227、もう妻のおっぱいなんてどうでもいい!
――【銅親絵紀視点】
ああ、八町大気、八町大気、八町大気。
妻を取るか八町大気を取るか。
人生は選択の連続だ。
最近、僕は妻と仲がいい。
今日は妻と二人で熱い夜を過ごす予定だった。
それなのに、八町大気は今日に限って電話をしてきた。
あの八町大気が、僕にだよ。初めての経験だ。
しかも、あの八町大気、息子を誘拐して手籠めにすると言ったのだ。
あれってそういう電話だろ?
つまり、犯罪だ。
「異常と言っていい。八町大気はもうオワコンとかそういうレベルじゃないんだ……もうだめだ。通報しよう。逮捕だ。明日のニュースは八町大気の未成年者誘拐淫行未遂事件で決まりだ。しかも被害者が僕の息子だよ。どうしよう」
くっ、犯人を通報するべきなのに指が動かない。
しっかりしろ銅親絵紀。息子がピンチなんだぞ。
待てよ。わざわざ親に犯行声明を出す理由はなんだ?
実はあの電話、「うちに遊びにおいでよ銅親君!」ってお誘いだったのでは?
「そんな馬鹿な。まさかそんな。夢を見るな銅親絵紀。八町大気は僕に興味が全くないんだぞ」
八町大気は、これまでずっと僕を道端の雑草みたいに無視していた。
「僕、他の会社で仕事しますから」「実績を作って出直してきますから」と言ってもぺんぺん草を見るような眼をしていた。
八町大気の名刺は二種類あり、気に入った人物に渡す名刺には携帯番号が書いてあるという。
しかし、僕がもらった名刺に携帯番号はなかった。
……気に入られてないんだ。
八町大気が自殺未遂をしたときにはメールをして、紙の手紙を送った。
返事はなかった。
入院先を調べて見舞いに行った。面会は断られた。
僕がすごすごと帰るとき、炎上俳優の火臣打犬が当然のような顔をして病室に入るのが見えた。
えっ、あんな奴が入れるのに僕は追い返すのか?
腸が煮えくり返ったね――あの屈辱といったら。
八町大気め。ああ八町大気め。
息子を人質に取られたのでは、仕方ない。
僕は父親だからな。
けして妻より八町大気を選んだわけではないぞ。息子を救出に行くんだ。
「あなた。私の胸に向かってブツブツ話しかけるのやめてくれない?」
妻に追い出されて、僕は八町大気の元へと駆けた。拒まれたのだから仕方ない。
いや、本当に緊急事態なんだ。妻はなぜ落ち着いていたんだろう?
息子が大変なんだよ?
シェアハウスに到着すると、僕が来るのを待っていたように顔パスで中に通してもらえた。
僕は八町大気に待たれているんだ。
そう思うと足が弾む――いや、この速足は息子の危機が理由だから。浮かれてるわけじゃないから。
ああ、八町しぇんせい。ラフなシャツとスラックス姿でこんなに気品があるとは。
眼鏡を変えましたか。フレームが以前より0.1ミリ大きい丸いフォームでよくお似合いです。
顔色が健やかで安心しました。紅茶のティーカップを持つ姿勢がまるで一枚の芸術絵画のよう。
息子が隣にいるのが羨ましい。写真を撮ろうか。ばれないように。
「銅親君は脚本監修として参加してもらおう」
――……はっ……?
今、僕は八町映画のスタッフロールに名前が出ると言われたのか?
