35、その感情はいけない
――【葉室王司】
今日は、所属事務所のスタープロモーションに行った。
マネージャーの佐藤さんがファッション雑誌を渡してくるので見てみると、撮影の合間に撮った写真が掲載されている。
ドラマの衣装であるブレザーの制服姿と、私服姿だ。
記者:夏休みの宿題は順調?
王司:まだ終わってないので、お友だちと一緒にがんばろうと思います!
「そんなインタビューあったかなぁ」
記憶を探っていると、佐藤さんはほうじ茶を出してくれた。
それに――ドアを開けて入ってきたのは、田川社長と……江良のマネージャーだった江戸河さんじゃないか!
ペットを入れるキャリーバッグを持っていて、バッグの中からは猫の鳴き声が聞こえた。
「みぃ~」
……ミーコ!
「みっ…………!」
お茶に伸ばしかけていた手を引っ込めて、つい立ち上がった。
「初めまして、葉室さん。江戸河です。先日はお見舞いをありがとうございました。猫に会いたがっているとお伺いしまして、お見舞いもくださったので……」
「ミーコ……!」
「へっ……!?」
思わず飛びつくようにしてキャリーバッグの前にしゃがみこむと、大人たちがびっくりしている。
キャリーバッグの中の猫、ミーコは、茶色い縞模様の可愛いメスだ。
まん丸の目でこっちを見ている。
鼻をふんふんと動かして、ひげを揺らして「みぃー!」と鳴く声は、まるで目の前にいるのが江良だとわかっているようだった。
まさか。まさか?
田川社長は「その猫、人見知りするって聞いてたけど」と不思議そうにしている。
「ファンコミュニティって猫の名前も知られてるのか。江良君がどこかでポロっと口にしたのかな?」
「あ、そうなんです。コミュニティで知りました」
江戸河さんが猫をバッグから出すと、猫のミーコは甘えるように体をすりすり擦りつけてきた。
「みぃ~~♪」
可愛い。久しぶりだ。
……もう怪しまれてもいい。
「ミーコ……!」
抱き上げると、ミーコは「嬉しくてたまらない」というようにゴロゴロと喉を鳴らして目を細めた。
「……」
鼻がつんとして、泣いてしまいそうになった。
動物って不思議だな。飼い主がわかるの……?
「その子、随分と葉室さんに懐いているんですね。実は、私にはあまり懐いてくれなくて……引っ越しの予定もあるので、もし葉室さんがよければ……」
「引き取っていいなら、ぜひ引き取ります! お願いします……!」
わぁ、わぁ。
またミーコと一緒に暮らせる……。
ふわふわの毛並みに顔を埋めると、猫特有の匂いがする。
あったかい。柔らかい。なんて癒されるんだろう。
もう火臣打犬とか、どうでもいいや。
ミーコを抱っこしながら癒されていると、大人たちは真面目な話を始めた。
「ドラマの評判がいいので、続きの話を撮る現場の関係者はみんな意気揚々としていて盛り上がってます」
佐藤さんが現場の雰囲気を伝えて、「今後はアイドル企画に参加して1曲出す予定です」とか「CMの仕事もオファーが来ました」とか話していた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
自宅にミーコをお迎えすると、潤羽ママは和風メイドのミヨさんの後ろに隠れるようにして、小さな猫に怯えた。
あっ……うそ? ママ、猫、苦手?
「王司っ……、ママね、猫ちゃんはダメなの。小さい動物って目を離したら死んじゃいそうで怖いのよ。走り回ったり、糞尿で家を汚したりするでしょうし……元のお家に返していらっしゃい!」
「世話は私がするから、お願い」
「そんなお願いされても、王司は家にいないことも多いでしょ?」
「うっ……」
思えば、江良も家にいる時間は短かった。
事務所に頼んで世話をしてもらったこともある。
……猫にとっては、いい飼い主じゃなかったな。
でも、今この腕の中にいて、懐いてくれている飼い猫を手放すなんて嫌だ。
やだやだやだ。絶対、やだ~~!
「奥様。私がお世話を手伝いますよ。猫ちゃん大好きなんです」
「ええ? そ、そう……? 私は関わらないわよ?」
「ええ、ええ。奥様とは遭遇しないようにしますので」
「猫って家を汚すんでしょう? 脱走したりするんでしょう……?」
メイドのミヨさんが説得してくれたおかげで、潤羽ママは数分後には「仕方ないわね」と言ってくれた。
ありがたい。ミヨさん、ありがとう……!
猫を連れて部屋に行くと、セバスチャンは「買ってキマシタ」と言って猫用のトイレセットとトイレ用の砂の袋を置いてくれた。さりげなく仕事してくれるセバスチャン、有能。
好物の猫缶とチュールもあるよ。
「寂しい思いさせてごめんな」
「みぃ」
ベッドに座って猫とごろごろしていると、スマホの通知が目に入った。
インスタのDM?
……火臣恭彦じゃないか。
どした?
火臣恭彦:すみません。葉室さんにご意見を伺いたいことがあります
葉室王司:どうしましたか、恭彦お兄さん?
火臣恭彦:こちらです
DMで共有されたのは、火臣打犬のSNSアカウントだった。
文字でメッセージを呟いたり、配信したりして毎日ネットのお祭り会場になっているアカウントだ。
恭彦にとっては、嫌いで仕方ない父親のアカウント。
さぞ不快であろう。ブロックするといいよ、こういうの。
火臣恭彦:俺、このアカウントを見て快感を覚えてしまう自分に気付いたんです
……!?
「んっ?」
メッセージを読み返したが、読み間違いではないようだ。
どういうこと? 恭彦?
火臣恭彦:おやじが俺がいなくて寂しがってたり泣いてたり、俺の演技を見て喜んでるのを見ると、なんか嬉しいっていうか、変な気分になってきて……なんていうか……「おやじ、ざまぁ」みたいな感じなのかなと思うんですけど
火臣恭彦:鈴木家のお父さんみたいな心理でしょうか? 自分がいなくなって悲しんでいるのが気持ちいい、みたいな? 連絡をスルーされて悲しんでいるのを見て、気づいたら自分、ニヤニヤしてて……
火臣恭彦:俺、もしかしたらおやじのこと
「……恭彦ーーー!! その感情はいけない!!」
思わず声が出てしまって、猫のミーコがびっくりして逃げていく。あぅ、ごめんよ。
葉室王司:恭彦お兄さん、そっちに行ってはいけません
葉室王司:お父さんのアカウントはブロックしましょう
葉室王司:存在を忘れましょう
葉室王司:見ない方がいいです
葉室王司:そんなことより、演技の話をしましょう! 演技の方が楽しいです! 絶対です!
心臓がバクバクと騒いでいる。
これはもしや「血は争えない」とか「親が親なら子も」というやつだったりする?
考えてみると、あの血はこの体にも流れているわけで……。怖っ。
火臣恭彦:そうですよね。俺も、演技は楽しいって最近思えてきました。葉室さんのおかげです。ありがとう
恭彦は演技への意欲を見せてくれたが、「おやじのアカウントはもう見ません」とは言わなかった。
……青年の前途が心配である。