36、高槻大吾は姫を喜ばせるために精進いたします
蝉の声が季節を彩る8月。
撮影の休みを縫って、高槻アリサちゃんの家に遊びに行った。
窓の外の風景が後ろへと流れていく。
車の窓を開けていると、蝶がひらりと入ってきた。綺麗なモンシロチョウだ。
車内を飛び回った蝶は、セバスチャンの赤い髪に留まった。
すると、車が急停車する。どした?
「お嬢様。蝶は外に出してクダサイ。アッポーポイントをあげます」
微妙に声が堅い。
「さては蝶が苦手なんだね、セバスチャン?」
「黙秘権デス」
「隠すようなことじゃなくない? 虫が苦手な人は多いよ。恥ずかしくないよ。ポイントとか言わなくても、困ってたら助けてあげるし」
蝶をつまんで外に出してあげると、本屋が見えた。
「うん、うん。そうだ。本屋に寄ってもいいかな? 八町の新作が発売したらしいから」
『これで断筆? 「映画化もしません」――八町大気、亡き友人に捧げる最後の一冊』
本の煽り文句が話題になってたんだ。
本自体も発売しないって言ってたらしいけど、無事発売してよかった。
ファンレター用にレターセットも買っていこう。
前の体ではファンの子がくれたような可愛いレターセットだ。
あの独特の「一生懸命、可愛いのを選びました」って感じがいいんだよ。シールも貼るか。
「お嬢様、お嬢様」
「ん?」
セバスチャンが肩を揺するので周りを見ると、上品な婦人って感じのシニアの奥様が握手を求めてくるではないか。ドラマを見て鈴木美咲が気に入ってくれたらしい。
「美咲ちゃん、いつも見てます」
「ありがとうございます」
応援してくれるの、嬉しいな。がんばろう。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
本屋での買い物を済ませてアリサちゃんの家に着くと、今まで直接会ったことがなかった高槻大吾が出てきた。年齢は21歳らしい。
白いシャツが似合う爽やかイケメンだ。背も高くて、肩幅が広い。
背中に板でも入っているかのように背筋が伸びていて、姿勢がいい。
「妹がいつもお世話になっています」
「いつも美味しいクッキーとポエムをありがとうございます」
「僕の気持ちです」
さすがにリアルで「ヨッ」とは言わないんだな。
通されたのは、和室だった。
生け花が綺麗だ。
「王司さんをイメージして生けました」
「えっ。大吾お兄さん、生け花も嗜まれるんですか」
「この赤い花は僕の心を魅了する王司さん。花言葉は『純粋で燃えるような愛』です」
「わ、わぁ……どうも……」
高槻大吾は、見栄を切ってくれた。
「ヨッ!」
「よ、よっ!」
「妹から王司さんが『ヨッ』がお気に入りだと聞いて嬉しく思っています」
「き、気に入っています」
サービス精神が旺盛な高槻大吾は、白い歯を見せて笑い、お手本みたいなお辞儀をして部屋を出て行った。
ポエムといい、女性を誤解させそうな人だ。
惚れさせてから「そんなつもりじゃなかったんです」とか言いそう。
いや、生け花は重いか?
一般的な女性の感じ方が知りたい。
帰ってから潤羽ママに聞いてみようかな?
アリサちゃんは「お兄ちゃん、王司ちゃんが遊びに来るから、朝からずっとテンション高くてうるさいの」と教えてくれた。
「歓迎してくれて嬉しいよ、アリサちゃん」
「大きいテレビの画面で録画観よう、王司ちゃん。ドッキリのやつ!」
「うん、うん」
ドッキリの録画を観ていると、仕掛けられる側は知らなかった舞台裏が見える。
「あれがSNSで話題の見守りおじさんかぁ。気付かなかったね、アリサちゃん」
「金魚の時に無視しちゃって、可哀想なことしちゃったね、王司ちゃん」
画面が変わる。
『ついに他局に乗り込みます。いくぞー!』
『おー!』
仕掛け人たちが楽しそうだ。
伊香瀬ノコも「来ちゃいましたー!」と言って加わってる。
しかも、円城寺善一も映ったじゃないか。
『この企画に乗じてばらしちゃいまーす、私、伊香瀬ノコは~、このスポンサー令息の円城寺善一さんとお付き合いしてま~す!』
『いいの!? 放送するよ!?』
『ABCで言うとZぐらいの深くてイくところまでイッちゃった仲でーす! 責任取ってくださーい!』
底抜けに明るく陽気な伊香瀬ノコが円城寺善一に絡みまくって、カメラの前でキスしたりしてる。これ、よくカットしないで放送したな……。
「王司ちゃん、キスしてるよ。わ~~、大人だね」
「うんうん、あんまり見ちゃいけない感じがするね、アリサちゃん。ここは飛ばそうか」
「え、見たい~」
アリサちゃんは爛れた大人の関係に興味津々だ。
そこに、高槻大吾が入ってきた。どういう意図があるのかはわからないが、袴を履いた和装に衣装チェンジしてるよ。ツッコんだら負けだな、きっと。
「オレンジジュースと洋菓子をお持ちしましたよ、お嬢さんたち」
「お兄ちゃん、カッコつけてる~」
「妹よ。兄は爪痕を残したい」
「お兄ちゃん、必死~」
この二人、ほんとに仲のいい兄妹だな。
微笑ましく見守っていると、爪痕を残したいらしき高槻大吾は、テーブルの上に置いていた八町大気の新作に目を留めた。
「王司さん、八町大気の作品がお好きなんですか」
「そうですね。全作読んでます。映画作品も全部観てます」
「ほう。ほう。それはそれは……実は僕もです。僕たちは趣味が合いますね」
「あ、はい」
アリサちゃんが顔を覆って「お兄ちゃん、なんか恥ずかしい」と笑っている。
今、私は友達のお兄ちゃんにアプローチされているのだろうか。友達が見ているだけに、微妙に気恥ずかしいものがあるのだが。
「王司さん、彼は『断筆する、映画化もしない』と宣言してます。ファンとしては残念ですよね。嘆いている人がいっぱいいますね」
「そうですね。もったいないなって思います。友達が死んだからって、断筆までしなくてもいいのに」
八町は繊細なんだ。
困った奴。死を悲しんでもらって、悪い気がしない自分も困ったものだ。
うん? これって誰かに似てるな?
