221、『人狼ゲームxサイコパス/最終話』
――事件から数日。
とある年配の男が呟いた。
「はあ、全く、酷い目に遭った……」
男は、人質立てこもり事件の被害者だ。
ただし、その事件が起きる原因の不祥事を起こした加害者でもある。
彼は人質から解放されて病院で健康状態を確認し、一次入院を経て、ようやく帰宅を許された。
殺されるかと思ったが、もう最悪は過ぎた。
――彼はそう思っていた。
ふと、携帯が鳴る。
画面には知らない番号が表示されていた。
誰だ?
通話を切ろうとした指が滑って、出てしまう。
「もしもし、XXさんですか?」
携帯からは、柔らかな女の声が響いた。
彼を慕ってくれている可愛い放送作家、モモだ。
なぜ知らない番号からかけてきたのかは、気にならなかった――よくあることだから。
「あんな事件に巻き込まれて……大変でしたよね。少しお話ししたくて。無事を確かめたくて……」
女の声が甘く耳に絡みつき、疲れ切った心が緩む。
「今夜、お時間ありますか? お疲れでしょうし、リラックスできる場所で会えたら嬉しいなって」
「……今夜?」
会いたいと願ってくれるのだ。
誰もが自分を「汚職の元凶」「腐った上層部」と罵るこの情勢で、彼女は変わらぬ好意を寄せてくれる。
嬉しいではないか。
それに比べて、他の奴は。
悪事を帳消しにするくらい、これまで世話してやったのに。
恩知らずのテイカーどもはギバーの俺に感謝しろ。
気分は「ウィッシュ」のマグニフィコ王だ。
男は、モモが指定した場所にまんまと釣られた。
「ん……?」
現場で彼を待っていたのは、モモではなかった。
ギクリとする――そこにいたのは、彼を恨む女だった。
「お、お前……」
「うふふ、やっと気づいた? 遅いよ」
なぜ。
疑問が男の思考を染める中、女の手が素早く動き、懐から取り出したナイフが月明かりに光る。
(や、やめ――)
刺された――悲鳴は出なかった。
喉を切り裂かれたからだ。
(た、たすけて……)
痛い。苦しい。
熱く苦い液体があふれて止まらない。刃もだ。
(死ぬ……)
殺意がこめられた凶器は、二度、三度と閃いた。
助からない。これは死ぬ。恐怖と苦痛が押し寄せる。
いやだ、いやだ、いやだ。
助けて、助けて、助けて。
もう――――だめだ……。
彼はもがき苦しみ、迫りくる死に慄き――絶望と後悔の中で人生を終えた。
――翌日。
「昨日深夜、テレビ局幹部・XX氏が都内の路地裏で刺殺されているのが発見されました。XX氏は先日の人質立てこもり事件で解放されたばかりの上層部の一人であり、不祥事への関与が問題視されていました。警察は怨恨による犯行の可能性を視野に捜査を進めています――」
テレビ画面に映し出されたニュースキャスターの声が、誰もが問題視していた男の最期を報じる。
SNSでは、「被害者が悪い」という声もあれば「どんなに相手が悪くても殺すのはいけない」という声もある。いつも通りだ。
「ざまあみろ」
ニュースを確認し、放送作家のモモはほくそ笑んだ。
モモは男が嫌いだ。
親しい女グループの女が「助かっちゃってムカツク」と怒っていた。
だから、「わかる。助かったと思って安心してるの、気に入らない」と共感を覚えて、殺してやろうと思ったのだ。
――油断したところを奇襲して絶望させるのって、最高に気持ちいい!
「まだ生きている男どもも、罪が許されるなんて思わないことね……♪」
「問題だ」と騒がれているのは、解放された人質だけではない。
クラッカーに暴露映像を流された政治家たちも、今、「あいつらを許すな!」と燃やされて保身に走り回っている。
自分も政治家の子飼いの身だ。
微妙な立場ではある。
男嫌いだからと感情のままに男を制裁していると、危険ではあるが……。
「それにしても、なに、このニュース」
『火臣打犬、実は余命宣告を受けていた!? しかも奇跡的に完治!? 意味不明! 釣りか!』
「火臣打犬とか、病気になったお知らせが出たときはヨッシャーって思ったのに、なんで奇跡的に治っちゃったの……」
せっかくいい気分だったのに――モモは不機嫌に唇を尖らせた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【姉ヶ崎いずみ視点】
江良先輩が生きていたら、どう思うだろう?
