81、その火を飛び越えて来い
木曜の夜、アルファ・プロジェクトのアイドルオーディションコーナーがテレビで放送された。
アイドル部のグループチャットは、大盛り上がりだった。
佐久間監督は再び漢気を見せ、カナミちゃんとアリサちゃんの演説を全部そのまま使ったので、SNSは賛否両論だ。
:テレビで流すような発言ではない
:↑そういうこと言うからテレビはつまらなくなる一方なんだ
:やらせじゃん
:やらせが嫌だって言ったらやらせ認定されるんだ?
:俺は感動したよ!
:あんなんで感動する奴おる?くっさ
:カナミは面の皮厚すぎ、辞退しろや
:歌舞伎の家の子も辞退するべきだよね
:応援するよ
:アンチ全員訴えてやれ
喧嘩してる、喧嘩してる。
アイドル部の子たちは、アリサちゃんのこともカナミちゃんのことも悪く言わず、「応援してるよ」とあたたかい声をかけていた。
もちろん本心はわからない。内心では色んなことを思われているのかも。でも、表面的だけだとしても「応援しない」と言われるよりいいよね。
月曜には、『太陽と鳥』のWebtoon連載の打ち切りとリメイクドラマの制作中止が発表された。
嘆かわしい現実である……。
Webtoonの最新話のコメント欄は、お祭り会場と化していた。
:ふざけんな原作者
:作品どうなるの?
:漫画家が可哀想
:え、打ち切りなの?
:なんてことをしてくれたんだ
:やっちまったな……
:昨日友だちに勧められて読み始めたのにw
:悲しい
:なにがあったの?
:【悲報】『太陽と鳥』、死ぬ
:電子で読み返しすらできなくなったら俺の心も死ぬんだが
「か、悲しい」
全話購入済みのWebtoon(フルカラー縦読み漫画)『太陽と鳥』は、UKIZIMAという制作会社が「ドラマ化前提の漫画連載」という触れ込みの公募で、「試しに」で企画を応募した作者が採用されてチームで制作した作品だ。
毎週火曜日に更新される連載で、一度ドラマ化済。ここ数年は休載も多くなっていた。
ドラマ版が「原作と違う」と話題になって原作を読む読者が増えたのもあって、編集部から引き伸ばしを何度も提案されてプロットに難航していた……と、原作者が愚痴っている。
記事に書かれていた内容によると、作品がめちゃくちゃ売れて傲慢になるのと同時に、プレッシャーの増大も凄まじく、そこに過密スケジュールが加わっておかしくなっていったようだった。
スマホで読める漫画は移動中などの隙間時間に気軽に楽しめて、思えば雨の日も晴れの日も、疲れてる時も浮かれてる時も、生活の一部みたいになっていた……。
「か……か……悲しい……」
私が朝食のパンをかじりながら嘆いていると、スマホに八町の嘆きが届いた。
八町大気:夢に江良君が出てきたよ
八町大気:どんな夢だったか知りたいかい?
葉室王司:あまり興味ない
そういえば、八町に言わないといけないことがあったな。
葉室王司:それより八町、劇団アルチストにコネで招待状を出させたでしょ
葉室王司:嬉しいけど、火臣恭彦にもあげてほしい
葉室王司:メソッド演技に傾倒気味で、ちょっと危ないところのあるお兄さんだよ
葉室王司:感受性が高くて、音楽の気分誘導効果を異常に大きく受けられるんだよ
葉室王司:見てよこの動画
葉室王司:カメラマンはパトラッシュっていう大学生だよ
穴掘り動画のURLを教えると、反応が途絶えた。たぶん、動画を観ているのだろう。
葉室王司:学校行ってくるね
執事のセバスチャンが運転する車に乗ると、セバスチャンは眠そうだった。
大泣きした後みたいに目を腫らしている。どした?
