32、いい子、いい子です
――【葉室王司視点】
帰宅後、アリサちゃんと通話しながら関連動画を漁った。
途中でママが帰ってきて、「配信を観たわよ!」と事情を説明させられた。
事務所からも電話がかかってきて、ママはあれこれと話していた。ごめんね。打犬が許せなかったんだ。
「王司ちゃん。すごいよ、ネットの人たち。火臣恭彦さんの小さい頃の動画とかアップされてる……これと、これと、これ」
「わあ、本当だ」
最初にアリサちゃんがシェアしてくれたのは、フィギュアスケートの動画だ。
「この動画に映ってるのは火臣恭彦だ」と投稿主が主張している子供は、小さいのに、音楽に合わせて表現豊かに滑ってる。
おっと、トラブルで曲が止まった?
あ。動揺して滑るのをやめちゃった。もったいない。うまかったのに。
二つ目の動画は、運動会?
盛り上がる曲のメドレーが流れる中、リレー選手が走ってる。
アップロードした人が「火臣恭彦はこの子」とコメントしてる子がバトンを受け取った。
足が速い。表情も楽しそうだ。おや、曲の変わり目に一瞬調子を崩したかな?
……立て直したな。
三つ目は、デッサン教室か。
撮影者が自分のデッサン風景を撮ってるみたいだ。
右隣に座っている生徒が音楽を流していることについて、テロップで「右の奴のせいで集中力が削がれるけど文句が言えない小心者の俺」と解説が出ている。
テロップは新しく変わり、「前に座ってるのが火臣恭彦」と出た。
後ろ姿とキャンバスしか見えないけど、小学生くらい?
迷わず大胆に手を動かしている。集中しているのがわかる。
でも、撮影者の右隣に座っている生徒が書き終えて部屋を出ていくと、それで集中力が切れたのか手を止めてしまった。
「ふむ……」
火臣打犬の手記を思い出す。
『音楽が異常に好きなので才能があるかと思って習わせたら、自分で弾くのはできないらしい』……。
「なんか、わかった気がする」
河川や海の石をひっくり返してみると、思いがけない生き物がひっついていたり隠れていることがある。
今日はまさにそんな一日だった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
日が変わり、朝。
「撮影に行くのね、王司」
家を出る時、潤羽ママは虫よけスプレーを変態よけスプレーと称して吹きかけ、ちいさくて可哀想カワイイゆるキャラの防犯ブザーをくれた。
玄関でひしっと抱きしめて「無事で帰ってくるのよ」と呟く声を聴いていると、まるで戦場に行くような気分になる。
大丈夫だよ。変態お父さんが執心しているのは死んだ江良と息子の恭彦だから。
外の空気は蒸していた。
隠し事なんてさせないぞって感じに太陽が照り付けている。
車を運転するのは執事のセバスチャンだが、おじいさまが手配した警護の車が後ろを付いてくる。
警護だと説明されているはずなのに、セバスチャンは2分置きに「撒きマスカ?」「カーチェイス?」と聞いてくる。全部ノーでお願いします。
SNSは変態の話題だけでなく、神棚に江良を祀った報告のが流行り出していた。なぜ?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
スタジオに行くと、今日はカメラが少なかった。
火臣恭彦は休まずに来ていて、6冊のノートと台本を抱えている。
スタイリストさんに金髪の毛先を整えてもらう彼に、加地監督は猫撫で声で話しかけていた。
「恭彦君。大変な時に休まないで来てくれて助かるよ。もうね、君が来てくれて嬉しい。よかった。心配してた。ところで、お父さんも君を気にしていてね……」
「親父が死ぬとは思わなかった。元気そうだったのにな」
「それは鈴木翔太のセリフだね、恭彦君? お父さんね、見学に来たいと言ってるんだけどね」
「親父、そんなに未練があんのかよ。成仏しろよ。塩撒いてやるよ」
「それもセリフだね、恭彦君? セリフばっちり覚えてて偉いな……まあ、見学は断っておくよ。帰りに迎えに来たいって言ってるけど」
「親子は他人だし、子供にだって人権があんだよ」
「うん。セリフを本当によく覚えてるなー。感情も籠っていていい感じだよ……」
「ありがとうございます。父は出禁でお願いします」
監督が諦めて離れていくのと入れ違いで、西園寺麗華が入ってくる。
「朝一番で推し活グッズポチってきちゃった。おはようございまーす! あっ。恭彦君。ノート増えてる~~! 見てもいいの?」
挨拶の声が明るくて、室内の照明が明るさを増したみたいに感じた。
微妙に緊張した雰囲気だったので、助かる。
えっ、というか、麗華お姉さん、増えたノート見せてもらってる。いいな。見たいな。
「私もいいですか?」
そーっと寄っていくと、火臣恭彦は視線を動かしてこちらを見た。
どちらかというと冷たい眼差しに見える。
「葉室さんには見せたくありません。見た内容をネットで広められそうで……」
「あっ、はい。もうしません」
すっかり信用がなくなってしまった。
ごめんよ。恨むなら江良を祀った打犬を恨んでほしい。
それはそれとして、ちょっと試したいことがある。
