供」としての家族体験が不足していた江良に刺さったんだ。

 

 少年の主人公が母親に愛されていたり、母親を大事にしたり、母と子2人が田舎の街のコミュニティーの一員として微笑ましく見られたり噂されたり。

 そんな日常風景に憧れ、癒され、楽しくなった。


 漫画の中の家族が仲良しだと心があたたかくなった。

 生活が苦しいと辛くなった。生活が安泰になっていくのがわかると、安心した。

 心の底から、幸せを願った。

 幸せに向かって行く物語だとわかっていたから、好きだった。


――『#太陽と鳥』 

葉室王司:私は、ちょっと特殊な家庭環境だったのもあり、『太陽と鳥』の家族愛が大好きです

葉室王司:タカラ君は一回家族をないがしろにして成功者になるけど、満たされなかった

葉室王司:人生の成功って何だろうって思う

葉室王司:お仕事で大成功したり認められたりしてお金持ちになっても、人はどこか寂しかったり満たされなかったりするし

葉室王司:寿命もある

葉室王司:タカラ君がお母さんと過ごせる有限の時間の価値に気付いて

葉室王司:お母さんを幸せにしたいと思う姿が、とうといと思った

葉室王司:家族が仲良しだと心があたたかくなる

葉室王司:幸せに向かって行く物語だから、いいなと思う

葉室王司:幸せになってほしいと思えるキャラたちだから、好きだ


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

   

――【『太陽と鳥』原作者】

  

 原作者は、葉室王司の作品語りを読んでなんともいえない気持ちになった。

 

 彼もまた、当たり前のことではあるが、自分の作品は好きであった。漫画もドラマも、宝物だ。

 

 彼が作品に対してしてきたことは、企画書を書いたこと。

 キャラクターシートを作ったこと。

 プロットを作り、連載に合わせて改良し続けてきたこと。読者の需要を見て、編集者の求めに応じてラブコメやハーレム要素を加え、書きたかったものを歪め、作品の延命をしたこと。

 絵画制作の際に全体像を離れてみる時間を作りながら細部を描き進めるように、プロット調整をしながら1話1話の脚本を毎週2000文字程度で作成し、編集者を経由して漫画家に渡す生活を続けてきたこと……。

 ドラマ制作は丸投げして任せ、表立って何か意思表明するのを我慢していたこと。

 

「家族愛……か。タカラが育った後は、ラブコメハーレム展開が多めになってるが……」

 

 もともと彼は、自分の家族を愛する平凡な会社員だった。趣味は読書だ。

 話題の本をKindleで読んだり、ふらりと立ち寄った書店で目に付いた本を買って本棚を充実させたり、Web小説サイトの『小説家になろう』や『カクヨム』、『ハーメルン』でランキングにある人気小説をチェックしたり。

 ランキングにない埋もれている小説も検索してスコップしてみたり、小説家になろう発祥で最近カクヨム版もできたスコッパーグループのBandで情報交換したり、と充実した読書ライフだった。

 

 自分での創作は、「これくらいなら自分でも書ける」とか「この人気の作品、いいんだけどちょっと違うんだよなあ。もっとこういうのが欲しいんだよ」とか「理想のものを書く作者がいないから自分が書く」といった、ありがちな理由からのスタートだ。

 いざ自分で作ってみると、「こういうものが自分の理想だ。これを作りたい」と思っているものを形にする事は、難しかった。「これくらいなら自分でも書ける」の「これくらい」は、砂漠の蜃気楼のようだった。仕事で疲弊して帰って来て「なぜ家でも消耗することをするのか」と自問自答する日々だった。

 

 難しいなあ、と唸りながら形にしようとしているところに、「へたくそ」「もう書くな」と言われたりして、書きかけていた作品を消したりもした。

 しかし、何か自分の中に物足りなさというか、何かをしたいという衝動めいたものが燻っていたのである。

 それを持て余したがゆえに、彼は企画書で参加するタイプのコンテストに応募した。

 ベンチマーク作品は、好きな作品だった。

 

