71、恭彦、赤ちゃんプレイと父の出産補助を熱演する。ばぶぅ
――【火臣恭彦視点】
カメラが赤ちゃんの格好をした俺を撮っている。
この痴態は、配信されているのだ。
人間は、生きているだけで恥ずかしい。
火臣恭彦は常々そう思っているのだが、本日は格別にそんな思いが強かった。
父親に赤ちゃんプレイを強いられているからだ。
「恭彦。昔の子供たちは原っぱでごっこ遊びに興じたものだ。ドラえもんのような土管が転がっている風景だ」
父、火臣打犬は、赤ん坊をあやすためのガラガラを手にして渋く語る。
「ごっこ遊びとは、自分以外の何者かになること。そして、親子がすれ違った時や心のボタンをどこかで掛け間違った時には、関係を修復することが必要だと思われる。赤ちゃん返りでメンタルを癒すのだ」
俺のメンタルは、主に親父が傷つけてる気がする。
今も、羞恥プレイでズタボロだ。
そんな息子の思いを知らず、父は特注のベビーベッドに恭彦を寝かせた。
ベビーベッドは落下防止の柵付で、天井にはベッドメリー・モビールが吊るされている。きりんさんやしまうまさんのモビールがくるくる回っていて、正直しんどい。
着せられた服装は、これまた特注と思われるフワモコ生地のヒヨコ風パジャマだ。ベビー服のつもりらしい。
フードがヒヨコさんの顔になっている。可愛いとは思うが、19歳の男のメンタルにはつらい。
……いいや。俺はつらくない。これは成長するために必要なのだ。
「成長した自分を忘れて、赤ちゃんハートになるんでちゅよ、恭彦。自分の殻を破って、オギャアするんでちゅ。オギャア、オギャア」
くっ、父が赤ちゃん言葉になっていく。
なぜか? ……息子が赤ちゃんだからだ。
「お……おぎゃあ」
「恥じらいがありまちゅね? はずかちがっていると、見ている方もはずかちくなりまちゅよ? はずかちい気持ちを赤ちゃんは感じないんでちゅ。さあ、湧き上がる感情をそのまま……」
「……」
湧き上がるのは、「逃げたい」とか「気持ち悪い」というドン引きの感情ばかりだった。
この衝動を抑えずに解き放つと、俺はベビーをやめて「もういやだ」と言って部屋から逃げてしまいそうなのだが、どうしよう。
「恭彦くんは感情がありまちぇんねえ。まったくの無でちゅねえ」
父は心配そうに手を頬にあててから、オルゴールを鳴らした。
正直、助かる。音楽でもないとやっていられない。
「恭彦くーん。ミルクのみまちょうねえ……♡」
語尾にハートをつけないでほしい。精神的苦痛が爆増する。
「はーい、恭彦君。あーん」
哺乳瓶が口に突っ込まれる。
俺にミルクを飲めと言うのか。
「ごっくんごっくん、お上手でちゅねー! おいちいでちゅねー!」
ミルクが喉を通っていく。
もういい。お腹いっぱいだ。
親父、やめろ。飲めないでちゅ。
「いっぱい飲んでえらいでちゅねえ」
「……はぁ、はぁ……」
ギブアップしていいだろうか。もう十分頑張った気がする。
これ以上は危険だ。人間としての尊厳が危うい。
「ぎ、ぎぶあっ……」
「うっ、陣痛が……恭彦。妹が生まれるぞ! 父さん、今から産んでくる」
「まじで?」
父は、息子の限界を悟った様子で展開を進めた。
赤ちゃんプレイから解放されそうなのは助かるが、これはこれできつい。
チラッと配信コメントを見ると、案の定炎上していた。
:ひよこベビー服かわいい
:この親子、おかしい
:※この人たちは演技の練習をしていると主張しています
:単なるプレイだよこれ
:俺たちは何を見せられているんだ…
:これからご出産です
:誰かー助産師呼んでー
:救急車呼んでやれ
:頭を診てもらうんですね
:恭彦君♡助産師して♡
:恭彦はリタイヤしそうになっている
:恭彦、無理しなくていいぞ
:息子君に無茶ぶりよくない
父は衝立に隠れてBGMをオルゴールから炎のファイターに変え、妊婦になった。
そして、勇ましく分娩台に乗って出産を始めた。
:おい、始まった
:本気を感じる
:これが海外にも通用する俳優の演技か
:割とそれっぽく見える
:本当に産まれる気がしてきた
:汗がすごいぞ
:The broadcast is live-streaming the birth in real time?
:外国人が「この配信は出産風景をリアルタイムに中継しているのですか?」だって
:この人は男です
:This pregnant person is a man.
:crazy
:日本の恥です
:クレイジーだよね
:がんばれーがんばれー
:5歳の娘が応援してます
:5歳の娘に駄犬の配信見せないであげて
:みちゃだめ!
