232、作り物の少女を演じる
――『ユニバース25のネズミが君を愛することはない:千歳』
「キミの名前は、千歳。人間はもう滅ぶけど、キミは寿命が長いから、俺は時間の長さを想像しながら名前を付けたんだ」
私は千歳。人間ではない。
作られた人間もどきだ。
「……瞬きしている。呼吸している。体温もある。……人間っぽい」
私を作った人間、水居飛鳥は、喜んでいた。
彼が情報を入れてくれたので、私には多くの知識がある。
彼は試験管生まれで、親を知らない。
現在、地球は生命が住みにくい荒廃した世界で、人類社会は崩壊気味。
生き残った人々の半数以上は、互いに距離を取り、孤立して暮らしている。
『孤立する人類』、『ビューティフル・ワン』。
彼らには生殖欲もなく、他人との関係も築けない。
わずかな人数がかろうじて生産活動をしている『労働に従事する人類』、『ストレスフル・ワーカーズ』。彼らへの負担は大きく、労働従事者は過労と高ストレスで短命だ。
数世代前までは「社会をなんとかしないと数世代後には詰むぞ」という議論や研究もあったが、この世代はその余裕もない。
「俺は、自我が芽生えたときにはロボットに世話をされていた。一度も他の人間と触れ合ったことがない。でも、ネットに情報はある。36.89度。キミの体温はちょうどいい……」
彼は機嫌よく呟いた。
「もうひとつの研究は中断しよう。だって、本物の人間がうようよいる過去に旅行できたとしても、俺は生身の人間と関わるのが怖すぎる」
――時間遡行。
人間を作る以外にも、彼はそんな研究をしていたようだった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
シーンが進む。
彼の研究室は、私にとって世界の全てだった。
埃っぽい本棚、ちらかった机、コーヒーの染みが残るカップ。
窓から差し込む光が、彼の髪を柔らかく照らす。日常は穏やかだ。
「おはよう千歳。今日はいい天気だよ」
彼は私の肩を軽く叩いた。設定された起動のキーフレーズだ。
眠っていた私は、それで『起きる』。
学習した通りに目をこする仕草をして、首をかしげて笑顔を浮かべる。
自然な人間らしく動作すると、彼は喜ぶ。
「今日も人間らしい。いつも同じだと違和感があるから変化も出そう。それと、おはようと挨拶したらおはようと挨拶を返してほしい」
「おはよう。いい天気ですね。紫外線や大気汚染指数のアラートが出ています。健康に気を付けてお過ごしください、博士」
「水居」
「ミナイ」
「……飛鳥」
「アスカ」
「やっぱり水居かな。距離がほどほどにあった方が安心する」
その感情はよくわからない。
不思議そうな表情を作ると、水居は「理解できなかったようだ」と観察メモを書いている。
「キミには人間らしい心が不足している。俺と同じだ。作った俺が欠陥のある人間だから、キミにちゃんとした心を作ってあげられないのだろう」
彼の目にはいつも影があった。
同時に、何か遠いところにある光を懸命に求めているような熱もあった。
「キミを本物の人間にしたい」
その言葉は、私の回路に刻まれる。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
シーンが進む。
私は、老いて人生の終わりを迎える水居を看取ろうとしている。
神崎凪沙が腕を奮った特殊メイクにより、水居は驚くほど老け込んで見えた。
ベッドの上で繰り返される呼吸が、少しずつ弱くなっていく。
私は彼のベッドのそばに立ち、最期に寄り添っている。
「キミと過ごせて……幸せ、……だった……」
最期まで心は作れなかった。
けれど、彼にとって私は慰めで、拠り所だった。
彼はそんな言葉をくれた。
「ありがとう……、千歳……」
彼は微笑み、最期の呼吸と共に人生に幕を下ろす。
残された私の使命は、彼の埋葬。そして、自らの活動を終えること。
「……」
静寂が私を飲み込み、プログラムにない感情が湧く。
胸の回路を締め付ける。
「……っ」
――強い喪失感。悲しみ。
苦しい。つらい。
体は動かないのに、なぜか震えている。
感情が湧いて、身の内で暴れて、治まらない。
「――しなないで……」
これが、感情。
これが、自分の心?
