77、歌舞伎座、棒しばり
週末――歌舞伎を観ると約束した日を迎えて出かける準備をする私の耳に、テレビのニュースが聞こえた。
「火臣打犬さんが……」
打犬が助演を務めた海外映画が好調なんだって。
個人的に彼は好きではないが、それと作品に対する感想は別である。
映画はよかった。いい映画がたくさんの人に観られて評価されているのはいいことだ。
日本人が海外で活躍しているのも、喜ばしいことだ。
……もし江良が生きていたら、今テレビで名前を呼ばれて称えられていたのは江良だったかもしれない、と思うと悔しい気持ちも湧く。しかし、「もし」なんて考えるだけ無駄でしかない。
私はこれからのことを考えよう。
人生、まだまだこれからなのだ。
八町大気という強力な味方もできたことだし……。
「八町監督は、出版社と契約して出版予定だった本の発売を渋ったじゃないですか。
また、その本を原作にして新規映画を制作する、または制作権を譲渡する話があったのですが、一方的に白紙にしたんです。
その後は自殺未遂して……入院生活を経て、現在は元の生活に戻りましたが、今後の活動は危ぶまれています」
ん?
「本人が引退宣言しているのが大きいのと、もしこれから撤回したとしても、それまでスポンサーになっていた企業は支援に消極的になるでしょうね。
彼が信頼できない、もしくは感情的に不安定だという印象が広がっていることと、彼が休止している間に世の中のトレンド変化が発生したこと。
中止されたプロジェクトによる損失も大きく、なにより主演予定だった俳優が亡くなっているのが影響力が大きく……」
テレビのコメンテーターがひとつひとつ懸念事項を挙げていく。
「噂によると八町監督の精神状態は今も不安定で、少女Aの写真を見て某俳優だと認識したり、自宅まで訪ねていくなどの奇行が確認されているのだとか。おいたわしい限りですが……」
その少女A、すごく心当たりがあるな。名前を伏せてくれてありがとう。
八町が悪いよ八町が――LINEしとこう。
葉室王司:八町、八町
葉室王司:私は火臣打犬が活躍していて悔しいよ
葉室王司:お金がないなら、ママとおじいさまにお願いして援助するよ
葉室王司:スポンサーの信頼を取り戻す手伝いもするよ
葉室王司:映画を作ろう八町
葉室王司:賞を目指そう
葉室王司:受賞を逃して落ち込む八町を見るのも結構好きなんだ
葉室王司:では、友だちと歌舞伎を観に行ってきます
アリサちゃんとカナミちゃんと。
あと、ワークショップに誘ってくれたお礼に麗華お姉さんと恭彦に情報を送ったら、2人もOKしてくれたので、私を入れて5人。セバスチャンを仲間に入れてあげたので、6人だ。
身分が芸能人に分類される5人+執事な1人の集団は目立つリスクが高いので、オンラインで近く同士の席のチケットを取った後は全員バラバラに入場した。
観劇用の変装コーデは、メガネに帽子をかぶり、白ライン入りのグレーのロングTシャツだ。
お尻まですっぽり覆う長さで、袖は萌え袖。親指を入れる穴付き。ネイルは水色で、ちゅるんとしている。
下はミニスカートにしてみた。Tシャツに隠れて見えないくらい。足元は白ソックスにスニーカーだ。
取った座席は3階で、東扉から入ってすぐ。
一番後ろの席にしたのは、観劇中に後ろを見る人があまりいないから――身バレのリスクが低くなるかと思って。
「お待たせー……」
観劇仲間たちは、すでに座って待っていた。近く同士だけど、年少組女子と年長組で分かれてる。
「王司、やっほー。オペラグラス、よく見えるよ~」
「うん、うん……」
アリサちゃんはひょっとこのお面で顔を隠したカジュアルコーデ、カナミちゃんは三角巾みたいなバブーシュカにサングラスとワンピース。
恭彦はパーカーフードにマスクに眼鏡で、麗華お姉さんは白髪ウイッグに顔の下半分はスカーフに埋めて目元はサングラスの着物。
セバスチャンはいつも通りの赤毛執事服という、目立ちすぎる集団だ。
しかし、幸いにもお客さんたちは前も見ていて、3階席最後列の怪しい集団には気づかない。
よかった、と思っていると、トドの着ぐるみを着た人が視界に映った。
しかも、トドの後にパンダ、シロウサギ、ピンクパンサーと続く謎の着ぐるみ集団だ。
子どもとかなら微笑ましいが、背が高いので全員、中身は成人と思われる。