たくさんの人が嘘をついていて、身近な友人も信じられない。
正直者は損をする。
信じる者は騙されて心が傷付く。
私は、油断すると荒んだ気持ちになってしまうんです。
マネージャーに相談したら、「SNSやニュースを見るのをしばらく控えては?」と言われちゃった。
現実から目を背けて、仕事に集中。
ドラマは進み、主人公の三神瑞希が兎堂舞花が人狼だと気付いて、村人たちに警告を発するシーンを撮影中だ。
兎堂舞花は生き残りの村人にいつの間にか取り入っていた。
舞花は真っ黒なのに、みんなは真っ白だと思い込んでいる。あーあ。
占い師は「舞花を疑う三神があやしい。三神を占う」などと言い出した。
そして、占い結果を言う前に人狼に殺された。
「三神が殺したに違いない。騎士ではなく人狼だと露見しそうになり、慌てて占い師を殺したのだろう」
そんな疑いの深まる視線が注がれる中、三神瑞希は舞花以外の生き残りメンバーを集め、本日までの全メンバー視点での盤面整理をしてみせた。そして。
「俺、実は兎堂に片思いしてたんだ」
恥ずかしそうに打ち明けて、自分視点での見聞きしたこと、考えたことを伝えた。
その演説は情感たっぷりで、村人たちに説得力を感じさせた。
「俺はみんなと生き延びたい」
亡き江良先輩の甥だと言われている江良星牙は、舞台演劇出身らしさのある伸びやかな芝居をしている。
でも、いずみは知っている。
『悪役の王司ちゃんが見ごたえある』
『悪役が魅力的』
視聴者の声は正直だ。
彼は葉室王司の演技に負けて、存在感を食われている。
『悪役がすごい!』
『悪役の王司ちゃんがヤバい!』
食われているのは、悪役を演じるいずみも同じだ。
――このまま、終わる?
いずみの心に、焦燥が生まれる。
『姉ヶ崎さんは、しっかり自分の芝居ができてるよ』
――私に『自分の芝居をする楽しさ』を教えてくれた、江良先輩。
『姉ヶ崎さんはセリフを多めにしています』
――私を信じて重役を任せてくれた、銅親監督。
『どいつもこいつも! わたくしの国で好き勝手、主役みたいな顔で暴れて! 腹立たしい。生意気よ。分を弁えなさいな!』
――悪役女王を見事に演じて新境地を見せたと評価された、西園寺麗華。
『オレの演技、中身がないんです。全部、どこかで見た誰かの演技の上っ面を真似ただけなんです。父さんが「お前は役者になってほしくない」って言うんです』
――同じ悩みを抱いていた、後輩の銅親水貴君。
みんなのことを思うと、沸々と負けん気が湧いてくる。
なにより、今日まで努力してきた自分の心が叫ぶのだ。
――努力の成果を発揮したい!
――私だって、悪役を魅力的に演じてみせる!
『っふふふ、フフフ、フフフフフ!』
村人を狩り続け、ひとりで人狼の笑い声に背筋が凍る。
――いや、寒気なんかじゃない。
背骨を氷の爪でなぞられたような、ゾッとする悪寒だ。
爛々と輝く目が、血に濡れた刃よりもなお恐ろしい。
彼女は普通ではない。
普通ではない人物が、そこにいる――普段のおっとりとした少女とのギャップに鳥肌を立てながら、いずみは自分を奮い立たせた。
江良先輩が教えてくれた声を、思い出す。
『今、自分が抱いている感情は?』
……江良先輩。
それは、恐怖。不安。プレッシャーです。
『自己暗示して』
はい、江良先輩。
――私は悪役だから、この湧き上がる感情は、歓喜に結び付く。
この恐怖を、不安を、プレッシャーを、私は歓迎する。
こんな人狼が見たかったの。見せてくれる人狼が出てきて、私は興奮してるの。嬉しいの。
『増幅してごらん』
興奮する。嬉しい。嬉しい。嬉しい。
――最高!
