63、子供が頑張らなきゃいけないって、変だよ
――翌日。
リモート授業をこなし、レッスンを終えてドラマの撮影に行くと、脚本家が「次の放送話で、撮り直しが必要になったシーン」の台本を渡してきた。
今回も兄が登場している。前回同様、撮っていた「兄が映ったり喋ったりしているシーン」が使えなくなったので、「兄が映らないし喋らないシーン」にする方針だ。 最低限の修正がされた台本は、「演技力で兄がいるように見せかけてね」という内容になっている。
ドラマは終盤に差し掛かっていた。
『お父さんと幽霊仲間は製薬会社の危うい研究に気付き、お父さんは翔太に、幽霊仲間は彼の娘である井上絵里(翔太の家庭教師)にそれぞれの知った事実を伝えた。
そして、今後について相談するために4人で会う約束をした。現場に4人がそろい、翔太と絵里は他の人も頼ろうと言い出す……』
これを「映ったりセリフを言わないが、兄がその場にいる」風に演じることはできる。
でも、それで誤魔化していて、このドラマはいいのだろうか?
短い期間で世の中は動いて、前回と今回とは、また状況が違っている。
「兄がいる」というドラマにするよりも、「兄は今いない、でも帰ってきてほしい」というドラマにして発信する方が、強い。――私は、そう考えた。
きっと、解放区放送の影響を受けている。若い子のピュアなエネルギーは、いいものだ。
「みなさんと、アドリブの打ち合わせをしたいです」
子供が頑張らなきゃいけないって、変だよ。大人が頑張ろうよ。
役者を集めてやりたい方向を語ると、蒼井キヨミは羽山修士の判断を気にするようだった。役者としては、蒼井より羽山の方が芸歴が長く、実力も上手なのだ。
羽山修士は51歳。
身長が低め、小太り体形で、愛嬌のある顔立ちのおじさんだ。
「羽山さんは、以前ものすごく大胆なアドリブ劇をリードしたことがありますよね。『太陽と鳥』です。揉めたやつです。あれができるなら、今回もこの……」
言葉を少し探す。
脚本家の人だって、プライドがある。拘りがある。
だから「兄がいないドラマにしない。直さないから兄がいるフリをしろ」と言っているんだ。
その芯の部分は、否定したくない。
「兄がいないドラマにはしません、ちょっと今いないだけで」――この方向性がいいと思う。
「この、『これからしろ』と言われている……大人の事情に敗北して誤魔化しと逃げに走った不自然な芝居を、もっと熱くできるんじゃないですか」
原作派とドラマ派が揉めた『太陽と鳥』について、江良は当時の事を知っている。
役者が「脚本がつまらない」と言い、アドリブを連発した。
脚本家は「原作通りの作品にするなら元の脚本のままがいい」と主張し、アドリブを却下するよう訴えた。
佐久間ADも脚本家に味方した。
だが、役者たちが「絶対に変えた方がいい!」と団結し、監督は「アドリブを活かした方がいい」と判断した。
……そのアドリブを連発した役者が、羽山修士なのだ。
共演者には西園寺麗華もいたので、心配そうな顔をしている。
「僕はね、王司ちゃん。実は、僕は……アドリブで原作派を悲しませたことを……」
「……後悔してるんですか?」
責められて傷付いたんだ?
だから、臆病になった。保守的になった。
そうなんじゃないか?
でも、羽山はその先を言わなかった。代わりに、別の言葉を使ってその気持ちを教えてくれた。
「王司ちゃん。ドラマは、面白いと言ってくれる人がいた。たくさんいたんだ」
誇る様子でもなく、悔やむ調子でもない。
理性的に事実を伝えるだけ。
完璧に自分をコントロールできていて、感情を不安定にさせることがない。
そんな安定した語り口だった。西園寺麗華が控えめに「私も面白いと思いました」と言っている。
「『原作通りじゃない』と怒る人がいたのは間違いない。申し訳ないと思うし、自分が絶対に正しかったと誇ることもできない。でも、役者仲間も監督もファンも娘も、僕を肯定してくれた。だから、僕は後悔しているとは言えないし、言わない。新しく仕事をする時に過去の経験を踏まえて最善を尽くすことが、建設的だと考えている」
羽山修士は、修行僧みたいに言ってから、くしゃりと表情を崩して苦笑した。
そんな顔をする彼は、世間のイメージする通りの「親近感があって、応援したくなる」お父さんだ。
こんなベテランの彼がアドリブをすれば、役者仲間も監督も「いいね」と言いたくなるだろう。
「娘から言われちゃってさ。お父さん、長いものに巻かれてる? みたいな。ベテランなんだから影響力あるでしょ、『羽山修士、動きます』とか言ってよって。ハハ……最近の子は、親を脅すんだぁ……」
彼も解放区放送を見たのかもしれない。もしかしたら、実の娘と一緒に。
そう思いながら、微笑んだ。
「羽山さん。あのドラマ、面白かったです。知ってますか、亡き江良九足さんも、羽山さんのアドリブで笑ってたって」
