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37、そこに江良はいません

 家に帰って自室に向かうと、和風メイドのミヨさんが慌てた顔をして引き留めてきた。


「お嬢様。おかえりなさいませ! ただいま廊下をカルガモの親子が進行中でございます! 少々お待ちください!」

「ミヨさんミヨさん、そんなこと言われたら逆に見てみたくなるよ」

 

 見に行くと、自室のドアの前で潤羽(うるは)ママが不審な動きを見せていた。

 ドアを3㎝ほど開けて、スマホで写真を撮っている。


「アアッ、いた。目が合ったわ。うそぉ、見てるぅ……待って。そのままよ。そう……」

「にゃー」

「なっ!? 鳴いたっ? うそ……私に喋ったの? なんて言ったの? 撮るわね……撮れたわ……」

    

 あー……。

 猫、可愛いよね。

 うんうん。邪魔しないでおこう。

 

 ミヨさんが「OKです」と言うまで居間でテレビを見ながら待っていると、お盆の里帰りや、お墓参り、旅行中の人が映っていた。歌舞伎作品をオンライン配信する配信歌舞伎企画のCMが流れたり、ニュースで八町の新作が話題に出たり。


『二俣グループは、自分を貫く』


 一途です、というキャッチフレーズがネットのおもちゃになっていたCMは、新しくなっていた。


「切られなかったのか、火臣……」 


 火臣打犬は騒動でいくつものCM契約を失っているはずだが、二俣グループは火臣を切らなかったらしい。

 画面の中の打犬が火の海から飛び出してきてバケツの水を被り、片手で前髪をかきあげる。カメラに向かって挑むような表情をしているのが無駄に絵になっている。

 「いや、お前は自分を貫くな」と言いたくなる。


 あれか。人の感情を正でも負でも動かしたら勝ち、みたいな戦略か。

 そう思うと感情が動かされた時点で負けたような気にもなってしまって、むかつくではないか。


 もし八町(やまち)の新作が映画化しても、あいつに江良で当て書きした役は絶対にさせないでほしい。

 これは八町へのファンレターに書こう。

 いたいけな少女からのお願いだよ、八町。

 そこだけ頼むよ、八町。

  

「あら王司。帰ってたのね」

「ただいま、ママ」

「おかえりなさい」

  

 ママは幸せそうな顔だった。

 お宝画像がいっぱい撮れたみたいだ。よかったね。

 

 自室に戻って本を読んでいると、猫のミーコが膝に乗ってくる。

 ゴロゴロと喉を鳴らして甘えてくるのが可愛い。

 八町の本と猫に癒されるひとときは、まるで死ぬ前に戻ったみたいな気分にしてくれた。とても和む時間だった。 


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

  

 番組の宣伝やCMの仕事で、慌ただしく日が流れていく。 

 

 ドラマ『鈴木家のお父さんは死にました!』は立派な話題作となり、私はドラマの番宣目的でモーニングショーやバラエティ番組に出演したり、CMの仕事をしたりする日々だ。

 

 現場では火臣(ひおみ)恭彦(きょうひこ)と一緒になることが多い。

 

 番宣だけでなく、CMでも兄妹役が多い。

 兄妹としての需要があるんだって。

 一人ではちょっと弱いけど、セットにすると価値が高くなる、みたいな。よくあることだ。

 

 SNSでは「ビジネス兄妹でプライベートでは最悪の仲」「いやいや、本当に仲がいいんだよ」と議論が交わされたりもしているらしい。それもまた、よくあることだ。

 

 「本当はどうなんだろう」という視線が寄せられたりする中、本日はCMのお仕事だ。


 商品は、何種類かフレーバーがある3センチ角の四角いチョコ。

 軽快な音楽に合わせて、兄妹が踊る。左右に並んで同じダンスを揃える2人は、明るくて楽しい印象を与えるはずだ。

 衣装のスカートがちょっと短めで、踊った時に不安になる。こういう感覚は、慣れが必要だな。

 

 ダンスを止めて、ポケットからチョコを出す。

 

「妹の推しチョコは、いちご味」

 

 妹がいちご味のチョコをカメラに向けて突き出す。

 ちょっと偉そうで、生意気な表情だ。ワガママお嬢様でお願いします、と言われている。

 

 兄は間髪入れずにセリフを続けてくれる。こっちは優しい保護者お兄さんキャラらしい。少し高めのトーンで、甘い感じの声だ。

 

「兄の推しチョコは、きなこもち。あーん」

「あーん」

  

 カメラ目線だったのが、隣に立つ相手に向かい合い。

 兄がきなこ味のチョコを妹の口に入れる。先に食べさせてもらってから、妹もいちご味を兄に食べさせる……と見せかけて、「あげなーい」と意地悪する。

 

