4、祖父を演じる
王司のママは、40代前半のように見えた。
上品なキャリアウーマン風の外見で、黒髪が艶やか。
目鼻立ちははっきりしていて、気が強そうだ。黒縁の眼鏡も似合っている。
デキる女とかクールビューティって感じかな。
「おばあさまが危篤と連絡が入ったわ。病院に行くわよ」
ママはそう言って俺を車に押し込んだ。
おばあさまというのは、王司の祖母でママの母親のことらしい。
後部座席に座るママの左側に座ると、タブレットとチュッパチャプスを押し付けられた。ラムネ味だ。美味い。
タブレットの画面には、SNSユーザーに投稿された葉室王司の胸チラ性別カミングアウト動画が表示されていた。
「わぁ、……つ、通報ボタン押しときましょうねえ……」
身体の持ち主に悪いことをしてしまったな。
そういえば王司の魂ってどうなってるんだろう。
どこかにいる? 消えてる?
もしどこかで見てるなら謝るんだけど。
今んとこ、いないっぽい?
「王司?」
「あっ、はい」
「住所が思い出せなかったってSNSで見かけたわ?」
「あー、記憶障害みたいで。ス、ストレスによる一時的な症状かな……?」
ママが俺の手からタブレットを奪った。
視線は前に固定させていて、こちらを見ない。殺気立っていて、ちょっと怖い。
「ストレス、ねえ……」
「ストレス社会ですから」
実は俺、元の体では親がいなかったんだけど。
このママと王司って普段どんな感じで会話してたの?
「……SNSの動画はすべて削除させるわ。アップロードしたり拡散したユーザーは訴える。誹謗中傷もぜったいに許さない。見つけたらママにおっしゃい」
「あっ、はい」
普段、王司はママ相手にどうしゃべっていたんだろう?
……男として生きてきたのは、たぶんママが原因だよな?
思春期の娘だぞ。親は何を考えてるんだ?
「王司。こんなことしてまで女として生きたいなら、バカなことをする前におっしゃい。バカ」
この言い方、微妙だな。
親が男のふりさせてたのかな?
この親、支配的? 毒親だったりする?
とりあえず刺激しないように当たり障りない受け答えしておく?
「えっと、迂闊なことをやらかしたと反省しています、すみませんでした」
「王司。私も他人のことを言えないけど、まったく持って正気じゃないわ。いい? 何もなかったことにするから、あなたも忘れてしまいなさいね」
ママはため息をつき、左手を俺の肩にまわして自分の方へと抱き寄せた。爽やかな香りがする。アルマーニのアクア・ディ・ジオイア?
「ママ、変なこと質問してもいいですか?」
聞くは一時の恥、聞かぬはナントカだ。
わからないことはストレートに質問しよう。
「王司、あなた、本当に大丈夫? 記憶はどれくらい曖昧なの? 様子がいつもと違うけど……おばあさまに会ったあと、あなたも診てもらったほうがいいかしら」
「たぶん大丈夫だと思いますが、あまり自信はないです。でも医者に何ができるかという問題もあるような」
「とりあえず質問を聞こうかしら」
ママは冷静だ。
どちらかと言うと俺が冷静じゃない。落ち着こう。
俳優の仕事は、他人を表現すること、演じること。
俳優自身と役の人物は物の考え方が違うのが当たり前だ。
だから、俺たちは他人への好奇心と人間観察を大事にしている。
俺はママがどういう人間なのか知りたいし、王司のことも理解したい。
未知のなにかを理解するのは楽しい。わくわくする。
俺は演技が好きなんだ。
「ママ、なんで俺は男のフリをしてたんですか?」
「……それは、私を責めてるの?」
「いえ、そうではなく本当に忘れちゃったんです」
「わ、忘れた?」
おでこにママの左手があてられる。熱はないぞ。
「熱はないみたいだけど……カウンセリングは予約しておくわね」
心配してくれている。それに、罪悪感を感じさせる口ぶりだ。
娘への情はあるみたいだな。
「最初は私の若気の至り。と言うには酷いけれど……あなたの父に片思いしていたから、父親似の息子がほしかったのよ。当時、私の友達グループが『推しに近い親等の遺伝子をもらって推し似の息子を育てるのが勝ち組』なんてバカ言ってたものだから」
「えぐ……」
えぐい話が始まった。でも、芝居っぽい棒読み感がある。
まるで「本当の話じゃないけどこの事情を話すときに毎回同じ嘘を言っている」みたいな感じ。俳優の勘だけど、たぶん嘘だね。
そういえば思い出してきたが、週刊誌やSNSで話題になってたよな。
『スポンサー令嬢がイケメン俳優を襲い、妊娠。同意なしで勝手に出産し、赤ちゃんを抱いて認知を迫る』
大袈裟に悪く書かれるのが当たり前な社会だからどこまで真実かはわからないが、ぞっとするゴシップだった。
さて、あのゴシップは本当か、嘘なのか?
