59、お前、船から降りろ
フリーダム空間な体育館の中に、ターゲットがいた。
「アリサちゃん。あのグループにお邪魔しよう」
「王司ちゃん、あのグループは3年生だよ?」
「自習に2年も3年もないよ」
三日自動車の御曹司先輩がいることの方が大事だよ。
セバスチャンに調べさせたパーソナルデータによると、御曹司先輩はフルネームが相山良介という。
3年生で、バスケ部所属。
ひょろっとしていて刈り上げ頭だ。赤いシャツを着ている。
三日自動車は創業一族の世襲制ではない。
創業者が「自分の子だからという理由で後を継がせるのはよくない。有能な者が出自関係なく上に立つべきだ」という方針を掲げたからだ。そして、一族の者は入社もできないようにしてしまった。
しかし、3代前のCEOが「創業者一族だから入社できないというのもおかしいのでは?」と一部方針を改めた。
そして、ここ2代続けて創業者一族が「有能なら出自を問わないなら、創業者一族でも有能さを理由に上に立って構わないよな」とCEOを務めている。実際、有能らしい。
小難しい大人の世界の話はさておき、そんな相山良介先輩は同級生とポテトチップスを分け合いながら数学の問題集を解いていた。
「俺、今日の夕方には家に帰るよ」
なんだって。
「勉強しなきゃいけないし。彼女とブルーピリオド観たいし」
先輩は彼女と映画館デートしたいらしい。
「うちの会社は日ノ源さんと密な関係だし。海賊部入ったのも誉様がいるからだし……火臣ジュニア可哀想って言うけど父親と指輪交換する奴だぜ? きしょくね?」
なんてことだ。
この御曹司先輩、どっちかと言うと敵じゃないか。
「葉室王司もさあ、自分の胸を配信で見せるような女だぜ。それで反応釣ってすぐ『訴えてやる』って言うのも悪質っていうか…」
「あ、相山! 後ろ……!」
うふふ。
私、葉室王司。今あなたの後ろにいるの……。
「相山先輩。おはようございます。葉室です。隣で自習してもいいですか? 今日の差し入れはホットドッグです。可愛いケースに入れてきたんですよ。瓶ラムネ付きです」
「うぇっ」
お化けに会ったみたいな顔するなよ。激辛チョリソー入りのホットドッグ美味しいんだよ。おすすめだよ。食べてよ。
「うふふ……映画デートができるように早期解決を図りたいですね、相山先輩。彼女は確か……アイドル部所属……」
「や、やめろ葉室。俺の彼女に手を出すな……」
「やだ、人聞きが悪いことを。私はただ、先輩たちの映画館デートを応援したいなって思っただけですよ。うふふ」
話しているとどんどん自分が悪い女みたいになっていく。
うん、三日自動車は諦めよう。
でも一度座ると言ったので今日は相山先輩の隣で漢詩の勉強をしようかな。
「私には、とても力がある。山を砕くほどだ。なのに、この愛馬が先に進まないのをどうしよう。寵姫よ寵姫よ、お前をどうしよう……」
漢詩に浸っていると、アリサちゃんが「あっちにアイドル部が集まってるから行こう」と腕を引く。
アリサちゃんが言うなら仕方ない。
「では相山先輩。ごきげんよう。うふふ」
「あ、あっちには俺の彼女が……」
いるのか彼女。チラチラ心配そうにこっちを見てるお姉さんかな? 名前は確か……。
「こよみ先輩?」
「……!」
正解らしい。取って食ったりしないよ。
アイドル部のテーブルに行くと、女子たちはスマホを見ていた。
「こんにちはー、お邪魔しまーす。アリサちゃんに誘われてきました」
「王司ちゃん誘ってきました。何してるのー?」
声をかけて輪に加わると、スマホを見せてくれる。ネットニュースかな?
どれ、どれ。記事は興味を引くタイトル揃いだね。
『事前に許可を取り、学校側が援助。警察が警備を担当……現代の学生運動は富豪令息のごっこ遊びなのか』
『東北と関西で解放区が続けて誕生。大人たちはどうする……』
『SNSでハッシュタグ運動が続き、運営会社が情報規制を巡って公開討論。情報規制はするべきなのか』
『俳優の火臣打犬さんが離婚を発表。週刊誌は托卵離婚と掲載――慰謝料はどうなる? 「息子は2人で育んだ愛の結晶であることに変わりはない」の発言の真意とは』
うん、うん。うん?
