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231、僕、ピーマンを焼くよ。串に刺してね。

 旅行明けはシェアハウスではなくて自宅で過ごすことになり、修学旅行が終わった私は自宅に帰った。


「おかえりなさいませ!」

「にゃあ〜」

 

 メイドのミヨさんは、飼い猫のミーコと一緒に出迎えてくれた。

 ママも『大人の修学旅行』から帰宅したばかりだ。


「おかえりなさい王司」

「ただいま。ママもおかえりなさい!」


 私たちが旅行バッグを置き、中からお土産を出していると、ミヨさんは旅先から郵送したお土産や不在中に届いた贈り物の箱を並べてくれた。

 

「お土産を見ているだけで旅行気分になれますねー!」

「おほほ。このコスメはミヨさんへのお土産よ」

「私もミヨさんにお土産買ってきたよ。……あ、カレーのルーがある。やったね」


 そうそう、セバスチャンにも買ってきたんだ。羊羹だよ。

 

「セバスチャーン。お土産買ってきたよー羊羹だよー」


 鹿せんべいと迷ったのは内緒にしておこう。


 いつものようにセバスチャンの部屋をノックする。

 うーん、返事はない。

 いつものようにドアノブを回すと、今日も鍵はかけられていない。


「開けるよー」


 ガチャッ。

 ドアを開けて、中を見て。


「……」

 

 私はぽかんとした。


「あれ……?」

 

 セバスチャンの部屋は、空室になっていた。


「ママ、セバスチャンはどうしたの? 前のセバスチャンだよ。赤毛の」

「あら王司。セバスチャンがなにかあって?」

「?????」


 確認してみると、おかしなことになっていた。

 あのセバスチャン(赤毛の1号)のことを、誰も覚えていないのだ。

 

 ママもミヨさんも、友だちも八町も、みんなが「セバスチャン(2号)はずっとセバスチャンでしょう」と言う。

 そして、私を気遣うような憐れむような目で見るんだ。「ああ、そういえばこの子って記憶障害……」みたいな。

 待って。どういうことなの。

 

 謎を増やしつつ、私は映画のクランクインを迎えることとなった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 撮影の日。


「おはようございます」

 

 控え室に行くと、恭彦が台本を読んでいた。台本の両脇に演技ノートが積まれている。


「他の人間を自分と同じ人間だと認識できない。他人の気持ちを想像できない。他人に気持ちがある考えがそもそもない……? いや、こいつはネズミじゃないから違うな。単に自分の殻に閉じこもって生きてきただけでもない気がする。ひとりでいてもスマホがある。自分以外を感じることができるから、そこが違う……他人の考えを知れる……」


 懐かしいな、この感じ。役について真剣に考えてるんだよね。


 邪魔しないように中に入ると、恭彦は気づいて挨拶してくれた。


「おはようございます、葉室さん」

「おはようございます恭彦お兄さん。集中しているところを邪魔してしまってすみません。わさびふりかけです」

「ありがとうございます」

 

 お土産のわさびふりかけを渡すと、恭彦は頭を下げた。

 

「俺のファンがご迷惑をおかけしています」

「ん? ああ……、SNSでしょうか? 恭彦お兄さんが謝ることではないと思います……」

 

 ネットには『金の力で主役をゲットした』とか『八町映画の主人公にふさわしいのは女子じゃない!』という声がある。

 銅親(どうおや)絵紀(えのり)が「火臣恭彦君を推します」と言ったのもあり、恭彦のファンが反発しているんだ。

 

「おはようございます。差し入れ持ってきましたよー!」

 

 私たちが微妙な空気になっていると、西園寺麗華がやってきた。

 放送作家のモモさんも一緒だ。

 

「モモちゃんは私の動画チャンネルの放送作家で、撮影の裏側をファン向けに撮るために来てるの。事前に監督と制作会社に許可もらってるから、邪魔にならないようにやってくれるよ!」

 

 なるほど、メイキング動画か。

 目が合うと、親しみの湧く笑顔で頭を下げてくれる。


 私が社交的に挨拶を返していると、恭彦とアリサちゃんが演技の相談を始めている。

 