「麗華お姉さん、恭彦お兄さん。パペット劇場がすごくバズっているんです。すみませんが、もしよかったら『即興劇を楽しんでくれてありがとう』ってひとり一言ずつお礼を言うショート動画を撮ってもいいですか?」
西園寺麗華は「知ってるわ。こっちにも好評の声がきてて、『第二弾を撮らない?』って提案するつもりだったのよ」とニコニコしてパペット人形を出してくれた。
火臣恭彦は、麗華お姉さんに対しては好感度の下がる要因がない。なので、お姉さんが「やりましょう」と言えば断らなかった。
「葉室さん。今回はBGMを入れないんですか?」
「BGMなしで撮って、編集で合成しようかと考えてますが、一回撮ってみて必要そうでしたら流しますね」
これはテストだ。
パペットを持ってカメラの前で揺らし、一言つけたしてみた。
「恭彦お兄さん……私、『上手に演じてほしいなんて、求めていません』から、大丈夫ですよ」
さあ、撮影スタート。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
カエル先生がぴょこぴょこ上下に揺れて、快活な声をあげる。
「わっはっは。ウサギのキッズども、ワイのおかげで動画がバズったぞい。西園寺麗華は声優の仕事もしたいぞい」
メタな営業トークを言うカエル先生に「彼女らしい」と思いながら、黒うさぎを揺らす。
「おにいちゃぁん。アリガトウって言うはずが、先生が変なことを言い出したよ。サイオンジレイカとかセイユウってなあに~?」
1秒。2秒。3秒。
「……」
横目で見ると、火臣恭彦は口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返して何も言えなくなっていた。調子が悪そうだ。
「カットぉ」
「ごめんね。お姉さん調子に乗って一言で終わらなくしちゃったわ」
西園寺麗華が笑って、火臣恭彦が「すみません。なんか何を言ったらいいか考えこんじゃって」と謝罪している。うん、うん。
「次は、BGMを流しながらやります。麗華お姉さん、どんどん調子に乗っちゃって大丈夫です。一言で終わらなくても、最後にお礼を言ってしめられればいいかなって感じで、気楽に遊びましょう」
「そうね。楽しみましょう!」
BGMを流すと、白うさぎのお兄さんは前回同様の完成度で、打ち合わせなしの即興劇についてきた。
うん、うん。思った通りだ。
「恭彦お兄さん。私、あなたの才能というか、特質みたいなものを見つけました。二つあります」
「は……い?」
火臣恭彦は、怪訝そうな顔だ。自覚がないもんな。
君は私のことを信用できないと思ってしまったかもしれないが――
「ひとつめ。あなたは、お父さんや監督が火臣恭彦に下手な演技を期待しているのを敏感に感じ取って、おそらく無自覚に……わざと下手に演じるようになってしまっています」
「!?」
江良が思うに、この子は才能がある。
父親の教育のせいで下地があるのはもちろん、それ以上にお客さんを喜ばせる意識が根っこの部分にあると思う。
周りの大人が自分に何を求めているのか、自分の役回りは何か……彼は、それを理解している。
そして、せっかく練習したのに練習の成果を発揮することに自分でブレーキをかけてしまう。
それが、マッチを擦る寸前で水をかけられたみたいな違和感の正体だ。
「お、俺がわざと下手に演じたなんて、言いがかりです。そりゃ、出来のいい葉室さんから見ると俺は手を抜いてると思えるほど下手かもしれませんが、俺は俺なりにうまくやろうと……」
ああ、また嫌われてしまうな。しかし、聞いてほしい。
「ですから、恭彦お兄さん。無自覚なんですよ。身体が勝手に、ってやつです」
――打犬よりも江良の方が、絶対に君のためになる。
俺には……私には、その自信がある。
「ふたつめ。あなたは、集中力があり、音楽的感受性が高く、音楽の気分誘導効果を異常に大きく受けられる才能の持ち主です」
魚が水の中で活き活きと泳ぎ、陸の上で苦しむように、目の前の青年は音楽の有無に大きく影響を受けるのだ。面白い奴め。
「お兄さんは、大人たちに求められるままド下手枠で笑い者になりたいのでしょうか? 違うからノートを何冊も書いて、少しでも上手く演じようと努力しているのではないでしょうか?」
努力は報われるといい。
頑張った時、頑張っただけの成長を感じると、楽しくなる。
『江良君』
『あの人たちはね、プロなんだ。プロってわかる?』
――わかるよ、八町。
「恭彦お兄さん。たくさんの人が協力して、ひとつの作品を作っているのが、今です。私たちは、作品をよいものにしたいと思ってジタバタと試行錯誤する仲間ですね」
手を差し出して、目を見つめた。
前世で、子供の頃。
施設の暗がりで本を抱えていた江良に、八町がそうしてくれたように。
「私は、恭彦お兄さんが演じられる最高の鈴木翔太を演じてほしいです。あなたの努力の成果を作品に反映してほしいです。そして、お客さんを作品世界に没入させて心を奪ってほしいです。自分の仕事を誇って、演技って楽しいって思ってほしいんです」
火臣恭彦は手を取ってくれた。
いい子だ。なでなでしてあげよう。
「いい子、いい子です。お兄さん」
金髪はさらさらしていて、なかなか触り心地がよかった。