ドレスコードはないとはいえ、よく入れたな。関わりたくないオーラがすごいぞ。
席はどこだ? そのアニマル耳は後ろの席の人たちに絶対クレームされる。観劇の邪魔になっちゃうよ。
「……西側の最後列か。よかった。色々な意味で」
呟くと、カナミちゃんが同じ気持ちだったようで耳打ちしてくる。こしょばい。
「変な人たちがいるね」
「私たちも結構、変な集団だけどね」
「あっちには負けるよ」
気にしても仕方ないので、観劇しよう。
公演パンフレットの筋書きを見ると、舞踊劇の『棒しばり』と書いてある。
「アリサちゃんのお兄ちゃん、お名前あるね」
「うん……お兄ちゃん、大丈夫かなー」
カナミちゃんはコソコソと「屋号っていうのを呼んだりするの? 屋号、知らないけど……なんて呼んだらいい? タイミングとかある?」とアリサちゃんに質問している。
アリサちゃんは両手を祈るように合わせながら首を振った。
「えっと、呼んでもいいけど、無言で観ててもいいと思う。目立っちゃうし」
「そ、そう。ありがとう」
明石屋、大坂屋、音羽屋、中村屋、紀伊国屋……といった屋号は、流派の名前だ。麗華お姉さんが先生の顔をして恭彦に解説している声が聞こえる。
「恭彦君。昔、芝居役者は身分が低かったんだけど、江戸時代のはじめ頃に身分を向上させて商店を出すようになったの。
それで『きのくにや屋さん』『よろづ屋さん』みたいに呼び合うようになって、舞台でも『よっ、よろづ屋~』みたいに掛け声がかかるようになったのね」
「へえ」
恭彦は「あまり興味がない」って温度感だった。君に刺さる言葉が私にはわかる気がするぞ。
「恭彦お兄さんで言うと、『よっ、火臣家~』とか『打犬の教え子~』ですよ」
「舞台でそんな掛け声をするなんて、役者に恐怖と重圧を与えてどうするんです……?」
「お、応援なんだよ……」
このお兄さんのメンタルが私にはあんまりわからない。まあ、いいか。
「ねえ、王司。イヤホンガイドが舞台の進行に合わせて解説してくれるって。イヤホンガイドつける?」
「私は……なしにするかな……」
たぶん、なくても楽しめると思うし……。
「あのね、お兄ちゃんの太郎冠者、釣女でお嫁さんを竿で吊り上げたりもしたんだよ」
「王司。アリサの言ってることがわかんない。イヤホンガイドつけたほうがよくない?」
「悩ましいね……」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
お芝居が始まる。
ご主人様のお出かけ中にいつも酒を盗み食いしちゃう2人の召使いが、メインキャラ。
ご主人様は出かける時に召使い一号の腕を棒に縛り付け、召使い二号の手を後ろ手に縛る。
でも、2人はそれでもめげずにお酒を飲んじゃう……というお話だ。
その召使い一号がアリサちゃんのお兄ちゃん、高槻大吾だ。
正面に大きな松を描いた板羽目(板張りの壁)の前に、三味線や小鼓を演奏する囃子方が座っている。
客席から見えないところでは、舞台進行役の狂言作者が拍子木(柝)の効果音を鳴らす。「歌舞伎ってこんな音、よくイメージする」って感じの小気味いい音だ。
ツケ打ちがバタバタと音を立てて、その音に合わせて舞台の上で役者が歩みを進める舞台は、伝統芸能感がある。
あ、高槻大吾が出てきたぞ。
肩衣姿の高槻大吾は、中央で身の丈より長い棒を持っていて、存在感抜群だ。オーラがある。
くるくると棒を回して片足を上げたりする動作は格好いい。
華がある。へえ、へえ。
彼が棒術を披露すると、屋号を叫ぶお客さんがいた。
「京高屋ぁ~」
アリサちゃんも「きょうだかやー」と掛け声をかけた。可愛いな。
……と思っているうちに、芝居は進んだ。召使い一号、棒ごと縛られてるや。
両腕を大の字に広げた体勢は、凧揚げの凧や形代みたいだ。
召使い二号が「よいなりの、よいなりのう!」と笑っているうちに、自分も縛られてしまう。
2人仲良く「許されませい~!」とお許しを請うが、ご主人様は2人の前を悠々と通り過ぎて行った。
「いってくるぞよー」
飄々とした声に、笑いが起きる。和風ミュージカルコントって感じで楽しい。
「あはは……!」
ご主人様がいなくなった後、縛られた2人は協力し始めた。
「いざ飲むぞー」
「飲め飲め~」
お酒が飲めて喜び、袴の足をあげてはしゃぐ姿がなんだか可愛いと思える。