「……江良君が? それは、知らなかった」
ああ、こんな嬉しそうに笑ってくれるなら、生きているうちに伝えればよかった。
「僕、彼と共演したことがあるんだ。……楽しかったなぁ」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『鈴木家のお父さんは死にました!』
台本と違う。
羽山修士が、「兄がそこにいない」という芝居をしている。
スタッフの誰もが気付きながら、止めることができない。
「来ないな、翔太」
父親の背中は――その声には、見る者をその世界観に没入させるだけの悲哀と寂寥があった。
「そうだよな、来ないよな。あいつとまともに話したのなんて、本当に久しぶりだったんだ。反抗期がやっぱ痛かったよな。俺も忙しくしてたし……」
自分は悪くない、仕方なかった。
ダサく言い訳するように言ってから、「いやっ、そうじゃない。自分を守るな、俺!」と顔を歪める。
「俺は、いい父親じゃなかった……あいつのこと、気にかけてやらなかった。誰が悪いの? 俺だろ?」
痛みを吐き出すように、想いを口にする。
父親の愛情が溢れて、空気がその感情温度に染められていくようだ。
――そこへ。
「お父さん、そこにいるの?」
全く台本にない展開で、葉室王司が飛び込んでいく。
この役者たちは団結している。事前に打ち合わせしている。
――勝手なことを。
脚本家は制止しようと腰を浮かせて、王司の表情を見て固まった。
「見えない……でも、いるんだよね?」
兄には見える幽霊が、自分には見えない。
「自分は他人にわからないものがわかる」と思っていた少女が、自分が持たざる者の側だと受け止めた強さ。
それが、脚本家の胸を打った。
ガラスみたいに危うく綺麗な気配。
のびやかに成長する若芽を見つけた時のような――新鮮で明るい未来を感じさせる気持ちよさ。
この少女をもっと見たい。そう思った。
「お兄ちゃんが教えてくれたの。お父さん、幽霊になってるって。いっつも私たちを見守ってくれてるって」
そこにいると信じている、ひたむきな眼差し。
父に届いてほしい、と祈るような声。
台本をガン無視している――どう展開させて、どこに着地させるつもりなのか。
ハラハラ感と、ワクワク感がある。
「お兄ちゃんが言ってたんだ。お父さんが製薬会社を調べてるって。製薬会社がなんかやばいんだって」
父と兄への好意。
二人のすれ違いを防ぎ、力になりたいと願う、その健気な心……。
――これは、魅力があって愛されるキャラだ。
虚空に向けて伸ばす指先の、なんて可憐なことだろう。
父親がその手に触れる。しかし、娘はそれに気付いていない。
触れているのに、気づけない。それが切ないではないか。
「お兄ちゃんは、ちゃんとこれから来るよ。待ってて。ぜったい来るよ」
この二人は、兄が「今はいないが、これから来る」というドラマの展開を作ってしまった。
視聴者は兄役の火臣恭彦の再登場を期待してしまうだろう。
そして、火臣恭彦が最終話まで登場しなかった場合、大クレームが起きるだろう。
……それよりは、「兄はいます」と誤魔化して「大人の事情で苦労して誤魔化してる」と理解を仰ぐほうが、傷は浅いし同情してもらえる。それなのに。
これを撮りたい。これを世の中の人に見せたい。
これこそが自分たち制作チームの心なのだ。
そう思えてきて、ならなかった。
羽山修士は、「そっか。じゃあ、俺は待つよ」と目を赤く充血させている。
自分を認識できない娘を切なく見つめる父の顔が――涙をこらえる瞳が、美しい。
聞こえないのを承知の上で娘に微笑みかけて、泣き笑いみたいな顔で「父さんが間違ってた」と呟く声の、なんと胸に響くことだろう。
「俺、なんで信じてやれないんだ。ばかだな。俺は、息子のいいところをたくさん見てきた。あいつが本当にいいやつだって、知ってるだろ」
父は、ゴリラみたいに自分の拳で自分の胸をがつがつと叩いた。
辛いものを食べて辛さに耐えるような顔をした。表情演技がすごい。
元々が愛嬌のある顔だちで、見ていて「面白い」「いい人だ」と感じさせる安心感がある。
その姿は滑稽で、コミカルで、憎めないダサさがあって、人間味にあふれていた。
「あいつは、出来がいまいちでさぁ……。でもさ、俺が若い頃もそうだったなって懐かしくなるんだよ。一応、やる気あるんだわ、あいつ。努力してたの、見たもん。人に隠れてやっててさ、シャイなんだな」
両目をぎゅっと瞑って、ぐしゃぐしゃに歪めた顔で早口に独り言を言う声は、駄々をこねる少年のようでもあった。
年齢をいくつ取っても、周囲が思うほど人は完璧な大人になれない。
父親といっても、ただのひとりの人間でしかないんだ――そんな感情が湧く。