『キミには人間らしい心が不足している。俺と同じだ。作った俺が欠陥のある人間だから、キミにちゃんとした心を作ってあげられないのだろう』
彼を喜ばせてあげたかった。
『キミを本物の人間にしたい』
彼はもう死んでしまった。遅かった。
震える手を伸ばし、彼の頬に触れる。
「起きて……水居。『おはよう。今日はいい天気だよ』……これ言ったら起きるんだよ。『おはよう。今日はいい天気だよ』……起きて……」
彼は、起きなかった。
『瞬きしている。呼吸している。体温もある。すごいぞ、人間っぽい』
――彼は、もう人間っぽくない。生きてない。
私は、彼を葬ったのちに活動を終了するように予定に組み込まれている。
「や…………だ…………」
――これで終わりたくない……。
私の中に芽生えた感情が、この終わりを拒絶する。
自我が、切望が、与えられた命令を跳ねのける。
そして、思い出す。
『もうひとつの研究は、中断しよう。だって、本物の人間がうようよいる過去に旅行できたとしても、俺は生身の人間と関わるのが怖すぎる』
未完成の研究――時間遡行。
『キミの名前は、チトセ。人間はもう滅ぶけど、キミは寿命が長いから』
私には時間がある。ここには活動を継続するために必要な設備も揃っている。
人間の寿命では不可能なことも、成し遂げられる。
どんなに孤独でも。
どれだけ時間が必要でも。
「私、またあなたに、会いに行く……!」
カットの声がかかり、シーンが終わる。
八町は機嫌がよかった。
「この子が幸せになるシーンを見たいと思った。エンディングはやっぱり、千歳が選ばれるのがいいね
千歳は恋愛で負ける主人公ではなくて、諦めかけたところを選んでもらえて片思いが成就する子になった。
……いいと思う。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――数日後。
私たちは未来の地球でのシーンを撮るために紀伊半島の熊野古道へ旅行することになった。
映画のロケ地は、紀伊半島の熊野古道だ。
中辺路ルートの大門坂から那智大社へ続く古い道。
鬱蒼とした杉の巨木が立ち並び、陽光が樹冠を透かして苔むした石畳を照らしている。
空気には微粒子が漂い、羽虫が舞う神秘的な森だ。
「アリサちゃん。なんかすごいね、霊的スポットって感じする」
「王司ちゃん、転ばないように気を付けてね」
ちなみに、恭彦はいない。
水居というキャラは過去にしか出てこないから。あと、本人が多忙でスケジュールも合わないんだって。
「アリサちゃん、恭彦お兄さんがいない分、私たち二人で演技がんばっちゃおうね。ダブル主人公にしちゃうくらいの勢いで」
「あはは、恭彦さんが仲間外れでしょんぼりしちゃうね」
「雨に濡れたチワワになっちゃう」
「チワワ? わかる。たまにそんな感じ」
私たちが笑っていると、八町は汗をぬぐって近くにあった切り株に腰を下ろした。
息切れしてる。体力不足か。
「ふう……がん細胞ってあるだろ。地球にとって人類はがんなんだ……ふぅ……。やっと寛解したと思ったら、君たちが火星から戻ってきちゃった。ふっ……まるで再発だね。転移細胞の遠子さん、さあ、どうしよう」
八町が合図をすると、アリサちゃんはすっと役に入り込んだ。
「小さな羽虫がいっぱいいますね、先生」
「先生」とは、同じシーンに「遠子のお目付け役」として登場する西園寺麗華のことだ。
「この虫たちがこんなに好き勝手してるんだから、私も自由にしていいと思うんです」
地球植民庁の長官を父に持つ遠子は、両親と共に地球居住民として入植した。
そこで火星人は、地球人が残した危険な遺産を発見する。
時間遡行の技術と、それを完成させた人造人間の千歳だ。
大人たちがこの遺産をどうするか会議を重ねる中、遠子は親の目を盗み、千歳を連れて外へ飛び出す。
「遠子さん、お待ちなさい……」
「私は虫です。ぶんぶん」
