51、切り忘れ注意だよ、配信は
――【葉室王司視点】
ドラマ『鈴木家のお父さんは死にました!』のスポンサー企業は、複数ある。
そのうち1社が、日ノ源総合ホールディングス株式会社だ。
多国籍コングロマリットで、金融、不動産、エネルギー、通信、製薬、ITなど、様々な事業を展開している。
スローガンは「未来を創る、価値をつなぐ」。
戦前に設立された製鉄会社をルーツに持つ企業で、戦後の復興期に急成長を遂げた。
創業者は、円城寺壮一。
現在の総帥は、創業者にちなんで同じ名前を持っている生まれながらの後継者。総帥の叔父と兄が政治家である。
ネットで調べた情報によると、円城寺は下総国印旛郡円城寺をルーツとする性で、祖先は平安京をつくった桓武天皇の血をひく桓武平氏の一派の可能性がある。
ルーツって面白いよね。
江良はルーツ不明だったから、ルーツが語れる人が羨ましかった記憶がある。
葉室家もなんかすごいんだ。
正直、「祖先がすごいのかぁ」と調べていると、いい気分がする。
江良が味わえなかった気持ちだ。
あれだろ? 不祥事とか起こすと「先祖に泥を塗って」とか「家の名誉を汚した」とか言われたりするんだろ?
家名を誇りに思っている同じ苗字の人たちがみんなして怒るんだ……怖いな……。
戦後日本の経済復興に貢献し、政財界にも太いパイプを持つようになった創業者、円城寺壮一は政治家一家の令嬢と政略的な婚姻関係を結び、その子孫はこれまでに複数の国会議員や大臣を輩出した。
国家プロジェクトや公共事業への参入に強い影響力を持っている――その企業の重役ポジションは親族で占められている……。
トイレから出ると、そんな「親族」の中に椅子を持つ人物がいた。
一族内での正確な立ち位置は不明だが、事件を起こしても揉み消してもらえて、遊んでいられるのを見た感じ、いい境遇なのではないだろうかと推察できる。
茶色く染めた髪に、黒スーツ――円城寺善一は、細い通路を塞ぐようにして立っていた。
さ、避けたい。
でも、……気づかれてしまった。
黒い目がニタァっと細まり、唇が三日月のように弧を描いて笑みの表情を象るのが、気味悪い。生理的な嫌悪感を覚える。
声は、底抜けに明るかった。
「王司ちゃん。ナハハ、奇遇だね!」
絶対、奇遇じゃない。
明らかに待ち伏せしてた。
「……こんにちは。スタッフの皆さんとスポンサーの方もいらしてると聞いて、ご挨拶に行こうかなと思っていたところだったんです。いつもお世話になっております」
「堅苦しいなあ」
「……っ?」
ぺこりと頭を下げて通してもらおうと思ったら、彼は黒い腕を壁に突いて通せんぼした。
こういうのも壁ドンというのだろうか。
世の乙女がキュンとするらしいシチュエーションだが、キュンどころか「ヒエッ」と悲鳴をあげたい恐怖心が湧いたぞ。
黒い腕は、そのまま私の腰にまわされる。
長身を屈めるようにして顔を覗き込んでくるが……。
あの……? 上背のある成人男性が平均身長以下の女子の腰に手をまわして顔を寄せている構図になっているのだが?
これって事案って言われないのかな?
脳内シミュレーションしてみよう。
悲鳴をあげるだろ。きゃー、たすけてー、おじさんが襲ってきますー。
人が来るだろ。やや、けしからん。事案だ事案。
偉い人たちが彼を守ろうとする……スキャンダルが公になる前にマスコミへの圧力や、関係者への口止めがされる。政治家の影響力が行使され、法的な追及が弱められる。
事件は表沙汰にならず、葉室王司は「俺にケチつけやがって」と円城寺善一に睨まれる……。
企業がスポンサーから撤退する事態にでもなれば、ドラマの制作費が不足して制作が中止されるか、放送内容に大幅な変更が加えられるリスクもある。
こういうことを考えた結果、大人は「面倒事は避けたいね。何もなかったことにするのが一番だね。嫌な思いをしても、我慢すれば済むことだからさ」という思考回路に落ち着くのだな。
しかし、なあ。
「こっちの個室においでよ。君の大好きなノコちゃんもいるよ。前も言ったよね。楽しい遊びを教えてあげる。二次会もあるよ」
「他の人たちもたくさんいるんですよね?」
「そうそう。気の合う人だけね」
……本当かあ? 西園寺麗華の仲良しの放送作家のモモちゃんがいるはずだが~?
ついていったらズルズルと二次会とやらにも連れて行かれるよな?
