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53、努力?

――【蒼井(あおい)キヨミ視点】

 

『蒼井キヨミって、下手だよな?』

『演技が大げさ』

『初めてドラマに出る王司ちゃんの方が自然だよね』

『熱愛報道、蒼井が記者に情報売ったんだって』

 

 ――蒼井キヨミは、SNSの評判を気にしていない。

 OKが出て自分のシーンが使ってもらえて、出演料がもらえれば、それでいい。

 

 自分は上手いと言われるために仕事をしているのではない。

 職業とはそんなものだ。

 頼まれた仕事を合格ラインを上回る出来でこなして、報酬をいただく。

 それで仕事が続いて生活できれば、上等だ。


 蒼井キヨミが思う葉室王司は、思春期特有の感受性の豊かさを武器にした不安定な子だ。

 役柄も繊細で不安定な思春期の娘なので、本人に近いハマリ役なのだろう。


 ……演技の勉強を始めたばかりの子に、この状況。この台本。

 このドラマは、詰んだわね。

 あとはぐだぐだになって「台無しになった」と酷評されて、みんなの黒歴史、失敗作の汚名を着て終わりよ。


 翔太を演じる役者がいないのに、いる設定で完走しようなんて無茶だわ。

 編集でどうにかなるものじゃない。

 私たちみんな、笑い者コースね。


――そう思ったのに。

 

「お兄ちゃん。スマホ忘れてる」

 

 葉室王司が階段に向かい、虚空に向けて右手に握った兄のスマホを差し出す。

 何もない場所。誰もいない空間。

 ……なのに、本当にそこに兄がいるみたいに自然だ。

 

「なんでお湯流して洗ってたの?」


 セリフと同時に、階段の上にスマホが置かれた。

 スマホを持っていた右手が頬に触れて、兄がスマホを受け取ったのだと伝わる。


 ドラマでは、編集した映像が使われる。

 カメラマンは今、少女の表情をアップで撮っているだろう。


 葉室王司は高画質アップでの鑑賞に耐え得る美少女だ。視聴者はその美貌を見て楽しむだろう。

 でも、セリフは?

 いない人間はセリフを言えない。

 

「なーに、その顔。……当ててあげる。最後だったから? 髪染めたからって言いたいんだ……あ、ちょっと~」


 葉室王司は、アドリブを入れた。

 からかうように。面白がるように。表情が変化する。

 ずっと顔アップでも、この表現力ならば「こんな顔もできたの?」と新鮮さを感じて見入ってしまうだろう。表情がくるくる変わる女の子は、魅力的だ。

 

 この子、動画チャンネルでは、表情筋を鍛えるトレーニングも投稿しているのだという。

 なるほど、努力の成果というわけだ。


 ……努力? これが?


 少女はセリフに合わせて自分の髪に触れ、立ち位置を変え、階段を見上げるようにした。

 階段を上っていった兄を下から見上げるように見えるだろう。

 同時に、カメラが引きで撮る時に階段に残っているスマホが映らないように自分の体で隠している。

 

 ……カメラのフレームにどう映るかを意識した演技。

 「どう撮らせるか」を考えた演技だ。


 ……付け焼刃の努力の成果? これが?

 

 唖然として演技を見ている蒼井キヨミの肩に、ぽんと手が置かれる。

 お父さん役、羽山(はねやま)修士(しゅうじ)だ。

 

「……!」

 

 はっとする。

 演技に圧倒されていたが、これから自分たちも演じるのだ。

 気持ちを切り替えて集中しないといけない。

 

 顎を引くと、羽山(はねやま)修士(しゅうじ)は、照明で(まばゆ)く照らされる居間へと飛び出して行った。

 

「いいんだ美咲。追及するな美咲っ。お風呂掃除して偉いじゃないか。男の子にはそんな日もあるんだよ! 家庭教師の先生だってきれいだし、むらむらするときだってあるよな!」

 

 中年男性でベテランの羽山(はねやま)修士(しゅうじ)には、安定感がある。

 愛嬌たっぷりの声を聞くと、安心する。頼もしい。

 若者の暴走芝居は、ひやひやする。

 熟練者でも失敗しやすい綱渡り的な曲芸に挑戦する向こう見ずな素人なら、なおのこと――1秒1秒が奇跡的な成功の積み重ねみたいで、心臓に悪いわ。

 

 美咲は、幽霊であるお父さんを見ることができない。

 お父さんを見れるのは、息子の翔太と母親の美里だ。

 だから葉室王司は階段の上の兄を見たまま、「羽山(はねやま)修士(しゅうじ)なんて登場していない」という顔をしている。

 

 羽山(はねやま)修士(しゅうじ)はそんな『娘』の目の前で階段を上って行き、見えない『息子』に突き飛ばされたみたいに階段を転がり落ちてきた。

 

「俺は味方だぞ、息子よ~(マイ・サン)、おっとあぶねっ、いや避ける必要なかったぁ、アッ、ふぎゃっ」

 

 「息子に拒絶され、避ける必要がないのに反射的に息子の腕を避けてしまって階段を踏み外した」と推測できる芝居になっている。

 

 羽山(はねやま)修士(しゅうじ)は、アドリブ力もある俳優だ。

 以前、世間の評価が二分した『太陽と鳥』というドラマでも、面白おかしいアドリブを連発して話題をけん引した――もっとも、その際の原作派からのバッシングで心の傷を負って、それ以降はなりを潜めていたのだが。

 葉室王司は、それを知っているのだろう。

 まるで「こんなアドリブをすると知っていた」というように動じることなく、目の前の羽山(はねやま)修士(しゅうじ)の派手なアドリブ喜劇をスルーしている。

 

 ……これが、新人?