大型モニターに映る人狼を鑑賞する悪役の私は、静寂を引き裂くように、ゆっくりとした拍手を響かせる。
「……素晴らしい。実に見事だわぁ……!」
足を組み、舞台を見下ろすように優雅な微笑みを浮かべる。
「欺き、操り、そして食らう。ああ、これぞ"人狼"の本質……! これでこそ、人狼。私の愛する悪役よ……」
ゆっくりと立ち上がる。
動作は滑らかに、慈しむように両手を広げて、巨大モニターを抱きしめるようにポーズを取る。
……ここで三秒、無言で溜めて。
「……」
静寂の中、カメラフレームを意識する。
背中を向けてポーズを取った私が映されて、今この一瞬が私の独壇場となる。
さあ、悪役の私は、もったいぶって振り返ろう。
表情は――笑顔。
「お客様、いかがでしたか? 友だちだと思っていた相手が、次の瞬間にはあなたの喉笛を掻っ切る。そのゾクゾクする恐怖……! 最高のエンターテインメントでは?」
視線の先には、黒幕の政治家がいる。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【銅親絵紀視点】
『太陽と鳥』のコンペでは負けてしまった。
しかし、テレビ業界を巡る騒動では処されずに済んだ。
銅親絵紀なんて小物が霞む大悪党がいるとわかって、僕は許された。
ドラマは完走できそうだし、妻も家に入れてくれた。
今朝、家を出るときに合図があった。夫婦二人だけがわかる秘密の合図だ。
今日はいいのか。
久しぶりに熱い夜を過ごすのか、僕たちは。
初めてのデートのようにソワソワする。
そうだ。そのうち妻に相談してみようかな。
「会社を辞めて、実績を手土産に海外の映画制作会社に転職しようかと考えてるんだ」――と。
元々、テレビ局にずっといるつもりはなかったんだ。
僕の本命は八町大気の会社だったから。
彼に認められる実績を作って、「僕は即戦力です!」と胸を張って売り込むつもりだったんだ。
でも、八町大気は変わってしまった。
あんなに眩かった才気の輝きは曇り、「おいたわしい」言動ばかりが話題になって。
噂では、演劇祭の脚本も手抜きだったらしい。
映画のための話題作りも失敗続きのようだ。まあ、話題作りはタイミングが悪かった。業界の大炎上の方がインパクトがあったし、持続力もあるものだから。
以前の八町大気なら、こんな情勢でも話題を掻っ攫っていく才気を見せたのだろうか。
でも、今は。
……僕のテントウムシを生み出した空想の魔術師は、もういないんだ。
それにしても、とんでもなく不遇な撮影だったのに、今回の役者たちはみんな熱意がある。
逆境が好きなタイプが集まったのだろうか?
みんなすっかり団結していて、お互いに教え合ったり相談し合ったりして……おかげで、良いドラマが撮れた。
中心にいるのは、いつも彼女だ。
葉室王司……新人なのに、まるで亡き天才俳優の江良九足のような存在感。
現場の空気をあたたかく団結できる雰囲気にしてくれて、仲間の俳優全員に刺激を与えて能力を引き出してくれる、不思議な子だ……。
……いけない。撮影中だ。
役者たちは集中している。
僕も集中するとしよう……。
――『人狼ゲームxサイコパス/最終話』
ストレスが限界を突破し、正常な判断力を失ったのか、生徒たちが反旗を翻した。
デスゲーム運営は、首輪を起動してすぐさま鎮圧した。余裕の対応だ。
姉ヶ崎いずみが演じる悪役スタッフは、倒れ伏す生徒たちに近寄った。
「ばかね、首輪があるのに――」
そう言って笑った瞬間。
「――なっ!?」
盤面は、覆された。
「無効化完了。首輪の制御は俺たちのものだ」
騎士主人公、三神の落ち着いた声が響き、生徒たちが一斉に起き上がって悪役に襲い掛かる。
三神たちは、暗号化されたセキュリティを突破し、首輪を無効化することに成功したのだ。
「やああ!」
「わあああ!」
人狼の舞花が人狼用の部屋から持ち出した武器が、村人たちの武器になっていた。
油断していた運営スタッフたちは浮足立ち、次々と押さえ込まれた。
支配の構図が逆転する。
少年少女が「やったぞ!」と笑顔を交わす中、外からも応援が駆け付けた。
「全員、動くな!」
初日に息子を殺され、怒りに燃える総理大臣が、動いたのだ。
彼はこれまでパッとしないへたれ総理で、傀儡総理と能無し人形総理とか呼ばれていた。