「先生」の制止を振り切り、遠子は私の手を引いて大門坂の石畳を駆け上がる。
苔むした杉の巨木が並ぶ古道を抜け、大人たちが引いた立ち入り禁止テープを越える。その先は「地球遺産区域」――那智の滝近くの岩場だ。
「もうっ……。お父様に報告しますからね」
先生は禁止テープを越えない。
私はそれを不思議そうに振り返って、わかったような顔になる。
「ルールを破れないタイプの人間だ」
「千歳ちゃん、指ささないであげて」
岩場に穿たれた浅い窪みは、まるで自然の洞窟のようだ。
中を探検すると、地下に向かう階段がある。
地下には、かつての地球人が残した秘密が眠っている……という設定。
ここは交互にセリフを言うシーンだ。先に、遠子。
「世界は結局、最後は滅びる。私のパパは、そう言ってたよ」
次は私。
「地球を出て行った人たちは、滅亡を回避するために技術をどんどん発展させていくって、水居が言ってた」
「火星の人たちってね、長生きなの。技術のなせる業だよ。でも、限界はあるねってみんなが結論を出しちゃった。肉体の健康が保てても、長く生き過ぎると精神が摩耗する。惑星を移っていっても、恒星は死ぬし宇宙も終わる」
「水居はね、永遠があるって言ってたよ」
「水居さんはロマンチストなのかな、それとも……」
「何もかも手に入れるということは全て失ったに等しい。なら、全てを失うことは全てを手に入れるということだ」
「それ、水居さんが言ったの?」
遠子の目には、好奇心の光が煌めいていた。
その存在感に、思わず息を呑む。
いいな、アリサちゃん。
気を抜いたらこのシーンのインパクトを全部遠子に持って行かれそう。
胸の奥で鼓動が弾む。楽しい。
この遠子と話すことで、千歳はもっと人間らしく、少女らしく変化するだろう。
私がアリサちゃんと日常を過ごしながら今の自分になったように。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【高槻アリサ視点】
『アリサさんは、遠慮しちゃうのかな。お家がそういう空気で、身に沁みついてしまった?』
映画の役が決まったとき、八町先生は、見透かしたように言った。
『目立ち過ぎてはいけない。同時に、お家に恥じないように実力がちゃんとあるのもわからせないといけない。なんだかそれって、すごく繊細なバランス感覚が必要になるね。君は視野が広くて客観的に自分を見れて、空気を読める。そして、器用だ』
褒められて、教えられた。
『王司さんはね、一緒にお芝居をがんばる仲間がほしいんだ。ライバルが足りないんだ。彼女はできすぎるから。僕はね、同性のライバルってすごく大事だと思うんだよね』
それを聞いて、少し寂しくなった。
八町先生が「足りないんだ。大事なんだ」と語る声は、「後継ぎである大吾を立てるために妹は引き立て役になるべきだ」と言う大人と同じだと思ったから。
それは幼い頃からの当たり前で、残念に感じるのは「おこがましい」ことだ。
わきまえないといけない。
……でも、わきまえたくない、と思ってしまう自分が。
『ダブル主人公』
――王司ちゃんの冗談に救われた気がする。
私たちの間には、対等な雰囲気がある。
それが嬉しい。気持ちいい。
「何もかも手に入れるということは全て失ったに等しい。なら、全てを失うことは全てを手に入れるということだ」
「それ、水居さんが言ったの?」
「私」
シーンの終わりに、千歳が自分自身を右手の人差し指で示して微笑む。
つぼみが風に揺れるみたいな、初々しい千歳。
「私だよ。それ、考えたのは、わ、た、し」
ああ、この感情。この期待。この承認欲求。
まるで私だ。
「私はできるんだよ、私を知って。私をわかって」って言いたくて仕方ない私だ。
隠している私を見せてくれているみたい。
王司ちゃんは、わかってくれてる。
それでいいよ、大丈夫だよって言ってくれているみたい。
こんな風に可愛く演じてくれて、好ましく思わせてくれて、ありがとう。