真実は探ってみないとわかんない。ゴシップなんて、でっちあげも多いから。
「息子と言い張っていたのを娘だと言い出しにくくなったの。父が家に帰ってこなくなって……淋しそうにしていた母に王司を見せたら『王司は若い頃の父に似ているわ。血筋ってふしぎね』と喜んだから……」
「そ、そんな理由で……」
記憶を探りながらスマホで葉室家について調べると、動画があった。
ママの父、王司のおじいちゃんは、Wikiにもページがある有名人だ。
ゲーム会社の取締役・代表執行役社長兼CEO、動画配信サービス会社の取締役社長CEO、大学の特別招聘教授。調べれば若い頃の動画も出てくる。発言の数々がまとめられていたりもする。
優秀な人だ。そして、そうじゃない人に厳しい。
「低所得者は税金を払っていないようなものだ」と言う。
「子供のお遊戯会なんてクソ」というような――いわゆる庶民を侮蔑するような、配慮に欠けた発言をしがち。
一方で、多様性を大切にすべきという意見も言っている。
そして、若かった頃の彼は実の母が悪質セールスマンに騙されて不要な買い物をさせられたことに立腹していた……。
おっと、結婚後の夫婦の動画もある。
新婚の時期は仲睦まじかったけど、あるとき豹変。
どうも評判が悪いエピソードは豹変したあと、歳を取ってから目立つようになった言動っぽい。急に人格が変わった様子、みたいな。
著名人はネットに情報が多い。
情報の断片を集めていくと、人物像が少しずつ浮き上がってくる。
何を望むか。何が嫌か。どういう嗜好の持ち主か。
単語のチョイスや話し方の癖は?
俺はプロファイリングが好きだ。
誰かを理解して、演技して「この人はこういう人だよ」と伝えるのは楽しい遊びだと思う。
検索している間にニュースの通知やSNSの通知がチラチラと目に入るが、俺が被害者疑惑を持たれていた「連続死亡事件」は有名人だけではなく一般人も被害者だと言われているようだった。
よくわからないが、何を基準に「こいつも被害者だ」と言うのだろう?
偶然ここ数日の間に死んだだけで、関連性なんてないのでは?
「王司。あのね、ママ、ずっと言おうと思っていたのよ。おばあさまが……私のお母様が……眠ったら。もう、男の子のふりをしなくてもいいって……あと少しだけ……最期だけ、男の子でいてくれるかしら……」
「……うん」
ママ、その表情と声は反則だ。
曇らないで。助けるから。
車に乗せられ病院へ着き、エレベーターに乗って病室のあるフロアに行く。
病室は広かった。
祖母が眠る病室に静かに足を踏み入れると、病床の祖母の顔はやつれていた。
俺にとっては初めて見る人物だ。ママが涙を浮かべ、呼びかけた。声と手が震えている。
祖母が目を開けるのが見えた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【王司の祖母視点】
王司の祖母は、最期に夢を見た。
愛し合って結婚し、子供が生まれた。
けれど夫は多忙で、自分は子育てに追われ、気づけば男女の愛情は薄れていたように思う。
それでも家族だ。
家族としての愛がある。そう思っていたけれど、夫は家庭から足を遠ざけていき、やがて帰ってこなくなった。
(ああ、夢を見ていたわ。きっと最後の夢)
長い道のりを歩いていて、気づくと大切な人がいない。
探しても呼んでも、もう戻らない。
それが寂しくて、悲しくて――そんな感情が長く自分を苛んで、疲れてしまった。
そんな夢だった。
目を開けると、視界はぼんやりとした光に包まれていた。
病室の冷たい空気が肌に感じられ、手足は氷のように冷たかった。
しかし、その冷たささえも次第に鈍くなる。楽になるのだ。
(もう苦しまなくてよくなるわね。私は、すべての痛みから解放されるんだわ。だから、怖くない)
声が聞こえる。
震える手が自分の手を握っているのがわかる。
顔を向けると、涙ぐんだ娘がいた。
(ああ、そういえば私はひとりではなかった)
夫はいなくなったが、娘がいる。いくつになっても愛しく、可愛い娘だ。
自分を想って泣いてくれる子だ。
その隣に、見慣れないけれど、どこか懐かしい顔があった。
孫だ。
けれど、その表情が。瞳が、顔をかたむける仕草が――なんて似ているのだろう。
「あ、なた……」
つい、そう呼んでしまった。
すると、彼は頷いた。本当に彼が「そうだよ」と肯定するように。
二人は幼馴染だった。
彼は学生時代から父親の事業を手伝っていて、会社を持っていて、こんな風に自信にあふれた俺様王子様みたいな顔をしていた。
懐かしい。時間が戻ったよう。
ここに、過去の彼がいるみたい。
唇が動いて、彼が何かを言ってくれる。
私の頬に手を置いて見下ろす表情が、本当にえらそう。
眉を寄せて片目を細める表情が、すごく彼らしい。
「おい。俺は忙しい身だから、遅くなって悪かったなんて謝らないぞ」
「……ふふっ……」
声は、自分の意識を現実に引き戻すように、温かく、力強かった。
えらそうなのに、焦っているみたいにちょっと必死だ。
彼はそんなところがある。ツンデレだ。プライドが高くて、素直じゃなくて、でも、私を想ってくれていた。
「俺に黙って……いなくなろうとするなよ」
いなくなったのは、あなたじゃない。
「……ずっと留守にしていてごめん、これからはできるだけそばにいる。だから許せ」
「……ふふふ」
どれだけ聞きたかった言葉だろう。
どれだけ待ち望んだだろう。
……こんなことをしてくれて、なんて優しいのだろう。
「王司。ごめんね、ばあばのために、そんなことさせて……ありがとう」
ああ、私は幸せ者じゃない?
娘と孫が、こんなにあたたかい。
こんなに優しい家族が自分のいない後も生きていくのだと思うと、胸がいっぱいになった。
「ありがとう、ふたりとも。あなたたちが、家族で……おばあちゃま、誇らしいわ」
痛みや苦しみが、薄れていく。
人生に意味があったと思って死ねる私は、恵まれているわね。
「おかあさま!」
必死に呼びかけてくる娘の手を握り返し、微笑んで目を閉じる。
あいしてる、と囁いた言葉がちゃんと届いて、手に涙が落とされた。
人生というショーに幕が下りる。享年、72歳。
それは穏やかで、優しく、幸福なショーだった。