就任してから支持率は落ちる一方で、胃を押さえている姿がよく見られ、「衆愚政治が極まり、民意は史上最悪の総理を選んだ」と嘆かれていた。
今にも「もう無理です」とギブアップしそうな総理が息子を失えば、ショックで倒れて再起不能になるだろう。
黒幕はこのゲームの初日に息子を殺し、総理を潰したつもりでいたのだが、無能でもうお終いだと思われていた総理は予想に反し、奮起したのだった。総理を励ましたのは、同じく我が子をデスゲーム運営に奪われた父兄だった。
「そんなバカな!」
デスゲーム運営スタッフに歓待されてデスゲームショーを楽しんでいた政治家たちは逃げ惑い、黒幕はその場で拘束された。
生き残った生徒たちは保護され、救急車で運ばれていく。
そして、最後に残ったのは、少年と少女だった。
これがラストシーンだ。
積極的に狩りを楽しんだ少女・兎堂舞花は、罪に問われることになるだろう。
未成年の少女で、デスゲームに巻き込まれた被害者という特殊すぎる事情がある。
きっと情状酌量の余地はあるとみなされ、減刑されるのではないか。
そして、カウンセリングを受けて、更生の機会を与えられるに違いない。
けれど、血まみれた自身の指をぺろりと舐めて悪びれない様子で佇む少女は、「そんな未来なんてお断り」と言っているようにも見える。
少年、三神は、そんな少女の気を引きたかった。
彼女の心に自分という存在を刻みたくなった。
「……またゲームしよう」
三神が囁くような声で言うと、舞花は驚いたように目を見開く。
……驚かせることができた。
少年は甘酸っぱく微笑んだ。
「……君のことが好きだった。大声では言えないけど、ゲームは楽しかったよ」
それが、初恋の終わり。
狂気に彩られたデスゲームの幕引き――。
銅親絵紀は、最初にこの騎士を思いついたとき、息子の水貴に役をあげようかと思っていた。
息子は幼い頃から頑張り屋で、父の影響もあって芸能界に憧れていた。
父は最初、息子を応援していたが、業界の実態を知るにつれ、「息子をこの業界に入れたくない」と悩むようになった。
だって、こんな業界だし……。
将来を案じる親心である。
江良星牙は、息子よりも格段に上手い。
華があり、センスがあり、悲哀やどうにもならない非常な現実を知っている気配がある。
いいモノを持っている。
持っているだけではなく「俺、こんな武器があるんですよ!」と見せることができる。
自身の特別な感情体験を表現に活かすことができる――優秀な役者だ。
だから、キャスティングは、これでよかった。
息子が同年代の天才たちとの実力差を知り、才能の壁を感じて挫折するといい。
芸能界の闇を知り、炎上の追い風で暴徒化した大衆の恐ろしさを知り、父がボロボロになった姿を見て、「もうこんな仕事は辞める」と逃げてくれたらよかった。
銅親絵紀は、そう企んでシナリオを書いていた。
なのに、息子の水貴は挫折しなかった。
あきらめずに仲間たちと演技を練習して、出番を勝ち取った。
上手くなった。
しかも、自分ができなかった役を自分と比べものにならないクオリティで演じる仲間たちに、惜しみなく賞賛と応援の眼差しを送っている。
その瞳には暗い感情はない。
代わりに仲間への友情と、仕事を完遂した誇りと、意欲がある。
もっと上手くなりたい。もっと演じたい。現場が楽しい。
――そんな気持ちが伝わってくる。
……水貴。
息子が眩しくて、父の目に涙が滲んだ。
――僕はこんなに薄汚れた糞野郎なのに、息子は。
きっと、初恋の葉室王司ちゃんと一緒の仕事というのも大きかったのだろう。
男の子だもんな。
負け犬のままで俯いている挫折姿よりも格好よいところを見せたかったのだろう。
がんばったんだな。
それにしても葉室王司だ。
この子はレベルが違う。
この子だけ、まるで何十年も第一線で経験を積んだ熟練のようなオーラがある。
おいたわしい八町大気が「江良君」と呼ぶ気持ちも、少しは理解できるというものだ。
――亡き天才俳優、江良九足の再来のようなカリスマ性がある。
特別なスターなんだ。
「この子が女の子でもったいない」という気持ちと「女の子でよかった」という相反する気持ちがある。
江良を越える同性のスターが出てきたら、江良世代としては世代交代を感じて寂しくなってしまいそうだから。
「――カット!」
史上最高の視聴率を誇る超話題作ドラマ『人狼ゲームxサイコパス』は、こうしてクランクアップを迎えた。