「アリサさん、このシーンですけど、俺の恋愛相手をどっちにするか検討中ってなってますよね」

「主役が変わったからですね……」

「結末しだいで俺の役の解釈が変わってくると思うのですが……」

「うーん。じゃあ、仮に私の役と結ばれると思って演じてみたらどうでしょうか? 右足を前に出したら左足も続くみたいに自然と次に繋がるかも。もしそれで思ってたと違う結末ですって言われても、きっと美味しいギャップになるんじゃないかなー?」


 待って。

 そこ、二人の世界にならないで。

 私も混ぜて。


 声を発するより先に、二人の芝居が開始された。

 

水居(みない)さんは生身の人間と触れ合ったことがほとんどないのですか? それでよく成人できましたね。いえ、批判しているわけじゃないんですよ。驚いていたんです」


 アリサちゃんは一瞬で遠子になる。最初から出来上がってる感じだ。

 

「……」


 微妙な間だ。

 これは「間を取っている」とかじゃなくて、迷ってるんだな。


 麗華がこそっと耳打ちしてくる。


「音楽流した方がよさげ? お姉さん、スマホで何か流そうか?」

「いえ……役の解釈を決められてないんだと思うんです」

 

 たぶん「他人がいても同じ人間だと思ってない、何か喋ってても認知しない」というネズミ的な芝居をするか、「他人を認識しているけど他人に不慣れ」という人間的な芝居をするかで悩んでるんだ。


 ここでネズミっぽい音楽を流したらネズミになるし、人間っぽい音楽を流したら人間になるんだろうな。

 どういう音楽がネズミで人間なのかわからないけど。


 ぼそぼそと考えを麗華に共有すると、麗華は「なるほど」と頷いてくれた。

 

「お姉さんは面白い演技が観たいわ。ゴジラのテーマとか流したらどうなるのかしら」 

「遊ばないであげてください……? 私的には、最初はネズミだけど人間になっていく、って変化のある芝居がいいと思うんだけど」

「遠子ちゃんや千歳ちゃんと関わって変化していくのは素敵よね」

 

 私たちが話していると、アリサちゃんの遠子は『水居さん』に手を伸ばした。

 

「水居さん。ちょっと失礼します」

「……!」

 

 触られそうになったことで、恭彦は自然と「手から逃れる」行動を取る。

 彼は自分以外の人間に不慣れで、接触に抵抗がある。怖いんだな。そんな感情がするりと出た。

 

 それを見て、麗華は微妙に複雑そうな顔になった。

 

「芝居を引き出した……私もあれ、やられたことがあるわ」

「ああ……」


 アリサちゃんは他の役者を引っ張れるパワーと度胸があるんだな。


 『遠子』は逃げた相手に落ち着いた声で話しかけている。

 

「水居さん。少し触るだけです。他人と触れ合うのは、そんなに怖いことじゃありませんよ……他の人間と触れ合うの、初めてですか」


 優しく頬に触れて髪を撫でると、なんだか「この二人はくっついてもおかしくないよな」って雰囲気が漂ってくる。

 困惑がちに、でも逃げずに髪を撫でられている。

 そんな『水居』は、遠子の言葉を理解していて、自分と同じ人間だと認識している演技になっていた。

 

 これだ。

 これがアリサちゃんが言っていた「右足を前に出したら左足も続く」だよ。

 自然とそんな方向になるような空気を作るんだ。


 そして私は、芝居に入り損ねて麗華と鑑賞するだけになっちゃってる。

 

「引っ張ったわねえ」

「引っ張ってるね」

 

 そういえばアリサちゃんはGASの評価項目の中で『戯曲理解』の成績が飛びぬけてよかった。

 俳優の戯曲理解能力は、テキストの行間や時代背景、キャラクターの心理を深く分析し、想像力を働かせて物語を生き生きと観客に伝えるスキルだ。

 アリサちゃんの中に「私が考える遠子」がしっかり作れているから、脚本がなくても生きた遠子が演じられて、水居役を「こっちに進もう」と引っ張れる。

 前から思ってたけど、アリサちゃんは演技巧者なんだな。


 私が感心していると、麗華が楽しそうに煽ってくる。

 

