25、誕生石とネイルポリッシュ
空はすっかり晴れていた。
曲が終わると歌い手が交代していく。
雰囲気はちょっとしたカラオケ大会だ。盛り上がってる。
「お嬢様、肉デス」
「ありがとうセバスチャン」
セバスチャンが鹿肉が刺さった串をくれたので、特製タレをたっぷり付けて、上からスパイスを振る。
この赤茶のスパイスは、美味しさの素だよ。
「王司ちゃん。それすっごく辛そう」
「アリサちゃん。これは美味しさの素だよ」
「かけすぎじゃないかな? 体に悪そうだよ王司ちゃん」
「これは美味しさの素だよ?」
タレとスパイスで真っ赤になった鹿肉は、よく焼けてる。
湯気が出ていて、串を口元に近づけると、香りと熱気が強く感じ取れた。
いいぞコレ。食欲が刺激されて、じゅわっと唾が湧いた。
ありがとう鹿肉。いただきます。
「いただきます」
頬張ると、あつあつの肉と特製タレの辛味が口の中に広がっていく。
美味い。んーー!
「ん~~!」
この辛さと熱さが堪らない。体温がカッと上がるんだ。
舌をぴりぴり刺激するスパイスがいい仕事をして泣かせてくれる。
喜びの涙だ。美味しさで人は泣ける。
世の中の料理人さん、いつもありがとう。美味しさに感謝だ。
肉を噛むと、肉汁のうまみがじゅわぁっと溢れて新しい味わいをくれる。
くっ――……う、うまぁ……っ!
「王司ちゃん、だ、大丈夫っ?」
「うん。幸せ。ふぅ……生を感じる」
「王司ちゃん……本当に大丈夫……?」
ドリンクを飲むと、こっちは氷でキンキンに冷えていてシュワリとした炭酸が刺激的だ。
ありがとうバーベキュー。夏、味わいました。
海賊部に混ざって良かった。
「葉室王司ちゃん。ハンカチをどうぞ」
「くふっ……」
感涙していると、円城寺誉がグレーのハンカチを差し出してくれた。
チョコレート色の髪が日差しにつやつやしていて、セーラー服仕様のラッシュガードが爽やかで、世の中のお姉様方が「かわいい~」と悶絶しそうな、柔らかで儚げな美少年スマイルだ。
ハンカチはブルックスブラザーズのタータンチェックプリントで、洗濯して返す手間も面倒なのでお断りしようと思う。
「ありがとうございます。でも、自前のがあるので結構です」
「そう? 今、洗濯して返す手間が面倒って思ったのかな。返さなくていいよ」
「ふぁっ?」
お見通しだと……!?
「二人とも、水着似合うね。可愛い。じゃあね」
ハンカチを押し付けるだけ押し付けて、円城寺は他の男子たちと一緒にプールに向かって行った。
どうも油断がならない少年だ。ああいう微笑を暗黒微笑というのではないか? 違うか?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
夕暮れ前、私たちは着替えて下の階に降りた。
お土産屋さんを見てみると、船や海をテーマにした雑貨や、箱詰めのお菓子が陳列されている。見ているだけで楽しい。
「王司ちゃん、これ、可愛い~~!」
「ほんとだね」
シルバーチェーンにイルカがぶら下がっているペンダントが可愛いので、アリサちゃんとお揃いで買った。
イルカは小さなオモチャの宝石を抱っこしてて、誕生石らしい。
王司の誕生月は9月だ。青いサファイアを選ぶと、偶然アリサちゃんも同じ月だった。
「同じ誕生石、嬉しいね」
「うんうん」
江良の誕生石はアクアマリンだけどね。
心の中に真実を隠して、ペンダントを付け合いっこした。
お揃いは良いものだ。
アリサちゃんは家族にお土産も選んでいる。
「この水色のネイルポリッシュ、買う〜。あ、あとお兄ちゃんにお土産。ペンギンの頭が先っちょについたボールペン」
「私もお土産として配るお菓子買おうかな」
「さてはお仕事用だ! 賄賂だ!」
「賄賂じゃないよ」
部屋に戻ると、潤羽ママは慌てた様子でノートパソコンを閉じた。
うん。動画の声が聞こえたよ。
「おかえりなさい。もうちょっとしたら夕食ね。ママはずっと仕事をしてたわ」
うん。ずっと動画観てたんだな。
「王司ちゃんのお母さま、ペンライトが落ちてましたけど、お母さまのですか?」
