3、なぜ死んだのか
俳優に限った話ではないが、何かを創り出したり表現する仕事にはインプットとアウトプットが大切と言われている。「読む。観る。聴く。体験する」――それがインプットだ。
ここ数年の俺は、微妙な年頃だった。
アラフォーの年齢になり、5チャンネルや好き嫌い.comといった匿名系の呟き場所で「劣化した」「老いた」「しょぼくなった」と叩かれることが多くなっていた。恋愛ドラマや映画に出演すると「おじさんじゃん」と言われたりもした。
彼氏から旦那へ。旦那から父親へ。
年齢と共にオファーされる役が変わるのは、役者の宿命だ。
できなかった役ができるようになるとはいえ、それまで演じていた役ができなくなる寂しさや喪失感は、間違いなくあった。
「国民の弟」「国民の初恋」「国民の彼氏」「国民の兄」と呼び声が変わっていく。
「次は国民の父を目指しましょう」とマネージャーに言われて、複雑な心境にもなったものだ。
折り合いをうまくつけて生きていくしかない。
……そう思ってはいても、歳を取ったと言われるのが嫌になったのは何歳ぐらいからだっただろうか?
感性をアップデートする。SNSにアンテナを張り、チューニングする。
「わかる」と言えるようにする――そんな必要性を説く年上に、共感を覚えるようになった。
「俺、わかるぞ。憑依モノだ。俺は葉室王司に憑依しているんだ」
椅子。デスク。ベッド。キャビネット。ノートパソコン。
生活するために必要なものだけ――王司の部屋は、そんな印象だった。
デスク上に置かれた丸い鏡で顔をよく見てみると、中性的な美形だ。
肌はきれいだし、可愛いと思う。メイクさせたり、髪飾りをつけたり、おしゃれさせてみたくなる。きっとアイドル顔負けの可愛さだろう。ダイヤの原石だ。
鏡のフレームにはアライグマの付箋がついていて、「Don't wish.」と書いてあった。なんだそりゃ。
スマホの日付は、自分が死んだ日から3日後だ。何があったんだろう、とSNSやネットニュースを見ていると、ドキリとするトレンドニュースが目に付いた。
『国民的俳優、江良九足、突然の死!』
「……!」
江良九足は、俺だ。
「俺は、……死んだ?」
呟いた瞬間、脳裏に死ぬ直前の記憶が鮮やかによみがえった。
思い出した。
「俺は、殺されたんだ」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
可哀想な女を助けようとした。
その女に体の関係を迫られた。
断ったが、その女のセフレに刺された。思い出したのは、そんな顛末だ。
もっと詳しく言うなら――
俺は女好きだ。
性欲とはちょっと違う。曇ってる子に強烈に心惹かれて、助けてあげたくなるんだ。
見返りはいらない。可哀想な子を助けるのが快感なんだよ。
男でも助けるが、女だとモチベが違う。
性差別と言われるかもしれないが、性癖なんだ。
相手が不憫であればあるほど興奮する。一種の変態だと自覚している。
そんな変態な俺は、歌手の伊香瀬ノコを助けたくなった。
伊香瀬ノコは、26歳。
黒髪ストレートがよく似合う都会的な美女で、人気歌手だ。
作曲家が恋人であることを隠さず堂々と惚気ていて、「憧れるカップル」として人気があったが、破局した。
そして、傷心の彼女は酒や薬、セックスに溺れた。
強引にテンションを上げ、底抜けに明るいラリッた笑顔で歌う彼女は、魅力的だった。
楽しそうな笑顔と声が虚勢なのが、丸わかり。無理して明るく振る舞う、壊れた歌姫。
それが、泣いたり落ち込んだりされるよりも心を揺さぶった。
時間が傷を癒すだろう、立ち直ってくれ、とファンも芸能関係者も見守っていた。
けれど、3か月、6か月、1年と時間が経っても、彼女は悪くなる一方だった。
歌詞は間違え、ダンスもボロボロ。
しまいには、笑顔なのに目から涙が垂れている。
誰か止めろ、そんな姿を映すな、という声がSNSにあふれた。
けれど、その姿は強烈で、見る人の感情を刺激した。心を打った。
人々は彼女に注目し続けた。
クソったれなことに、「需要があるから」と商業主義の業界関係者は出演オファーを出し続け、新曲をリリースさせ、彼女を休ませなかった。
その歌唱力は研ぎ澄まされていき、哀愁と不自然な陽気をあわせ持つ歌声は、聞く者の涙を誘った。
しかし……彼女が麻薬に手を出したという噂や、何人ものセフレと乱交しているという噂を聞くようになり、危機感は高まっていく。
――このままじゃ、最悪の事態になる。
俺は性癖をいたく刺激され、文春砲を警戒しながら彼女を助けるための行動を開始した。
彼女と仕事で一緒になったときにLINEの連絡先を交換することに成功し、彼女を救いたいと思いメッセージを送った。
彼女は「自宅で話そ♪」「文字、わかんなーい」とラリッた感じのメッセージを返してきた。通話してみるが、出ない。
伊香瀬ノコ:自宅で話そ♪
伊香瀬ノコ:待ってる
伊香瀬ノコ:ずっと待ってる
雰囲気がこえーよ。
俺は慎重に変装して彼女の自宅を訪ねた。
玄関のドアを開けた彼女は、俺を中に引っ張り込み、脱いだ。
「せっかく来たんだから、抱いて! あのね、楽しくなる薬があるの。わたしのことが好きじゃなくてもへいきよ。好きな人だと思ってエッチできるから! リアルな幻覚でね。本物の彼みたいに思わせてくれるの」
「俺はそういうことをしにきたわけじゃないんだ」
ラリっている推しを見て、俺は悲しくなった。
「男と女が仕事以外ですることはエッチしかないでしょ。ちょうだい。わたしはあげるよ。話なんかいらない。ああ、わたしがヤるからアナタは寝てていいよ。ペニスよ。男に求めるのはペニスだけなんだから。いい子ねペニス!」
彼女は、男はエッチする相手でしかないと言い切った。
それも、別れた男だと思い込んで抱かれたがるんだ。
もう完全に病んでいる。
「君に必要なのはエッチではないと、俺は思う。俺は、男女でも体の関係なしで心を通わせられると思うんだ。ひとまず落ち着こう。まず服を着て。水を飲んで。病院に行かないか……」
病院が最優先だろうな。
そう判断したタイミングで、別の男が訪ねてきた。
テレビ局で見た顔だったかもしれない。スポンサー関係だった気がする。
名前は出てこないが、彼は「伊香瀬ノコのセフレ」と名乗り、俺を刺した。それも、楽しそうに笑いながら。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「待てよ。俺、『死因不明の突然死、自宅でマネージャーが遺体を発見』って書かれてる。しかも、『最近話題の連続死亡事件の被害者か!?』とか……なんだこれ」
俺は刺されたんだぞ。刺した男の顔だって見てる。
首をかしげていると、ドアがノックされた。あの執事だ。
「坊ちゃん。ママサマ、お呼んでマス。ママデス、ママ」
「ママね、おーけーおーけーセバスチャン」
日本語に違和感がありすぎるが、言いたいことは伝わった。
ママが呼んでると言いたいのだろう。
ママってどんな人だろう。
この子とママはどんな関係だろう。
ひとまず大人しく様子を探ってみようか。