8、ノコさんの歌が好きです
現地会場では観客が盛り上がり、生配信リスナーたちは映像を見ながらコメントを交わしている。
:可愛い
:演技うまくね?
:ドラマとセリフちょっと違う
:これは天才
:何歌うの?
カフェでノートパソコンを見ている白シャツの加地と黒シャツの佐久間も、その一員。
かじかじ:泣き演技いいじゃないか!すごいぞ王司!
さくまん:セリフは台本通りだぞ
佐久間は当時の苦い記憶を思い出した。
ドラマ『太陽と鳥』のとき、彼はADだった。
だから当時の現場の空気を知っている。
あのドラマは役者が「脚本がつまらない」と言い、アドリブを連発したのだ。
脚本家は「原作通りの作品にするなら元の脚本のままがいい」と主張し、アドリブを却下するよう訴えた。
サブカル好きの佐久間も原作は全部読んでいて、脚本家に味方した。
だが、役者たちが「絶対に変えた方がいい!」と団結し、監督は「アドリブを活かした方がいい」と判断した。
原作愛がある佐久間にとって屈辱だったが、SNSでは原作未読派は「面白い!」と言い、原作派は「ぜんぜんわかってない。原作への冒涜だ」と文句を言った。
原作者は無言を貫いていた。
さくまん:これが原作通りだ
さくまん:これが脚本家と原作ファンが好きだったタカラなんだよ
さくまん:クソが
気付けばコメントを連投していた。
どうかしてる――佐久間はコメントをやめてコーヒーを啜った。
曲が始まると、コメント欄に曲名が連投される。
:Path of Light
:ノコノコだ
:うおおおおおおお
現地の観客は顔を視線を交わし合い、「この曲」「わかる」と囁いた。
『Path of Light』……恋愛映画の主題歌で、紅白でも歌われたヒット曲。
歌手は伊香瀬ノコだ。
葉室王司はマイクを重そうに両手で持ち、カメラを見つめて言った。
「ノコさんの歌が好きです。頑張って歌っている姿が好きです」
ああ、この子、ファンなんだ。
佐久間はコーヒーの苦みを噛み殺すように嚥下した。
王司の声が続く。耳に心地よい声だ。
「疲れてるときは無理しないでほしいです。でも、頑張ってるのはとても偉いなと思います。上からな発言に聞こえたら、ごめんなさい」
可愛いな。ピュアだ。
子供っぽい。プリキュアを応援する子供みたいに、下心を感じさせない言い方なのだ。
「応援してます」
前奏が終わる。佐久間はふと眉を寄せた。
さくまん:キーが低くないか?
かじかじ:低い
まるで男が歌うときみたいに曲のキー下げがされている。
佐久間や加地が歌うならわかるが、葉室王司はこんなにキーを下げると歌えないのでは?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
――ああ、この曲だ。懐かしいな。
王司はマイクを握る手に力を籠めた。
音楽が導いてくれるみたいで、自然と言葉が出てくる。
「ノコさんの歌が好きです。頑張って歌っている姿が好きです」
言ってから気づいた。
こういうことが言いたかったんだ。
「疲れてるときは無理しないでほしいです。でも、頑張ってるのはとても偉いなと思います。上からな発言に聞こえたら、ごめんなさい」
この気持ちをわかってほしかったんだ。
「応援してます」
前世では映画に出演していた。彼女が歌った主題歌を何度も聴いた。
キーは低く下げていたが、前の体でもカラオケで歌ったりしていた。
……あれ?
キー下げを指定したけど、元の体とこの体って同じキーじゃダメだよな?
……前奏が終わる。ヤバい。
「♪細長背高の箱が高さを競い 冷たい光を燈してる……」
低い声、きつい。声量が。音域が。
「♪あれは四角い部屋の灯りだから どれかにあなたがいるのかな」
低い部分の音が出なかった。
音を外した。喉がきつい。
ま、ま、間違えた……!
