29、パペットの即興劇
撮影2日目の朝。
約束通り朝は一緒に台本を読み合わせした。
火臣恭彦の台本に付箋が増えているのを見て、西園寺麗華は好ましく思ったらしい。
「恭彦君。いつもはどういう練習してるの?」
「父が教えてくれたり……」
「私が受けてるレッスン一緒に受ける?」
このお姉さんにあのノートを見せたらどんな反応するだろう。コピーを勝手に見せたりはしないが、オリジナルはテーブルの上にあるので、つい視線を送ってしまう。
葉室王司は初心者中学生だ。立場的に無邪気に質問するぐらいならいけるか。
あれだよ。「あれれ~? わかんないぞ~?」的な……気分は名探偵コナン君でいこう。見た目は子供、中身は大人だよ。
「恭彦お兄さん、演技ノートってどんなことを書くんですか?」
わかんないなぁ、教えてほしいなぁ……と目で訴えると、麗華お姉さんが「それはね~」と語り始めた。これ、教える先輩一人と後輩二人の構図になっているから、何を質問してもお姉さんが答えちゃうな。
麗華お姉さんは、手にカエルのパペットを持っている。
しかも、黒ウサギと白ウサギのパペットも用意して渡してくるじゃないか。黒い方をいただこう。
「可愛いですねパペット。動画撮って投稿したくなります」
「いいわよ! 可愛いBGMつけて即興劇しましょう。遊びよ。気楽にやるわよ」
「このフリーBGMとかどうですか?」
「流してみて~」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「ウサギのキッズども~、ワイの縄張りに、なにしにきたんだ~? 出て行けぇ~?」
可愛いBGMが流れる中、カエルのパペットがカメラの前で口をパクパクさせる。
麗華お姉さんのカエル先生は可愛らしくもドスが利いた声だ。さては声優仕事を狙っているな?
じゃ、黒うさぎがカメラの前に出ますよっと。音楽に合わせて、うさぎの体をゆらゆらさせる。
「おにいちゃぁん。こわいよぉ」
怯えた小さな女の子をイメージして黒うさぎを揺らしていると、白うさぎのお兄さんは台本なしのパペット劇場にするりと入ってきた。
「すみません、ここにカエル先生がいらっしゃると聞いてきたのですが、あなたでしょうか?」
おっと、いい声。
音楽にぴったりのペース。
ゆったりした優しげな声で、聞き取りやすい。教育番組のお兄さんチックな世界観を思わせる柔らかな声だ。
自然で、「白うさぎのお兄さんが話している」感じがする。
抑揚もついていて、感情もある……おや? おや?
「おうよ、ワイがカエル大先生や!」
「カエル大先生。僕と妹は、お父さんに言われて、お勉強を教わりにきたんです。お金も持ってきました」
「もってきまちたー!」
「ほうほう。あいつの子供かぁ。金もあるとな。いいだろう、教えてやろーう」
……即興劇……できるじゃん……?
そぉっと横顔を見ると、火臣恭彦は視線をパペットに固定して、BGMを発するスマホ側に軽く顔を傾け、没入しているように見えた。
役作りして挑んだドラマの本番中よりずっと集中できていて、役に入り込んでいる。
……ふむ?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
パペットで遊んでいると、ドアが開いた。
「おはようございますー。あら! 可愛いことしてる~~!」
「パペットか。いいねえ。こっちの動画にもちょっとだけ出てくれない? そっちにも出るからさ」
羽山修士と蒼井キヨミが続いてやってきたのだ。
「やだ、修士さん。ちゃっかりしてる!」
「チャンスがあったら逃がさないようにしないとね」
みんなでカメラに手を振るだけの動画を撮ってから、撮影が始まった。今日は、昨日よりもカメラが少ない。
火臣恭彦は朝の読み合わせよりも数段棒読みのセリフ回しを披露し、加地監督に「カンペ用意しなくていいし、セリフを覚えてきてくれるのは助かるよ」とお礼を言われていた。この日の監督は、ちょっと優しかった。
努力しているのがわかったからか――いや、カメラが少ないせいか。
思い返せば、昨日いたカメラの一部はメイキング用とか何か別の企画用のカメラが混ざっていて、監督は意識しているように思えた。
帰る前に、コナン君作戦をもう一度仕掛けてみよう。
イメージはコナン君+アリサちゃんだ。ピュアに無邪気に笑顔でGOだ。
「恭彦お兄さん。演技についての本とか、お家にいっぱいあったりしますか?」
「そうですね。王司さんも知ってると思いますが、うちは父が役者ですから……」
「自宅にレッスンルームがあったり?」
「まあ、ありますね」
「わぁ。どんな感じなのか見てみたいなぁ」
「……写真でよければ、今度撮ってきます……」
近づくと火臣恭彦は、一歩後ろに後退した。
眉を下げて、視線を逸らして――困っている。
あれだ。満員電車で痴漢に間違われないように両手を挙げるような感じに近い。
共演する女の子と変に噂にならないように、誤解されないように気を付けている気配――その気持ち、わかるぞ。男の側が「アプローチしてる」とか「共演者を狙ってる」とか書かれてヤリチンキャラのレッテルを獲得しがちなんだよな。
こっちだって「イケメン俳優に隙あれば話しかけて特別な仲になろうとしている」的に思われるリスクはある。というか、すでにそう思われているから逃げられているのかもしれない。
……リスクは承知の上だ。
加地監督ではないが、「無難に堅実に誰からも非難されないように」では達成できないこともある。
すまんが、距離は詰めるぞ。
ずいっと一歩近寄ると、火臣恭彦はもう一歩下がった。
こちらがさらに一歩前に出ると、また後ろに下がって壁に背をつけた。
この逃げられる感じ、なんとなく悪ノリしたくなるというか――すまない。壁ドンしてみていいか? いや、しないけど。今の逃げられる感じ、妙にそそられるものがあった。
……いじめられっ子をいじめたくなる心理?
