228、だから、感謝しています
――【葉室王司視点】
翌日。
「八町大気はもうおしまい。被害者の両監督、異例の対応――」
ケストナー監督とジャーマン監督を始めとする関係者は話し合い、事後承諾という形で示談を成立させていた。炎上はしているが、映画は制作できるらしい。
SNSは「被害者の海外監督相手に謎の強気ムーヴをかます八町大気」とか「八町大気の自爆に咽び泣く銅親絵紀」の切り抜き動画が拡散されまくっている。
ついでに「葉室王司が投げ銭で主役に内定」という話題も……あと、「銅親は火臣を推したのに」という反発の声もある。あるよねー。八町、責任取れ。
シェアハウスのリラックスルームに行くと、「あの子、投げ銭で主役に……」って視線を感じる。
気のせいかな。気にしない方がいいな。
ソファには、同情的な視線を集める火臣恭彦もいた。
実家から持ってきたらしきロボットを抱っこしてブツブツ独り言をつぶやいている。
漂う哀愁。
見るからに傷心モード。
見ているだけで胸が痛む。
出たな、雨に打たれたチワワ。
主役になれなくて落ち込んでいるのだろう。
……気持ちはわかる。でもさ、実力以外で役が決まるのってよくあることだから。
江良だって火臣打犬にスポンサーの力で役を取られたことあったんだからさ。
「恭彦お兄さん。隣いいですか?」
声をかけると、彼はハッとした顔で私を見た。
「……チトセ……!」
うんうん、それは『ユニバース25』の私の役名だね。
役に入っていたか。そうか。相変わらずだな。
「お兄さん。私は葉室王司です」
両手でカチンコのポーズを作って「カット」と言うと、兄は現実世界に戻ってきたようだった。
この現実に戻す合図、共有しておいた方がいいよね。あとでSNSに投稿しておこうかな?
私がいないときにずっと役に入って戻ってこれなくなったら困るもんね。
本人もだけど、周りの人たちが苦労するよ。
殺人鬼の役とか絶対させられないタイプの役者だ。
「葉室さん。いかがなさいましたか」
「割とそれはこっちのセリフなんですけど……」
主役が投げ銭額で取られて残念だったよね、と思うものの、それを勝ち取った側が言うと嫌味だよな。
マウントみたいになるよな。
言葉を選んでいると、兄はなんとなく察した顔になった。
「葉室さん。俺は最近、演技と容姿が評価されていて仕事がたくさんあります」
なんだって?
「えっ、おめでとうございます?」
とりあえずお祝いを言うと、恭彦は顎に手を当てて言葉を連ねた。
「俺は海外ドラマに出演もしたので海外でも知名度があって、ショートドラマと正月特番のおかげで国内でも俳優として応援してくれるファンが増えました。バイトも辞めたんです。その時間を仕事やレッスンに当てています」
「お、おお……?」
なんか突然チワワが自信満々のタイガーに変貌した?
変化が激しい男め。
でも、確かにこのお兄さん、ブレイクしてるよね。それは私も知ってるよ。
「恭彦お兄さん、売れてますよね。雑誌やCMも見てますよ。街角の巨大モニターに映ってるの見たときはびっくりしたなあ」
共感を籠めて言えば、兄は片手で前髪をかき上げた。
さらりと金髪が持ち上がって形のよい額が露わになると、リラックスルームのどこかから「きゃあ」という黄色い声が出る。
も、もてている……。
「お兄さん。恋愛リアリティショーできそうじゃないですか。脈あり女子があっちにいますよ」
こそこそと教えてあげると、恭彦は「恋愛はもういいのです」などと達観したような顔をする。
もういいの?
枯れるには早すぎない?