「競うのではなく、3作合作みたいにできたらきっと最高に楽しいね」
なんだそれは。そんな面白い大作に関われるというのか。
「銅親君。メインの3キャラ、即興劇と脚本を見て誰を主役にするのがいいと思ったか聞かせてほしいな」
僕の意見を教えろだって。
本気か。僕は八町大気に認められたのか。
「や、八町先生……名刺をいただいても?」
試すように問えば、八町大気は名刺と脚本をくれた。携帯電話番号が書いてある名刺だった。
手が震えて文字が読めない。手が今世紀最大の震えっぷりだ。
いけない、落ち着け僕の手。気持ち悪いと思われて没収されてしまうかもしれない。息子も見てる――。
「は……拝読してあげても構いませんよ」
「銅親君、偉そうになったよね。実際偉いのだろうけど。やはり実績は人を変えるのかな。そういうの、寂しいね。でもわかるよ。僕も自分が変わったと思うことがよくあるんだ。歳だしね」
八町大気が哀愁を漂わせている。
僕は「八町大気はオワコンだ」と普段言いまくっているので何とも言えない空気になるじゃないか。
「八町先生はオワコンですから」
「銅親君、SNSでもよく言ってるよねソレ」
「僕のSNSを気にするなんて……クッ……もう黙っていてください……」
耳栓をしよう。僕の脳が溶けてしまう。
脚本に集中するんだ。息子が見てる。情けない姿は見せられない。
姿勢を正して三冊を順に読み込むと、確かに世界観の繋がりを感じる内容だった。壮大だ。
「父さん、耳栓は失礼だよ。あの……八町先生、父がすみません」
「お父さんは僕の声を聞くのも嫌みたいだ。すっかり嫌われちゃったな。水貴君は役者たちの即興劇を観てどう思ったんだい」
「はい、八町先生。3人とも個性がわかりやすくて、個人的には葉室王司さんの健気な感じがとても可愛いと思いました」
水貴。父さんの耳栓、実は結構聞こえてる。
謝らせてしまってごめんな。
それにしても息子の水貴は葉室王司が好きだ。
我が息子ながら、わかりやすい。
思えばドラマ撮影でも、積極的に話しかけて距離を縮めようとしているのが微笑ましかった。
水貴、父さんはお前の恋を応援しているよ。
即興劇は部屋に来る前に少し見ていたが、確かに葉室王司は安定して上手い。
可愛いと思わせてくれたし、応援したくなる少女キャラだった。
ドラマではサイコパスな悪役少女だった。カメレオン俳優の名にふさわしい器用な演じ分けだ。
僕が思うに、葉室王司の演技力は天性の才能に加えて盤石の基礎に裏付けられている。
安心して主役を任せられる女優だ。
八町大気の脚本を読んでみたところ、高槻アリサのキャラが主体的に動き、火臣恭彦のキャラと恋愛的に結ばれるエンディングとなっていた。
このストーリーで葉室王司のキャラを主役に撮ると、まるで人魚姫のような切なく報われない片思い劇になるだろう。
僕の好みではないが、葉室王司なら美しく演じてくれるのだろうな、と思う。涙を流す表情まで想像できる。いいと思う。
ただ、さきほど見た3人のキャラは明るかった。
あの雰囲気は元々親密な3人だからこそ醸し出せるポジティブな世界観で、そこにギャップがあるような。そのギャップがいいと思える仕上がりにできる気もするし、いい仕上がりにならない気もする。
ストーリーとキャラのシナジーで考えると、もう少しトーンをシリアスに、アカデミカルにして高槻アリサが主役のハッピーエンドにするのが賞レース向きな気もする。
高槻アリサは「浮気相手の子で可哀想なアリサちゃん」として有名だ。
梨園の娘である彼女を主役にすると配給会社が喜びそうだし、火星人の彼女が未来のファミリーを梨園に見立てて、厳しくストレスフルな環境から自由になるコンセプトにすると風刺が効いていいのでは?
そんな可能性を考えつつ、一番魅力を感じるのは火臣恭彦を主人公に据えたストーリーテリングだったりもする。
危険なメソッド演技者、憑依俳優として知られる彼は、休憩時間になっても役のまま自分の殻に閉じこもっている。
わかりやすい天才青年だ。
八町大気は長年、天才青年・江良と組んでいて、「女優相手だと遠慮が入ってしまい、苦手」と公言している監督でもある。
天才少女の葉室王司を新しいパートナーにするより、その兄である天才青年・火臣恭彦と組む方が相性がいいのでは?
最近ファッション誌にも多く掲載されるようになった容姿端麗な火臣恭彦は、実に『ビューティフル・ワン』が板についている。ショートドラマに出演しまくり、ホリキネの若手と仲よくしていて、特に女性層からの人気が急上昇中でもある。
八町大気の『人類版・ユニバース25』だと「人間とネズミは違うのでは?」とつっこみをしたくなるリアリティ不足な部分があるのだが、火臣恭彦は文明的なツールを持ち出して「現代人っぽさのあるビューティフル・ワン』に味付けをしていた。そこが面白い。
タイトルにもある『ユニバース25のネズミ』は恭彦のキャラでもある。
観客の心を乗せた二人の少女が未知の主人公と出会い、強烈な魅力を持った主人公が観客の心を奪う映画としてのパッケージングがイメージしやすいではないか。
なにより、火臣恭彦は江良九足を憑依させて演技したという逸話も持っている。
江良っぽい演技ができるのが最大の強みじゃないか。
八町映画に必要なのは女の子じゃない。
男性主人公なんだ……!
知名度、人気。話題性。実力。監督との相性……。
八町大気のファンが求めているのはどんな映画だ?
それは絶対、八町大気っぽい映画だよ。
つまり……男性主人公なんだ……!