 そのベンチマーク作品は男女の恋愛に重きを置いていたが、自分が描きたいものは恋愛ではなかった。

 コンセプトを企画書に書いたとき、「これは売れ筋ではない、イロモノの企画書なので採用されないだろう」と思った。でも、企画書は編集者が見てくれるというから、「自分が欲するエンタメ、世にあってほしいエンタメはこんなものだ」という「好き」を伝えようと努力してみた。

 

 すると、編集者はそのイロモノを好んでくれた。


 「何日までにこれを書いてくれ」とか「これを直してくれ」と言われ、社会人の真面目さでそれをこなしていくと、連載は始まった。

 漫画家は優秀であった。

 画力が高くアレンジ力があり、自分の作品では無いのではないかと思うほど面白い連載を描いてくれた。

 

 しかし、この面白い連載は自分が続きの話を渡さないと続きが描かれないのである。それは彼にとって恐ろしい現実であった。まったく、胃が痛かった。

 彼は、漫画家の巧みな成果物を見ながら編集者とリモート通話を重ね、プロットを改善した。

 

 「ドラマ化に際しては、すべて任せるので好きにやってください」と丸投げしているうちに、ドラマは面白いものに出来上がった。漫画と違う楽しさがある。金ももらえる。彼は幸せになった。

 

 しかも、そのドラマを見て、原作者は原作レイプの被害者として同情され始めた。彼は満足していたが、原作レイプはよく他の作品でも話題になっていた。

 好きな作品が残念なものに変わってしまった経験もしていたので、「気にしてないどころかありがたく楽しんでいますよ。あと、すべて任せるので好きにやってくださいと伝えていたんです。それなのに原作に忠実な脚本だなあと思っていたところだったのですが、役者はやっぱプロですよね。また違う作品として楽しめて、贅沢だなーって思ってます。面白くしてくれて嬉しいなあ、おかげで漫画の人気も高まってるんですよ」なんて思いを言わない方が世の中のためなのか、と考えたりした。

 

 そして、彼は「なんだか物凄く面白くて、売れていて、原作レイプされちゃったけど文句を言わない神様みたいな原作者」となったのである。

 皆が原作者を持ち上げまくり、優しくしてくれて、お金も入ってくる。

 世の中に自分ほど成功しているクリエイターは、そういない。

 自分は特別なのだと思い上がった。


 その一方で、連載は引き延ばしが延々と要求され、ゴールテープが無限に伸びていった。

 不人気だと打ち切り、人気だと引き延ばし……商業の世界は、大変だ。

 

 自分としては「天才だ」と持ち上げられているうちに予定していたエンディングに到着して逃げ切ってしまいたい気持ちであったが、「次はリメイクドラマ」「それが成功したら映画」と言われると、欲が出た。

 映画までいこう――と、それはもう必死になった。


 彼はありとあらゆるエンターテイメントを摂取して「面白さとは?」と考え続けた。

 研究した。締め切りまでにプロットを直し、次話のシナリオを提出しないといけないが、その前に話題の作品を摂取しよう。摂取すると、摂取しなかった自分からは出てこなかった良い発想が出てくるかもしれないから。この映画作品も、あの小説も、観よう。読もう。

 締め切りまでに摂取して書け。締め切りまでに摂取して書け。締め切りまでに摂取して書け。

 ……死に物狂いでインプットをして、アウトブットをし続けた。

 

 そうするうちに、作品の摂取だけでなく、体験も作品制作の糧になる、色々な体験をしよう、と考えた。

 旅行だったり、グルメだったり、スポーツだったり、……女遊びだったり。

 締め切りまでに摂取して体験して書け。締め切りまでに摂取して体験して書け。締め切りまでに摂取して体験して書け。


 睡眠時間はぎりぎりまで削られ、判断力が低下する。

 SNSもリアルの知人も彼を肯定して、本心でどう思っていても、周囲の人々は世間的に賞賛されている『大ヒット原作者』の彼に「NO」を言いにくくなっていった。

 社会常識と他者への配慮を弁えていた会社員の自分は、いなくなっていた。

 組織の一員、どちらかというと下の方の感性は消えて行って、王様みたいな自分がアーティストを気取り出した。それなのに、制作しているものはバリバリに読者に媚びた商業主義の権化だ。

