50、パパは俺だけ見ててください
カルビが網の上に行儀よく整列させられている。
美味しく焼かれておくれ、お肉たち。
「どうぞ、妹さん」
「ありがとうございます、お兄さん」
お肉は美味しい。そして、どんどん追加される。
追加された肉が焼かれるのを眺めていると、隣の個室が賑やかになってきた。
「なんかね、モモちゃんからタレコミがあったんだけど、スタッフとスポンサーの一部が来ているみたい。役者たちが焼肉するって聞いて便乗することにしたんですって。挨拶しちゃうー?」
西園寺麗華が放送作家のモモさんからの情報をシェアしてくれる。
アイドルオーディションの楽屋でも聞いた話だ。
「いらっしゃいませー」
隣の個室側の壁をコンコンとノックするお姉さんは、酔っているように見える。
やらかす前に配信を切った方がいいかもしれない。
「麗華お姉さん、配信を終わりますよ。これ、お姉さんの配信ですよね?」
「うん。そうそう。終わりにするわね。みんな、おつかれワンカーップ!」
「それはビールですね……では、視聴者の皆さん、ありがとうございましたー!」
配信を自分で切り、麗華お姉さんはグスっと鼻を鳴らした。
「聞いてぇ。お姉さん、この前ね、AXEL7のメンバーに告白してもらったのよ。トーヤくん。22歳の子なんだけど」
配信切った途端にぶっこんだ話を始めるじゃないか。
相手の名前も出しちゃって……。
AXEL7は、7人組の男性アイドルグループ。
江良は男性アイドルに興味がなかったので、よく知らない。
トーヤくんが誰なのかもわからない。
蒼井キヨミと羽山修士が「大丈夫? 隣に聞こえるよ」と注意している。注意してあげるというのがまず優しいし、注意の仕方も穏やかだ。
常識的な大人がいてくれてなによりである。
おかげで、麗華お姉さんは少し冷静になったようだった。
「名前はこの後は口にしません、伏せて話すようにします。あのね、年齢が思ってたより上だったから、告白を撤回しますって言われたのよ」
「えー……!」
蒼井キヨミが一気に同情的になった。
「ヤダー。年齢がちょっと上だからってそれはないわぁ! ひどいわー!」
この空気、何度か経験がある。
女性は「酷い男」という共通の敵を見ると団結するんだ。
羽山修士も「それはきついねえ」と相槌を打っている。
そう、ここで「いや、僕は違う意見だ」とか言うと共通の敵ポジションとしてフルボッコされる恐れがあるので、気を付けないといけないんだ……。
「執事さんもお肉、どうぞ」
「ありがとゴザイマス。アッポーポイントアゲマショウ」
「なんですか、それ」
恭彦はセバスチャンに肉をあげてポイントをもらってる。
待って、そのポイント日常的にいろんな人にばら撒いてるの?
アプリは消えたと言われてて、SNSで検索しても「アプリがまた出てきた!」って声はないけど。
じーっと二人を見ていると、肉をもらえた。
「新しいお肉ですよ、妹さん」
「わーい」
まさか「肉がほしくて見てる」と思われたんじゃないだろうな。
だとしたらちょっと恥ずかしい。そんなハラペコキャラじゃないよ。
「たくさんありますから、ゆっくり味わってくださいね、妹さん」
「はい。美味しいれふ、あつ、あつ」
「熱いですから、ゆっくり召し上がってくださいね、お嬢様」
セバスチャンが流暢な日本語を言っているが、誰もつっこまない。
みんな気にしないの? 私はすごく気になるけど?
……今は羽山修士と蒼井キヨミも、麗華お姉さんを慰めるモードになってる。
「付き合う前に相手がそういう人だとわかって、ダメージが浅くて済んだじゃない」
「麗華ちゃん、元気出して。ワンカップ注文したよ」
私も励まそう。
「麗華お姉さん、ワンカップキャラ定着してますね。あとはCMオファーを待つだけですね!」
「ぐすっ…………お姉さんは仕事に生きるわ……」
「アッ、でもまだお若いですし、世間的に認知されている美人女優さんですし、お姉さんなら恋愛相手募集したら行列できちゃうんじゃないかなって思いますよ。というか、麗華お姉さんは告白してきた人のこと、好きだったんですか?」
枯れるには早いだろ、まだアラサーじゃないか。江良より10年若いんだ。
それってすごいことなんだせ……と江良の体で言ったら説得力があっただろうに。
年下の王司が言うと、下手すると嫌味になっちゃうのが辛いところだ。
「好きではなかったわ。でも、……年齢が理由で恋愛対象から外されたっていうのがきついのよ」
麗華お姉さんは本気で嘆いている。
きついよな。わ、わかる。江良も経験あるよ……!
「王司ちゃんには、まだわからないわよね」
わかる! わかりすぎるくらいなんだよ!
