60、火臣打犬は教育に悪い!
三日自動車の御曹司である相山良介先輩の彼女は、おっとりしている。
「勉強ばかりだと息が詰まるよね。書道部では、気分転換に垂れ幕を作ろうと思うの。あっちに部員が集合してるから、ちょっと行ってくるね」
こよみ先輩は書道部にも入っているらしい。
柔らかなウェーブを描く長い茶髪をひとつに結び、体育館の端に向かって行く歩き方がなんか可愛い。
ぶりっこではないが、ぽてぽてした感じ。彼氏持ち女子の余裕みたいなのがあって、「あー、可愛いな」って見ていたくなる雰囲気がある。
ぜひ真似したい。演技に活かそう。
「さすが先輩、いいこと言う……息抜きって大事ですよね~」
アイドル部の女子たちは先輩の言葉に勇気をもらい、おすすめ動画を共有し合った。
そして、女子の1人がやばい配信を見つけてしまった。
「王司ちゃん、これ見て。バリケードの外に駄犬が住んでる。やばっ」
「わぁ……すごく心当たりがあるよ」
駄犬とは、ネット民が愛だか侮蔑だかを込めて名付けた火臣打犬の別称である。
女子たちが覗き込む配信画面には『駄犬パパの変態的子煩悩クズライフ』というタイトルが書いてある。このタイトルは本人が考えたのだろうか。火臣打犬は自分で自分のことを「駄犬」「変態的子煩悩」「クズ」と認めているのか。
「王司ちゃん。トドさんがいるね」
「いるね、アリサちゃん」
「親子ってすごいね王司ちゃん。覆面でもわかるんだね」
「や、やめてアリサちゃん。親子だと思わないでほしい」
画面の中の火臣打犬は、バリケードの外で見かけた覆面レスラー姿だった。
覆面は取っているが、上半身はむき出しで、下半身はぴっちりだ。
女子たちが「やばー」と喜んでいる。
みんな? その「やばー」はどういう種類のやばーなの?
もしかして悦? 興奮してる?
違うよね? 「変態でやばー」の「やばー」だよね?
「顔がいい」
「筋肉えぐいて」
「セクシーじゃん」
みんな?
なんか魅了されてる?
配信切った方がいいかな? みんな?
配信を切ろうか迷っていると、打犬が喋った。
「娘は俺に気づかなかったが、これでいいのさ。陰から手助けする……見返りを求めない尽くす愛。父親が娘に捧げる愛は……これだ……これが至高の愛だ。まるで人魚姫。俺は人魚姫系パパになる」
くっ……だめだ。許せない。湧き上がる拒絶反応が抑えられない。
「ごめんみんな。この配信は切る」
「だめー!」
「みんな王司ちゃんをおさえてー!」
私は配信を切りたいのに、みんなが許してくれないよ!
涙目で羽交い絞めにされていると、配信中の打犬は巨大テントに入って行った。
待って。そもそも打犬は学校になんで入れてるんだ?
校門から先は生徒か生徒の関係者しか入れないはずだよ。
お前関係者じゃないじゃーん。
ワンチャン「王司のパパです」と主張しても戸籍上他人じゃーん。苗字も違うじゃーん。
全力でつっこみしたい。存在が許せない。
「おつかれさまです、火臣さん。おっ、配信中ですか? 俺の歌を電波に乗せるチャンスですかね、なんちゃって」
巨大テントの内側には、おじさんが二人いた。
上品で優しそうなおじさんと、配信コメントで「あ、いつも通報でやってくる刑事の人だ」と言われているトレンチコートのおじさんだ。いつも通報でやってくる刑事の人ってなんだよ。この配信のおなじみメンバーなの? わけがわからないよ。
「配信の皆さんこんばんはー、火臣さんの同級生の星田です」
:今日の刑事さんは配信スタートから参加してるんだね
:ヨイオングループの星田社長だ
:ワンカップ持ってる
:トド見ました(笑)
:火臣さんたら、体がえっち
:娘にふられたパパである
コメントが打犬を受け入れてるのが納得いかない。
なぜ。
顔か?
顔がいいから? それとも体?
