66、俺がお前のおしめを変えたんだ
スポンサー企業が謝罪会見を開き、関係者が頭を下げる動画が広められていく。
家族が集まる居間のテレビで、家族をテーマにしたドラマが放送される。
裏番組も見たいと娘と息子が言うので、父親は両方の番組を録画した。ドラマに映る羽山修士を見て、父親は「歳を取ったな」と思った。
父親は、この俳優が青年だった頃から知っている。
彼が映るバラエティやドラマを見ながら、自分もまた年齢を重ねてきた。
彼が出演する『いまいちパッとしない青年が高嶺の花であるお嬢様を射止める』恋愛映画をデートで見て、妻にプロポーズして結婚した。
「お兄ちゃんはまた出てくるんだね」
娘が嬉しそうに言うので、父親は頷いた。
「もちろんさ。そういう話だもの」
ドラマの後で裏番組を見ると、バラエティ番組ではアイドルを志す女の子たちが可愛らしく踊ったり笑ったりした。その後の特設コーナーでは、「これ、怒られたりしないのかな」と心配してしまうような企画が展開されていた。
『撮影日を変えて、再集合~~!』
画面の中で、一度解散したドッキリチームが再集合している。ドッキリチームだけではない。他局のドラマスタッフや、出演者たちまで集められている。
『なんと、喜ばしい情報が入りました。例の名前を言ってはいけないスポンサー様が折れてくださったのです』
テレビを見ていた家族は、笑顔で顔を見合わせた。
「ひゅう。スポンサーがドラマの足引っ張るのやめたんだって」
「足引っ張るとか言うなよ。スポンサーさんがお金出してくれないと、ドラマできないんだぞ」
言い合いをする子供たちの視線は、テレビに固定されていた。手にはスマホがあって、それぞれのネットコミュニティで感想を語り合ったりしているようだった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
空は青く晴れ渡り、太陽が眩しく白い光を放っていた。
ノコさんに書いたファンレターをポストに投函してロケ現場に向かうと、バラエティ番組とドラマ番組両方のスタッフがいて、『鈴木家』の役者たちが手を振ってくれた。
「視聴者のみなさーん!」
カメラに手を振って、「せーの」で声を揃える。
「これからみんなで、お兄ちゃんを迎えにいきまーす!」
これは、楽しい企画なのだ。
みんなが笑顔になれる番組なのだ。
だから、明るく楽しく、走り出す。
復職が決まった加地監督との待ち合わせ場所は、巨大ビジョンの下だ。
人垣ができていて、私たちを見つけて「キャー!」と歓声が上がる。
加地監督はカメラを回していて、生配信をしていた。
打ち合わせでは、放送されたばかりの『鈴木家』の最新話を流して「お兄ちゃん、待たれてるよ」なんて話しかけていたはずだ。
そこにドラマチームが駆け付けて「おかえりー!」と言うんだ。
なかなかいい映像ではないか。感動のホームドラマ、撮れちゃうよ!
それでは妹役、参ります。
目指す場所に、とても価値のある大切なものが待っている。
もうすぐそこに、たどり着く。
薄い胸をワクワクでいっぱいにして、頬を上気させて、目を煌めかせて――ほら、見えた。
特徴的な金髪が。
「おに……んぎゅえっ」
呼びかけが悲鳴に変わって足を止めたのは、恭彦を囲む大衆の輪の外側に彼の父親である火臣打犬が潜んでいるのを発見してしまったからだ。
目が合うと、打犬は無言でアルカイック・スマイルを浮かべ、片手の人差し指を立てて自分の唇に当てる。
そして、言葉は発することなく、唇を動かした。
『パパは、お忍び』?
『秘密ダヨ』?
へ、返事はしないぞ。もう見ない。
視線を逸らして無視を決め込んでいると、追いついてきた西園寺麗華が明るい声をあげた。
あう、先を越された。
「あら、お父様もいらしたんですね。みなさーん、こんにちはーっ、『鈴木家』でーす!」
はう、麗華お姉さん。それ私がしたかった挨拶なのに。
「おおおおおおおおっ」
大衆が沸く。
「おにいちゃーん。恭彦くーん。家族が迎えにきたよー!」
あっ、あっ、麗華お姉さん。
それも私がしたかった挨拶だよ!
念願のCM仕事をゲットできたから、西園寺麗華は肩から「ワンカップ大使」というタスキを掛けていて、ハイテンションだ。生き生きしている。
「ヘイ! 恭彦君がいなくて寂しかったよ」
羽山修士が両腕を広げて恭彦にハグをして。
「お兄ちゃんおかえりー!」
蒼井キヨミがハンカチで目元を拭い、涙を大袈裟に流している。
恭彦は加地監督につつかれ、事情を説明されて、爽やか好青年といった表情で照れ臭そうに微笑んでみせた。
「皆さん、ありがとうございます」
おい、棒読みだぞ。イヤホンつけろ。
「未熟者ですが、またよろしくお願いします」
聴衆からは「緊張してる」「照れてる」「可愛い」という声が上がっていた。棒読みがウケている……。
『芸能界は弱肉強食! 与えられるのを待つのではなく、自分で出番をもぎ取っていきましょうっ』
オーディション番組の言葉が思い出される。
出遅れた。完全に食われた。
いや、まだまだ。私の出番は今からだよ……!