「楽しい遊びって、なんですか?」
「それは、行ってからのお楽しみさ……ノコちゃんもハマってる大人の遊びなんだ。最高だって」
いや、そのフリは怖いって。ノコさんがハマってる遊びはヤバいって。
ぐいぐい引っ張って連れて行こうとするのも嫌悪感と恐怖を煽るって。
「せっかくのお誘いなんですけど、遠慮します。役者仲間と一緒ですし」
「ナハハ。あっちには話を通すから平気さ」
強引だな。そして、力が強いよ。
毎日走り込みや筋トレをしてても、王司の体は貧弱だ。
背も平均身長以下だし、腕も細い。胸も――残念ながら――いや、胸は伸びしろがあるとして。
……意思表示はハッキリしよう。
「遠慮します……!」
引きずられそうになりながら声を絞り出した時、割り込む腕があった。
「妹は嫌がっているじゃないですか」
パーカーのフードを外して、特徴的な金髪を露わにした火臣恭彦だ。
おお、救世主ブラザー。ありがとう助かる。
腕が離されたので、遠慮なく逃げさせてもらおう。おや、恭彦の片手にカメラが……さっきまで配信を撮ってたやつじゃないのぉ……? 嫌な予感しかしないんだが……?
救世主ブラザーの背中に隠れると、円城寺善一は剣呑な声を発した。
「火臣ジュニア君だっけ? まるで無理強いしようとしてたみたいに言うじゃないか。失礼だな」
「勘違いでしたら謝ります。失礼しました。それはそうとして、妹はこっちの個室で食うんで」
空中に見えない火花が散ってるよ。
これはあれかな、「私のために争わないで」ってやつかな?
それとも「恭彦、君に決めた! 100万ボルトだ!」の方向性かな?
「……ふー……」
ため息で、仕草で、表情で。
円城寺善一の苛々とした感情が伝わってくる。
ひやりとする危機感を覚える。大丈夫か。感情制御してもらえるか?
世間の目があるぞ。お互い、大人な対応で場を収められるか?
決定的な喧嘩とか、するなよ。
――そういうの、こいつらに期待しても無駄じゃないか?
「生意気な俳優二世だな。親が世間になんて言われてるかわかってる? 君のパパ、人として最低って話題なんだぜ。それを二俣さん家が庇ってるから、そっちと繋がりがある我が家も『しょうがないなあ』って世話してやってるんだ。自覚しろよ、ファザコンホモ野郎」
ああっ。アウトだ。確実にダメなやつだ。
レッドカードだよ。許してもらえない暴言が出ちゃったよ。
おい、カメラ。撮ってるのか今の。まさかそんな。まさか。
「庇わなくていいんじゃないですか? そういうの、大人の薄汚い世界って感じで気持ち悪いです。あと、俺はファザコンでもホモでもないです」
「じゃあなんで指輪交換したんだよ」
あっ、それは私も知りたい質問だよ。
そんな場合じゃないけどその質問だけはグッジョブだよ。
「……演技の練習です」
「は?」
「は?」
いけない、思わず憎き円城寺善一と気持ちがシンクロしてしまった。
「さっきの会話も聴いてましたけど、そっちの個室での楽しい遊びとか二次会ってヤバいやつなんじゃないですか?」
「童貞の妄想力はすごいな。こんな焼肉屋で何をするって想像してるんだか。聞いてる方が恥ずかしくなるよ。ナハハ」
恭彦。あまり切り込んではいけない。
「お、お兄さん! 個室に戻りましょう……!」
「ん……」
「興覚めだ。こっちはお開きにして、もう帰る」
「お、お疲れ様でした……」
袖を引いて個室に戻った時には、背中が汗でびっしょりだった。焼肉パーティ、怖ろしい!
「どうしたんだい。何かあったの、揉めてるっぽい声がしてひやひやしたよ」
羽山修士が心配そうに尋ねてくる。
「聞こえてるなら助けろ」と言いたくなるが、危険だと判断して保身に走っていたんだろうなあ。燃えてるところに突っ込んでいかないのは、業界を生き残るためのサバイバル術だよ。
私たちは簡単に事情を共有し、「やばいのでは」と語り合った。
「お兄さん。助けてくれたのはすごく感謝しているのですが、立ち回りは気を付けないと……最悪、殺されちゃいますよ!」
「殺されはしません」
するんだよ!
「第一……」
と、ここで私は思い出した。
忘れてはいけない大変なことを、ずっと忘れてた。
「あ、あのう。そのカメラはなんですか。まさかずっと撮ってるってことないですよね? さっき配信は止めましたよね?」
震える指でカメラを示すと、全員が「初めて気づいた」という顔をした。
えっ、恭彦まで?
「……そういえば……何かあったら証拠になるかと思って持って行ったんでした。忘れてたけど」
スマホで確認すると、配信は一度も途切れることなくずっと継続されていて、一部始終が全部配信されていた。
切り忘れ注意だよ、配信は。コメントがすごいことになってるよ。
「……ひい」
あっ、羽山修士が卒倒した……。
配信はアーカイブを残さなかったが、その夜、ネットには切り抜き動画や文章でのまとめが大いに拡散されて騒がれた。
そして翌日、テレビやネットニュースでは「高視聴率継続中の人気ドラマにて役者が降板された」「前日にスポンサーとの口論が放送事故で配信されていた」という情報が公表されたのだった。