星田さんと刑事さん、そして打犬はワンカップで乾杯した。
「ぷはーっ、美味い」
「見事な一人プロレスでしたよ、火臣さん。あ、このワンカップはゴルフ仲間からの差し入れです。ここの親たちに炊き出ししようかって話してるところでして」
「炊き出しか。いいな。俺は今度は炊き出しのおばちゃんになってみるか」
「ついに女装ですか~、さすがハリウッド俳優」
女装にハリウッド関係ないだろ。本当につっこみしたい。
コメントしてやりたいのだが、女子たちが羽交い絞めにして離してくれない。つらい。
涙目で見ていると、打犬は配信画面に小さなフレームで加地元監督と火臣恭彦の動画を映した。
『追放された監督と俳優の成り上がり(できたらいいな)』というタイトルだ。微妙に気弱なタイトルが火臣恭彦って感じだな。
「女装はさておき、本題を始めましょう。うちの息子がこの元監督に誘拐されたんですよ。事件なんですよ刑事さん! 家に付いて行っちゃって、ボロアパートで寝泊まりしてるって噂があるんです。我が家には帰ってこないし、電話も出ないし、チャットの返事もないんですよ」
「息子さん元気そうですねえ」
打犬は悔しそうに震える拳を握り、刑事さんのトレンチコートを引っ張った。
お前、奥さんのことはいいの? 本当にコメントしたい。
「みんな~? 私、配信切らないから。コメントだけさせてくれない?」
「だめ」
「王司ちゃん、絶対切っちゃうもん」
私には信用がない。なぜだろう。
ところで、共有された動画の中で、火臣恭彦は街角で『鈴木家』の演技をしていた。
周りにはたくさんの人がいる。
場所は、駅前? 巨大ビジョンがあって、先日の兄役不在の鈴木家が再放送されている――真昼間だ。
『お兄ちゃん。スマホ忘れてる』
妹の美咲が階段に向かい、虚空に向けて右手に握った兄のスマホを差し出すシーンが巨大ビジョンに映っている。
地上の火臣恭彦は、それに合わせてスマホを受け取っていた。
差し出したのは、監督か。
彼を映すカメラは、ぐっと顔に寄った。その表情は、動揺や後ろめたさ、焦りが見て取れる。
『なーに、その顔』
巨大ビジョンの美咲が指摘すると、恭彦はバッと袖で顔を隠し、妹から顔を背けた。
セリフは言わないんだな。
ドラマに映っていない兄を演じてるんだ。
この時、兄はこうでしたよって見せてくれている。面白い。
『……当ててあげる。最後だったから? 髪染めたからって言いたいんだ』
兄は妹を置いて、階段を登っていく。追及から逃れるように。
『あ、ちょっと~』
タイミングがバッチリだ。上手い。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
:鈴木家のお兄ちゃんだ
:あの回、みんな頑張ってたけどやっぱりお兄ちゃんがいないの寂しいよね
:ドラマの再放送に合わせて演技するのすげー
:監督のカメラもバッチリ
打犬の配信コメントが盛り上がっている。
しかし、打犬は「これ撮るのに同居する必要あるか?」「この未公開映像見てくれよ。うちの子の成長記録になってるんだ。この監督は今までこれを独占してたんだぞ」とくだを巻いている。
星田さんは「未公開映像いいですね。下手だったのが頑張って上手くなったんだなと思うと胸が熱くなりますね」と喜び、未公開映像リストを次々再生していった。
そして、彼らは問題のシーンにたどり着いた。私も初めて見る――楽しみにしてたのに公開されなかったお風呂シーンだ。
「……風呂シーンだと……」
:息子さん脱いでるやん
:あっこれはパパが怒る映像
:いや喜ぶのでは?
:えっど
:息子さんもいい体してますねお父さん
:これから何が始まるんでしょうか?
『ふ、……っ』
:!!!
:喘いだ
:変な声が出ました
:興奮した
:やばいガチなやつだこれ
:えっっっ
水音がする。あやしい表情がアップになる。
編集したの誰? 嬉々としてえろく見えるように編集しただろ。
なんか普段の編集よりエフェクトとか凝らされてるもん。
AVかよ。
これはテレビで流せないだろ。
ネットでもだめだろ。
「えっ、やば」
「え、え、え……」
あっ、もうちょっとな感じ。わかる、わかるよこの感じ。
そしてフィニッシュ――……ハッ、没入してしまったじゃないか。
待って。これ絶対だめな映像だよ。
ほら、羽交い絞めにしていた女子たちが真っ赤になっちゃってるよ。
この子たちにはまだ早いって。
「み、みんな。これエッチな動画だよ! 見ちゃだめだよ!」
咄嗟に叫んだ声は、思っていたより大きな声で体育館に反響した。
しかも、叫んでも動画自体はもう最後までガッツリ流れちゃってるんだ……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【火臣打犬視点】
俺は浮気を許すのに、妻は浮気を許さなかった。
それどころか、元カレと再婚するという。
息子は現在無職の元監督と二人暮らしを始め、連絡が取れない。
そんな火臣打犬は、困惑していた。
息子、恭彦が自慰しているのである。
