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31、すまない。うちの子が一番可愛い

 時は少し戻り、葉室(はむろ)王司(おうじ)が火臣家に乗り込む直前。


『葉室王司公式チャンネル ……配信開始0分前』

 

 43歳の火臣(ひおみ)打犬(だけん)が娘の配信通知を受信したのは、馴染みの寿司屋にいる時だった。

 二階建てで、木製の階段を登り、靴を脱いで畳の和室でいただく寿司は打犬の好物だ。

 蟹汁と茶碗蒸しが特に美味い。ガリもいい。

 

 料理もいいが、この空間の雰囲気がいい。ここにいる自分に恍惚となる。

 静謐で、侘び寂びを感じる個室で過ごす時間は、いいものだ。

 若い頃は賑やかな場所で仲間と騒ぐのを好んでいたが、歳を取るにつれ、こういう渋い自分もいいものだと思えるようになってきた。サイレント・ダンディ・自己愛だ。実に快感である。

 

 もっとも、今は、実家に帰っている妻と電話をしているが。


「君がいなくて寂しくて死んでしまいそうだ。どうか俺を捨てないでほしい。何度浮気しても最終的に俺が帰る場所は君の腕の中だけだよ」


 憐れみを請うのは得意だ。トラブルの際はこれに尽きる。俺にプライドはない。いつでも土下座して泣ける。


「あなたったらまたそんな薄っぺらいことを言って。一回でも浮気したら終わりよ、終わり。許されようとするんじゃありませんっ。ドラマの撮影が終わったら恭彦を迎えに行きますからね。可哀想に」

「やだ」

「やだ、じゃありません! 次に会ったら全力でビンタするわ!」

「本当に? そろそろ君のビンタが恋しいと思ってたんだ。楽しみだよ」

   

 葉室みやびとの過去が暴露され、妻は実家に帰っているが、夫婦の絆は壊れない。自分は托卵したくせに、妻は「自分には罪が一つもない」という言動だが、いいんだ。許すよ。

 『雨降って地固まる』という言葉があるように、危機を乗り越えられるのが自分たちだ。

 息子もいることだし、この試練を乗り越えれば、火臣ファミリーはさらに完璧な絆で結ばれることだろう。

 

 おお、美しき我が家――映画化するか。特別に江良(えら)を登場させてもいい。友人役にしよう。

 江良、仕事帰りにうちで飲んでいけよ、今夜は布団を並べ、朝まで演技について熱く語り合おう。

 風呂も沸かしてあるんだ。一緒に入るか、江良。

 背中を流してやってもいい。光栄に思え、江良。

 俺様が背中を洗ってやるのは、ライバルと認めたお前だけだ……。


「……おや」

  

 気付くと電話は切れていた。まあ、いいか。

 それよりも娘の配信通知だ。

 新鮮なサーモンをいただきながら娘を見よう。

 娘は可愛い。

 一度も会ったことも話したこともないが、毎日動画を見ているうちに、父親心が湧いてきた。

 

228:名無しのファン 

頑張ってる王司ちゃんのシリーズ見てるけど段々パパな気分になってきた

俺が産んだのかもしれん


 以前、軽い気持ちで掲示板に書き込んだのだが、あれは本気だ。

 葉室王司ちゃん、実は俺が産んだのかもしれん。

 産んだ気がしてきた。ヒッヒッフーだ。

 

 王司ちゃん、今産みのパパが配信見るからね。投げ銭は5万円でいいか?

 

 スマホで配信画面を開くと、離れて暮らしている娘が息子と一緒に我が家にいた。


「なん……だと……」

 

 こんなところで寿司を食っている場合ではないのでは?

 打犬は醤油皿をひっくり返し、スーツを汚した。


『荷物はお父様のお部屋に運ぶ約束でしたね!』

「……ッ!?」


 子供たちがパパにサプライズプレゼントだと……っ!?

 しかも、ネット配信だ。

 全世界が子供たちの【ドッキリ♡パパ大好き♡プレゼント企画♡】を見ているというのか……!


「これはなんだ? 夢か?」


 手が今まで見たことがないくらい震えて、箸が持てない。

 配信画面の中に、自分にとってひたすら都合のいい奇跡のような光景が広がっているのだ。

 録画だ。録画しよう。永久保存だ。

 

 『恭彦お兄さん。子供が親がいない時に親の部屋にこっそり入るのって、割とありそうに思うんですけど』

 

 可愛い声に、思わず手で口元を覆った。

 

 ……いいぞ……? 

 入れ? 許すぞ?

 パパのパンツをヤフオクで売ってお小遣いを稼いでも許す。

 夜にベッドに入って来てもパパは歓迎だよ。子守唄歌ってあげるよ。


 震える手で、コメントを送る。届け、愛のメッセージ。

 

:いいぞ暴走王司ちゃん

:王司ちゃんパパの部屋荒らそうよ  

 

『勝手に部屋に入るのは無理なんで、部屋の外に置いてください』

 

 恭彦には愛のメッセージが届いていない。 

 パパはウェルカムなんだ。わかれ。

 パペットってなんだ? あとで見よう。

 勝手に仕事を受けるなよ。お前の仕事はパパが選ぶんだぞ。


 固唾を飲んで見守っているうちに、少しずつ手の震えが収まってきた。

 

「ふーっ」

 

 世の中の同志パパたちよ。

 すまない。うちの子が一番可愛い。

 しかもうちの子、2人もいる。いたずらっ子たちで、パパの部屋を探検中だ。

 すまない。俺はパパ族最強だ。一番幸せなパパだ。

 世界一だ。いや、たった今、宇宙制覇した。俺は宇宙一だ。


「めでたい。食うか」

 