「拾ってくれてありがとう、アリサちゃん。私の会社ではリモート会議の時にペンライトを使う習慣があるの」
「へえー」
アリサちゃんは信じてしまった。たまに心配になる純真さだ。
「あ、アリサちゃん。外の夕暮れがきれいだよ」
「わぁ。ほんとだ~」
黄金色の太陽が海面すれすれに沈みかけていて、暗色の海と紺色めいた空が太陽の周りだけオレンジ色に照らされているのがきれいだ。
バルコニーで夕暮れの海景色を見ていると、アリサちゃんはTikTokの新着動画を見せてくれた。
「王司ちゃん、これ。お兄ちゃんだよー」
「おお……」
いつも美味しいクッキーをくれる高槻大吾氏は、スキューバダイビングをしていた。
ウミガメと一緒に泳いで手を振っている。見ていて癒される感じの、ゆったりのんびりした動画だった。
「アリサちゃんのお兄ちゃん、いろんなことに挑戦してるんだね。活動的だなぁ。これ、どこ?」
「シパダン島だよ」
そういえば、と思い出して検索すると火臣恭彦のダンス動画があった。
おお、あったあった。へえ、格好いい。
「アリサちゃん、これ……」
「うん?」
見せようとして、ふと冷静になる。
いや、待て。何やってんだ?
この動画がなんだというのか。今自分はこの動画をなんて言って紹介しようとしたのか。
「私にもお兄ちゃんがいるよ」って? ……ありえない。
「ごめんね、アリサちゃん。なんでもない」
「うん?」
「中に入ろうか」
部屋の中に戻ると、ペンライトが片付けられていた。
「もうちょっとしたら夕食よ、二人とも」
潤羽ママは何もなかったように言ってメイクを直している。
「はーい。王司ちゃん、さっき買ったの、お揃いで塗らない?」
アリサちゃんはベッドに座って、お土産屋さんで買ったばかりのネイルポリッシュを自分の爪に塗った。塗り方も教えてくれる。
「最初に全体に塗って、真ん中から先に向けて二回目。三回目は先っちょだけ~」
「きれいだね」
「王司ちゃんにも塗ってあげるね……お母さまもお揃いしませんか?」
「私が塗るには可愛すぎるんじゃないかしら」
「そんなことないです!」
お揃いの爪が仕上がる頃には、夕食の時間になった。
夕食会場は和食の食事会場で、掘りごたつの席に和装のおじいさまと秘書の人が座っていた。
おじいさまは和装がとても似合っていて、貫禄がある。
「いただきます」
「いただきまーす」
運ばれてくる和食会席は上品な味だった。
「ゆっくり食べなさい」
おじいさまは重々しく告げて、その後は「子供には興味がない」というように視線を合わせることなく潤羽ママとニュースや株価の話をしていたが、食事が終わるとお小遣いをくれた。
「子供は無駄遣いをするものだ。無駄遣いをしなさい」
しかも、アリサちゃんにも「交友代」と称してお土産を持たせている。
贈り物はいいけど「交友代」ってなんかイヤだな……?
「ありがとうございます、おじいさま」
「ありがとうございます、王司ちゃんのおじいさま」
二人でお礼を言って夕食会場を後にする時、おじいさまの秘書さんはコッソリと教えてくれた。
「いつもお嬢様の動画のURLや喜ばしいニュース記事をお知り合いに送って孫自慢をなさっているんですよ」
一応、気に入られているらしい。
おじいさまの存在は頼もしい。いいことだ。
食事の後は、アリサちゃんとお風呂に入って背中を流し合いっこした。
寝る前にパジャマで写真を撮って、いつもしている発声トレーニングやストレッチを一緒にした。
それから、セバスチャンとママも混ぜて4人でトランプして、まだ日付けが変わらないうちにベッドに入って就寝。
あっという間に船上の一日は幕を下ろしてしまった。
「楽しかった。ありがとう!」
「今度アリサちゃんのおうちにも遊びにいきたいな」
「うん。お兄ちゃんがいる時に来てね。喜ぶと思うから」
「アリサちゃんのお兄ちゃんがクッキー作ってるとこ、見てみたいかも」
次の約束をして、夏休みの最初の思い出は完成した。
さあ、リフレッシュもできたことだし、次は撮影をがんばろう。
……あのスポンサーの息子は気になるけど。