つい最近……『自分がいなくなって悲しんでいるのが気持ちいい、みたいな』――あっ。あれかぁ……。
「王司さん。今、僕の存在を忘れて物思いにふけっていらっしゃるんですか?」
「ふぁっ」
気付くと、畳に膝をついた高槻大吾が下から覗き込むようにして私を注視していた。
「失礼しまひた」
びっくりして、ちょっと嚙んじゃったよ。
「気になさらずに。あなたの気を引けない僕がいけないのです。竹取物語でかぐや姫の心を求めた男たちのように、この高槻大吾は姫を喜ばせるために精進いたします」
お前はホストか。
絶対、遊び慣れてるだろ。
絶対、半分以上はふざけてる。
「お兄ちゃん。もうやめてぇ」
アリサちゃんが笑い転げている。
そうだよ、もうやめてー。
こっちは元年上のおじさんなんだぞー。口説いても無駄なんだぞー。
両手でバツマークを作ると、高槻大吾は「では、これくらいで」と言って壁際に引き下がってくれた。
「アリサちゃんのお兄ちゃん、直接会うと強烈だね」
「ごめんね、王司ちゃん。お兄ちゃん、張り切りすぎちゃったみたい」
アリサちゃんは黒髪おさげをくいくいと両手で引っ張り、ちょっともじもじしてから「あのね」と話を変えた。うん? なーに?
「アリサッ。がんばれ、がんばれ。超がんばれ。お兄ちゃん、勇気とパワーを送ってるぞー、はーーーっ」
「お兄ちゃん、黙って」
アリサちゃん、楽しそうではあるけど、このお兄ちゃんと毎日過ごすの疲れない?
「あのね、王司ちゃん。オーディション。私、出ようかなって思うんだぁ」
一瞬、何だっけ、と思ってしまった。
「私、役者になりたかったから、アイドルとかは興味なかったんだけど……1曲だけって言うし。王司ちゃんと1曲、お歌うたいたいなって。そういう軽い気持ちじゃ、ダメかな……? やっぱり、アイドルになりたくて仕方ない人が人生を賭けて挑戦したりするものだよね……」
頬を赤らめて言われて、何の話かがわかった。
「アイドル育成企画? アリサちゃん、応募するの?」
知らない子と1から関係を作るのもいいけど、アリサちゃんと一緒に頑張るのは楽しそうだ。
「わー、応援するよ! いい思い出になるよね!」
「うん! じゃあ、がんばる……!」
アリサちゃんはパァッと顔を輝かせ、この夏いちばんの笑顔を咲かせた。
「王司ちゃんと一緒にいちばんの思い出作れたら、嬉しいな」
「いちばん、にばんとか順位付けはよくわからないけど、がんばって何かに挑戦したら、それだけで最高の思い出になると思うよ」
がんばれ、アリサちゃん。
応援の気持ちを籠めてアリサちゃんの手を握ると、高槻大吾が「しまった。手を握り損ねてた」と呟いて近寄ってくる。
なんですか。
「お兄ちゃんも交ざりたい。三人で円陣組もう。えいえいおーって」
「アリサちゃんのお兄ちゃん、世渡り上手そうだね。自分の希望を全部ストレートに口に出しておねだりして叶えちゃいそう」
「もう。お兄ちゃん、あっち行って」
アリサちゃんは高槻大吾にプンプンと怒り、部屋から追い出してしまった。
高槻家って、複雑な家庭であれこれ言われてるけど、案外楽しそうかもしれない。
「アリサちゃん。次は私のお家に遊びにきてね。猫を飼い始めたんだ」
「猫、触りたい! 絶対に行くね」
次の約束をしつつ、おうち訪問タイムは幕を下ろしたのだった。