「ひっひっふー、ひっひっふー」
これは赤ちゃんをしている場合ではないな。
葉室王司が出演しているアイドルオーディションでも『芸能界は弱肉強食! 与えられるのを待つのではなく、自分で出番をもぎ取っていきましょう』と言っていたではないか。実は毎週観てるんだ。
5歳の娘さんのためにも、日本の誇りのためにも、俺がこの配信をなんとかせねば。
「火臣さーん。一緒にがんばりましょうねー、さっさと終わりましょうねー」
助産師になると、父は「バブ……」と鳴いた。
その瞬間、恭彦の中にあった何かにヒビが入る音が聞こえた。
妊婦はバブなんて鳴かない。
妊婦の芝居をしていて、なぜバブったのか。
俺の演技がクソだったから役への没入が崩れたとでも?
許せねえ……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
八町とLINE交換をして帰宅すると、火臣打犬からの贈り物が届いていた。
アクセサリーだけでなく、紫の薔薇の花束付き。
色が紫というのが、ガラスの仮面を意識してそうで嫌だ。
薔薇に罪はないとはいえ、「二度と贈ってくるな」と言いたくなる。
しかも、所属事務所に贈るのではなく自宅に直接届けてくるのがホラーだ。
「すごい。配送業者さんが可哀想なくらいいっぱいある」
「彼らもお仕事デスカラ」
執事のセバスチャンは、箱を居間に運んでくれた。
「量が多いし、体力作りにもなるから一緒に運ぶよ」
箱を持つと、セバスチャンは「ゴリッパですね、お嬢様」とスマイル0円をくれた。アッポーポイントは?
「セバスチャン。箱を開けてみて、ほしいものがあったらあげる」
「ポイント目当てですね、お嬢様?」
「くっ……ばれたか」
居間が箱でいっぱいだ。
中身くらいは見てやろう。どれどれ。
ヘアクリップ、ブレスレット、イヤーカフにイヤリング。ネックレス。
指輪。野球帽。猫耳カチューシャ(黒)、ハイブランドのバッグにコスメセット。ネイルケアセットにフェイシャルマスク。ハンドクリームにまつ毛美容液にヘアケアグッズ。バランスボール。
「うわ、宛名が全部火臣家で記載済のレターセットがあるよ。こっちのロングTシャツ、『パパ、嫌い♡』って書いてる。なんで? マゾなの? 待って。自作の火臣打犬推しノートが入ってる。怖い。自分の写真を貼ってシールでデコったの?」
お姫様がつけるようなティアラもある。銀色で、宝石がついてる――ちょっとだけ興味が湧いてつけてみると、とても可愛かった。
「わあ……可愛い」
こういうのを楽しめるのは、いいな。
考えてみれば、物に罪はないのだし。
贈り物の品々を「こっちはなんだろう」と漁っていると、SNSに通知が届いた。
アイドル部のグループチャットだ。なんか、盛り上がっているみたい。どうしたの?
「産んでる!」「産まれた?」ってチャットが見えるけど、どういうこと?
中学生なのに、誰か出産してしまったの? 早すぎない?
チャットログを追いかけていると、みんなはどうも配信を話題にしているようだった。
配信を開いてみると、言葉にしがたい世界が広がっている。
『もうちょっとです! 火臣さん! がんばって! 頭が出ましたよ!』
『ふーっ、ふーっ』
『はぁ、はぁっ、産まれましたよ、火臣さん』
『おぎゃあ、おぎゃあ』
『元気な男の子ですねー』
『おんなのこでちゅ、おぎゃあー』
『男の子でーす。助産師が言うので間違いありませーん。この人は女の子産んでませーん』
『恭彦。お前、さては「妹が産まれたらパパを独占できなくなるからやだ」とか思っているのか、むぐっ』
『赤ちゃんにミルク飲ませまーす』
BGMは炎のファイターが流れていて、ベビーベッドに寝ている火臣打犬の口に、なぜかヒヨコのフワモコパジャマ姿の恭彦が哺乳瓶を突っ込んでいる。
恭彦? なにやってんの? 恭彦?
なんか生き生きしているように見えるのか気のせいか?
なんでちょっと楽しそうにしちゃってるの? 恭彦?
:すげえ、最初と逆になった
:こういう芝居だったんだ
:ちゃんと演技だったんだなと思って安心している自分がいる
:出産おめでとう
:5歳の娘も喜んでいます
:その哺乳瓶さっき恭彦君がくわえてたやつ
:関節キスでちゅ
:恭彦君これな、下手すると「出産を汚してる」とか「ネタにしてる」って炎上する
:この配信はアーカイブ残りません
:みんな、ないしょにしよう
:「駄犬出産」とか「火臣父子」とかトレンドになってるから内緒も何も
:すでに、燃えてます
:一周回って「女性の気持ちになりきって寄り添おうとしていて好感」とは言ってもらえないのだろうか
:がんばって出産してたよ、火臣さん
『ふーっ……なんか俺、がんばったって感じがする……』
配信画面の中で、汗だくの恭彦がスポーツドリンクのペットボトルを煽り、汗をぬぐった。
:まるでスポーツした後のように爽やか
:助産師おつ
:お前、がんばったよ
:なんでがんばってしまったのか
:息子君、ありがとう
:がんばってたなあ、俺はうるっと来たよ
:こんな配信でうるっとしないで
:なんで頑張っちゃったの……?
:いや、よく最後まで逃げずに頑張った。感動したよ
:逃げてもいいんやで
:むしろ逃げろ
ここが地獄か。
私は困惑で胸をいっぱいにして、そっと配信画面とおさらばした。




