28、打犬の教育は間違っている
帰りの車はいつも執事のセバスチャンが運転している。
この日、車に乗り込むとセバスチャンはご機嫌に赤毛を揺らして、「APが溢れナカッタおかげでイベントが完走できマシタ」とお礼を言ってきた。
期間限定のイベントがあったらしい。
「お礼にアッポーポイントあげマス」
「ありがとう、セバスチャン。ソシャゲやってないけど」
前もくれたな、アッポーポイント。なるほど、ソシャゲのAPのことだったのか。
APって他人に譲渡できるの? できるとしても、いらんのだが。
「お嬢様、演技は楽しかったデスカ?」
「うん。楽しかったよ」
「Is there anything you wish me to do, my lady?」
「突然英語になるじゃん……。何かしてほしいことがあるかって? セバスチャンにお願いすることは、別に何もないよ。お仕事いつもありがと」
「お困りごとなどは?」
ちょっと遭遇したくない人がいたり、心配な役者仲間がいるぐらいだ。
「ふっ……、セバスチャン。困りごとがない人生なんてないよ。折り合いつけて生きるのが人生なんだよ」
「オウ。お嬢様、悟りデスネ」
人生って大変だよな。
でも、大変だなって思えるのは生きてる証拠でもあるんだな。
しみじみとしながらスマホでSNSアカウントを見ると、フォロワーが増えていた。
ドラマは数話撮り溜めてから撮り終わる前に放送開始となるが、今日は最新情報がネットニュースで公開されたから、その反響でフォロワーが増えているみたいだ。
「『開始前から炎上中! 因縁の腹違い兄妹、同時デビュー! 妹は天才、兄はドヘタ!?』……この記事、ひどいな……あっ。推しを祀る神棚ってこれかぁ」
思い出してネットで検索すると、推しを祀る神棚があった。
「ふーむ。この神棚で頭を抱える心理がわからないな」
首をかしげていると、パチンと指を鳴らしてセバスチャンが何かを後部座席に置いてくる。
「お嬢様!」
「ん? なーに?」
置かれたのは……ノート?
ぱらりとページをめくると、少し乱れ気味の文字が書いてある。
文字は筆圧が強かったり弱かったり、小さかったり大きかったり。
内容は、役のことや自分のことが書いてある。
控室で見た火臣恭彦のノートだ。
……ふぇっ?
「はっ? なんで持ってるのセバスチャン? どうやって手に入れたの? 盗んだの?」
「コピーデス」
「いやいやいや……だめだろ……?」
見てしまった内容は、流出したらゴシップの格好の餌になりそうな父親からの行き過ぎた教育と、挫折の思い出。たぶん、思い出せる限りの体験と、その時に自分がどんな感情になったかを書いている。
演技に使うためだ。
この記憶と感情は使えるか、これならどうか、と吟味するのだ。
これはかなりメンタルにくる作業で、「辛すぎる記憶は使わないようにしましょう」と推奨されている。
「これ、見ない方がいいやつだ。プライバシーの侵害になる」
割とガッツリ読んでしまってから、ハッと正気に戻る。
慌ててノートを閉じたけど、もう遅い。
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林や雪山で置き去りにされて遭難気分を体験させられた。
図書館に置き去りにされた。映画館に置き去りにされた。
泣いている写真を家中に貼られた。
過度の詰め込み学習。ミスを許さない完璧主義。
感受性と基礎素養のための幅広い習い事。
習わせたものは全てコンテストでトップを取るよう求め、全て失敗。
同年代との遊びでの演劇はさせず、レッスンは中級までは父親が教え、外部で他の学習者と一緒に学ぶ機会は、上級コースの教室のみ。
才能がないと両親が話しているのを聞いてしまった。
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……酷い話だ。
自分の演技を「いいね」と言ってもらったことが一度もない?
失敗した記憶しかない?
ダメ出しされたことしかない?
だからミスを恐れてしまって、ちょっとでもミスったらそこで止まってしまう?
それとも、「自分はできない奴なんだ」と強く思いこんでしまって、無自覚に自ら失敗してしまう?
体験はつい最近の分まで、びっしりと書いてあった。
無理やりピアスの穴を開けられた。
全身をチャラ男風に飾り立てられて夜の街に放り出され、「朝まで帰ってくるな」と言われた。
炎上後に話題作りで役に選ばれたこと。
やりたくないと言ったのに許してもらえなかった。
父親が江良九足をライバル視しており、江良を祀る神棚を作った……。
……?