20だろ。まあ、思えば江良も割と枯れていたが。
演技の方がいいんだよな、気が合うなブラザー。花より芝居だよな。
いやあ、いい役者仲間に育ったな。素質があると思ってたんだ。
「葉室さん。俺のことを、最近みんなが褒めてくれてちやほやと持て囃してくれます」
「よかったですねお兄さん!」
「俺はすごいのか、と驕ってしまいそうになります。自分でも自分が天才だと思ってしまうんです」
「自己肯定心が上がったんですね、それ、きっと。上がりますよね。芸能界でブレイクするとよくあることだと思います。実際すごいですし、天才だと思いますよ」
心から褒めて手を握ると、兄はちょっと照れたように頭を振って手を振り解いた。
そして、ソファから立ち上がって床に膝を突き、私を見つめた。
一連の所作がなんとも軽やかで、ドラマのワンシーンみたいに絵になっている。
あと、目立ってるよ。スマホカメラ向けられてるよ。
「葉室さんはいつも俺よりも天才で、人気があって、努力していて、俺が掴みたい一等の座をあっさり持って行ってしまいます」
「あ、やっぱり主役の件、気にしてたんだ……」
「俺は敗北感と劣等感でいっぱいになって、敵わないと思ってしまうのです」
なんだ、恨み節? 嫌われてる?
いつまでも名前を呼んでくれないし仲良くしてくれないと思っていたら、そういうこと?
息を呑んでいると、彼は緩く首を振り、私の予想を裏切ってくれた。
「そのため、俺は誉めそやされても身の程をわきまえて謙虚になれる。努力してライバルについていこう、追い抜かそう、思い上がっている暇はないぞ、と思える……だから、感謝しています」
感謝だって。
瞬きをする私の視界には、透徹とした瞳をしたライバルがいた。
「……恭彦お兄さんは、ライバルですもんね」
「葉室さんはそう思ってくださるのですか?」
「そりゃあ、何回か比べられたり競わされたりしてますし。主役も実力で取られかけましたし。……一緒に読み合わせ、します?」
「では、ウォーミングアップでリピテーションから」
兄は嬉しそうに笑い、目を伏せた。
その姿勢のままでやるのか。疲れない?
でも、もう集中してる。
音楽は聴いていないけど、彼の頭の中では再生されているのかもしれない。
マイズナー技法のリピテーションは、このお兄さんと何度もしてきた練習方法だ。
「思い出している」
「俺は思い出している」
私も思い出している。
努力していた姿を走馬灯みたいに思い返しているよ。
私は割と早い段階から「このお兄さんは才能がある」と思っていたんだっけ。
我ながら見る目がある。
こういうのを逸材と言うんだ。ちょっとピーキーすぎるけど。
私がしみじみしていると、恭彦は私の手に視線を止めた。
指先のネイルを見て、思ったままを唱える声は無垢だった。
「爪が水色」
可愛いだろ。お気に入りなんだ。
私は恭彦に両手を見せてにこりと笑った。
「可愛いと思ってる!」
「可愛いと思ってる」
言葉を繰り返して微笑む兄の顔は、真夏の太陽みたいに輝いていた。
ま、眩しい。
カリスマオーラみたいなのが凄まじい……。
「……お兄さん、楽しそう」
「楽しい」
感情が増幅されて、伝播する。
「楽しい」
「楽しい」
「笑ってる」
「楽しくて笑ってる」
楽しい。楽しい。楽しいな。
感謝したいのはこっちだよ。
「……ありがとう」
八町のやりすぎっぷりは懸念事項だけど、これならきっと楽しく良い映画を作れそうだ。
スポンサーは留まってくれていて、予算にも余裕があると聞いている――よし、がんばろう。
八町の暴走しすぎに注意して、無事に映画を完成させるんだ。
――それも汚名を挽回しておつりがくるくらい、いい作品を。
「恭彦お兄さん、アリサちゃんを誘って読み合わせしませんか?」
「いいですね。では、アリサさんに連絡します」
「妹には連絡しないのに」
スケジュールとしては、数日後に顔合わせ説明会。修学旅行を挟んで、撮影開始。
順調に進めば、そんな流れになるはずだ。