 

 過激な行為もするようになった。

 以前の自分が越えなかったラインを越えると、自分が高みに昇った気分になった。

 それが必要なのだ、という意識が強く存在するようになっていった。

 

 なんのために必要だったのか。

 リメイクドラマ、映画のため……商業主義のため、当初の予定より作品寿命を延ばすためだ。

 

「ああ、なにやってたんだろう」

  

 事件後、捕まってから家族やファンが嘆く姿を見ると、「自分は他者を悲しませたくて創作を始めたわけではなかったのに」と言う思いが湧いた。

 「そういえば」と、初心を思い出した。


 色物だ、売れ筋ではない、でも自分が書きたいものを書いてみた……本当にそれだけであった。


「ゴールテープには、エンディングには……葉室王司ちゃんや初期のファンが好きだったタカラがいるんだ」

 

 なのに、そのエンディングは、もう世の中に届けることができないのかもしれない。

 自分が悪いのだ。

 ウェブ小説にはよくある、いわゆるテンプレと言う奴だが、今まさにこんな気分だ。

 すなわち……「後悔しても、もう遅い」。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

  

 裁判に向かう車に乗り込む前に、マスコミがたくさんのマイクを向けてきた。


 以前原作とドラマの違いについて世の中が紛糾した際も、このように意見を求められたものだった。

 しかし、その時とは空気感がだいぶ違っている。

 人生とは不思議なものだな、と思った。

 高いところに登ったかと思えば、次の瞬間には、どん底にいるのだ。


 今の心境としてありのままの気持ちを語ってみたら、ファンは何を思うだろうか。

 

 自分はハッシュタグのファンたちの作品愛を見て、嬉しく思った。

 「ずっと遠ざけられていたエンディングがあり、届けたい気持ちがあるのだ」と伝えたらどんなふうに世間は反応するのだろうか。

 

 そういう発言は、もはや自分には許されないのであろうか。

 たくさんの複雑な気持ちを抱えながら口を開こうとした時、爆発音が響いた。

 爆発音と言うよりは……銃声?


 「ああ、狙われたんだ」と気付いたのは、地面に引き倒されて一拍遅れてからだった。周囲が騒然としている。

 日本で? 政治家でもないのに、狙撃?


 最初のうちは、妙に気持ちが静かだった。

 他人事のような気持ちであった。

 例えばテレビのニュースで「総理大臣が演説中に狙撃された」というのがあったが、テレビ越しにそんなニュースを観て「え、これ日本で起きたの?」と遠い世界の出来事のように観ている――そんな気分であった。

 

 車に乗り、移動してから、実感が湧いて恐怖がせり上がってきた。

 死んでいたかもしれなかったのだ。

 自分は、うっかり、突然死ぬこともあるのだ。

 そう思うと、恐ろしくなった。怖かった。焦燥感が湧いた。


 ――不思議な使命感のような気持ちが湧いた。

 

「…………お願いします……」

  

 彼は、原作者の持つ権利を手放した。

 

「プロットをお渡しします。所有する全ての権利をお譲りします。

 ただただ、作品を最後まで完成させてあげたいのです。

 

 自分は非才で、いつも努力はしたものの、ひとりでは思ってたのと違う、イマイチなものしか作れなかったんです。

 それを、多くの人の手が入ることで、何倍も面白い作品にしてもらえていました。

 

 面白い『太陽と鳥』は、漫画家さんや役者さんのアレンジによるものです。その功績は、とても大きかったのです。

 このプロットも、引き継ぐ方が自由にアレンジして構いません。

 ただ、軸の部分だけ、家族愛の部分だけは、大事にしてやってください。


 自分が本来、書きたかったものがそれで、古参ファンの方も好きだと言ってくださるのです……」

 

 彼は詫びた。


「申し訳ございませんでした。反省しています。道を誤ってしまいました。許してほしいとはいいません」


 彼は感謝した。


「……ありがとうございました」


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