「江良を祀る神棚ってなんだ? なんでライバルを祀ってるんだ? 意味不明すぎるぞ火臣打犬?」
高槻アリサ:王司ちゃん、撮影終わった? どうだった?
あ、アリサちゃんからLINEがきてる。
葉室王司:さっき終わったとこ
高槻アリサ:どんな感じだった? 電話していい?
葉室王司:楽しかったよ
あ~、この安全安心なやり取りに安心する。
普通って素晴らしい。アリサちゃんに感謝だ。
「OK」のゆるキャラスタンプを送信すると、電話がかかってきた。
「ネットの記事見たけど、王司ちゃんの義理のお兄さんと一緒なんだね?」
「うん、あの記事ね」
「お兄さんってどんな人?」
遠慮なしで聞いてくれるのが、話しやすくていいな。
「恭彦さんは演技があんまり好きじゃないみたいなんだけど、たぶん……無理して頑張ろうとしてる人……かな?」
「ふうん。あのね、私、演技好きだよ」
アリサちゃんの声はピュアだった。
「……私も好きだよ」
好きすぎて、死んだのにまだ演技をしてる。
そう思うと、少しだけ自嘲したい気分になった。
「あのね、私のお兄ちゃんは、演技するより、野球したり海に潜っている方が楽しいってよく言ってるよ。最近は言わないけど、小さい頃はね、アリサと性別が逆ならよかったって言ったりしてたよ」
アリサちゃんは意外なことを教えてくれた。
「そうなんだ?」
「でも、演技の面白さもわかるって言ってた。面白いと思えるのと思えないのとだと、お仕事をする辛さが全然違うんだって」
アリサちゃんのお兄ちゃんは、跡取りの男子だから歌舞伎をするのは義務みたいなものなんだよな。
ちょっと高槻大吾を見る目が変わりそうだ。
「面白いと思えるのと思えないのとだと、お仕事をする辛さが全然違う……そう、だね」
火臣恭彦を思い出す。
撮影初日を振り返っても、あれだけ事前に用意していたのに、本番はセリフをなんとか言えてるだけって感じで、感情も魂もない棒読みだった。
表情も硬くて、縮こまっていた。
変だなあ、と思ったような気がする。
「これから火をつけますよ」とマッチを構えて、擦る寸前で水をかけてしまったみたいな。
……そんな感じがしたんだ。
タレントになる奴って「自分を見てくれ!」ってタイプが多いから、変だなと思ったんだよな。
でも、外見は派手だし。ダンスもうまいし。
身体を使って表現するダンスがうまいなら演技だって「俺の表現を見せるぜ!」ってなりそうなものなのに。
……幼少期か冷水をぶっかけ続けてきた親のせいだよ。
というか、なんでダンスは例外的にできるんだ?
逆に気になるわ。
――『江良君』
その時、俺はいつか八町大気が言った言葉を思い出した。
まだ学生服を着ていた八町が、チビの俺の前にしゃがみこんで、視線を合わせて言ったんだ。
『あの人たちはね、プロなんだ。プロってわかる?』
「金を稼いでる大人」
生意気にツンと言った俺に、八町は「そうだね」と微笑んだ。
思えば、八町は何を言っても俺を否定しない奴だった。
『江良君。あのね、あの人たちは、プロじゃない人たちに自分たちが専門とするジャンルを良いものだな、楽しいんだなって好きになってもらうのがお仕事なんだ。大人も子供も、プロ以外の人が価値を認めるから、プロは自分を誇れるんだよ』
「よくわかんない」
『えっと……ほら、囲碁とかでもプロがアマチュアにハンデをつけて相手したり、指導碁を打ったり……「楽しんでね、続けてね」って言うんだよ。プロはね、アマチュアをコテンパンにやっつけて「ヘタクソは辞めろ」なんて言わないんだよ』
「八町の長話はウゼー」
『はは、ごめんね』
八町の言うことが、あの時はあまりわからなかった。
でも、今はわかるかもしれない。
俺は、火臣恭彦に演技を楽しんでもらいたい。
「打犬の教育は間違っている」と言いたい。
あと、火臣家にあるらしき江良を祀った神棚はぶっ壊してやりたい。
ファンの推し活は自由だが、火臣打犬だけは許さない。