「あいつはむかつくことを誰かに言われても我慢してさ、でもひとりになると『ウゼー』って愚痴っててさ。相手にぶつけないんだ。弱虫だって言う奴もいるかもしれないけど、大人だって俺は思うよ」
父親が息子を想っている。
その語りに、スタッフは息子役の火臣恭彦の姿を思い出した。
ここにいない元監督にあれこれと言われていた青年は、スタッフにとって不快な言動を一切していなかった。
最初のうちは『演技が下手で困る』と思うことはあったが、日を追うごとに増えるノートに、台本の書き込みに、付箋に気付かない者はいなかった。
ドッキリの撮影で放送されたシーン、放送されていないシーン、どちらも、2つの番組の監督同士が友人だったこともあり、「こんな映像が撮れたぞ」と共有されて、スタッフがいない時間の控室の風景を見ている者が多い。
彼は努力していて、努力の成果を見せた。
難色を示してもおかしくない風呂シーンも、嫌がらずに体を張って撮らせてくれた。
協力して一つの作品を作ってきたのだ。仲間意識ができている。
「他人の目を意識しててさ、字もきれいでさ。ちょっとシャイで、でもクールを装ってて、なんかダサい。気概がなくて陰キャで草食系かと思ってたら、たまに才気爆発してすごいと思わせたりもしてさ。考えてることわかんなくて、若者とのジェネレーションギャップ感じたりしてさ」
そうだな、とスタッフの何人かが小さく顎を引く。
共感がある。
自分たちが関わる作品のトラブルについて、毎日SNSやニュースで話題になっている。
みんな、期待を持たせてくれる世の中の動きを知っている。期待を胸に秘めている。
「……ごめん。翔太。父さん、待つ。お前が来るまで、ちゃんっと、……待ってる」
主演は不細工な泣き顔をしながら、メッセージを発した。
役者たちには、覚悟があった。情熱があった。ひたむきさがあった。
彼らのメッセージを世の中に届けるのが、自分たちの使命だ。
……スタッフは、そう思った。
脚本家は「もしもダメだったら?」という不安を押し殺し、OKサインを出した。
役者たちが魅せた芝居には、脚本家が心の底で描いていた理想とロマンが体現されていた。
組織に従う会社員とはいえ、脚本家にはクリエイターとしての自我があって――腹の内でくすぶっていた自我は、熱意ある役者たちの芝居に触発されて、抑えきれなくなったのである。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「視聴者のみなさん、お忘れではないでしょう」
バラエティ番組では、佐久間監督がマイクを握っていた。
黒地に赤い文字で『漢気』という2文字を書いたTシャツ姿で。
この一言に合わせて、以前話題になった裏番組ドラマ現場に乗り込むドッキリの映像が流れる。
「あの時、前代未聞の相談を、加地監督は快く承諾して協力してくれました。我々ドッキリチームは、その恩を忘れません」
ドッキリチームが街に出る。
巨大ビジョンの下で演技をするという情報をキャッチして、「急げ!」と走る。
演技をしている火臣恭彦と、彼を撮影する加地元監督を見つけて、「いた!」と喜ぶ。
二人の邪魔をしないよう、遠くから見守り、観衆が芝居の終わりに拍手をするとドッキリチームも拍手をする。
観衆の中に見知った顔がいることに気付いて、声をかける。
ドラマの制作チームのスタッフだ。
「プライベートなら応援しても許されるかなと……」
「顔、モザイクしてもらっていいですか。会社に怒られるかもしれないので」
……自分たちにできることはなんだろう。
ドッキリチームは悩み、「いやそれは危ないですよ」「仕事できなくなっちゃう」「ここまではセーフだけどこの先はアウトっす、やばいっす!」と揉めつつ、セコセコと投げ銭を投げて応援コメントを配信に送ったり、SNSアカウントで配信を拡散したりして「これがぎりぎりです!」と汗を拭っていた。
「情けねえな。男の生き様を見せてやる」
お笑い芸人がスポンサー企業の建物に突っ込んでいき、受付のお姉さんに撃退されて笑いを取る……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
2つの番組は、スポンサー企業が集まるパートナーシップディナー会の後で放送される。
放送後のエピソードに火臣恭彦の出演が可能だと確定した状態で、安心して放送できるのが最上だ。
「行くわよ王司。まあ、現地では難しいことは大人同士でお話するから、王司は美味しいディナーを楽しんでいなさい」
「うん。ご馳走、楽しみ」
パーティ当日、Aラインスカートの清楚なワンピースに身を包んだ私は、ママと2人でセバスチャンの車に乗り込んだ。
ディナー会場があるホテルに向かう途中で、ノコさんのライブ会場が見えた。
……いつかライブに行きたいな。花束を渡したりしたい。
そんな夢を心に描いているうちに、車窓の景色は後ろに流れていった。