 醤油皿に醤油を注ぎ直し、いくらをいただく。

 ポロリと落ちた粒をちまちまと箸で拾う。

 俺は一粒も無駄にしない。全てのいくらを愛すよ。

 醤油まみれの一粒よ、ありがとう。好きだ。君は最高だ。

 

「あっ――」

 

 いくらに浮気している間に、配信画面でシークレット本棚の江良ファンブック(自作)と息子のMyベスト可愛いコレクション(自作)が暴かれている。あれは純情な恭彦には刺激が強い。いけない。

 

「あの執事、なぜ見つけられたんだ? 隠していたのに」

 

 前もって打ち合わせをしていたのか? 実は前から恭彦が俺の部屋に忍び込んで見つけていたとか?

 ということは、俺の性癖拗らせを知りながら、恭彦は今まで嫌がらずに父親として崇め奉ってくれていたのか?


「そうか。恭彦……さすがに息子の泣き顔フェチズムはドン引きされる性癖かと思っていたが、お前はこんな俺も受け入れてくれていたのか……」


 酒が美味い。

 今日という日は、人生で最高の一日かもしれない。

 気付けば目から熱い涙が垂れていた。

  

「俺のソウルフレンド、永遠のライバル江良よ。見ているか。お前の神棚もネットの民に見せつけてやったぞ。俺たちの友情に、乾杯……!」


 酔いしれていると、妻が電話をかけてきた。

 いいタイミングだ。この全米が泣いた出来事について語り合いたい。


「サチコ! 聞いてくれ。今、俺の子供たちが……」

「見たわよ配信! SNSでも大炎上ね。なにやってるのよ!」


 妻は感情が昂りすぎていたらしい。

 聞き取り不可能なほど音割れする叫びを放ち、電話を一方的に切ってしまった。

 芸能事務所や知人からも、電話やメッセージ通知がどんどん寄せられている。

 

 SNSを見ると、予想通りトレンドは「火臣(ひおみ)打犬(だけん)」で独占されていた。

 関連ワードは「ド変態」「事案」「虐待」「逮捕」「江良」と並んでいる。なるほど。

 

 日本で今現在、最も熱く燃え上がっている男は、自分で間違いないだろう。

 今年の夏の主役になったと言っても過言ではない。


火臣打犬:息子が可愛いのは当たり前だろう

火臣打犬:俺は人間を全般的に愛している

火臣打犬:人間は男も女も好きだし、植物も動物も好きだ

火臣打犬:俺は温泉に浮かんでいるカメムシですら愛しく思える

火臣打犬:ゴキブリの死でも涙を流せる

火臣打犬:もちろん一番愛しているのは自分という存在だ


「ふん……息子が受け入れてくれたので、その他大勢の白い目など気にならないが……」


火臣打犬:俺の演技を愛する者は俺の全てをまるごと愛せよ。産地直送で栄養が大腸まで届くから。


 SNSで自分語りおじさんをしていると、個室の入り口の引き戸が開いて警察がやってきた。

 

「通報が相次いでいまして……ご同行の上、お話をお伺いできますか?」

「構わないぞ。俺は協力的で善良な都民だ。話だけでいいのか? カツ丼食うか? 今、寿司を食っていたのだが」

 

 恥じるようなことはない。

 自分は自分の信念に基づき、その一瞬一瞬、「これがいい」と思ったことをしてきただけなのだ。


 しばらくリアル自分語りおじさんをしていると、芸能事務所の担当がやってきた。

 

「喋り疲れてきたところだったんだ。あとは任せたぞ」


 息子がひとりで家で待ってるんだ。

 警察と一緒にパペット劇場も見たが、最高だった。鼻血が出てネクタイを汚してしまった。


 朝帰りするつもりだったが、配信がとても()かったから土産を買って帰ろう。

 寿司がいいか? ドーナツか? ケーキ? 指輪?


 いそいそと土産を抱えて家に帰ると、凄まじい数のマスコミがいた。


「火臣さん! そのスーツの血痕はどうしたんですか?」

「火臣さん、警察とどんなお話をしていたんですか?」


 教えてやろう。気高く、誇り高く。

 

「……パペット劇場が素晴らしくて興奮して鼻血を出していました。刑事さんも褒めてくれました。うちの子は最高の子だと思います。江良に自慢したい」

  

 俺は「思い出し鼻血」が出せる。

 鼻血を出して見せると、大量のフラッシュが焚かれた。


「変態……と呼ばれている件について、どう思われますか? 自己弁護などは……」

「俺が変態キングです。先ほど宇宙一になったと自負しています。それでは!」

    

 愛想よく手を振って家に入ると、息子はいなくなっていた。

 

『家出します。探さないでください。おやじ、キモい。二度と顔も見たくない。――恭彦』  


「……恭彦ーーーーーーーーーーっ!?」


 

 その夜、火臣打犬は寿司とドーナツとケーキと指輪をひとつひとつカメラに披露しながら「俺が悪かった。帰ってきてほしい。この映像を見たら帰ってきてくれ」と泣きじゃくるパフォーマンスを見せた。

 

 その動画はSNSで盛大に話題になったが、息子は何日経っても帰ってこなかった。

 アンチはこの父親を嬉々として見守り、「ざまぁみろ!」「もっと不幸になってほしい」とコメントするのを生きがいに日々を過ごした。

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[良い点] どうしようもないクズ親父だけど、役者としては本物で なかなか愉快なところが憎めない
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