「王司ちゃん、宝石グミあげるから、こっちのスマホにひとことちょーだい」
「ひとこと?」
女子がスマホ画面を見せてくる。なんかアニメの負けヒロインキャラアイコンの誰かが話している。なんだ? ハンドルネームが『江良』だって。
『こんちゃー、オトモダチと話せてセッシャ感激、デュフフ。おっす、おら江良でふ。そっち〜今何人いるの? 葉室王司ちゃんがいるって〜マジぃ?』
うっ、なんか気持ち悪い喋り方だ。
太くて低く、ネッチョリした感じ……。これ、わざとだろ。
「王司ちゃん、これね、知らない人とワンポチで匿名通話して後腐れなくおしゃべり楽しむアプリ。コエトモっていうの」
「へえ……そんなアプリがあるんですね。こんにちはーさようならー」
『ホンモノっぽい声だけど偽者だなコレ!』
『あはは……!』
こっちも複数人だけど、向こうも仲間がいるみたいだ。通話はこのアイコンタップかな? プチッと切ってお別れしよう。
「切りまーす」
『エッもう切っちゃうでござるかぁ? セッシャがイケボすぎたでござるかな?』
続けたそうな気配を感じる。この相手は何がしたいのだろう?
気持ち悪ーい、と言わせて『葉室王司ちゃんがこんなこと言う子だと知りませんでした(泣)』とSNSで晒すとか……?
江良の時にもそういうトラップコミュニケーションは何度も仕掛けられてきたんだ。一緒にいた友人の失言を江良が「言えよ」とけしかけたことにされたり、相手が酔って夢の中で江良に言われたことがなぜか現実にあった暴言にされたり……。悲しかったなぁ……。
ここは、慎重に対応しておこう。
「えっと……私たち、お勉強中なんです。お兄さんとお話したい気持ちもあるんですけど、ごめんなさいっ。お声は……イケボすぎましたね!」
『ほんと? ありがとう。嬉しいよ。勉強頑張ってね王司ちゃん』
「えっ」
突然イケボに変わるじゃないか。
「きゃー!」
女子たちが黄色い声をあげた。なに? なに?
「王司ちゃん、これね。この動画チャンネルの人。有名なんだよ。最初はわざとブサボで話して、イケボになったりショタボになったりするドッキリなの」
アリサちゃんが動画チャンネルを教えてくれる。
『デュフフ。びっくりしたでござるかぁ?』
「びっくりした……」
声優の卵とかなのかな?
世の中にはいろんなエンタメがあるんだなぁ。
「お前ら、サボりすぎだろ」
あっ、二俣夜輝が来た。
円城寺誉もいる。
「動画を見るな! アプリで遊ぶな! それは無限に俺たちの時間を奪う悪魔の機器だ。誘惑に負けるな! 駄弁ってる時間で一問解けるぞ。自分と戦うんだ。そんなんでブルーピリオドが観られると思うのか!」
なんだこの熱血教師みたいな二俣は?
今度は何に影響された?
「その映画が観たいのは相山先輩ですし……」
相山先輩の方を見ると、サッと教科書の影に顔を隠された。
円城寺誉が首を傾げ、先輩に近づいていく。
「相山良介先輩。さっきちょっと聞こえてたんだけど……僕が人質に取られてるのに、船から降りるの?」
円城寺。
お前そのフルネームで呼ぶ暗黒微笑、怖いって。
「ほ、誉様……!」
「相山良介先輩は、僕を置いて逃げるんだ……」
「ち、違います、誉様……!」
青い顔で頭を下げる相山先輩に、二俣は冷たく言い放った。
「誉。そいつのことはほっとけ。『去る者は追わず』とお前が言ったんじゃないか」
「でも、よっくん」
「よ、夜輝様!」
「良介。お前、船から降りろ……俺の船は事件解決までブルーピリオドを観に行けない。お前が早期視聴を望むなら仕方ない」
「いえ! 俺は事件が解決してからでいいです!」
お前らの関係はどうなってるんだ。
「相山先輩のデートのためにも、早期解決を目指したいですね」
「そうだな、葉室。お前はいいことを言う。終わったら俺たちも映画見にいくか」
「遠慮します」
モチベーションを高めつつ、私たちアイドル部は動画でいっぱいのネットの海でサーフィンを楽しんだ。
宝石グミも美味しかったです!