「あら~! いい感じじゃない。千歳ちゃんはどうするの~? ほらほらぁ、二人どんどん仲良くなっちゃうわよ」


 お姉さん、お答えしましょう。

 アリサちゃんが右足を前に出したから私は左足を続かせるんだよ。


「私、……水居が幸せならいいの……」


 千歳は健気なんだ。二人がくっつくのを邪魔したりしないんだ。

 控室のドアを開けて隠れながら部屋の中を覗き込むと、負けヒロインになった気分。

 実際負けヒロインだよな、千歳。

 

「だって私、作られた人間だし。水居が本物の人間と仲良くなれて幸せになれたら、それってすごくいいことだと思うし」


 そう言いつつ、しょんぼりしてしまう。

 これが千歳なんだよ。

  

「やだ。千歳ちゃん可愛い」

「ありがとうございます、お姉さん。千歳がんばります」

 

 コソコソしていると、廊下の曲がり角から八町が姿を現した。

 なにをやってるんだ、という風に片眉を上げた八町をスルーしていると、控室の中に変化が起きた。


「あっ、水居さん。どこに行くんですか?」


 水居はずんずんとこっちに来て、目の前で長身をかがめた。

 どした?

 その顔はなんだ?

 心配してくれている?

 なにか喋って? 質問待ち? 

 

「えっと……どうしたの?」


 聞いてみると、彼は困ったように前髪を手で乱した。

 ドラマのワンシーンみたいに見栄えがいい。

 

「なんか……元気がなさそうだったから」


 これはロマンスドラマで主役ができる。

 そんな甘酸っぱいムードで周囲を惹き付ける兄に、八町は「なるほど」と興味津々の目をして近寄った。


「水居君は千歳が気になるんだね。やっぱり、そっちでいこうかな。今なんか、しっくり来たよ。イメージがいい感じに定着したんだ」


 おや? そっちってどっち?


 まるで右足を前に出したら左足が逆後方に進みだしたみたいだ。

 アリサちゃんも「あれえ?」って笑ってる。「思ってたのと違う方にいっちゃった」って笑ってるけど、嫌そうではないのでよかった。


 西園寺麗華はびっくりしている私たちに訳知り顔になって恭彦を示した。

 

「うふふ。お姉さんが教えてあげる。恭彦君はシスコンだから妹ちゃんがしょんぼりするお話にはさせないのよ」


 お姉さんぶった手が頭に触ろうとすると、水居になりきったままの兄は「すみませんが触らないでください」と逃げて行った。うーん、役に没入している……。


「SNSの人たち、水居を見てなんて言うだろうね」

「あら。好かれると思うわよ。可愛いって」


 …………可愛い……?


「役は、変化させてみました」

「ん?」


 おや、恭彦が役から自分に戻って演技解説をしている。

 なんか成長を感じるぞ。

 見守っていると、八町に向かって演技の意図をシェアしている。


「妹がいいアイディアをくれたので。最初はネズミで、人間になるって」

「へえ~。まるで主役みたいだね。でも、王司さんのことだからそれに負けない存在感のある千歳を演じるんだろうな」


 千歳は存在感のある役だよ。

 ただ、さっきは二人の世界に入っていきそびれたけど……。


「王司ちゃん、なんか悔しがってる?」

「悔しがってないよ」


 千歳、がんばろう。

 私は闘志を燃やした。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 ――【放送作家モモ視点】


『物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはない。これを「エントロピー増大の法則」といいます』


 夕暮れ時に都市を走る車中でインタビュー動画を流すと、八町大気が語っていた。

 

『人間は誰かの悪口でガス抜きを楽しみ、仲間との絆を深め合う。

 SNSは制御困難だ。

 ネットという匿名性と手軽感、目に見える数字の形での同意見の仲間の存在が、罪悪感や躊躇をなくしてしまう。

 そんな現代に息苦しさを感じる僕は環境に適応できない旧体質の弱い個体なのか。嬉々としてSNSでレスバしている人たちは、環境に適応できる新人類なのか』


 語る声は聞き取りやすく、言いたいこともわかる。

 だが、問題行為でSNS民から批判されている本人が正義ぶってSNS社会に問題提起しても、「お前が言うのか」と火に油を注ぐのではないか。

 

