52、#焼肉降板事件
――事件後、都内某所にて。
「なんということだ。うちの子をファザコン呼ばわりなんて。いい響きだな。さっきも『パパは俺だけ見て♡』って言ってきたから確かにファザコンだ。19歳にもなって親離れできないんだ。甘えん坊め」
「なによこれ。うちの子に壁ドンして個室に連れ込もうとするなんて。許さないわよ!」
「あと、同性愛をディスるのはよくないだろう。多様性ってやつだ。差別はいけない。息子は否定していたが、俺はバイだ。むしろ性別どころか種族を越えて愛せる。地球相手でもイケるぞ」
「スポンサーが何よ。パワハラっていうんじゃないの? しかも未成年者相手のセクハラでもあるわよ。連れ去り未遂よ。怖ろしい事件よ」
「全くその通りだ。成人男性が嫌がる少女に強引に触ったり引っ張っていこうとしたのは社会通念上、許される行為ではない。これは完全に相手に非がある。俺? 俺は一緒のお布団で抱っこして寝るぐらいなら許されるんじゃないか。パパだぞ」
「は? ……今なんて?」
葉室潤羽は激怒した。
必ず、この邪な変態男を除かなければならぬと決意した。
潤羽には役者の世界はわからない。
潤羽は華族令嬢である。
男嫌いで、妹の子を預かり暮らして来た。
変態男に対しては、人一倍に敏感であった。
「うちの子をお布団で抱っこして寝るですって? この変態! 脳みそをクリーニングして出直してきてよ!」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『鈴木家、焼肉パーティするってよ』コメント欄
:配信終わりだって
:鈴木家の焼肉パーティ、メシテロが過ぎる
:おつー
:お疲れ様でした!
:おつかれ
:ごちそうさまでした
:おつ
:あれ
:切れてないよ
:切り忘れてる?w
:続いてる
:終わってないね
:おーい
:天然か
:こういうの好き
:放送事故に期待
:移動してる?
「楽しい遊びを教えてあげる。二次会もあるよ」
:王司ちゃんがおっさんにナンパされとる
:迫られてる!
:セクハラだよこれ
:相手誰?
:これは犯罪的な身長と体格の差
:通報した
:カメラマンさーん助けてー
:放送事故じゃん
:俺たちのアイドルが
:個室に連れ込まれるぞ
:やばい
「ノコちゃんもハマってる大人の遊びなんだ。最高だって」
:週刊誌で話題のやつやん
:これ配信して大丈夫?
:通報しました
:ゴシップの裏付けされそう
:個室で何やってるんでしょうかね
:白い粉とかあったりして
:ドッキリじゃない?いくらなんでも
:王司ちゃん連れ込まれそう
:誰か大人の人
:個室にいる人たちも仲間なん?
:業界真っ黒だな……
:そんなことない。みんなの夢がいっぱいでキラキラしてて明るくて楽しい業界だよ
:「こんな素敵な職業ないよ!」
:トラペジウム?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
深夜2時。
『葉室家の匿名執事でございます』というドマイナーな動画チャンネルで、希少な配信がされていた。
この配信の特徴は、配信主が美形の赤毛外国人青年・執事服着用である点だ。
配信は匿名と言っているが、その正体は別に隠していない様子。
本人が「葉室王司お嬢様の執事でゴザイマス」と名乗っている。
けれど、積極的に拡散や宣伝はしないでほしいと言われている――こっそりと楽しむ、知る人ぞ知る掘り出し物、大都会の隠れ家的な配信なのだ。
配信は不定期で、ゲリラ配信的。
配信時間もまちまちで、すぐに終わったり長時間だったりする。
アーカイブは残らない。
切り抜き動画や録画もできない。
魅力は、執事のビジュアル。
そして、天然が入った頼りないキャラ。
カタコトでふわふわしたトークで「ワカリマセン。コマリマシタ。タスケテ」と言われると、視聴者は嬉々として先生になる。
そして、「サンキュー、アリガト」と感謝されると「自分はこいつの役に立ったぞ」という自己肯定感を得て気持ちよくなるのだ。
そんな配信で、その夜、赤毛の執事は「ニッポンのテレビ会社、ワカリマセーン」と言って視聴者と一緒に業界のお勉強をしていた。
視聴者は「お嬢様がテレビのお仕事してるから知りたいよね」と言って、自分が知っている知識を教えたり、一緒に知識を増やしたりしている。
「プロデューサーはトップ役職者。そのアト、演出・ディレクター。アシスタントプロデューサー(AP)。アシスタントディレクター(AD)のジョリジョリ」
:鈴木家は演出=ディレクター(監督)だよ、執事さん
:ジョリジョリってなんだ執事さん
:ジョレツって言いたかった可能性
:ジョレツ?序列?