 

 たまたまハマリ役だから上手くいっているだけの、思春期特有の感受性の豊かさを武器にした不安定な子?

 

 ――いいえ。

 ここにいるのは、熟練した2人のプロ役者。

 現場に慣れていて、売り物にする商品映像を完成させるために必要なことがわかっている、職人のような俳優たち。

 今、職人が二人がかりで、商品の欠陥を塞ごうとしている。

 

 『娘』の片手は、カメラのフレーム外になる位置でハンドシグナルを送っている。

 「まき」――遅れている蒼井キヨミに、「早く来い」というのだ。


「あら、やだぁ、お父さんったら。デリカシーがなさすぎよお。もう。いいのよ、翔太。気にしないで」

 

 慌てて芝居に加わると、葉室王司は不安そうな視線を寄こした。


「お父さんって……?」

 

 母親が亡き父と話すような発言をしたのだ。

 びっくりして心配してしまう娘心は、よくわかる。

 

「大丈夫?」


 これだ。この揺れる眼差しが、本物っぽいのだ。

 

 ――『蒼井キヨミって、下手だよな?』

 

 脳裏に自分の評判が過る。ハンドシグナルといい、「大丈夫?」が「あなたはついてこれる?」と挑発されているようにも思える。

 そうね、と思った。

 私は下手だわ。でも……芝居を投げ出したりは、しない。

 ついていくわよ。


「やだ、私ったらつい……負けないわよ! 母はつよし、推しもつよし!」

「お、お母さんっ?」


 娘に抱き着き、誤魔化すように『大げさ』と言われる演技をする。

 特徴的な決めセリフ「母はつよし、推しもつよし」は、繰り返し何度も作中で言ってきたので、SNSでも話題らしい。

 私は視聴者の心に残れている。

 だから、腐らずに最後まで演じ切ろう。


 下手でもいいの。この流れを止めずに、ゴールまでみんなで走りきれれば。


「だから、推しのつよしって誰ぇ!?」 

 羽山修士が奇声をあげてくれる。受け止めてくれる。

 

 ここにいるのは、ひとつの芝居を成立させようとする仲間たち。

 みんなみんな、美里の大切な家族。

 下手と言われても、私だってプロの端くれよ。負けないわ。

 

「うふふ。お母さん、変なこと言っちゃったね。心配した? ごめん! 大丈夫よ……美咲、あんた宇宙と交信できるんでしょ。お母さんはあんたのお母さんよ。お母さんくらいになると宇宙飛び越えて天国のお父さんと交信できちゃうんだから!」

「変なことしか言わないじゃん……」

 

 

   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

 


――【カメラマン視点】

  

「そろそろお暇します」

 

「――カット」

 

 シーンが終わり、カメラマンはホッと汗を拭った。


 撮影した映像を編集・加工して使う制作物では、役者の顔のアップを多めに撮ることは多々あることだ。

 演技が下手な役者を撮る時に、全身を撮ると下手なのがバレてしまうから、という理由が一番多いが、今回のように共演者が不在というケースもある。

 スケジュールの都合だったり、体調不良だったりで、「なんとか誤魔化すしかない」という時はあるものだ。


 『鈴木家』の役者陣は、急な事態にも落ち着いて協力し合い、全員で誤魔化し演技をしてくれている。

 顔のアップを撮っても、ただ整っている容姿というだけでなく、表情や雰囲気、視線や所作で魅せてくれる。


 ……特に、娘役。


「……びっくりしたなぁ」


 あの子、まるでカメラを誘導するようだった。

 「撮った」というより、「撮らされた」という感覚だ。

 しかも、フレーム外で共演者にハンドシグナルを送っていた?