酒が好きなんだな、美味しいんだな、仲良しだな、よかったな。
次に酒を飲むための道具を探して、「よいものがあるぞ。これで飲もう!」という声の嬉しそうなこと。
酒を汲み、「これは重たいぞー」「心得たー」と言いながら飲ませる側が犬が小便するときみたいな片足上げポーズをすると、客席が笑った。
2人一緒に酔っぱらっていって踊り出すと、屋号がまた叫ばれる。雰囲気がいい。
二人で歌って「わぁっはっは」と笑うと、客席にも笑いが起きた。
酔っ払いを見るの楽しいな。みんな笑ってるから、安心して笑い声を出せる。
「舞え舞え」
「心得たぁ~!」
三味線や太鼓や笛の音に合わせて二人が交代で一人ずつ舞踊を舞うと、大きな拍手が湧いた。
踊り終えた時の笑顔が本当に「気持ちよく酔っぱらって楽しんでます」って感じだ。
お話もわかりやすくて、初心者でも「楽しい」ってなる舞台だね。
「酔うた……」
「……ひっく」
泥酔したところに、ご主人様が帰ってくる。
賑やかな演奏の中、アリサちゃんのお兄ちゃんは縛られたまま、右手に持った扇をぽーんと上に上げた。
そして、左手でキャッチして拍手をもらった。もはや曲芸だ。
ご主人様も召使い2人も一緒に踊るシーンは、ミュージカルの盛り上がりシーンって感じ。ショータイムって雰囲気で、エキサイティングだ。
盛り上げた後、召使いは「もうだめだ~、ふらふら~っ、ふにゃふにゃ~」って感じで、へたりこんだ。
「やい、酒を飲んだな」
二人を順番に問い詰めるご主人様に、召使いは呂律が完全に酔っ払いなあやしい喋りで「ぅっしゃ、しゃせぇ~」と返して笑われた。
「あたしゃ、してませ~ん」って言ってるんだろうか。酔っ払いの芝居が達者で面白い。
笑いと拍手に包まれながら、幕は下りた。
「面白かったね。あたし、お話わかったよ。お笑いじゃーん。仲良しじゃーん」
カナミちゃんは楽しめたようで、ニコニコしていた。
アリサちゃんは安心した様子でため息をつき、「お兄ちゃん、足をひねって足首が腫れてたんだけど、無事に終わってよかった」とびっくりな真実を教えてくれた。
「ぜんぜん怪我してるように見えなかったよ。ぴょんぴょん跳んだりしてたし」
「ね。すごいね」
カナミちゃんと2人で絶賛すると、アリサちゃんは「うん! すごかった」と誇らしそうに笑った。
「ちなみに、どっちの足だったの?」
「右だよ」
ぜんぜんわからなかったなぁ……。
「恭彦君、歌や演奏にあわせて踊ったりするの、 大衆向けのエンタメショーって感じで楽しかったでしょ! 評判が良かった演じ方が、のちの時代にも型として受け継がれていくのよ。君はそういうの好きそうね」
「振付けが決まってるダンスショーみたいでしたね。首を回したり、足踏みして静止したり……」
「現代みたいなスポットライトがない頃の工夫で、観客の視線を役者に集中させるための誘導なんですって」
麗華お姉さんと恭彦はお勉強会をしている。楽しそうでなによりだ。
セバスチャンは真面目なお勉強会の邪魔をしないよう空気のような存在感になっていた。
目が合うと近寄ってきて「しゃせぇ~」と酔っ払いの真似をした。
「セバスチャン。飲んだな~」
「ういーひっく。しゃっせぇ~」
帰るとき、おみやげに着物ペットボトルホルダーと、めでたい焼を買った。
あと、お見舞い代わりに隈取り手ぬぐいマスクを買って「これ、お兄ちゃんにお見舞い。渡してね」というと、アリサちゃんは喜んだ。
「マスクはいくつあっても困らないよね。お兄ちゃん、喜ぶよ」
うんうん。
感染症予防にもなるし、喉の保湿ケアもできるし、変装の役にも立つもんね。
アリサちゃんがわかってくれて嬉しい。
帰りの車の中でスマホをチェックすると、八町からLINEに返事が届いていた。
八町大気:江良君
八町大気:君、周りに甘えるのに慣れちゃったお嬢様って感じで
八町大気:可愛いんだけど
八町大気:なんか前の怒ってる感じがなくて
八町大気:物足りないな
そして八町は松岡修造のスタンプをぺたぺた貼っていた。
物足りないと言われても……。
八町大気:僕はパンダだった
しかも、意味不明なことを言っている。
八町は大丈夫なんだろうか……。
葉室王司:八町、寝てないの?お仕事大変?
葉室王司:寝て
メッセージを送ると、八町は「すやぁ」のスタンプを送信して、どうやら眠りについたようだった。
おやすみなさい……。




