40、君の派閥はわかっている
帰宅してから、熱が出た。
精神的なショックが原因だろう。
「悪魔が……悪魔がそこに……」
「王司。怖い夢でも見たの? 大丈夫、ここはママと王司の家で、悪魔なんていません」
「いるんだよぉ……」
気分はシューベルトの『魔王』だよ。
執事のセバスチャンは部屋の端っこで猫のミーコのトイレ掃除をしている。
トイレ掃除は大事だけど、悪魔。こいつ悪魔。
熱で怠い体を起こしてセバスチャンを指さすと、セバスチャンは心得た様子で恭しくお辞儀を披露した。
「アクマデ執事デス」
潤羽ママは「黒執事?」と首を傾げた。ママ、黒執事知ってるんだな。
「セバスチャン、いつも王司の遊びに付き合ってくれてありがとうね」
「ユアウェルカム」
「遊びじゃないよ、真剣だよ」
「ママ、それも知ってるわよ。これが俺たちのリアルだって言うんでしょ。もう」
それはログホライズンだよ、ママ。
真っ黒なシロエさんだよ。
抗議しようとしたところ、ママのスマホがコール音を奏でた。
「電話だわ。ママ、応対してくるわね。ちゃんと大人しく寝てるのよ、王司」
あー、ママ。行かないでぇ……。
2人になると、セバスチャンはのっそりと立ち上がり、腕組みをして偉そうに顎を上げた。
「仕方ありませんねお嬢様。ニンテンドースイッチを貸しましょう」
「借りなくても持ってる」
「か弱いんですから大人しくベッドでお過ごしください」
セバスチャンがニンテンドースイッチを持たせてくれた直後、ドアが開いて、潤羽ママがアリサちゃんを連れてきた。
「王司。アリサちゃんがお見舞いに来てくれたわよ」
アリサちゃんは「お兄ちゃんとお見舞いのゼリー作ったよ」とカラフルなゼリーを出してくれた。
なんて癒し効果だろう。
「アリサちゃん、ありがとう」
「猫ちゃんいる……」
猫のミーコは部屋の中を走り回っていた。
「私を怖がってるのかな? ごめんなさい」
「アリサちゃん大丈夫だよ。それ、トイレハイだから」
少し話をして、アリサちゃんは帰って行った。枕元にはさりげなく高槻大吾の新作ポエムが届けられていた。
『葉室王司様へ
僕は心配でポエムが思いつきません。
早く元気になってください。ヨッ。
高槻大吾より』
「みぃ」
ポエムに和んでいると、ミーコがぴょんっとベッドに乗ってくる。
ミーコはあちらこちらをノソノソと動き回った末に、私のおでこの上に腹を乗っけて座るという暴挙に出た。
「ミーコ、熱がある時はおでこは冷やさないといけないんだよ」
「みぃー」
猫様にはかなわない。
なでなでと毛並みを堪能しているうちに入眠して、目が覚めるとアリサちゃんからスマホにメッセージが届いていた。
高槻アリサ:宿題終わってなかったら写させてあげる
アイコンがプールで一緒に撮った写真になってることに気付いたので、私のアイコンも同じ写真に変えてみた。
葉室王司:たすかる
白猫が「たすかる」ってセリフ付きで拝んでるスタンプを送信して水分を補給して体温を測ると、熱はすっかり下がっていた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
新学期の始業式の日。
ニュースを見ると八町大気の自殺未遂が話題になっている。
「匿名希望の発見者が適切な処置をしたおかげで、奇跡的に一命を取り留めた」と伝えられていて、SNSでは「助けたのは火臣打犬らしい」と噂されていた。
火臣打犬のSNSアカウントは沈黙していた。メッセージも配信もない。
SNSでは「拘留された?」とか「事務所やスポンサーからSNS禁止されたのでは」とか囁かれている。
スマホの赤リンゴアプリは、消えずにアプリ一覧にあるが、触るのが怖いのでスルーしている。
右目は、見えないままだ。
ただ、あの「悪い夢」を信じるなら3か月で治るらしいので、ママには教えず、見える演技をして過ごすことにした。
「おはよう、葉室さん」
「おはよう!」
「王司ちゃん、CM可愛かった~!」
「ありがとう!」
「お兄ちゃんと一緒に踊ってるやつだ。あたしも見た~。チョコ買ったよ」
学校では、同級生が話しかけてくることが多くなった。
お昼休みはアリサちゃんのお友だちが合流してきたり、クラスの女子が混ざってきたりして、結構賑やかだ。
「このファッション誌に王司ちゃんが載ってるよ」
「かわいい~」
食堂は料理テーブルを挟んで左側の窓際席は企業の重役の家の子たち、右側の壁際の席は芸能系の家の子たちが座るので、私たちの定位置は右になった。
左側には二俣夜輝と円城寺誉を中心とするグループがいる。海賊部のメンバーが多い。
海賊部とは、料理を取りに行くときに、よく遭遇する。
特にカレーコーナーは、高確率で二俣とエンカウントするスポットだ。
「葉室。お前は今日も激辛か。CMでチョコを宣伝してたくせに」
「CMはお昼ごはんに関係なくないですか? チョコはポケットに入ってます」
「そんなアピールしても俺は釣られないぞ。お前は贈られ専だ」
「贈られ専はCMのキャラであって私ではないんですけど、二俣さんにチョコを贈るつもりがあるかと聞かれるとないですね」
席に戻ると、見たことのある子が緊張気味に近付いてきた。
さらさらの長い茶髪で、可愛いイルカのヘアピンが目に付く。
夏休みにも会ったカナミちゃんだ。「私は二俣様は右だと思うわ!」の子だ。
「あの……」
顔を真っ赤にして、もじもじとして、何か言おうとしている。
なんだかとても一生懸命だ。
どうしたの。
あの後、実はちょっと調べたよ。
BLの世界って右だと思うか左だと思うかでお友だち同士で戦争が勃発したりするんだよね?
君の派閥はわかっている。戦争は回避しよう。
「カナミちゃん。私も二俣さんは右だと思うよ」
「王司ちゃん、前はごめんなさい。反省してます。謝ります」
声が同時に発せられて、目と目が合う。
「何か謝ることあったっけ……」
色々なことがありすぎて、すぐに思いつかない。
……そういえば、王司を振ったとか言ってたんだっけ?
「えっ、なに? なんの話?」
「二俣様が右?」
「じゃあ左は誰ですか?」
「決まってるじゃなーい」
女子グループが話題に食いついてキャアキャアと騒ぎだす。
カナミちゃんは目をキラキラさせて「この前ね」と説明し出し、アリサちゃんも一緒になって「私はどっちかなーって悩んでたんだよ」とノリノリだ。
うん、うん。
楽しそうなのはいいけど、声を小さめにしようか?
二俣がすごい形相でこっちを睨んでる……あれ絶対、聞こえてるよ……。