 

 長年撮影に関わっているが、こんな新人は初めてだった。

 

 

   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 

――【火臣(ひおみ)恭彦(きょうひこ)視点】

  

 夜の自然な暗さに抗うように、人工の明かりが都市を照らしている。

 つば付きの帽子とマスクで顔を隠す火臣恭彦は、ビルの側面に設置された巨大ビジョンから響く声に足を止めた。


『お兄ちゃん。スマホ忘れてる』 

 

 ――葉室王司だ。

 呼びかけに、反射的に「俺?」と(こた)えそうになる自分がいた。

 ……役に影響を受けている。

 

「鈴木家だ」

「王司ちゃん可愛い!」


 巨大ビジョンにアップで映る美少女に、道行く人が足を止めて心を奪われている。


「これ、お兄ちゃんが降板されたんじゃなかったっけ」

「え、でもお兄ちゃんいるっぽくない?」


 ……こんなシーンは、撮ってない。

 人垣(ひとがき)に紛れて巨大ビジョンを見守ると、画面には妹の豊かな表情と仕草が展開された。


『なーに、その顔』

 小悪魔みたいに下から覗き込んで、心を暴くように言う。

『当ててあげる』


 父が、母が、家庭教師がカメラに映り、自然と話が進んでいく。周囲の人たちがドラマに見入って、感想を語り合っている。


「お父さん和む~」

「ね。このお父さん可愛い」

「ワンカップ出てきた」

「おつかれワンカップ~」


 ……なんだ、これ。


 周囲の女子が。


「おっ。西園寺麗華ちゃん。いいよな」

「サバ読むほどじゃないのにね」

「俺フツウに好み。ちょうどいい年齢じゃん」

「おれは三十路(みそじ)を越えてる方がいい」

  

 会社員が。学生が。


「鈴木家って仲いいよな。理想の家族って感じだわ」

「そうか?」

「わかるー」


 ……翔太がいないのに、誰も気にしない。

 

「美咲がやっぱ可愛いよ。妹にしたいもん」

「美咲ちゃんのさっきの表情よかったなあ」


 周囲の声に紛れて、監督の言葉が胸に蘇る。

『クソでもクズでも立ってるだけで戦力になるのはいいことだ。いっそセリフなくしちゃおうか!』


 俺、立ってる必要すらなかったんじゃないか。

 俺がいなくても、鈴木家は違和感なく、こんなに綺麗にまとまっている。

 翔太は一度も映ってないしセリフも言ってないのに、嘘みたいにみんなそれを受け入れてる……。


 俺は、ずっと自分がこの作品の完成度を下げてしまう邪魔者だと思っていた。

 本当にそうだった。俺はいらなかったんだ。

 それが、証明されてしまった。

 

 ぼんやりとスマホを見ると、母親からのメッセージが届いていた。

 

『母さん、離婚して元カレと再婚することにしたの』

『ちょうどいいじゃない、こっちに来て3人で暮らしましょう。今後は彼のことをお父さんって呼んでね』

『伝えようか迷ったんだけど、実はね……』 

  

 ……ノイズがうるさい。音楽を聴きたい。

 楽しくて、明るくて、踊り出したくなるような曲がいい。


 ぽつり、ぽつりと雨が降り出して、周囲の人たちが傘を差す。

 そういえば、傘を忘れた。

 ――さっさと帰ろう。足を動かそうとした時、声が聞こえた。


「あ、火臣(ひおみ)打犬(だけん)だ」


 親父?

 視線をあげると、巨大ビジョンはドラマを終えて、別の番組に変わっていた。

 海外映画の宣伝?

 

『主役の弁護士ジェニーに熱烈アプローチする子煩悩なシングルファザーの日本人刑事という設定で……』

『火臣さんはプライベートでも子煩悩すぎると話題ですからね』

『あはは……』 

  

 胸がずきりと痛む。

 ……このためだったんだ。役作りと、イメージ戦略だ。

 わかってたのに、俺はなんで傷ついているんだ。

 

 イヤホンをつけて立ち去ろうとした時、自分に向けられているカメラに気付く。

 いつから? どんな表情を撮られていたんだろう? ぞっとする。


 顔を背けて立ち去る背中に、声がかけられた。


「恭彦君。自分がいないドラマを見てどんな気持ちですかぁ~?」


 うぜえ。

 本音を呑み下して、ふと相手に気付く――カメラを持っているのは、加地(かじ)監督だったのだ。


 しかも、二人を遠くからコソコソと見守っている人物もいる。

 相合傘で隠れているが、葉室王司と執事ではないか。執事の赤毛が目立つんだ。

 「ばればれですよ」とインスタのDMで教えてあげるべきだろうか。

 しかし、彼女とはDMする気になれなくて、ずっと無視してしまっている。今さらメッセージを送りにくい。

 

 あのドラマを見た直後というのもあって、心がぐちゃぐちゃになってるんだ。

 酷いことやみっともないことを送ってしまうかもしれない。

 

「恭彦君。おじさんの傘に入って。おじさんを無視しないで」

「どうも、すみません」

 

 俺が謝る必要あるのかな? と思いながら、相手をする。

 相手は年上だし。一応、仕事でお世話になった人だし。

 

「俺、今……ちょっとコメントが浮かばない気分です」

「しょんぼりしてんなぁ。おじさんもしょんぼりしちゃいそうだぜ」

  

 周囲の人たちが「あの人たち何やってるんだろう」と気づいて視線を向けてくる。

 顔を隠すために帽子のつばを引いて顔を俯かせると、後ろめたいことをした犯罪者か何かになったような気分がした。


「よし。場所変えようか、恭彦君」

「そのカメラは、なんでずっと撮ってるんですか……?」

 

 そして、葉室王司と執事は、なんで一定の距離を保ってついてくるんだ?


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