234、太宰治は、受けなのか
撮影チームは、宿泊施設の予約を取っている。
バーベキューを終えた私たちは、その日の宿へと移動した。
宿泊施設のとれとれヴィレッジは丸いドームハウスが並んでいる。
パンダヴィレッジがすごく可愛い。
ロボットのロボパン、みかんのみかぱん、パンダ船長、まぐろのまぐぱん……。
私はアリサちゃんと一緒にまぐぱんハウスに泊まっている。
「王司ちゃん。火星人が住んでるドーム都市ってこんな感じなのかなー?」
「うーん、どうかな?」
「ヴィレッジ可愛いし、チェックアウトしたくなくなっちゃうね」
「住みたくなるねー! それに、ここの後に泊まる予定の民宿も楽しみだよ、アリサちゃん」
アリサちゃんと二人で荷物をごそごそしていると、ベッドの上に置かれた薄い冊子が目に付いた。
表紙は夜空に花が一輪咲いている絵だ。
タイトルは『芥川賞が、ほしいのです。太宰総受けアンソロジー』?
文学作品?
最近流行のZINEってやつ? 同ZINE誌?
「あっ、王司ちゃん。それ……BL」
「ア、アリサちゃん。ごめん。勝手に開いたりしないよ」
アリサちゃんがちょっと慌てた声で言うので、私は薄い本を閉じてベッドに置いた。
「あっ、あのね。王司ちゃん。見たかったら……見てもいいよ」
「いいの? ……見ちゃおうかな……」
「見て……」
本のページをめくると、BL世界が無限に広がっていた。
太宰治は、受けなのか。
アリサちゃんと一緒に薄い本をめくっていると、スマホにメッセージが届いた。
八町だ。
八町大気:江良君。僕はまだファンタジーが湧かないんだ。以前の僕はルールやタブーを破り、予測不能な破天荒な展開で観客の心を空に飛ばしていた。奔放さが評価されていた。あれがファンタジーなのはわかるのだけど
葉室王司:うんうん。テントウムシはファンタジーだったよ。
八町大気:江良君。賞レースは、作品を通して社会と対話しようとする姿勢を重視する。作家性の強い監督は賞レース常連になりやすい。僕は今回の作品で「いまの時代に必要とされる物語とは何か?」という問いに答えるテーマを用意している
葉室王司:八町は革新的な作品を作ろうとしているよね。ライバル作品と繋げちゃった……
八町大気:僕はルールを破りタブーを犯し、競争を共闘にしたんだ
葉室王司:マイナス評価されないかなあ、それ……
八町大気:ファンタジーだけはどうしても湧かないんだ。僕は枯れてしまったのだと思う。オワコンなんだ
葉室王司:お前、諦めるなよ。真剣だからこそ、ぶつかる壁がある。真剣に考えても、深刻になるな! まだまだこれからだろ。熱くなれよ。もう少し頑張ってみろよ! ダメダメダメ! 諦めたら! 気にすんなよ! くよくよすんなよ! 大丈夫、どうにかなるって! ドントウォーリー! ビーハッピー! 俺がついてる!
八町大気:松岡修造?