全裸で風呂に入り――いや、見えない部分では履いているのかもしれないが――「どう見てもお前本当に気持ちよくなっているだろう」的な映像を撮られているのである。
息子は、実に色っぽく喘いでいる。
悩ましい表情もアップでしっかりとフレームに収められ、達するところまで完璧に作品として完成されている。
編集がノリノリだったに違いない出来だ。
編集者は同じ映像を何度も再生する。
作業中に絶対にむらむらきて何度か抜いているだろう、と打犬は決めつけた。
それどころか、この映像は現在ネットの海に大公開されているのであり、男女構わず恭彦の痴態を見ているのであり――パパとしては許しがたい、あってはならない現実なのである。
ここは怒る局面だ。
立ち上がり、「俺は許さんぞ! 訴えるぞ!」と吠えるべきだ。
だが、今の自分には若干の問題が生じている。
勃起しているのだ。
――俺は43歳にして、ついに息子で勃起できる男になったか。極めてしまったな。
思わず頭の一部が冷静になって自己分析する打犬であった。
それだけ息子がセクシーだったということだ。
なまめかしくて、むしゃぶりつきたくなる色気があった。
背徳感がやばかった。さすが魔性の息子と呼ばれるだけのことはある。
パパをこんなに興奮させるとは、恭彦は恐ろしい子だ……。あの子は危険だ。
「歩いているだけで男女問わず襲われてしまうんじゃないか」と心配してしまうフェロモンみたいなモノを電波越しにキャッチした。
パパはミツバチの気分になった。息子は甘い花であった。パパだけではない、全世界を誘う甘ったるい香りを放つくせに道端に咲いてしまった危うい花である。
不埒な有象無象から、俺の花を守らねばならない――そんな使命感を感じる。
ハァハァしている場合ではない。
あれは絶対に演技ではなく真実の自慰だ。
くそったれな業界担当者たちは無垢でいたいけな息子を集団で脱がして風呂に放り込み、自慰を迫ったのだ。
『ぐへへ。きょうひこくん、だいじょうぶだよ、これはさつえいだから(パパの妄想)』
『や、やめてください。はずかしいです……っ(パパの妄想)』
『ぐへへ。だいじょうぶだよ、すぐきもちよくなるからね(パパの妄想)』
『あっ、あっ、いやだ。きもちよくなりたくないのに(パパの妄想)』
そして息子は泣く泣く集団監視の中で自慰をして気持ちよくなってしまい……その映像が編集者たちの間で無限再生されながら何日もかけて熱意と性癖がたっぷり反映された神がかり的な変態編集をされ、テレビでは公開できなかったのに諦めきれずにネットで公開しやがった。
ひどい。あまりにもひどい。
打犬は立ち上がった。
怒りが全身を駆け巡り、血が沸騰する思いであった。
テントは巨大サイズだったので、頭がちょっと天井にぶつかったが壊れなかった。
不幸中の幸いだ。外にも人が大勢いるのだから。
「ゆ――許さん……っ、これは、許されてはならん……‼ 恭彦、つらかっただろう。これはセクハラなんてものではないぞ! 人権侵害だ! パパは許さーーん!」
……立ち上がった彼の股間もまた勃ち上がっているのである。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
:パパ!?
:勃ってる!?
:やべえ
:ウホッ
:まずいですよ火臣さん!
:【速報】駄犬、息子の風呂シーンで勃起する
:ホンモノだった
:変態だーーーーーーーー
:勃起しながら怒ってる
:こわい
:通報しようと思ったけど現場に刑事さんいたわ
:この配信はアーカイブ残りません
:これが火臣配信の醍醐味よ
:俺は本物を見るためにこの配信にいるんだ、舐めるな
:変態やないか!
:ガチじゃないか!
「火臣さん、気持ちはわかりますが、それは映しちゃだめですよ、まずいです」
「隠しましょう。落ち着きましょう。星田さん気持ちわかっちゃうんですか? あなたももしや……」
現場の星田さんと刑事さんがトレンチコートで股間を隠してくれている。もう遅いと思うけど。
「きゃーーーーーーーーー!」
「きゃーーーーーーーーー!」
もう体育館が女子の悲鳴一色だよ。
画面指さしてぴょんぴょん飛び跳ねちゃってるよ。
みんな興奮しすぎだよ。
羽交い絞めにしてた子たちが飛び跳ねたり腰を抜かしたりしているので、私はようやくコメントを書くことができる。自分のスマホで、自分のアカウントでコメント書こう。あいつめ。変態め。
:火臣打犬は教育に悪い!
:変態
:最低
:二度と観ない!!!!!
:王司より
「……お、王司ちゃんだと!? あ、アカウントが本物だ……!? パパを観てたのか!?」
体育館で飛び跳ねる女子たちにも言ってやろう。大人として、君たちに心からのメッセージを伝えます。聞いて。
「火臣打犬は、教育に悪い!」
ちなみに、家に帰った後で衝撃的な事件が起きた。なんとこの体に生理が来たのだ。
ママは喜んでいたが、私は複雑な気持ちでいっぱいになった。
だって……「繁殖を促すためパンダにAVを見せる」というニュースを思い出してしまったから……。