よくないな、冷静になろう。ふう……。
「ふう……、恭彦さん。実は、うちのママが『葉室家側は例の件をもう気にしていません』って伝えてほしいって言ってました」
「え……」
葉室みやびと火臣打犬のチャットログや動画の数々は、明らかに葉室家側から暴露したものだ。
事件自体は火臣打犬がクズだとしても、火臣家を炎上させた犯人は葉室家なので、この言い方は不快だったかな?
表情の変化を窺うが、恭彦は怒りや不快さを表情に出さなかった。
嫌なことを言われるのに慣れているんだ。嫌な慣れだが、芸能人としては悪くないスキルだぞ。
「恭彦さん。実は、週刊誌に掲載されたログや動画は私が偶然見つけたんです。うちの執事が有能で、ちょっと興味本位で聞いたらなんでもわかっちゃうんです。すみませんでした」
「はあっ? あなたがあの情報を流した犯人だと……?」
ケータリングコーナーを見ていた蒼井キヨミが「何話してるの!?」って顔でこっちを振り返るのが見えた。
気持ちはわかるよ。びっくりするよね。
壁ドンしてたらどんな顔になったかな。
今からやっちゃダメかな?
「……恭彦さん。火臣打犬さんは嫌いですが、何もしていない被害者と言える奥さんやお子さんに迷惑をかけちゃったのを申し訳ないなって思ってます」
「そ、そんなことを言われても。うちのおかんは実家帰っちゃって、俺はこんなガス抜きのサンドバッグ役みたいな仕事させられて……謝られても、困ります」
おお。火臣恭彦がちょっと怒りをあらわにしている?
それでも丁重な態度だが――クララが立ったような謎の感動を覚えてしまった。
「お困りですよね。謝られても困りますよね。いや、許してほしいわけじゃないんです」
段々とみんなが注目して、周りが不自然に静まっちゃってる。これは「燃やした側と燃やされた側が激突する現場でスタッフが凍り付く――目撃した現場関係者は語る!」とか言う書き出しでゴシップに書かれそうだな。
「自己満足でしかないのは重々承知の上なのですが、お詫びの品だけ勝手に贈りつけます。事前に予告した方がいいかと思いまして」
申し訳なさそうにしつつ、「絶対に贈りつける。絶対だ」という確固とした意思をこめて言うと、火臣恭彦は「逆らっても無駄だ」と察したらしい。慣れを感じさせる従順さで「こちらは品物を受け取るってことでいいんですか」と確認してきた。
「つきましては、お宅のお父さんが不在になる時間を教えてください。今日とか明日とか」
「あ、はい……今日は朝まで不在かと思いますが」
「おうちには、他に人がいますか? ハウスキーパーさんとか」
「そういうのはいません」
「今日、何時くらいにご帰宅予定ですか?」
怯えるようにしつつ教えてくれる。押したら押しただけ押される感じだ。押し売りとかに弱そう。
時間帯を確認したところで、羽山修士が助けに割り込んで来た。ずっとタイミングを計っていたのだろう。
「いやあ、仲良くなってよかったね、二人とも。お家のこととか色々あるけど、みんな現場では仲間だよ。仲良くやろう。恭彦君、ちょっと明日撮るシーンの打ち合わせしたい部分あるんだけど、いい?」
人のいい笑顔で場を取り持つ羽山修士に礼儀正しくお辞儀して、私はセバスチャンの待つ車に乗り込んだ。途中で車を停めて、他の車と合流する。お遣いで買った贈り物を乗せた運搬サービスだ。
「おじいさま、お小遣いありがとう」
お金は使うためにある。
おじいさまに感謝しつつ、時間を見計い、私は世田谷区にある豪邸に乗り込んだ。
車5台分、ぎっしりと詰まった葉室家からのお気持ちを持って。
「すみません、こんにちは。神棚拝みにきました!」
おっと、本音と建前が逆になった。「お届け物をプレゼントに来ました!」と言いたかったんだよ。
玄関のドアを開けた火臣恭彦はこの世の終わりみたいな顔をしていた。ごめんね。