「八町先生。僕は、火臣恭彦君のキャラを主役に推します」
考えをまとめて伝えると、八町大気は「なるほど」と頷いた。
僕は八町大気の役に立っているんだ。
ああ、今までオワコンとか言ってすみません先生。
僕は全力で先生をサポートしてまいります。作りましょう、新しい八町映画を。
もう妻のおっぱいなんてどうでもいい!
僕は八町先生と映画を作るんだ!
「ありがとう銅親君。君の意見は参考になったよ。それはそれとして、実は今回の即興劇はスポンサーに配信もしていてね。誰が主役にふさわしいかオークション形式で投げ銭対決していたんだ。結果、主役は葉室王司さんに決まったよ」
は?
「彼女を主役とした脚本を一緒に練ろう。君以外にも、旧友の丸野カタマリ君や猫屋敷君も参加してくれるんだ。みんなで考えると責任の所在があいまいになっていいよね。連帯責任だ」
「……は?」
役者たちを見ると、葉室王司が「お前、一回捕まった方がいい」と言っている。
この子はたまに口が悪くなる。男子のふりをしていた頃の名残なのだろうな。
――そうだ。高槻アリサだけじゃない。
葉室王司も「可哀想な子」なんだ。
明るくて、うっかりすると忘れてしまいそうになるが、複雑な生い立ちで苦労してきた子なんだよ。
どこか現実逃避するように考えた瞬間に、部屋にスタッフが飛び込んで来た。
「八町先生。おそれいります、ケストナー監督とジャーマン監督から『配信を観ていたが脚本を渡したり合作にすると話した覚えが全くない』という抗議の電話がきています」
はっ? 配信?
覚えが全くない?
ぽかんとしていると、八町大気は「あはは」と笑った。
なにやら酒にでも酔っているような正気が危うく感じられる笑い方だった。
「実はちょっと盗んでしまった。『でも君たち、僕と遊べるの嬉しいだろ』ってお返事しておいてくれるかな?」
へらへらととんでもないことを言っている。
ぬ、盗んだ!?
「い、今なんと? 八町しぇんせい?」
「盗んだ。盗んだ。盗んでしまった! ふうっ、……驚いた? 僕も自分にびっくりさ!」
だ、だめだ。あり得ない!
「オ、オワコン。オワコンなんてもんじゃない。ラインを越えた。ダメです先生、それはいけません……!」
「あはは、そうだよねえ。僕もそう思う! はははっ、あはははっ」
しょ、正気じゃない。
この八町大気は誰が見ても完全にイカれてる!
見ろ、居合わせた全員が「信じられない」って顔になってるじゃないか。みんな同じ気持ちなんだ。
八町大気の投げ銭による主役選定。
そこまでは刑事責任は低い。
問題があるとすれば倫理的批判や役者陣のモチベ低下を招く恐れがある程度だ。それはまあ許容できる。
しかし、脚本盗用はアウトだ。絶対にダメだ。
著作権法違反で逮捕・賠償の可能性が極めて高い!
業界追放や信頼喪失――キャリア終焉の危機に瀕している。
ああ――自爆だ。
僕たちは今、八町大気の自爆現場に立ち会っているんだ。
「あんなに才能があったのに……ついに認めてくれたと思ったのに……どうして……どうして……ウッ……おぇっ」
「と、父さん、しっかり!」
「きゃーーーっ!」
「銅親先生が吐いたぞ!」
盛大に配信中にリバースをかました僕はその夜、息子と手を繋いでしょんぼりと帰宅した。
妻は「一体何があったの」と家に入れてくれたのだが、妻のおっぱいに向かって憧れの八町に気に入られた喜びと絶望を語ったところ、「うざい」と言われてベランダに追い出された。
ベランダで膝を抱える姿はバッチリ記者に撮られて、インタビューまでされてしまった。
「銅親さん。今のお気持ちは?」
ああ、無情。
(5/13・お知らせ)
作品を読んでくださってありがとうございます。
こちらの連載、サブタイトルと章分けを試してみます。
前の方がよかったら直しますかも。
『俳優、女子中学生になる~殺された天才俳優が男装華族令嬢に憑依して芸能界に返り咲く!』
1章、オカルトアプリと俳優兄妹
2章、銀河鉄道とマグロとアリス
3章、人狼ゲームとシナリオバトル
4章、闇墜ち親友と賞レース←今ここ
なんか最初割と軽い気持ちで「試しにTS書いてみるか!」ってスタートしたような気がするのですが、おかげさまで濃厚超長編に育ちました。
感謝感謝です、本当にありがとうございます。