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79、『原作者、逮捕』『火臣恭彦』『穴』 

 その日、私はセバスチャンが運転する車にマネージャーの佐藤さんと一緒に乗って、オーディション会場に向かった。


 オーディション会場には応募者が集まっていて、恭彦の姿はなかった。

 もうすぐ開始なのに。

 

 会場内は審査員席が奥に配置され、そのすぐ前にパフォーマンスを披露するための広いスペースが設けられている。このスペースを挟んで、反対側に応募者たちの席が並んでいるた。

 

 応募者の中には、『西の柿座』の劇団員で、ハンドルネーム・江良(えら)でコエトモ配信していた少年がいた。

 保護者みたいな顔をした「さくらお姉さん」が一緒に座っている。


「妹ちゃん。近くの空いてる席においで~」

「お邪魔します」


 近くに座ると、少年が名前を教えてくれた。


「なあなあ、妹ちゃん。ぼく、星牙(せいが)っちゅーの。そう呼んでなぁ」

「んっ。ああ、はい」 

 

 ハンドルネーム・江良(えら)は、劇団では星牙という名前らしい。芸名だよね。

 

「ぼくたち、同い年やで」

「そうなのかなって思ってました」

「タメぐちでええよ」

「うん」

 

 星牙は陽気でフレンドリーな少年だ。

 くだけた雰囲気があって、話しやすい。


「二人とも、あんまり騒いだら怒られるで」


 さくらお姉さんは保護者感たっぷり。


「あのお兄ちゃんは遅いねえ」


 ちょうどいい。気になってたこと、聞いてみようかな?


「あの、さくらお姉さんは、オーディション番組に出たさくらお姉さんご本人で合ってます? ずいぶん感じが違うなって」

「あれはお芝居の役作りよ」

「あ、やっぱり」

「あんまり大きな声では言われへんけどな。真面目な業界の方はご立腹かもしれんし」

 

 さくらお姉さんは肩をすくめて視線で「あっちこっち」を見るよう促した。


 壁際には、入場証入りネックストラップを首から下げた業界関係者がいる。

 とても気になるのが、歌舞伎座で見かけた着ぐるみたちが勢ぞろいでいることだ。なにあれ。


 あと、審査員席の「原作者」というネームプレートが置かれた席で原作者が爆睡しているのも気になる。


「時間なので、開始します」


 恭彦がまだ来てないのに、時間になってしまった。


「なあなあ。お兄ちゃんは逃げてもうたん?」

「むむ……に、逃げてないと思う」

「そこ、静かに」


 注意を受けて口をつぐんだ時、入り口の方がざわっとした。


「きゃー!」

「何!?」

   

 悲鳴? 何事?


 視線を向けると、全身が泥だらけの人が扉を開けて走り込んできて、べしゃっと転んで床に倒れていた。

 まるで生き埋めにでも遭ったような、汚れていない部分を探すのが難しいぐらい泥にまみれた土木作業着姿で、髪も黒い。

 

「なんだ? 不審者?」 

「い、いえ、参加者です。さ……先ほど、受付を……」


 警備員を呼ぼうとする動きを察知して慌てて顔をあげて名乗る人を見て、私は「あっ」と声をあげた。


「恭彦お兄さん!」


 彼は、火臣(ひおみ)恭彦(きょうひこ)だったのだ。


 この大都会でどうやったらそんなにボロボロになるのか。

 

 進行役の人が右往左往して、マイクを通した声でおそるおそる確認する。


「ひ、火臣(ひおみ)さん?」


 恭彦は立ち上がり、頷いた。


「火臣……恭彦です……、すみません」

 

 申し訳なくてたまらない――そんな表情で項垂れた彼は、なんだか浮世離れした惨めったらしさがあった。

 その姿を見ていると、ふつふつと心に感情が沸き上がる。


 この人をこんな目に遭わせた誰かが許せない。

 かわいそう。助けてあげたい。


 なんだこれ。

 例えるなら、ずぶ濡れで震えてるチワワを見つけてしまったみたいな。

 しかも、このチワワ虐待されてた末に捨てられたかわいそうすぎるチワワです……、って言われてるみたいな。


 こ、心が締め付けられる……!