「おにいちゃ……」
「恭彦!」
声をかけようとした私を追い越して、火臣打犬が走っていく。
「キャー!」
「パパだーー!」
ねえ、ちょっと!
さっき「お忍び」「秘密だよ」って言ってたじゃん!
打犬は羽山修士を引っぺがし、「俺のだぞ!」と叫んで恭彦に抱き着き、観衆を湧かせた。
「きゃーーー!」
「独占欲ーーー!」
お姉さんたちが目をギラギラさせて喜んでるよ。
黄色い悲鳴がすごい。耳が痛くなるほどだ。
需要を察知した佐久間監督がマイクを持たせちゃってる。
やめて、その男にしゃべらせないで。
「恭彦。俺がお前のおしめを変えたんだ。うんちを頑張ってる時に手拍子してがんばれがんばれって励ましたんだ。夜泣きした時は江良の話をして寝かしつけてやった。公園デビューだって木の上に登って撮ってた……実は置き去りにした後も物陰に隠れてウキウキウォッチングしてた……」
ほら、また変な話垂れ流してるよ! 誰か止めようよ!
そして恭彦はこのタイミングでイヤホンをつけるんだな……。
慣れを感じる。冷静だ。
「血の繋がりなんて関係ない。お前はパパの息子だ。……愛してる!」
カメラと現場の人々の注目を一身に浴び、大都会の中心で、変態が愛を叫ぶ。
これが聞きたかったんだと言わんばかりに拍手が起きて、お姉さんたちは涙と鼻水を流して父子を拝みだしていた。
なんだこれ。
狙ってたのと違う方向のものが撮れてない?
「お、お、おにいさ……」
妹の出番、どこ? このムードの中、どうやって入り込めと?
下手に入ったら「邪魔しやがって」「空気読め」みたいに言われるのでは?
「親父」
恭彦は少し音楽に集中する様子を見せてから、謎の役に入り込んだ。
ふっと長い睫毛を伏せ、アンニュイな感じで指を持ち上げる。
「俺、親父からもらったアクセ、事情があって全部失くしちゃったんだ……」
それが悲しい、というように雨に打たれた仔犬みたいな顔をすると、彼らを見守る人々の間に「はう……」という奇怪なため息が溢れた。
「魔性……」
「アクセ失くして悲しんでる……」
「パパからもらったアクセ大切だったんだ……」
お姉さんたちが胸を押さえている。
打犬もまた心を打たれた様子で目を充血させ、大きな手で息子の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。
「アクセなんていくらでも新しく買ってやる。パパと帰ろう。寿司を取るから、いっぱい食べなさい。そうだ。温泉旅館に旅行もしようか。二人きりで、親子水入らずで……パパが浴衣を着せてやる……」
「パパ。俺、ハリウッドの撮影見学してみたいな」
「なにっ。よし、じゃあハリウッド行くか。お前もちょっと映ってみるといい! パパが口利きしてやろう」
「パパ。俺、『太陽と鳥』のリメイクのオーディションも受けたいんだ」
「そうか。パパが演技を見てやる……」
待っ……い、行っちゃうのぉ?
ドラマチームとドッキリチームの感動の大団円は?
こんなエンディングでいいのぉ?
まだ妹が「おにいちゃーん」って抱き着いてないんだよ?
「王司ちゃん、今から走って行って『おにいちゃーん』ってやったら?」
加地監督が察した様子でにんまりしてカメラを向けて聞いてくる。
「お、お兄さんには声をかけたいけど、打犬おじさんには近寄りたくない……」
涙目で言うと、周囲の大人たちが笑ってくれた。
あ、これなら出番が確保できるかもしれない。よ、よし。
「声、かけそびれたぁ。うわぁぁぁん! 一番に声かけようと思ってたのにーっ。打犬おじさんのばかーっ」
周囲の大人たちが「可愛い」「可哀想」と微笑ましそうにコメントしてくれる。
「新人ちゃんだもん。ベテランの皆がぐいぐい行って出番を食われたりするよね」
「王司ちゃんがんばって! 応援してるよ!」
みんなが優しい言葉をかけてくれる。ありがとう。どうやら、私は「出遅れてタイミングを逃した妹」枠でエンディングに出ることが出来そうだ。よかった。
「ありがとうございます、次は、負けません!」
私は決意した。
……火臣打犬には、二度と出番を食われない!