:よくわかったなエスパーか
「編成部は、テレビ局の司令塔」
:司令塔は読めるんだね執事さん
:編成部も
:視聴率を分析したり企画立案をするチームだね
:番組制作費とか、番組を存続させるかどうかも決める
:業界の人がいるな
:業界の人、焼肉屋事件の裏話聞かせてよ
「アシスタントプロデューサー(AP)は、プロデューサーを補佐する仕事。ディレクター(監督)は、出演者やスタッフに具体的な指示をスル現場監督……アシスタントディレクターは補佐……下積み……」
赤毛の執事は顎に手をやり、目元をマッサージした。
少し眠そうだ。
「スポンサーがイマセンネ」
:スポンサーさんは広告費出してる
:ポジションパトロン
:notパトロン
:お金出す人=えらい
なるほど、と情報に感謝して、執事は何気なく情報を漏らした。
「監督サン、ゴタイショクだそうです。カイシャイン、大変デスネー」
:ゴタイショク?
:クビ?
:それどこ情報?お嬢様から聞いたの?
:情報漏らしてへいき?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
焼肉屋の一件が原因で、火臣恭彦はドラマの役を降ろされてしまった。
あのやらかしの結果、「善一が守られて恭彦が降ろされた」という事実は、残念すぎる出来事だ。
世間的にも、「可哀想」「役者に罪はないのでは」という声がある。
可哀想に――インスタのDMで話しかけても、恭彦はだんまりだ。
大丈夫だろうか……。
「王司。ママはセクハラとパワハラを許さないからね。おじいさまにも報告しています」
潤羽ママは配信を見ていたようだ。ご立腹である。
子供の立場で母親に心配してもらったり守ってもらう、というのは、こそばゆい感じがする。
バブ味とはこういう感覚を言うのだろうか。
テレビでは、ワイドショーのコメンテーターが大衆寄りの意見を意識しているようだった。
「せっかく好評だったドラマが台無しになってしまうのが残念でなりません。役者たちやスタッフの心のケアをしてほしいですね」
「今週放送予定だったシーンも流せなくなってお蔵入りが決まったというので、大変な事態ですよ」
「SNSではハッシュタグ運動もされており……」
せっかく頑張って撮っていたシーンが使えなくなったのは痛すぎるし、残りの未収録話もどうするんだろう。
編集でなんとかするか、使えなくなったシーンの代わりを追加で撮るか、追加キャストを使うか、兄役なしで台本を変えるか……。
この頭の痛い事態に、加地監督が退職したという知らせまである。
監督は恭彦の降板や収録済シーンのお蔵入りに猛烈抗議したらしい……。
今日は今後についての説明と、もしかしたら追加シーンの撮影があるかもしれないと言われている。
準備をして家を出る耳には、潤羽ママの「防犯ブザーはスポンサー相手でも遠慮なく鳴らすのよ!」という声と、テレビの声が聞こえていた。
「日ノ源総合ホールディングス株式会社、ならびに番組放送会社からの声明が追加で発表されたようです。この件に関する悪質な情報拡散行為への法的措置を検討しているとのことで……」
「ネットで話題になってる動画とかですよね?」
「文章もです……えー、番組では……、もしこちらの番組をご覧の方で、デマないし真実を拡散したりコメントを書いた方がいれば、できるだけ早めに……拡散やコメントの取り消し、削除をしていただくのをおすすめいたします……」
車に乗り込むと、ついスマホでSNSを見てしまう。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【SNS】
:さっきから検索しても検索結果が出てこないの俺だけ? 情報統制? #焼肉降板事件 #暴君スポンサーを許すな
: なんで翔太役が降板になるの?#暴君スポンサーを許すな
:お兄ちゃんは妹を助けただけじゃん#鈴木家
:個室に連れ込もうとしたナンパ男がスポンサーのお偉いさんだったんだって #暴君スポンサーを許すな
:スポンサー「なかったことにする。やれ」TV局「はい……」#暴君スポンサーを許すな
:放送事故に「うわぁ」って言っただけで訴えられるの?