八町はどうも弱ってる。
クリエイターにはよくあることだ。こういうときはファンからの応援の声を届けるのが一番だな。
よし、SNSを漁って八町ファンの熱いポストをまとめて送ってあげよう。
「王司ちゃん、なんかがんばってるね。手伝う?」
「アリサちゃん、いいの?」
その夜、私たちは二人でSNSをエゴサして選りすぐりのファンの声をまとめ上げた。
途中で西園寺麗華とモモさんが夜食を持ってきてくれて、お姉さんたちも手伝ってくれた。
『魔法にかかったみたいに虜になった。こんな濃厚な物語、他にないよ』
『八町監督のファンタジーは夢をくれる。万華鏡のような多角度劇は誰にもまねできない』
『要素がギッチギチに絡み合って人生を何度も体験したみたいに疲弊する感じが八町大気なんだよ。才能があふれて押し込められずに爆発する芸術だ』
『八町君は何十年もすれば評価されるに違いないと初期からぼくは言ってたよ。初期はリアリティがないとかプロット整理が必要とか言われてたけど、彼の芸術は今評価されている。時代が追いついたんだ』
『八町大気の映画は人生の教科書だ。ストーリーの層が厚すぎて、1回見ただけで全部分かった気になるやつは素人! 濃厚な要素の絡み合いは、脳が喜ぶ! 』
『まるで神の目で世界を見てるみたい! 八町大気は創造神だ』
「なんか、大袈裟すぎてちょっと気持ち悪くない?」
「え、じゃあ、ちょっとsage発言も混ぜる?」
「それはだめでしょ~」
「でも、絶賛だけってなんかお姉さん嫌だわ~……、あら、この本はなに?」
あっ。
アリサちゃんの太宰治受け本がまたしても発掘されて、お姉さんたちが受け攻め談義を始めちゃった。
さてはアリサちゃん、布教してるな?
完成したまとめは、我ながら力作だ。
力作すぎて渡し方に迷う。プリントアウトしてラッピングする?
「王司ちゃん、ここね、幸せのハートっているのがあるんだって」
「へえー」
翌朝、出発までの時間で4人で幸せのハート探しをした。
幸せのハートは、石で地面に造られたハート型。ハートの内側にはニコニコ顔が描かれている。可愛い。
「あ、八町先生。おはようございます!」
「おはよう、皆さんちょっと眠そうだね」
「ふふふ、私たち昨夜これを作ったんです。せーの」
みんなで感想リストを渡すと、八町は一瞬不意を突かれたような変顔になってから、「ありがとう」と笑った。
「おかげで元気が出たよ。ファンタジーを探そう」
ファンタジー、見つかるといいな。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
翌日は、チェックアウトして次の宿泊施設に移動した。
2時間弱くらいの移動時間は、窓から海景色を眺めたり台本を読み合わせたりして過ごした。
「麗華お姉さん、モモさんってなんでスタッフじゃないのに参加してるんですか? 麗華お姉さんのマネージャーみたいな枠……?」
コソコソと聞いてみると、お姉さんもコソコソと返してくれた。耳にかかる吐息がこしょばい。お互い様か。
「王司ちゃん。都会の女をずっとしてると疲れるからデトックスよ」
「ふ、ふーん?」
麗華お姉さんってモモさんが政治家の子飼いしてるの知ってるのかな?
八町が知ってるんだし、知ってそうだよな。
「私ね、あなたとまたお芝居できて嬉しいわ」
「ありがとうございます麗華お姉さん。私もお姉さんとお芝居できて嬉しいです」
バスの中にBGMでnonameの曲が流れ出す。
この曲好きなんだ。嬉しいな。
「あなたは本当にノコさんが好きね」
「はい!」
ロケバスの中には西園寺麗華がいるのはわかるとして、なぜか彼女の親友という名目であのモモさんが参加していた。
彼女はたまに演技を褒めてくれたり、お菓子をくれたりした。
それに、江良の話も少しした。
意外なことに、モモさんは「男性は苦手だけど江良さんは例外的に好意を抱いていた」だって。ちょっと嬉しいな。
到着した民宿は、世界遺産の熊野那智大社や那智大滝まですぐの距離にある美滝山荘という宿だ。
私の客室は、窓から大滝が見えるいいお部屋だった。
このあとは、熊野那智大社に参拝して、1泊のんびりして帰る予定。
楽しい非日常の時間はあっという間に過ぎていく。
旅程を振り返ったりスマホの写真フォルダを整理したりしながら、私は最後の夜をすやすやと眠って過ごした。
そして翌朝、まだ日が上りきらない早朝に、慌てた様子のノックの音で目が覚めた。
「王司ちゃん? 実は、八町先生が行方不明なんだけど、書き置きがあってね。那智大滝の観覧舞台に王司ちゃんと一緒に来て欲しいって」
「……モモさん?」
八町からの呼び出し?
モモさんと2人で?
いったい、八町は何を考えてるんだ。さっぱりわからないや。