 八町大気は博識で感覚派のクリエイターだが、社会性は今ひとつ。

 「そこが芸術家っぽい」と慕うファンも多いが、今の時代はコンプライアンスに厳しい。

 ラインを越えれば一発アウト、サンドバッグ認定だ。

 アンチは死ぬまで粘着し、サンドバッグを叩くことを生きがいにする。

 八町大気を「オワコン」「ライン越え」と批評した銅親(どうおや)絵紀(えのり)の感性は正しい。

 彼は実にわかっている。


「あーあ。麗華さん、応援してるのになー」

  

 八町大気の新作には、モモの親友である西園寺麗華も出演している。

 モモは麗華を応援しているのだが、最近の麗華は主役オーラに翳りが見える。

 演劇祭の頃はまだ「負けないわよ」という気概があったと思うのだが、葉室王司のせいだ。

 あの新人女優に江良九足が憑依しているなどと言い出して、麗華は競うのをやめてしまった。

 

 死んだ人間が憑依するなんて、あるはずない。

 もし本当にそうならおぞましい。

 

「そう言われて見てみれば、演技は確かにそれっぽく見えてくるし……」


 言われるまでは「王司ちゃん可愛い」と思っていたのに、段々と嫌悪感が募ってくるじゃない。

 まさかとは思う。思うけど……もし本当なら。

 

「……もう一度殺しちゃったらいいんじゃない?」

 

『種が絶滅に向かう自然のスイッチみたいなのがあると思うんです。皆さんはどう思いますか? 僕はね、自分にそういうスイッチが入っていると思う瞬間があるんですよね』 


 八町大気の声は、穏やかだった。

 柔らかで、何も思い悩むことがないような気配で。

 音声だけを流しているので顔は見えないが、きっと品のある微笑を湛えているに違いない。


『自然のせい。社会のせいなんです。全部。そう、僕たちの全部が、大きな世界の自然の流れによって「こうなっている」んですよ……そう考えると、なんだか無力でちっぽけで、力が抜けますよね。そこで、皆さんは抗いますか。それとも、流されますか……』 


 八町大気はアーティスト寄りのクリエイターだ。

 この語りひとつでアンチのどれくらいが信者に反転するのだろう。


 モモはそんなことを考えながら、「でもこの人、加地監督にコンペで負けたのよね。やっぱりオワコン」と嘲笑った。


「まあ、負けたのは私もだけど!」


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 ――【八町大気視点】

 

『ハリウッドはもう映画の中心じゃなくなってる。ロサンゼルスはもはや「世界のエンタメの都」ではない。僕が文芸復興(ルネサンス)してあげます』


 どやぁ。

 インタビュー動画の自分が自信満々に啖呵を切っている。


 ふう……。


「僕、こんなこと言ったかな? 動画になってるし、……言ったんだなー……」

 

 紅茶が美味しい。


 インタビュー動画を閉じて自分で撮ったバンジージャンプ動画を見ると、落ちたときの恐怖が蘇る。

 一歩踏み出す勇気。

 それがこの動画になったのだ。


 バンジージャンプは紐が付いていた。「落ちても死なない」とわかっていても怖かったが、死なないから一歩を踏み出すことができた。紐なしで落ちる勇気は、こんなものじゃないだろう。


八町大気:江良君。ロケ地で焚火しよう。あとバーベキュー。

八町大気:僕、ピーマンを焼くよ。串に刺してね。


 親友にメッセージを送り、スケジュールをチェックする。

 神秘的な自然風景。その中で撮る未来のシーン。

 少女たちを撮るんだ。楽しみだな。


 SNSでは「八町映画は男性主人公じゃないと」という声もあるようだが、僕は女の子を可愛く撮れるよ。

 だって、江良君は可愛いのだからね。

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