「眠いの? 運転して平気?」
「昨夜……メガネ委員長と結婚シマシタ」
セバスチャンは余韻に浸るように惚気た。脳が蕩けているような甘ったるい声だった。
「イチャイチャデシタ」
「おめでとう。よかったね……末永くお幸せに……ねえ、そういうの本心? 演技?」
「本心ですが何か?」
「いきなり冷たい悪魔にならないで」
喜ばしい報告を祝ってやろう。
車の中で『家族になろうよ』を歌ったら、セバスチャンは曲に合わせて首を振り、ハンドル操作を誤って電柱に車をぶつけそうになった。殺されるかと思った。
「失礼、お嬢様。喜びスギマシタ」
「ぶつからずに済んでよかったよ。今の本当に過失で危なかったの? それとも『下手な歌やめろ』って意思表示だった? ごめんね」
「過失です」
「あ、そう。よかった。いや、よくはないんだけど、うん」
中学校に登校すると、校門の前で二俣夜輝と円城寺誉が声をかけてきた。
「葉室王司ちゃん。アイドルのオーディション、観たよ。僕、解放区放送みたいだなって思っちゃった。あと、『太陽と鳥』の件は残念だったね」
「おはようございます、円城寺さん。……残念でしたね」
「僕は複雑な気持ちになったよ」
円城寺は教えてくれた。
『太陽と鳥』の原作者の人は「作品制作のために人の道を外れる快感とか開放感が必要だった」とか言っていること、原作にパクり疑惑も浮上していること。
それ、知ってる。
連載開始時とドラマ化の時も話題になったけど、スルーされてたやつだ。
その都度、言われていたことだが、UKIZIMAはそもそも、公募の際にベンチマーク作品を指定する。
『市場で実際に売れている人気作品を分析して、どんな客層に何が受けているのかを考えてね。
ベンチマーク作品と同じジャンルで、近いログラインや人気が出るツボを押さえた企画をちょうだい。
もちろん、オリジナリティのある作品にしてね。パクりと言われないようにしてください』
……というのだ。
「既存のこの作品が好きなお客様! あなたが大好物の作品と同じジャンルの作品、いっぱいありますよ!」と売るわけである。
「オーディション前でよかったよね。だって、何人も被害に遭ってるんでしょう。パクリって言って突っかかってきた人を殴ったのと、ドラマの脚本家を呼び出して土下座させた頭に石ぶつけて蹴ったのと、不同意わいせつ罪もあるって? リメイク版は『俺が脚本書いて役者に徹底指導する』って言ってたらしいし、葉室王司ちゃんが被害者になる可能性もあったからさ」
「……わぁ……」
昨日見たニュースより余罪が増えている。これは、「私も被害者です」って名乗り出る人が出てきてこれからさらに増えるぞ。
想像するとゾッとする。『太陽と鳥』のことを思うと複雑な心境になるけど、関わる前でよかった。
ところで、二俣は静かだな。
円城寺と話しているのを、むすりとした仏頂面で見てる。頬に手を当てて顔を歪めて……虫歯でも痛むのかな?
「二俣さん、今朝は静かですね。虫歯ですか? お大事に」
両手を合わせてお辞儀して「では、教室に行くので」と2人と別れようとすると、呼び止められた。
「葉室。寿司屋に行ったら寿司を食え」
二俣は私のSNSを見たようだった。もしかしてコメントもした? アンチだと思ってブロックしたアカウント、二俣だった?
「お寿司も食べました」
「次は寿司の写真を投稿しろ」
なぜ、と返すときの恭彦の気持ちが少しわかった。
「なぜ……?」
「俺が見たいからだ。それと、アイドルおめでとう」
「あ、ありがとう……」
二俣は王様のように言ってふんぞりかえり、「ブロックは解除しろ」と言って去って行った。ごめんね二俣。
あとで解除しとく――いや、解除する必要あるかな……?
悩ましいな……?