 最終的にマイクで全員に聞こえるように事情聴取を始めた。

 

「えー……、ひ、火臣(ひおみ)さん……開始時間、ぎりぎり過ぎてしまい――しかし、その姿は何事ですか? な、何か事件に巻き込まれでも?」

「とても私的な事情で、恥ずかしくてたまらないのですが、こうなってしまいました。俺が悪いのです」

 

 恭彦はつらそうに顔を隠し、頭を下げた。


 これは事件だ。


 きっとオーディションに向かおうとしたところを襲撃されて、酷い目に遭って、けれど必死にこの会場までたどり着いたんだ。

 ……私はそう思ったし、他の人の表情や「ねえ」「うん」「やばい」「可哀想」みたいに呟いている。みんなそう思うよね。

 

「火臣さん。こ、今回はセーフにします。席にお座りください」

「本当ですか? ありがとうございます」

 

 「これで帰したら可哀想だ」と憐れまれたのだろうか、恭彦の遅刻は許された。

 彼の泥まみれの顔がほっと安堵したように緩むと、ライバルであるはずの役者たちが「よかった」とため息をついて胸をなでおろした。なんだ、この空気。

  

 私は誰も座っていない隣の椅子をぺしぺし叩いて「この席にどうぞー」と誘ってみた。

 すると、恭彦は「遠慮します」と言い、とても困った顔をした。


 なんでそんな顔するの。


 会場中がドキドキしながら「なんだ? 何を言おうとしてるんだ? 言うのか? 言っちゃうのか?」と見守っている。

 

 そんな会場にぐるりと視線を流し、恭彦は恥じらいの表情で床に座った。

 膝を抱えて、捨て犬のように痛々しい風情で、「もう消えて無くなりたい」というように表情を歪めて。恥ずかしそうで、つらそうな声で言う。


「葉室さん……、皆さん……。俺は今、とても匂うので……不快にさせてしまいます。申し訳ない……」


 ――……くっ……? なんだ、この感情は。

 胸が苦しい……共感性羞恥と憐憫の情……?


 チワワが。チワワがこのままだと死んじゃう。

 助けてあげて。誰か手を差し伸べて守ってあげて。ううん、私が守る――私の頭に謎のモノローグが生まれていた。勝手に。

 

 みんなが「可哀想……」「自分まで恥ずかしい」と呟いて頬を押さえたり胸に手を当てたりしている。

 ……完全に持っていかれてる。

 

 着ぐるみ集団の中のトドが駆け寄ろうとして他の着ぐるみに取り押さえられている。着ぐるみブラザーズの大乱闘が始まっちゃってる。

 まさかトド、お前……いや、トドは今は置いておこう。

 

 これ、これ……もしアクシデントじゃなくて故意のパフォーマンスだったら?

 まさか? いや、まさか。

 

「それでは、オーディションを開始します……」


 進行役の人がなんとか理性を取り戻して開始しようとした時、「なんだこの茶番は!」と叫んで原作者がマイクを奪った。

 爆睡から目覚めたらしい。


「こっちは週一連載で忙しいんだ。そこの汚い奴、進行の妨げになるからもう失格……」


 原作者が吠えた時、再び入り口がざわっとした。

 扉が開けられ、踏み込んできたのは……警察?


 もしや、泥だらけの恭彦がやっぱりとんでもない事件に巻き込まれたりやらかしてたのか、と身構える私の目の前で、警察は原作者に同行を求めた。うん?

 小声で何かやり取りして、サッと顔色を悪くした原作者が連れて行かれた。あれっ?


「……ほ、本日のオーディションは、中止です……」


 やがて、進行役がそう告げた。

 オーディションは中止になり、私たちは何もせずに帰された……。


「えーーーーーーーーーーーーーっ」



 家に帰ってから、SNSのトレンドに気付いた。


『太陽と鳥の原作者、逮捕』

『火臣恭彦』   

『穴』 


 ごめん。『火臣恭彦』が一番気になる。

 ポチッとトレンドを見てみると、動画があった。


 投稿者は、『匿名カメラマン』。


    ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 暗い映像だ。時刻は夜か。

 場所は、火臣家の庭?