:これはね、デマってことにしてナンパ男は何も悪いことしてないことにされちゃうんだねー#焼肉降板事件
:動画消えてくw#焼肉降板事件
:自分で消してるパターンと運営会社が消してるパターンがあるらしい#焼肉降板事件
:俺たちは今、起きた事件がなかったことにされていく現場を目撃しているんだ #焼肉降板事件
:あっ、加地監督が責任取らされてクビだって#鈴木家
:俺は上と揉めたって聞いたけど?
:もう何も信じられないw
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ネット上の情報が消されていく。
一部のファンが抗議しても、現実は覆らない。
現場に着くと、監督の席は空席になっていた。
代わりに今後の現場指揮を執ると語るプロデューサーは、「兄役は不在のまま、最終話まで誤魔化します」と方針を掲げた。なるほど、代役はなし、と。
「家族もので不自然に兄が出なくなるなんて――と、違和感はぬぐえないですが、あと数話です。我々はプロとして、全力で誤魔化して逃げ切りましょう」
やるしかない、というのである。
……お風呂シーン、見たかったのに。
加地監督が絶賛してたのだから、きっと良い演技だったんだろうな……。
手を挙げて質問してみた。
「台本の修正は、しないんですか?」
脚本家は、俯いて小声で言い訳をする。
「時間がないので……最低限で……。もしかしたら、これから監督が戻ってきたり、降板が撤回されたりするかも、ですし……恭彦君にも、台本届けてるんです……」
プロデューサーの顔色を気にしながらもハッキリと告げる脚本家の目には、この事態への不満や反発心が滲んでいた。
「演者の皆さんにも、カメラさんにも、編集さんにもご負担をおかけすると思いますが……皆さん、加地監督のもとでヤンチャな撮影仕事に慣れているプロの職人さんたちですから……なんとかよろしくお願いします」
……これから撮る追加シーンの台本が渡される。
なるほど、なるほど。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【鈴木家のお父さんは死にました!】台本
鈴木太郎、45歳、父親。
鈴木美里、42歳、母親。
鈴木翔太、17歳、息子。
鈴木美咲、13歳、娘。
井上絵里、20歳、息子の家庭教師。
〇鈴木家の居間・夜
翔太、風呂から出てくる。居間を通過して階段に向かう途中で美咲が袖を引き、呼び留める。
美咲「お兄ちゃん、なんでお湯流して洗ってたの?」
翔太「なんでって、俺が最後だったし」
美咲「いつもは何もしないじゃん」
翔太「髪染めたんだよ。染料で汚したから洗ったの……」
事情を知っている太郎、慌てて兄妹の間に入って口添え。
太郎「いいんだ美咲。追及するな美咲っ。お風呂掃除して偉いじゃないか。男の子にはそんな日もあるんだよ! 家庭教師の先生だってきれいだし、むらむらするときだってあるよな!」
美咲は太郎の声が聞こえないが、翔太と美里には声が届く。
翔太、触ることができない父親を突き飛ばすように腕を突き出し。
美里はにやける口元を手で隠しながら寄ってきて。
翔太「う、うるせえ、親父!(焦ったように)」
美里「あら、やだぁ、お父さんったら。デリカシーがなさすぎよお。もう。いいのよ、翔太。気にしないで」
絵里、やりとりを微笑ましく見守りながら荷物を持ち、立ち上がる。
絵里「そろそろお暇します」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
カチンコが鳴る――スタートの合図だ。
フレームを意識する。
兄を映さないカメラは……視聴者は、私を見ている。その視線を意識する。
顔の角度を。
眉を。目を。頬を。唇を。指先を――「これが美咲」と表現して、伝えていく。
手を伸ばす先には、何もない。
そこにいるはずの兄は、いない。声もしない。インスタのDMにも返事をしない。息づかいが感じられない。何を考えているのか、どんな気持ちでいるのかが、わからない。教えてくれない。
けれど、今はそこにいるのだという。
美咲が宇宙と交信するように、私はいない兄をいるものとして会話しよう。
そこに、兄がいる。
思い込む。思い込む。思い込む。
ヒヨコみたいな金髪で、触り心地がよくて。
背は高くて、短い袖から覗く腕には筋肉がついている。
家庭教師の先生が好きなんだって、お兄ちゃん。
それで? さっきまで何をしてたの?
知りたい。知りたい。知りたい。
教えて。教えて。こっち見て。
黙ってないで、答えてよ。
ほら――触れた。
「……お兄ちゃん」
見えた。いる。ここにいる。
ここにいるよって、見えない人に教えてあげる。
ああ、美咲の仕事は、それなんだ。
「なんでお湯流して洗ってたの?」
私には見えるよ。わかるよ。
――見える私は、それをみんなに教えてあげる。