教室に行くと、アリサちゃんが千代紙で折り鶴を折っていて、私を見ると鶴をくれた。
「心配したよ、王司ちゃん! あのね、鶴、おうちに持って行こうかと思ったんだけど、その前に治ってよかった〜!」
「私のために鶴を折ってくれたの?」
「王司ちゃんと、お兄ちゃんの分も……元気になりますようにって」
アリサちゃん、いい子すぎじゃないか。
びっくりしていると、アリサちゃんは声を潜めた。
「王司ちゃん……お兄ちゃんね、千秋楽とても調子がよかったの。怪我がよくなったんだって……。強がってると思ったら、お医者さんも『よくなってる』ってびっくりしてた……」
高槻大吾は千秋楽(最終日)を無事に演じられたらしい。
アリサちゃんはスマホでネットの記事を見せてくれた。
『役者は千秋楽に向かって進化する。高槻大吾の太郎冠者はそんな当たり前のことを記者に思い出させてくれた。努力を重ねている役者を応援していて嬉しいのは、今回のようなレポを書く瞬間だと思う……』
アリサちゃんのお兄ちゃんは無事公演を終えたんだ。褒められてる。よかった。
「お兄ちゃん、『王司ちゃんとお話ししたおかげだ』って笑ってたよ。あと……王司ちゃんが風邪で寝込んでるの、心配してた」
「アリサちゃん、教えてくれてありがとう。お兄ちゃんには、『舞台お疲れ様でした』って伝えてね……そうだ、私もお兄ちゃんに鶴を一羽折っていい?」
折り紙なんていつ以来だろう。
アリサちゃんに教わりながらなんとか鶴を完成させると、アリサちゃんは「お兄ちゃんが喜ぶよ。嬉しいなぁ。ありがとう」と何度もお礼を言って大切に仕舞ってくれた。
休み時間にカナミちゃんの様子を見に行くと、カナミちゃんはお友だちとふざけ合っていた。
「カナミー、放送みたよ!」
「……よかったよカナミ……」
「あたしはカナミの味方だよ」
「私はアンチするけどね! いい? これからネットでカナミの悪口書いてる奴いたら、私だから」
「あははは」
「カナミ、ムカつくからサインよこせ〜」
「きゃー!」
カナミちゃんのお友だちグループのノリはよくわかんないな。
まあ、カナミちゃんが居心地いいなら、いいか。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『おまけ枠の八町大気』
『劇団も2つなのだし、2本脚本を書きますよ』――そう言って企画書を通した八町大気は、順調に脚本に詰まっていた。
『不思議の国のアリス』では、アリス役を13歳女子中学生の親友・江良で想定して書いている。これが、自分でも気持ち悪いぐらい筆が進む。
しかし『銀河鉄道の夜』では、親友が死んでしまうのが悲しくなって、しかし親友が「死なないよ」というと「そうじゃないだろ」とも思い……そうか、ジョバンニにすればいいのか。そして僕がカンパネルラになろう……いやいや、僕はカンパネルラをしないよ……と思考の迷宮にはまっているのである。
ついには夢も見てしまった。
夢に出てきた親友は、可愛い女の子の姿で割烹着を着ていた。
割烹着の下は、裸だ。親友は僕の手を取り、自分の胸に当てた。ふにゅっとした。ふわっとしている。花で言うとつぼみだ。これから花開く、まだ誰にも手折られていない可愛いつぼみちゃん。
その膨らみが僕の指先を沈ませ、歓迎してくれている。
『せーんせ』
ふんわりとした桃のような香りがする。これは体臭か。
指先に感じる親友の肌はただひたすらに柔らかく、あたたかで、僕は桃源郷に迷い込んだ心地になった。全てが許されるような気がした。
『お仕事がんばってて偉いね、マッサージしてあげる』
『え、江良君。何をしているんだい。はしたない格好するなよ、からかうなよ』
動揺して壁際に逃げてへたりこむと、親友は一瞬でスクール水着姿になった。
そして、僕の上にまたがってきた。
『センセイ……変わってしまったんだ、私は』
『え、江良君……僕は君の本質を見誤らないよ。ガワなんて気にしない。どんな姿になっても君は君……脱いではいけない!』
全裸になる親友にTシャツを渡すと、着てくれた。いい子だ。
大きなTシャツがだぼだぼで、やわらかな太ももが眩しい白さを見せていて……これは全裸より破壊力があるぞ。
気付けば、親友と僕の間に焚火がある。めらめらと赤い火が燃えている。
炎が身をくねらせ、小さな火の粉を散らす姿が、奇妙なほど官能的に感じられた。
『八町……その火を飛び越えて来い』
し、潮騒――――――
そこで目が覚めた。
「僕はこの夢について冷静に考えたのだが、僕もまだまだ男盛りということではないだろうか。オスは子孫を残す本能で若いメスに興奮するという。僕はオスだったのだ。それを自覚した朝であった」
仕事の進捗を尋ねてきた編集者に語ると、編集者は不思議なほど動揺していた。そして、「先生、どうか犯罪だけはおやめくださいね」と必死な風情で念押ししてきた。カウンセリングの手配までしてくれた。
自分でも「やばいかな」と自覚があったので、助かる。
「それで、あのう、八町先生? お仕事の方は……」
「そういえば寝てしまったのだった。全然進んでいないや。江良君が教えてくれた動画を見てから考えるけど……そうそう、江良君にアリスをさせるのは、やめとこう。なんだか可愛すぎて危険な気がするんだ。アリスが可愛かったから夢を見たんだと思う」
「八町先生、……病院に行きましょう。付き添いますから……何か事件を起こしてからでは遅いですから……」
結果、病院に行くことになった。
歳を取ると健康不安が仕事の足を引っ張ることが多くなって、困るね。