 2人同時に笑顔で、カメラ目線でセリフを一言。先に妹、次に兄。


「ポケットにいつも楽しさを」

「ハッピーを贈ろう」

「妹は贈られ専です」

「俺はあげ専」


 妹はカメラを独占するように近づいて、最後にいちご味をパクリ。

 ぺろっと舌で唇を舐めて、「アガる!」とニッコリ。

 

「オーケーでーす」の声が出る。よかったらしい。


「恭彦お兄さん、すごくよかったです」

 

 恭彦は音楽があると上手い。

 そして、上手くできた時に、惜しみなく賛辞を贈ると喜ぶ。


「音楽がないと上手くできないんですけどね……」

「本番前に音ありで気持ちを作った後、切らさないようにするトレーニングをしてみるのはどうでしょう」

「やってみます。ありがとう」


 やる気があるのはいいことだ。結果が出るといいな。


「葉室さんは……初級のレッスンを受けていると聞きましたけど、演技についての造詣が深いですよね。全部、独学で学ばれたんですか?」

「そんなに造詣が深いわけではありません。知っていることは、独学ももちろんありますけど、人に教えてもらったことが大半です」

「へえ……誰に教わったとか、お尋ねしてもいいのでしょうか?」

「いろんな人です」


 恭彦は観察するような視線を向けてきた。あやしまれている?

 唇が動いて、言葉が発せられる。


「黒い髪……」

「黒い髪?」


 前髪をおさえると、ちょっと嬉しそうに言葉が続いた。


「ネイルがピンク」

「……このネイル、可愛いですよね」

 

 褒めているというよりは、目についた感想を思いつくままに口に出しているみたいだ。

 言葉を返すと、残念そうな顔をされた。ほしかったリアクションではなかったのだろう。

 リアクション――ふむ? 

 今私はリピテーションを仕掛けられているのだろうか?

 

 こっちから言ってみよう。

 

「残念がっている」


 恭彦を見て言うと、目が嬉しそうに細められた。

 

「残念がっている」


 こくりと首を縦にして同じ言葉を返してくる。


「マイズナー演技法のリピテーションですね、恭彦お兄さん? 日常生活で前振りなく仕掛けても、相手がついてきませんよ。変な人だと思われてしまいますよ」

「ちょっと試しにやってみたくなったので。すみません」


 リピテーション、あるいはレペテションと呼ばれる練習方法は、2人1組で相手を観察して、「目に見えるもの、自分が感じたこと、相手が思っていると自分が思ったこと」を口にしていく。

 そして、相手側は言われた言葉をリピートする。

 表現を自分の中から絞り出すのではなく、自分の外から原動力をもらうリアクションの練習だ。


 おお、我が弟子(勝手に思っているだけだけど)。


 メソッド演技法だけに依存せず、色々な演技法を学んで練習してるんだな。とてもいいと思う。共に演技の道を探求しようではないか。


 この山は頂上が見えないが、山登りは楽しいぞ。

 たくさんの人が同じ山を試行錯誤しながら登って、道を少しずつ作っていってるんだ。

 先人が作った道を登り、自分の後に続く後輩のために道を整備するんだ。


 恭彦、一緒にこの山を楽しもうではないか!


「葉室さん。暇なとき、付き合ってくれませんか?」

「おお……私でいいなら、はい」


 近くにいたスタッフさんが「プライベートで一緒に演技の練習したりしてるのね」と微笑ましそうにしている。

 ……プライベートといえば。

 

「恭彦お兄さん。そういえば、ずっとホテル暮らしって聞いてましたけど、大丈夫ですか?」


 そっと尋ねると、恭彦は微妙な顔をした。

 まさか実家に帰ってたり? 帰りたいと思ってたり?


「俺、プライベートの話より、演技の話がしたいです」

「あっ。はい」

 

 視線を逸らされちゃったよ。

 思わずSNSで火臣打犬が「息子が帰ってきた」と言ってないか確認したけど、そういった報告はされていなかった。

 

 その後、恭彦とはプライベートの話をしない、演技の話専門の交友関係になったが……大丈夫なんだろうか。


 

   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆



 仕事をしたり宿題をしているうちに、夏休みがそろそろ終わる時期になる。

 夏の終わりに、私は江良(えら)の墓参りに行くことにした。

 

 自分の墓参りをするというのは、変な気分だ。

 時間帯は、人の少ない早朝にした。お供はいつも通り、セバスチャンだ。


 墓については詳しくないが、事務所が建ててくれた墓は黒御影石で出来ていて、雰囲気がシャープで格好いい。

 

 早朝にもかかわらず、墓の前には1人だけ先客がいた。

 墓にもたれかかって、じっとしている……。


 なんとなく、『千の風になって』という歌を思い出した。

 そこに江良はいません……。


 

「……あれっ」



 近づいてみて、私は目を疑った。


「えっ……」


 その先客の傍らには睡眠薬の小瓶が転がっていて、先客は意識がなかった。


 そして、先客は知っている人物で……八町(やまち)大気(たいき)だったのだ。

  

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