観客が心配そうになっている。ダメだ、これは。失敗だ。悔しい。
「キー合ってなくない?」
「キー上げしよう」
「がんばって!」
西園寺麗華がリモコンでキー上げしてくれて、曲のキーが高くなっていく。
あ、歌える。
元の体では出なかった高音が、この体では出せるんだ。
「♪おとぎ話は幸せになって終わるけど 幸せになった後も人生は続くね」
「がんばれ」
観客が手拍子してくれている。一緒に歌ってくれている人もいる。
タブレットに歌詞を出して掲げてくれている人もいる。
なんとか歌い切って、曲は終わった。
「……ありがとうございました」
歌い終えてお辞儀すると、あたたかな拍手と声援がもらえた。
「王司ちゃん、おつかれさまでしたー! 可愛かったですねー! 最初キー低かったね!」
西園寺麗華がフォローしてくれている。ありがたい。
そして。
「さて、ここでサプライズの登場でーす」
西園寺麗華が視線を送ると、1人の男がステージに登り、名刺を渡してきた。
派手なネクタイのスーツ姿。書かれた名前は――
「あ!」
前世でもお世話になった芸能事務所。
江良九足と西園寺麗華の所属事務所、スタープロモーションだ。
「スタープロモーションの樋口ですッ! ゼロプロがあなたをいらないと言っても、うちは大歓迎ですッ! ぜひうちに来てくださいッ! お返事は後日で構いませんッ!」
樋口さんは左手を後ろにまわし、右手を胸元に当てて心臓を捧げるポーズで言い、キメ顔をカメラにも向けた。
進撃の巨人が好きなのか。
「葉室さんだけではありませんッ! 他の夢と情熱あふれる業界志望者をスタープロモーションは歓迎していますッ! アットホームな事務所ですッ! ヨロシクッ!」
これはもう事務所の好感度アップパフォーマンスだ。
そして、西園寺麗華はこの件で所長からの好感度をアップさせるだろう。
名刺を受け取ってステージから降りると、帰りの車に乗り込むまでに何人かが名刺を渡してきた。
観客の中に何人もスカウトマンが潜んでいたらしい。Vプロダクション、キネマアカデミー、TREASURE……選びたい放題?
芸能事務所は、タレントやアーティストのマネージメントとキャリアのサポートをする会社組織だ。
スケジュール調整や仕事の斡旋、広報活動、イベント出演交渉、プロモーション戦略やマーケティング活動――西園寺麗華みたいに放送作家がついて公式動画チャンネルを運営してくれたりもする。
江良九足のときにお世話になっていたスタープロモーションがいいかな?
麗華お姉さんの事務所でもあるし、知っている人が多い。いい事務所だと思う。
それに……
『死因不明の突然死、自宅でマネージャーが遺体を発見』
『最近話題の連続死亡事件の被害者か!?』
どうして刺されて死んだはずなのに「自宅でマネージャーが遺体を発見」になったのか。
最近話題の連続死亡事件の被害者疑惑が出ているのは、どういうことなのか。
マネージャーは今、どうしているのか。
知りたいことは、たくさんあるんだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
:歌は初心者だな!
:キーが低かったから
:キー間違えたの可愛すぎた
:声ちいさい
:お前が音量上げろ
:歌声かわいい
配信のコメントは盛り上がっていた。
「佐久間君、俺はこの子を自分のドラマに出すよ」
「加地さん。僕もオファーを出すつもりですが……」
佐久間はドラマ番組の予定を持っていない。
持っているのは、木曜午後9時からのバラエティ番組、人気コーナーは『ドッキリ』だ。
そして加地が監督を務める予定の新ドラマは、別のテレビ局で木曜午後9時の枠。
裏番組だ。
『裏被り』というのだが、テレビ業界の暗黙のルールとして、タレントは同じ時間帯に複数のテレビ局の番組への出演を避けるべきである。
理由は、そのタレントのファンである視聴者が分散してしまい、視聴率が低くなるからだ。
「取り合いになるかな佐久間君」
「負けませんよ加地さん」
親友同士の二人は静かに火花を散らした。