 作業着姿で黒髪の恭彦が黄色い安全ヘルメットを被り、スコップで庭を掘っている。


 ざっ、ざっ、と、土を掘り、汗を拭い、差し出されたスポーツドリンクにお礼を言って――カメラが周囲を映すと、一緒にスコップを動かす人もいれば、観ているだけの人もいて、謎の集団が形成されていた。


「あの、恭彦君。なんか……なんで家の庭を掘ってるのかとか、聞いてもいいすか? お父さんは……」


 匿名カメラマンがおずおず尋ねる。

 恭彦はカメラマンに慣れている様子で親しげに頷いた。


「親父は留守です。庭は、役作りで……明日オーディションで、緊張して眠れないのもあって……」


 しゃべりながら掘っている。どんどん掘る。

 

「俺は……泥にまみれて穴の底から太陽を見上げたい……その感情体験が必要なんや……それがあるのとないのだと全然違ってくるんや……」 


 掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って。

 一心不乱に穴を深くしていく彼に心打たれて、周囲の集団が――仲間たちが「俺たちも!」とスコップを荒ぶらせる。

 そこからは集団で掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って。

 スマホで呼ばれて、助っ人が増えて。

 掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って。

 これだ。この感情伝播。謎の感化能力……。


 動画の中の時間は早送りで過ぎていき、(しら)む空に朝日が見えた。

 こ、この人たち。一睡もせずに……。

 すっかり深く掘られた穴から「おつかれ」とみんなが引き上げていくのを穴底から見上げて、恭彦は叫んだ。謎に必死すぎる絶叫であった。


「皆さん、どうか、どうか……俺に土をかけてください! 蔑みながら。唾を吐きかけながら。物をぶつけても、かまいません! 俺を生き埋めにしてください! 皆さんだけが頼みなのです……」


 命がかかっている、ぐらいの熱量の懇願だった。

 

 すると「皆さん」は正義のヒーローみたいな顔になった。


 もう全員が「俺は勇者!」って感じで、「任せろ」と言って土をかけたりしていった。

 善行をしてますよってオーラを漲らせて「うじむしめ!」とか「汚らしい」とか罵ったりもしていた。


 す、すごい。殺す気で埋めてない? 

 あっぷあっぷしてるよ。土で溺れてるよ。


「た、たすけ、うぷ」

 あっ、完全に埋まった。今、助けを求めてたよ。


「ふーっ、綺麗に埋まりましたね」

「皆さんお疲れ様でした。ミッションクリアです」

「いやー、長丁場でしたね」

  

 恭彦の姿が土に隠れ切ってから数秒……「皆さん」は和気あいあいとなり、さらに数秒経ってから、誰かが正気を取り戻した。


「あ、あのう……、助けないと……彼、死んでしまうのでは?」


 その瞬間、全員がハッと現実を認識した様子で「た、大変」と慌て出した。洗脳されていた集団って感じだ。恭彦は教主様か。土の下で死にかけてるけど。


「恭彦君……!」

「し、死なないで。息をして!」


 おい、ほんとに死にかけてる。 

 発掘されて引き上げられた恭彦はゾンビみたいな顔色で救急車を断った。

 そして、「い、いま、何時ですか。俺、オーディション……」と呻いた。


「俺は、俺は、行かないとあかん。おかんの命がかかっとる。世の中の連中は、好きなだけ俺をばかにするとええ。そんなん、俺、つらかないわ……」

  

 おい、人格があやしいことになってるぞ。それは少年タカラ役か。いい演技だと思います。

 

 そして全員に見送られ、恭彦は時間ぎりぎりでオーディション会場へと向かう。

 着替える時間もなく、泥だらけで駆けだす彼に、熱い声援が送られた。ここまで観てて思ったが、カメラマンの腕がいい。まるで感動映画みたいにドラマチックで情緒に訴えかける映像に仕上がってるんだ。


「恭彦君! 諦めないで……!」

「急げ、行けーーーーーっ!」

「あとのことは、おっちゃんに任せな!」


「俺……行ってくる……っ!」


 

 なんだこれ。


「なんだこれ…………」

 

 恭彦、恐ろしい子。

 

 ちなみにその後、調べて絶望したのだが、原作者は暴行罪で逮捕されていた。

 

 ドラマのリメイクは白紙になったのだが、私のもとにはあやしい招待状が届いた。


『今回の件に胸を痛めた方が、別作品のオーディションに一部の応募者を招待しました。あなたは選ばれました。おめでとうございます』


 なんか選ばれたらしい。わぁい。

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