「わかります!」
「え~、王司ちゃん……おじさんがタイプとか? 年齢を理由に相手にされなかった経験があるとか……? 恋愛したことあるの? 今だれか好きな人いる?」
はっ、話の矛先がこっちに……。
「トイレいってきます!」
逃げてしまおう。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【火臣恭彦視点】
人生は羞恥プレイだ。
火臣恭彦は、悟りを開きつつあった。
思うに、社会生活を営む人間は、大なり小なり仮面を被っている。
他人との兼ね合いやその場の空気に合わせて、本来とは違う自分を演じる――誰もが経験することだ。
普通の人間でもそうだが、役者は特にそうだ。
親父なんて、日常生活でもたぶん演じてる。
今も息子のインスタに変なDMを送ってきている。
火臣打犬:指輪を外すな
火臣打犬:火傷しないよう気をつけなさい
火臣打犬:配信で見てるぞ
親父はすっかり変わってしまった。
異様に親バカだ。性的に興奮されているのではと疑ってしまう瞬間がある。
たまに「本気なのかもしれない」と思ってしまうが、演技だと信じることにしている。
火臣打犬:セクシーなお風呂シーンとはなんだ? 許可してないぞ
DMはスルーしても延々と独り言を垂れ流されているが、暇なのか。
いや、これも演技なんだ。
「なんのために?」とか考えてはいけない。心を病む。
親父の部屋で見つかってしまった例のスクラップブックの存在を思い返すたびに「演技じゃなくて本気なんじゃないかなー」と思ってしまうのだが……あれは……「これから演じる予定の親バカな父親の演技ノート」なのではないか。
そう解釈すれば、ギリギリ……アウトのような、セーフ寄りのアウトのような。
俺はセーフに持って行きたいのだが、セーフラインがどうも逃げていくような……。
火臣打犬:恭彦
親父、もう黙ってくれ。
俺も見なければいいのに、どうも見てしまう。
火臣打犬:お前は肉を焼く姿も絵になるな
だんだんと「今度は何を言ってくれるんだろう」と期待を抱いている自分がいるような気がして、怖い。
怖いが、この感情経験は俺にとってプラスになるはず。逃げるな。
役者とは、自分との戦いだ。戦え。
自分の心から目を逸らすな。
自分のありのままの生々しくて醜い感情を見つめ、受け入れ、活かすのだ。
火臣打犬:パパもそっち行こうかな
「……」
あかん。親父は本当に来るぞ。反応しなければ。
火臣恭彦:来ないでください
火臣打犬:王司ちゃんを家に連れてきたらどうだ
火臣打犬:和室に布団敷いて3人で川の字になって寝るか
「……」
葉室王司に見せたらドン引きして逃げていくこと間違いなしの発言だ。
それにしても、親父の葉室王司への興味は、演技ではなく本物に思える。
なぜなら、彼女は親父の血を引いた実の子であり、演技が上手いから。
あと、可愛い。
父親という生き物は、娘がとにかく可愛いと感じるものだろう。
――俺への愛は偽物で、葉室王司への愛は、本物だ。そうに違いない。
別に、嫉妬したりはしない。
普通の父と娘なら仲良くすればいいと思う。
しかし、親父と葉室王司の場合は、危険すぎる。アウトだ、アウト。
これは決して嫉妬なんかではない。
火臣恭彦:無理です
火臣恭彦:別に
火臣恭彦:嫉妬しているわけではないのですが
火臣恭彦:絶対に無理です
火臣恭彦:パパは俺だけ見ててください
火臣恭彦:以上。もう返事しません
「妹さん。グラス、気をつけて」
妹さん――葉室王司は、焼肉パーティにはしゃいでいた。
鈴木家のメンバーで焼肉を囲っていると、まるで本当に「平凡で穏やかな家庭」って感じがする。
これも役作りの一環――ドラマの役になりきって即興劇をしているのだと思うと、この時間が有意義に思える。
それに、月刊シナリオには「役者が日常生活で心がけたいこと……日々の人間観察は当たり前!」と書いてあった。
注意して他人を見ていると、色々なことが見えてくる気がする。
例えば、羽山さんは胃のあたりをよく抑えているとか。
例えば、蒼井さんは俺を要注意人物だと思って腫れ物扱いしてるとか。
例えば、西園寺さんは配信を切り忘れてるとか。
例えば……葉室王司は……右目が見えてない……?
「トイレいってきます!」
トイレに行く彼女とすれ違うようにして、隣の個室の人たちが挨拶に来た。
「葉室王司ちゃんにも挨拶したかったんだけど、いないんですね」
よく見かける男が、今日もいる。
黙っていればいいのに、教えてしまう人がいる。
「王司ちゃんはお手洗いに行ってるんですよ」
「へえ。ここのトイレ、ちょっと場所がわかりにくいから大丈夫かな? 心配なので見てきますよ」
「え……」
女子のトイレに男が付き添い?
後から追いかけていって?
――思い出すのは、以前、震えていた彼女。腹を手で押さえていて、具合が悪いのかと思ったこと。
怯えていた。
何に?
……目の前の、「見てきますよ」と言った男に、怯えていた。
思うに――この男は、彼女を怯えさせるような何かをしたのではないだろうか。